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2010年7月31日 (土)

民主党政権の売国外交を糾弾する

民主党・菅政権は七月十六日、「日韓併合一〇〇年」を迎える八月に向け、韓国国民に過去の植民地支配へのお詫びの意を示す方向で検討に入ったという。これに関連して、岡田克也外相は一六日午後の記者会見で、村山富市・小泉純一郎両元首相が「植民地支配と侵略」への反省とお詫びを談話で表明したことに触れ、「(日韓併合)一〇〇年という区切りの年に、政府としてどう対応するか検討している」と説明した。

日本による韓国併合は、万止むを得ざる選択であると共に、当時の韓国政府との正式な交渉のもとに行われたことである。しかも、併合後韓国は、近代化を遂げ、あらゆる面で併合以前よりも発展し、国民は豊かになったのである。韓国に対してわが国政府が謝罪する必要は全くない。むしろ感謝されて良いのである。

日本に併合される以前の韓国は、国王がロシア大使館に逃げ込んで、反日的侮日的な命令を発するという状況であった。当時の韓国は、ある時はロシアの属国となり、またある時は支那の属国になるという体たらくで、とても独立国と言える状況ではなかった。そのままの状況で推移すれば、朝鮮半島は、支那かロシアの支配下に置かれることは明らかであった。これはわが国にとって重大な脅威である。そこで、韓国政府と交渉して、わが国が併合したのである。

菅政権の「意図」は、「韓国の意向に配慮することで、歴史問題に一定の区切りを付けたい」ということだそうである。しかし、韓国や北朝鮮は、絶対に「一定の区切り」をつけさせることはない。むしろこのような談話を発表したら、ますます居丈高になって過去のことを責め立てて来るに決まっている。

『日韓条約』締結でとうの昔に決着のついている「日韓併合」という歴史問題を、百周年だからと言って謝罪するなどというのは、断じて行ってはならない。いったい今まで、日本は何回韓国に対して、そして支那に対して『謝罪』してきたのか。そしてそれによって日韓関係・日支関係が良くなったのか。断じて否である。今回もまたそうした過去の過ちを繰り返すだけである。

日本は韓国統治時代に韓国から搾取したのではない。韓国に投資し、あらゆる面で建設を行い、韓国の発展に大いに寄与したのである。断じて謝罪する必要はない。

最近になって、菅民主党政権の外交姿勢の売国性が明白になって来た。祖国の歴史を冒瀆し、さらに今日唯今の日本国益どころか独立と安全を危うくする菅民主党政権の外交政策を厳しく糾弾するものである。

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千駄木庵日乗七月三十日

午前は、母のお世話。

午後は、今夜の勉強会における講義の準備。


この後、病院に赴き、父に付き添う。昨日来ることができなかったので、とても喜んでくれる。看護師さんから「さみしがっていましたよ」と言われる。

午後六時半より、新橋の港区生涯学習センターばるーんにて、『第三回・日本の心を学ぶ会』開催。渡邊昇氏が挨拶・司会。小生が「歌心について――日本人と詩歌」と題して講義。質疑応答。

帰宅後は、諸雑務。

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2010年7月30日 (金)

千駄木庵日乗七月二十九日

午前は、母のお世話。介護の方と共なり。

午後二時半より、永田町の村上正邦事務所にて、『日本の司法を考える会』開催。南丘喜八郎氏が挨拶。青木理氏が進行。安田聡氏及び石川一雄氏が講演。質疑応答。

日枝神社境内に建立されている「昭忠碑」を仰ぐ。海軍大将・從三位・勲一等東郷平八郎篆額 東宮侍講・正三位文学博士三島毅撰文 正五位日下部東作書である。明治三十七年の建立である。碑文はよく判読できなかったが、日露戦争戦没者の威徳を讃える石碑であると思われる。三島毅は小生の母校二松学舎の創立者。明治三大漢学者の一人と言われた。日下部東作は、近代の書道界の最高峰と言われる人。

日枝神社に、正面山王鳥居下より参拝。ご祭神は、大山咋神(おほやまくひのかみ)。江戸時代は徳川将軍家の篤い崇敬をうけた。明治以後は、皇城鎮護の神と仰がれ、官幣大社に列せられた。

           ○

日枝神社

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昭忠碑

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『日本の司法を考える会』での各氏の発言を聞いて

『日本の司法を考える会』では、安田聡氏(狭山事件再審弁護団事務局)が話された。その後、石川一雄氏が話した。狭山事件の内容や裁判の経過について詳しく語られたが、極めて複雑というか、微妙な事柄であり、私の聞き違いやメモに誤りがある恐れなしとしないので、ここに書き記すことは遠慮する。発言した方々の印象に残った話のみを記す。

佐藤栄佐久前福島県知事「私が知事を辞任して、逮捕されるのでの間に、事件が作り上げられた。」

石川一雄氏「私の兄貴がやったと思ったので、一家の大黒柱の兄がいなくなったらみんなが苦労するので、私がやったと自白した。私を騙し自白を強要した三人の捜査員に復讐したい」。

南丘喜八郎氏「結局こうした問題は、裁判所・裁判官のあり様の問題。」

村上正邦氏「司法の在り方を追及することは、右も左もない。国民が安心して生活できるかどうかは司法が健全であるかどうかにかかっている。今後は、こうした勉強会だけでなく、行動を起こして行きたい」。

