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2010年7月15日 (木)

維新変革の志と大和歌

今日講義した大伴家持の「族に諭す歌」は、天平時代に色々な政争が起こった時、大伴の氏長として大伴一族に自重を促した歌である。大伴氏が、天孫降臨以来天皇に仕えて来た名誉ある一族であることを歌い、今後も、そのことを忘れることなく、その使命を果たすことの大切さを歌っている。大伴氏は、藤原氏の台頭によって神代以来の名門であるにもかかわらず、没落しつつあった。藤原氏の子孫は今日に至るまで残っている。近衛家などは藤原氏の子孫である。しかし大伴氏は平安時代に滅びてしまった。

『萬葉集』に限らず、和歌と言うと、平和の時に、花鳥風月を眺めながら悠長に、歌作りを楽しんだと思う人がいる。実際に私はある人からそういうことを言われたことがある。しかし、決してそうではない。むしろ国家的危機においてこそ、後世にのこる価値のある和歌が生まれている。個人の場合も、安穏な生活や満ち足りた生活を営んでいる時よりも苦闘している時期の方が良き歌が生まれる。

『萬葉集』は、大化改新・壬申の乱・白村江の戦いなどが起こりまさに内憂外患の時期に歌われた歌が収められている。『新古今和歌集』は承久の変の時に生まれた。元寇の時も、建武中興でも、明治維新においても、そして大東亜戦争においても、すぐれた歌がのこされた。

個人においても、変革の意志、維新の志、戦闘者の精神があってこそすぐれた和歌を詠むことができるのである。吉田松陰先生を始め明治維新の志士たちの歌、大東亜戦争に参加した将兵たちの歌を見ればそれは明らかである。

幕末の動乱期に「尊皇攘夷」の戦いに挺身した人々の述志の歌はそれぞれに憂国の至情が表白され、「魂の訴え」という和歌の本質そのものの歌ばかりである。特に「君が代」「国」を思う心を直截に歌った歌を挙げてみる。

 

藤田東湖(水戸藩主徳川斉昭と肝胆相照らし熱烈な尊皇攘夷論を主張し尊攘運動に大きな影響を与えた)の歌。

「かきくらすあめりかひとに天つ日のかがやく邦のてぶり見せばや」(心をかき乱すようなアメリカ人がやって来たが、天日が照り輝く日本の國風を見せてやればよい、という意)

伴林光平(文久三年(一八六三)攘夷断行・天皇親政実現のために挙兵した天忠組に参加し敗れて刑死した)の歌。

「君が代はいはほと共に動かねばくだけてかへれ沖つ白浪」

(天皇国日本は巌のように不動であるから日本を侵略しようとする国々は沖の白波のように砕けて帰ってしまえ、という意)

梅田雲濱(若狭国小浜藩士。尊皇攘夷運動を行い安政の大獄で捕えられ獄死した)の獄中で病気になった時に詠んだ歌。

「君が代を思ふ心のひとすぢに吾が身ありとはおもはざりけり」

吉田松陰は、

「討たれたるわれをあはれと見む人は君を崇めて夷攘へよ」と詠み、

平野國臣は、

「君が代の安けかりせばかねてより身は花守となりけむものを」という歌をのこしている。

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