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2010年7月 9日 (金)

縄文セミナーで学んだこと

『縄文特別セミナー』において、小田静夫氏(東京大学教養学部講師)は次のように語った。「島国・日本には様々な人々が渡来し、その都度様々な文化の波が押し寄せてきた。最新の人類学・考古学の成果により、約三万五千年前の二つの地域から日本列島に『旧石器時代人』の渡来が判明した。

最初の集団は東南アジアの『スタンランド』に生活していた南の石器集団で、彼らは黒潮を利用して島伝いに九州四国本州の太平洋沿岸に到達した。次の渡来集団は中国大陸北部・シベリア地域から朝鮮を経由した旧石器集団で、九州北部から本州日本海沿岸に到達した。

港川人(みなとがわじん・およそ17000年前に存在していたとされている人類沖縄県島尻郡具志頭村港川、現在の八重瀬町字長毛の海岸に近い石切場で骨が発見された。)はオーストラリアの先住民と同じ骨格。七千年前に土器を使う人が沖縄にいた。

ベトナムは色々な文化が交差した地域。生活しやすい所。台湾は考古学の発掘が進んでいない。日本列島を含め黒潮が流れているところは学問のメッカ。

オーストラリアとニューギニアがつながっていたスタンランドが日本人の起源。日本民族はオーストラリアの先住民と関係があるかもしれない。北海道の縄文人は本州の縄文人とは全く関係ない。弥生人は二千年前に朝鮮半島から渡来した。鹿児島・宮崎はこれから発掘すると色々出てくる。

パソコンばかり見ないで、自然界を見なければならない。縄文人と同じ様に開基すべし。縄文人はやさしい。日本の三万五千年前の遺跡で見つかった石器は、オーストラリアやニューギニアで見つかった石器と同じもの。東南アジアの土器は四千年前のものが最古。青森で見つかった。

海の旅はきついから、ポリネシアやミクロネシアの海洋民族はタフ。縄文人には自然崇拝の宗教があった。どんなものにも神が宿っていると信じた。日本文化の基層は縄文人。縄文人はコメを食していた。陸稲は縄文文化。米作文化が続いたので日本人は海洋民族であることを忘れた。

縄文人は朝鮮半島に行った。釜山あたりは日本文化。縄文文化の範囲が日本の範囲。アジア各地から色々な人がやって来て複雑に混じり合ったのが日本人。

上野原古墳では七千五百年前の壺型土器が見つかった。湊川遺跡では日本最古の一万六千年から一萬八千年前に生きた人の人骨が発見された。沖縄とフィリッピンは黒潮を利用した交流があった。湊川人は、南フィリッピンから黒潮に乗ってやって来た。一万二千年前に南九州に黒潮の民が渡来した。食糧を求めて移動する生活から、定住する生活になった。

吉永小百合は縄文人。由紀さおりは弥生人。考古学は日進月歩。明日をも知れぬ学問。縄文人の特徴は自然によく親しむ。」と語った。

西垣内堅佑理事長は、「縄文文化には戦争は無い。富を持つ者と持たぬ者との格差もない。これから天変地異が起こる可能性がある。また、かつてない大恐慌が起こり、戦争によってこれを解決しようとする。世界戦争が起こると、日本に食糧危機が起こる。日本人はどうやって生きていくのか。縄文文化を生かすこと考えるべし。」と語った。

              ○

縄文文化史そして日本民族の祖先は何処から来たかということについては、今日初めて本格的な講演を聞いた。縄文と弥生は対立するものなのか。縄文文化の上に弥生文化が形成され、この二つが複合したものが、日本文化ではないのだろうか。弥生文化も自然を大切にし、自然と共に生きる文化だと思う。

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