早川忠孝前衆院議員(弁護士)「民主主義の根幹にかかわる問題。立法府で取り組まねばならない」。

          ○

私の高校生時代だったかと思うが、新聞などで「石川青年」と報道されていたが、今日お会いしたら、なんと七十一歳になっておられた。三十一年間獄中におられたという。冤罪であったとしたら実に気の毒である。ただし、石川氏には大変申し訳ないが、はっきり言って、今日の話だけでは、私には完全に冤罪であると認識することができなかった。

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2010年7月29日 (木)

民主党政権は基本的能力を喪失している

昨日の続きであるが、ロシア政府の歴史問題に関する不当な策謀に対して、わが国政府が何の抗議も行わないことは、「日本政府は終戦時及び終戦後の旧ソ連の暴虐を肯定した」という誤ったメッセージをロシア政府及び国民に伝えることとなる。今後の対ロシア外交に大変な悪影響を与える。「対日戰戦勝記念日」などというものが制定されたら、駐露大使の召還くらいの強硬措置を断行すべきである。

さらに菅直人君が北方領土の元島民の孫たち中学生七人に面会しなかったことは、わが国政府が北方領土との奪還に強い意志を持っていないというメッセージをロシアに与えることとなる。これも対ロ外交に重大な悪影響を及ぼす。

さらに、政府は、「日本の防衛」(防衛白書)の公表を九月以降に延期した。「白書」に島根県の竹島について、例年通り「わが国固有の領土」と書いてあることに、韓国側が反発することを避けるためだという。政府がわが国固有の領土について、厳正な立場を表明できないということは、民主党政権が、国家の独立・安全・尊厳性を死守するという使命を忘却しているということだ。韓国はますます日本に対してなめてかかるであろう。

このように民主党政権は、外国を恐れるばかりで、言いたいことも言えず、日本の国益を損なっているのである。民主党政権は、内政ばかりでなく、外交面でも、政府としての基本的能力を全く喪失している。何とかしなければならない。

           ○

「その罪万死に値する」という言葉がある。「死を以て罪を償う」という言葉もある。悪逆非道な犯罪はますます増加している。「死刑廃止はまだ早い」というのが小生の率直な意見である。

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千駄木庵日乗一月二十八日

午前は、母のお世話。

午後は、書状執筆。

この後、病院に赴き、父に付き添う。

帰宅後は、明後日に行われる「第三回 日本の心を学ぶ──歌心について・日本人と詩歌」の講義の準備など。(ホームページの「お知らせ」を参照して下さい)

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2010年7月28日 (水)

菅政権の対ロシア姿勢を糾弾する

ロシア大統領府は、二十五日、日本が大東亜戦争の「降伏文書」に署名した九月九日を「対日戰戦勝記念日」にする法案にメドベージェフ大統領が署名したと発表した。これは、旧ソ連軍が八月十五日以降も侵攻を続け、南樺太全千島を侵略し占領したことを正当化する策謀である。まことに以て不当不法であり許し難い。これに対して、わが日本政府は何の抗議も行っていない。

北方領土の元島民の孫ら中学生七人が今日、領土問題の早期解決を訴えるため、首相官邸を訪れた。例年は総理が面会するが、今年は、仙谷官房長官が応対した。内閣府は、菅首相は「日程上困難だ」として対応しなかったという。しかし、中学生の訪問時には執務室にいて、来客はなかったという。何とも理不尽である。

菅民主党政権の対ロシア姿勢は弱腰の一語に尽きるし、北方領土奪還の姿勢はまことに消極的である。

大東亜大戦争末期、旧ソ連軍の捕虜としてシベリアやその周辺地域に抑留された日本人は約六十万人に上る。そのうち約十万人以上のわが同胞が帰国できないまま亡くなり、身元が分からないまま今も多くの人が凍土の下に眠るという。

ロシアは、旧ソ連の行ったこうした蛮行を正当化しようしているのだ。絶対に許してはならない。こうしたロシアの態度を見ていると、ロシアは北方領土を返還する意思はないと思うより仕方がない。ロシアに限らず外国のわが国に対する不当不法な行為に対して、日本はもっともっと毅然とした態度で臨まなければならない。

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千駄木庵日乗七月二十七日

午前は、母のお世話。

午後は、歯医者と床屋に行く。歯医者さんは小生の同級生の息子さん。床屋さんは小学校の一年先輩。六十年以上生活している千駄木の町は文字通り私の「ふるさと」である。有難い。

この後、病院に赴き、父に付き添う。苦しみが少ない事を祈るのみである。

帰宅後は、書状の執筆。諸雑務。

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2010年7月27日 (火)

外國人犯罪・ヤクザ・警察

本日、展転社の藤本隆之社長から

各位 大相撲改革を名目にした反暴力団煽動のウラにあるものは何か。小社刊『逆境に生きた日本人』『原爆正当化のアメリカと「従軍慰安婦」謝罪の日本』の著者、鈴木敏明氏がご自身のブログで指摘しています。『売国三法』の問題とともに考えたいものです。  藤本隆之」

というコメントと共に送られてきた鈴木敏明氏のご主張(日本の警察当局に対する建言)の結論部分を転載させていただく。(鈴木敏明氏の『大東亜戦争はアメリカが悪い』という著書も以前拝読したが、大変勉強になった。)

