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2010年7月 1日 (木)

天道、是か非か

今日お会いした法律家の方は長い間検事をしてきた方なので、善と悪について色々語り合った。そして、来世はあるのか無いのかという大事についても語り合った。私は、来世というものはあると信じている。勿論まだ行ったことは無いのだが、霊界というか、あの世というか、目に見えぬ世界というものはあると信じる。

善人はつねに栄え、悪人はやがては滅びるはずである。ところが善人が、救われない状況に陥り、不幸な死に方をすることがある。一方、悪人が長寿を全うすることがある。支那の古代の伯夷・叔斉という人物は、仁を積み、行いを潔くしたが、餓死して果てた。ところが同じく支那古代の盜跖という人物は、日ごとに罪のない人民を殺し、人肉を食し、ありとあらゆる悪事を公然と行ったが、長寿を完うした。

支那の歴史家で『史記』を書いた司馬遷は、こうした事は、人間の関知できない力が働いた、即ち『天命』だと考えた。そして、『史記』の「伯夷列伝」に「天道、是か非か」という悲痛な言葉を記した。

近・現代でも同じである。独裁専制政治を行い、多くの人々を殺戮し残虐行為を働いたスターリン・毛沢東・金日成は、天寿を全うした。わが国においては今日まで、悪逆非道なことをした人物は、それなりの報いを受けた歴史を刻んできた。『悪が栄えたためしはない』という言葉は、わが国のみに通用する言葉なのであろうか。

日本には、近代において、スターリン・毛沢東・金日成のような、残虐無比の独裁者は出現しなかった。また、建国以来今日まで、独裁者・絶対専制君主が出現しなかった。ここが、西欧諸国や支那大陸や朝鮮半島とわが国が根本的に異なるところである。

わが国は、神武建国以来、一系の天子が祭祀主として君臨されてきた信仰共同体であり、祭祀国家である。祭祀主としての天皇、道義の鏡としての天皇が、上におわしましたので、権力闘争に打ち勝った覇者が出現しても自然に自制心・かしこみの心が生まれた。それが、絶対専制君主や独裁権力者がわが国に生まれなかった原因である。

今日及び将来の日本においても、祭祀主たる日本天皇の信仰的権威が、政治権力を浄化し、権力者にかしこみの心を持たさしめ、国家・国民の幸福をはかることが出来るのである。これが、わが国建国以来の「祭政一致」の理想であり、万邦無比の日本國體の素晴らしさである。

尊皇精神こそが、日本国安泰の基礎である。天皇を君主と仰ぐ日本国体の護持とその理想実現こそが、日本国永遠の隆昌の基礎である。従って、尊皇精神希薄な権力者は断じてこれを排除しなければならない。

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