鈴木敏明氏は次のように述べられている。

「現在、外国人犯罪が急増しています。都会ばかりでなく地方にも外国人犯罪が広がっています。自衛隊と同じようにあなたがたも大変な人手不足。こんな時にヤクザ(暴力団)の野球賭博などに目くじらを立ててどうするのですか。相撲の名古屋場所に暴力団が見学しないように数人の警官さえ配置しています。違法なことしていないヤクザが相撲を見に来て悪いのですか、野球場に野球見学に来て悪いのですか。

私が主張したいのは、凶悪な、あるいは悪質な犯罪であれば、ヤクザを取り締まるのは当然です。しかし野球賭博を追うなら外国人犯罪の方に力を入れてください。野球賭博まで追い詰めてヤクザを窮地に追い込まない方が、現在の日本を見つめ、将来の日本のことを考えると、得策だと主張したいのです。

最初にも触れましたが日本のアウトローの世界が支那人マフィアなど外国人犯罪組織に支配されるより、ヤクザに支配されていた方が、我々国民も安心に思えるし、あなたがたにとっても仕事がやりやすいはずだからです。ヤクザを肥やす必要はないが、壊滅寸前に追い込んではまずいのです。これからの日本を考えると、状勢によっては警察がヤクザを利用することもありえます。これは決して恥じではありません。

アメリカのFBIもアメリカ軍もマフィアを利用しているケースはいくつもあります。それにしても暴力団という名前はよくありません。暴力団員では、任侠、侠客の臭いすら完全に無くなっていることでしょう。ヤクザという言葉を使ってやってください。昔のヤクザにはいいところがあったと彼らに悟らせるのも一つの方法ではないでしょうか。あなたがたの敵は、もうヤクザではありません。恐ろしい敵は支那人マフィアなど外国人犯罪組織です。外国人犯罪組織がはびこらないように徹底して戦うことです。時にはヤクザを利用してでもです。そのことが我々庶民の安全にもつながるのです。」

           ○

今日のヤクザが、戦争直後のヤクザと同じ体質であるとは思えない。しかし、「毒を以て毒を制す」という言葉もある。また「水清ければ魚棲まず」という言葉もある。私は野球賭博の実態は知らないが、野球賭博が絶対悪ならば、パチンコも麻雀も競輪・競馬・競艇も禁止すべきである。任侠道という言葉がある。今のヤクザは確かにその昔の任侠の徒とは比較にならないくらい悪質化している。覚醒剤の密売どころか北朝鮮からの輸入などもやっていると聞く。こういう者共は厳しく取り締まるべきなのは当然である。鈴木氏もそう言っておられる。

しかし、どの時代・どの社会でも、いわゆる「あぶれ者」は存在する。小中学校のクラスにも、学級委員になるような優秀な子もいれば、勉強はできずみんなに迷惑をかける子もいる。しかしそういう子をただ排除し退学させるだけで良いはずがない。ヤクザ・暴力団といわれる人たちを法律と権力で締め上げ、存在を全く許さないようにすることが果たして本当に治安を守ることになるのか。またそういうことが可能なのか。よくよく考えなければならない。と同時に、やはりヤクザと言われる人々も、昔からの「任侠精神」「義理人情」「弱きを助け強きをくじく心」に回帰することが大切であろう。こんなことを書いても「空論」「きれいごと」といわれるかもしれないが…。

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千駄木庵日乗七月二十六日

午前は、母のお世話。介護関係のケアマネージャーの方と今後のことを打ち合わせ。

午後は、『大吼』連載原稿執筆。

この後、病院に赴き、父に付き添う。

帰宅後も、原稿執筆・脱稿・送付。

        

           ○

今日は「土用丑の日」。鰻を食べなければいけない日だそうですが、私の今日の夕食は天麩羅でした。お寿司屋さん、蕎麦屋さん。天麩羅屋さんも、こういう日を作ればいいと思うのですが…。いつ頃から『土用丑の日』がこんなに騒がれるようになったのでしょうか。鰻屋さんにとってはありがたいことでしょう。バレンタインデーにチョコレートをプレゼントするというのとよく似ています。こんなことを書くと、ひねくれ者と言われそうですが、「付和雷同」「軽佻浮薄」という四字熟語を想起する日でもあります。

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2010年7月26日 (月)

土屋たかゆき氏は次のように語った

二宮報徳会の講演で土屋たかゆき氏は次のように語った。

「私が民主党議員をしていた時は、性同一性障害のようだった。民主党は『さきがけ』が母体。田中秀征氏は『皇室を尊重する』という姿勢を示した。民主党が出来て、旧社会党が入って来た。民主党の都議会議員十九名の内十二名が旧社会党。主張が全く違う。民主党は、東京都平和祈念館建設の時、東京大空襲は、国際法違反であるとして糾弾しなければいけないのに、東京は軍事都市だったから致し方ないというコンセプトであった。私は市民運動を起こしてひっくり返した。この時、『除名だ』と言われた。『石原都知事の三国人発言は正しい』と言ったら、『除名だ』と言われた。三国人という言葉は占領軍が作った。朝鮮人や中国人の犯罪行為を報道する時、『三国人』と書かなければ検閲が通らなかった。三国人には悪い事をする人が多かったので蔑称になった。これは日本の責任ではない。

中国は人が余っているので、外国に人を出してその国を支配しようとしている。韓国の若者は、『日本は自由だし、徴兵制が無いから良い』と言う。本国では、禁止されているパチンコで、豪華な暮らしができるから良い。

朴正煕大統領は、士官学校に進み、恩賜の時計をいただいた。何処に差別があったのか。夫婦別姓は共産主義思想。家庭が崩壊すれば国家が崩壊する。千葉景子はブンド。極左暴力集団。千葉景子に対して民意がノーと言ったのだから交代させるべし。

菅直人は『憲法には三権分立は書いていない』と言う。彼は独裁政治を狙っている。民主党は革命政党。革命は静かにやって来る。共産主義は二億人殺している。民主党大会は日の丸を掲げない。女子高校生の六割は処女を喪失している。小沢は公明党に必ず手を入れてくる。沖縄自民党は幸福実現等におんぶに抱っこ。

『靖国の英霊に申し訳ない』という気持ちがあるかないかが保守であるかどうかの踏み絵。政治家は國體を護持するという気概を持ちつつ選挙に臨むべし。身元調査ができないから警察の中にも共産党組織が入っている。入っていないのは公安調査庁のみ。

『人権擁護法』の原案を作ったのは自民党。われわれが疲れ切ったらおしまい。駄目な時は潔く散りたいと思っている。天皇のいまさない国に生きている気持ちは無い。亡国法案が通ったら国会に突入したい。今の議員は自分が当選さえすれば良い。

『たちあがれ日本』は与謝野が入って方向性が変わった。明確な真正保守の政党を作ろうとしたが話が変わった。与謝野は排除しなければならない。地方議員中心のまともな政党を作るしかない。交番に日章旗が掲げられているのは、私がやった。休みの日に東京中を回って日章旗が掲げられていない交番を調べた。」などと語った。

           ○

土屋議員は、ますます意気軒高である。民主党におられた方だけあって、民主党の反日体質・サヨク体質を知悉している。小沢が主導権を握ろうと、菅直人が主導権を握ろうとこの体質は全く同じである。民主党政権は一日も早く打倒しなければならない。

創価学会が『池田の国会招致』という小沢の脅迫に屈して、民主党とくっつく危険性はある。池田大作氏の健康状況はどうなのか。最近、『聖教新聞』に全くその動静が伝えられない。

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千駄木庵日乗七月二十五日

午前は、母のお世話。

午後一時半より、靖国神社境内の靖国会館にて、「二宮報徳会講演会」開催。小林幸子会長が挨拶。土屋たかゆき東京都議が講演した。質疑応答。多くの同志とお会いする。先輩方のお元気なお姿を拝した。これからは高齢者パワーの時代である。

この後、病院に赴き、父に付き添う。

帰宅後は、書状執筆・資料の整理など。

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2010年7月25日 (日)

猛暑の日に思ったこと

愈々猛暑の季節になった。私は、暑さ寒さはあまり苦にならない。暑い時にも寒い時にも、それぞれ楽しみがある。寒い時は燗酒がうまいし、暑い時にはビールがうまい。おいしいものを食することが私の最高の楽しみである。

旅行も好きだが、最近は、父母のことがあるので、全く行けなくなってしまった。一泊くらいなら何とか、介護の人にお願いして行くことができるのだが、一泊では、大した所に行くことはできない。しかしこれも、これまでさんざん色々なところを旅して来たのだから、あきらめるより仕方がない。それよりも父母と共に過ごす時間を大切にしたい。

また最近は、カラオケスナックというのにもあまり行かなくなってしまった。父母が臥せっているのに、人様の前で大声をあげて歌を歌っても、あまり楽しくないのである。従って、家でパソコンの動画を見ながら歌を歌っている。好きな歌手と共に歌っている感じになって実に楽しい。ただし小生が一人でパソコンに向かって歌を歌っている姿を他人様が見たら、少し変なのではないかと思われるかもしれない。

私の好きな歌手は第一に渡辺はま子さん。この方は好きな歌手というよりも尊敬する歌手である。続いて田端義夫氏、田谷力三氏、三波春夫氏である。渡辺先生、田谷先生とは生前親しくさせていただいた。楽屋に行って色々お話をうかがったりした。三波春夫さんは会ったことはないが、『俵星玄蕃』は私の十八番である。田端氏はパーティでお会いしたことがある。私の父と同年。戦前から活躍している歌手で今もご健在なのは田端氏だけではあるまいか。「大利根月夜」も私の十八番。

『心に太陽を持て、唇には歌を持て』という言葉が、小学校の音楽室に掲げられていた。私の好きな言葉である。

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千駄木庵日乗七月二十四日

午前は、母のお世話。大変な暑さなので、体調を壊さないように祈る。介護の方が良くしてくれるので助かる。

午後は、『政界往来』連載原稿執筆。

この後、病院に赴き、父に付き添う。

帰宅後も原稿執筆・脱稿・送付。菅直人及び民主党批判である。

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2010年7月24日 (土)

相撲界の事、金賢姫来日の事。

相撲界とヤクザの関係が厳しく追及されている。相撲界だけがやり玉に挙げられているのは何か気の毒だ。政界・芸能界・宗教界もヤクザとの結びつきがあることは、多くの人々が指摘し、誰でも知っている事実である。政界・芸能界・宗教界のヤクザとの関係も、相撲界と同じように厳しく追及されれば、大変な事態になるのではないか。芸能界とヤクザとの関係が相撲界と同様に洗いざらい明らかにされれば、多くのタレント・俳優・歌手がテレビに出ることが出来なくなる。

北朝鮮の元工作員・金賢姫元死刑囚が日本に来た目的は何か。どのような成果があったのか。わざわざ日本に呼ぶ必要があったのか。何故鳩山前総理の別荘に泊まる必要があったのか。全く不可解である。民主党政権のパフォーマンスか、評判を落としている鳩山前総理と中井国家公安委員長のイメージアップ作戦か。そうだとしたら、まことに以て許されざることである。

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千駄木庵日乗七月二十三日

午前は、母のお世話。母も今年九十歳になる。幸い元気であるが、この暑さで体調を崩さないようにと願っている。

午後は、乃木坂の国立新美術館にて開催中の『オルセー美術館展2010「ポスト印象派」』展参観。この展覧会は「オルセー美術館の珠玉のコレクションの中から、絵画の傑作一一五点を一堂に展覧する…一九世紀末のフランス。印象派がもたらした絵画の刷新を受け、その豊かな才能を開花させた一連の画家たちがいました。セザンヌ、ゴッホ、ゴーギャン、スーラは、一八八〇年代後半から九〇年代にかけて、それぞれの表現を追及し独創的な成果を上げました。いわゆる『ポスト印象派』の登場です。本展覧会は、このポスト印象派の時代に着目した展覧会です。…本展は印象派を起点にして、19世紀終わりから二〇世紀初めにかけての絵画の諸相を一堂にご紹介するものです。時代の精華ともいうべき名作の数々を通じて、ポスト印象派世代の果敢な挑戦と、彼らが残した豊穣な遺産に、新たな眼差しを注いでいただけましたら幸いです。」(案内書)との趣旨で開かれた。

フィンセント・ファン・ゴッホの「自画像」「星降る夜」、クロード・モネの「日傘の女性」、ラ・シンガー・サージェントの「ラ・カルメンシータ」、アンリ・ルソーの「戦争」、ヴィルヘルム・ハンマースホイの「休息」などが印象に残った。

ゴッホの作品がやはり群を抜いていた。他を圧している。命の躍動があるし、迫力があるし、色彩が美しい。セザンヌの作品も多数展示されていたが、あまり見事とは思わなかった。高校時代にわが家の掛かっていたカレンダーのセザンヌの風景画がとても美しかったという印象があったのだが、この展覧会では風景画は無かった。

生首が描かれた絵(ギュスターヴ・モローの「オルフェウス」)や、蛇使いに大蛇が巻きついている繪(アンリ・ルソーの「蛇使いの女」)という気味の悪い絵もあった。家に飾って鑑賞するような絵ではないと思った。女性の後ろ姿が描かれた絵(ハンマースホイの「休息」)もあった。私はやはり洋画より日本画の方が好きである。

この展覧会は何と言っても、ゴッホの作品が目玉である。毎日たくさんの参観者が来ているが、今日は、ややすいているとのことだった。この前開かれた「横山大観展」は大変な行列で入るのをあきらめた。国立新美術館は、旧防衛庁跡地に建てられた。このあたりは、昔は赤坂檜町といった。私の父は、ここにあった防衛庁の陸幕に長く勤めていた。

千駄木に帰って、地元の先輩と懇談。

帰宅後は、資料の整理など。

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2010年7月23日 (金)

支那の歴史捏造

以前、ある支那人と会話する機会がありました。その時彼は、「この前の戦争は、中国が日本に勝ったといわれているが、そうではない。実際にはアメリカが原爆を落し、ソ連が参戦したから日本が降伏したのだ。支那人は、何時か自分たちの手で日本をやっつけてやろうと思っている」と言っていました。

支那人の全てがそういう考えを持っているわけではないでしょうが、反日教育を受けた世代がそう思っている人が多いのではないでしょうか。反日教育を受けた韓国・朝鮮人にも同じような考えを持っている人がいるでしょう。

ともかく今日の日本は、わが國に敵意を持ち、軍事力を増強している国に囲まれているという厳しい現実をしっかりと認識しなければならないと思います。

歴史問題で、共産支那が我国に対していろいろと非難を繰り返しています。歴史の捏造・改竄・隠蔽は、共産支那こそ本家本元である。国共内戦・大躍進政策・文化大革命において、何千万否一億以上という支那人が殺され、死地に追いやられた歴史をまったく隠蔽しているのが共産支那なのであります。

共産支那がいかに歴史を改竄し隠蔽するかは、毛沢東の葬式が行われた直後の報道写真では、四人組の姿がチャンと写っていたのに、粛清された後には、その写真から四人組の姿が消されてしまった事實が端的に示しています。毛沢東が起こした内戦や専制政治によって殺されたシナ人の数は、満州事変や支那事変で死んだシナ人の数よりも比較にならならい位多いのです。

共産支那はそういう歴史を隠蔽するために、日本を悪者に仕立て上げているのです。そして、日本が日中国交樹立後の日本による莫大な経済協力を隠蔽しているのです。共産支那のこうした体質が是正されないかぎり、わが国との真の友好関係は成立しません。

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千駄木庵日乗七月二十二日

午前は、母のお世話。医師の往診があり、付き添う。

午後は、諸雑務。

この後、病院に赴き、父に付き添う。

夕刻、長年の同志と久しぶりに会って懇談。

帰宅後は、資料の整理など。

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2010年7月22日 (木)

人格と識見について

誉め言葉に「人格識見共に立派である」というのがある。私もこれまでの人生で、人格識見共に立派な方には、何人かお目にかかった。今すぐに思い出すのは、草地貞吾先生である。草地先生は、まさにこの言葉通りの方であった。

識見がいかに正しく立派であっても、人格面で尊敬できない人がいる。またその逆に、人格的に尊敬出来ても、識見がおかしいという人もいる。「学者馬鹿」という言葉もある通り、専門的知識を有し、学問に専心している人は、少し変わったところがあるのは致し方ないと思っていた。

しかし、つい最近の私は体験次のような体験をした。ある勉強会で、講師の話が終わり、質疑応答の時間となった。司会を務めていたある学者の人が、「質問は簡潔に。自己主張は控えて下さい」と申された。ところがその司会者は、質問者の質問内容に自分の意見を述べるだけでなく、「そういう見解はもう学会では否定されている」とか、「私の本を読んでもらえば分かる」とか言い出した。質問者は言うまでもなく講師に質問しているのだ。にもかかわらず、司会者がこのような発言をするのは全くおかしい。質問者に対してだけでなく、講師に対しても失礼である。無礼というか非常識というが、開いた口がふさがらなかった。

この司会者は、真正保守に立場に立ち、現代における国学者と言っても良い人である。よく勉強されていて識見は実に立派なのである。私もかなり前から、よく知っている人物であり、一緒に運動もした。また、國體の根幹に関することで、多くの真正保守の方々とは意見を異にする見解を持ち、そのために批判を受けている人である。そのために、意見発表の場や活動の場が制約される事態になっているようにも思える。私はこの人の見解を全面的に肯定するものではないが、気の毒に思っていた。

ただこの人物には、人格面で少し問題があることはかなり前から感じていた。以前、ある勉強会で、この人物の祖父の年代に近い方であり、深い学識のある方の質問に対して、かなり無礼な応答したのを見て驚いたことがあった。

今回もまた同じように非常識であり、無礼な態度を見せたのには、本当に驚いた。この人が、色々批判され、人々から嫌われるのは、識見の面ばかりでなく、人格的に反発を持たれているからであることを深く認識した。

私自身、人格面でも、識見の面でも他人様を批判できるような人間ではないことは重々承知している。しかし、今回はこれだけのことは書かしていただいた。つまらない事を書いてしまったかとも思うが、どうかお許し下さい。

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千駄木庵日乗七月二十一日

午前は、母のお世話。

午後一時半より、三田にて行われた「大行社幹部会」にてスピーチ。

この後、病院に赴き、父に付き添う。眠っていたが、薄目を開けて私の顔を見て嬉しそうな顔をしてくれた。まだ微熱がある。

夕刻、湯島で、地元の先輩と選挙結果などについて懇談。

帰宅後は、資料の整理。

           ○

大行社幹部会で畏友三沢浩一氏が、「山口二矢烈士五十年祭」について、協力要請のスピーチを行った。その時、配られた資料に山口二矢烈士の辞世歌、

「國の為 神州男子 晴れやかに ほほえみ行かむ 死出の旅路に」

が掲載されていた。

私は、この山口二矢烈士の辞世を読む度に、胸迫る思いがする。古代より今日まで多くの辞世が遺されている。その中でも、山口烈士の辞世は、まことに清々しく明らけき歌である。わが日本民族の「清明心」が表白されている。真に純粋な魂を持っていた人でなければ詠み得ぬ歌と思う。  合掌

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2010年7月21日 (水)

茂木貞純国学院大学教授の講義を聞いて

茂木貞純国学院大学教授は今日の講義で次のように語られた。

「『魏志倭人伝』は伝聞の形で日本の様子をまとめている。今の日本語の発生は三世紀頃までさかのぼる。日本人は北から南から渡来して来て生活を確立した。一万年前に縄文土器を作って竪穴式住居で生活。縄文時代は一万年前から紀元前三百年まで。水稲耕作が始まり、日本列島全域で米を収穫。弥生式土器の時代から古墳時代へとつながる。水田は水の管理が最も大切。土木技術が発達した。それによって古墳時代が到来。縄文から弥生への連続性はある。二千五百年から二千六百年前から稲作が始まった。言語・宗教・生活様式が同じ人々がこの日本列島にいたのではないか。

日本語はその頃に出来あがっていた。日本には固有の文字なし。文字が無かったので、口から口へと伝えて、前の代のことを忘れることはなかった。話し言葉としての日本語の記述が始まるのは漢字を習得した後。日本で漢字が使われ出したのは、四~五世紀。熊本県江田船山古墳(えたふなやまこふん)で、日本最古の本格的記録文書である七十五文字を銀象嵌(ぎんぞうがん)で記した太刀が出土した。昭和五十三年に埼玉県行田市稲荷山古墳から出土した金錯銘鉄剣に、『獲加多支鹵大王』という文字が発見されたことから、この文言は『ワカタケル大王』と読むことが分かった。ワカタケル大王は、雄略天皇に比定されている。漢字の学習が始まって、太刀の由来を語る日本の古い伝承や歴史を記述した。

太陽信仰と稲作が日本人の骨格の一部になっている。天照大御神は、天に輝く偉大な神であり、秩序を支える神。天照大御神は、邇邇藝命に稲穂を与えて国民の糧とするように命じた。神鏡が地上に伝わって、皇室祭祀・伊勢神宮祭祀へと続いている。邇邇藝命は日向の高千穂の峰に降って来た。高千穂の峰とは稲穂を高々と積み上げた所という意。瓊瓊杵尊から三代後の神武天皇は神鏡を捧持して、橿原の地に建国された。

祭事を行う者が國を統治するということ。スメラミコトとは、清らかな言葉という意味と、高貴な精神で国を統治するお方という意味がある。縄文文化から弥生文化へと徐々に変化した。縄文人・弥生人という異なる集団がいたというのではない。」と語った。

           ○

この数日間睡眠不足なので、睡魔に勝つことができず、講義の後半は聞きもらした部分が多い。まことに申し訳なく且つ残念なことであった。

古代の祭祀国家の祭祀主の後裔が、今日唯今も国家の君主として君臨されている國は、世界でわが日本のみである。これは実に素晴らしいことである。日本國體が万邦無比といわれる所以である。「稲穂を豊かに実らせよ」というのが、天照大御神が邇邇藝命に与えられたご命令である。武器で地上を侵略して人民を支配せよというご命令ではない。日本国は、肇國以来、本当の意味の平和国家であり、自然を愛し、民を慈しむ国である。

この國體を正しく護持していかねばならない。天皇を祭祀主と仰ぐ日本國體へ破壊する勢力はこれを排除しなければならない。

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千駄木庵日乗七月二十日

午前は、母のお世話。

午後は、諸雑務。

その後、病院に赴き、父に付き添う。熱は下がったようだが、安心はできない状態。眠っている。

午後六時半より、春日の文京区民センターにて、「國體政治研究会」開催。茂木貞純国学院大学教授が、『大和言葉から見た祭祀と政治』と題して講義。質疑応答。

終了後、直会。談論風発。約一名大声で大演説をする人(世界に日本の正義を発信する某出版社社長)もいた。われわれは慣れているが、他の席のお客さんが驚いていた。ただし、今日は何時も出席する某出版社社長(真正保守の立場に立つ)が、他に会合があり欠席したので、大荒れに荒れるということはなかった。主催者の一人としてはほっとした。小生は常に冷静沈着で、興奮して激するということはあまりないのであるが、ついつられてしまうということがあることを反省する。

帰宅後は、明日のスピーチの準備など。

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2010年7月20日 (火)

明治維新と坂本龍馬

NHKの大河ドラマで坂本龍馬が主人公になっている。徳川慶喜が行った「大政奉還」は、土佐藩主・山内容堂(豊信)の建白によるものである。そしてその「建白書」は、慶応三年六月に長崎から京都へ向かう航海の途中、坂本龍馬が後藤象二郎(土佐藩士)に授けた有名な『船中八策』(新政府綱領八策)を手直ししたものである。

その内容は、「一、天下の大政を議する全権は朝廷にあり。乃我皇国の制度法則、一切万機、必ず京都の議政所より出づべし。一、議政所上下を分ち、議事官は上公卿より下陪臣・庶民に至る迄、正明純良の士を撰挙すべし」などと書かれてあった。そして、征夷大将軍が自発的に政権を朝廷に奉還し、徳川将軍は諸侯と同列に下り、合議を尽くすため新設する列藩会議の議長を慶喜が務める、というものであった。土佐藩としては、徳川家の政権参与を維持を図っている幕府側と倒幕を目指す薩摩・長州との妥協を計ったのである。

そして、同年、十月十三日、京都にいた五十四藩の重臣を京都二条城に召集し、意見を聞いた上で、同十四日「大政奉還」の上書を奉呈し、翌十五日勅許された。「大政奉還」は、明治維新断行後の政体変革とは比較にならない不徹底なものであるが、それでも、「天下の大政を議する全権は朝廷にあり」と書かれてあるように、天皇中心帰一の我が国の本来的な國體を明確にしている。また、議会政治形態を志向している。この二点において、徳川幕藩体制の根本的変革であったことは間違いない。    

ただ、今すぐ大政を朝廷に奉還するとは言っても、朝廷側にはこれを受け入れる態勢はなかった。慶應三年十一月十七日の朝廷より征夷大将軍及び諸侯に対して下された大政改革の諮問に「政権の儀、武家へ御委任以来数百年。朝廷に於て廃絶の旧典、即今行き届かせられ難き儀は十目の視る所に候。…」と書かれてある通りである。これがまた慶喜の狙い目だったという説もある。たとえ徳川氏が朝廷に「大政奉還」をしても、朝廷には実際の政治を司る能力がないのだから、自然に徳川将軍家・幕府が政治権力行使を継続する以外にないと踏んでいたという説である。実際に徳川慶喜は、側近の西周などに「大政奉還」後の具体的な政権構想を立てさせていたという。

しかし、事態は徳川将軍家にとってそう甘いものではなかった。薩摩・長州そして岩倉具視等倒幕派の公卿たちは、「何としても徳川幕藩体制を打倒せずんば非ず」という強固な意志を持っていた。   

徳川慶喜が「大政奉還」の上書を朝廷に提出したその日(慶應三年十月十四日)に、倒幕の密勅が下されていた。また、十一月十五日、坂本龍馬・中岡慎太郎が京都近江屋で刺客に襲われ、暗殺された。暗殺したのは、最近まで幕府方の見廻り組・佐々木只三郎だとされていたが、最近薩摩による暗殺という説が出て来ている。坂本龍馬は「大政奉還」の下敷きとなった「船中八策」を起草した人物であり、かつ、徳川慶喜を尊敬し、さらに徳川氏を討伐するという意見には組みしていなかった。そこで坂本が邪魔な存在となった薩摩藩が彼を暗殺したというのである。

明治維新史にはまだまだ謎が多い。

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千駄木庵日乗七月十九日

午前は、母のお世話。

午後は、諸雑務。

この後、病院に赴き、父に付き添う。発熱がある。医師と相談。発熱の原因を突き止めるために色々苦心しているとのこと。心配である。

帰途、日暮里駅前の蕎麦屋で食事。

帰宅後は、資料の整理など。今週も色々会合があり忙しい。父の体調に大きな変化が無い事を祈る。何しろ九十一歳である。しかし一日でも長生きしてほしい。意識はあるので、小生が病院に行き、ベッドの横に立つと、とても喜んでくれる。

       ○

日暮里の夕焼け

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2010年7月19日 (月)

いわゆる『高齢化社会』について

今日行われた市村美就夫先生祝賀会での祝辞で、私は次のようなことを述べた。

「今日『高齢化社会』とか言われている。また、『後期高齢者』という言葉もある。何かお年寄りの方々を馬鹿にしているような言葉のように感じられてならない。私の父と市村先生は一歳違いである。市村先生は健康を取り戻され、以前よりもお元気になられたようにお見受けする。私の父は、病床に臥せっている。市村先生も、小生の父も、戦前戦中戦後を生き抜き、一生懸命働き、子供を育て、戦争にも行った。本当にご苦労をされた世代である。こういう方々を邪魔にしたり馬鹿にしたりすることは許せない。大正生まれの方方が、戦後日本の復興を担われたのである。感謝の誠を捧げねばならない。

また、国会議員の定年制を導入されている。これはまことにおかしい。高齢者が多くなっているのだから、国民の代表たる国会議員に高齢者が多く選出されるべきなのである。しかるに、まだまだ活躍していただきたい政治家が引退させられている。私と同年代の人々を批判するのか気が引けるが、鳩山由紀夫にしても菅直人にして、総理大臣にはなったが、ご覧の通りの状況である。今の政治家にはロクなのがいない。幸いにして、今のお年寄りは元気である。これからもどんどん活躍していただきたい。それが日本の今後の発展につながると信ずる。」

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千駄木庵日乗七月十八日

午前は、母のお世話。

午後は、諸雑務。

午後五時より、銀座サンミ高松にて、『市村美就夫先生を祝う会』開催。ペマギャルボ氏及び小生などが祝辞を述べた。市村氏が謝辞を述べ、居合の実演を行った。市村美就夫氏は、日本映画俳優協会理事・日本作家クラブ名誉顧問(前理事長)などをつとめられる方で、本年で九十二歳になられる。この一、二年入退院を繰り返されていたが、健康を取り戻されたので、お祝いの会が開かれた。

帰宅後は、資料の整理など。

市村氏の居合道実演

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2010年7月18日 (日)

昨日掲載した拙歌について

昨日、

「二重人格のごとき家持の歌を読み 自らのことを省みるなり 」

という拙歌を掲載した。少々解説をしたい。

大伴家持は、天平勝宝八年六月一七日に、

「剣太刀 いよよ磨ぐべし 古ゆ さやけく負ひて 来にしその名ぞ」(剣太刀を一層研ぎ澄ますべきである。神代の昔から清く負い持ってきた大伴氏というその名なのであるぞ、という意)。

「うつせみは 数なき身なり 山川のさやけき 見つつ道を尋ねな」(この世に生きる人の身は、はかないものだ。山川の清い景色を見つつ、仏の道を求めよう、という意)

という二首の歌を詠んだ。「剣太刀」の歌は、政情が不安定となり、藤原氏の台頭によって次第に力を失って行く大伴氏一族に、奮起と自重を促した長歌『族(やから)に諭す歌』の反歌である。いざとなったら武力を用いてでも、祖先の名を辱めてはならないという勇猛な歌である。

「うつせみは」は、どうせ人間は長くは生きないのだから、仏の道に入ろうと言う歌である。現実逃避の歌といって良いる。

同じ日に全く違う心境の歌を詠んでいる。家持という人が、武門の名門の棟梁としての自覚を持ちながらも、人として寂寥感を持っていたことが分かる。しかしこの二首に共通するのは、『清らかさ』『さやけさ』を求める心である。日本人は、清潔さも最も重んじる民族である。

家持が同じ日に、全く異なる心情を歌っているので、「二重人格」と表現した。そして私自身も、現実を強く生き抜こうという心を持っているけれども、時に、弱気になることもある。家持の歌を読んで、そういうことを反省させられたのである。

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千駄木庵日乗七月十七日

午前は、母のお世話。

続いて、『政治文化情報』発送作業。送付。購読者の皆様には、週明けにお届けできると思います。

この後、病院に赴き、父に付き添う。父は熟睡していた。

帰宅後は、資料の整理など。

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2010年7月17日 (土)

我が国の外来文化受容について

日本伝統信仰と儒教・仏教の融合調和は「儒佛の日本化」と言って良いと思ふ。幕末の国学者・大國隆正は学問を学ぶ態度について、「『神代の巻』を本書とし、支那・天竺・西洋よりわたり来れる書籍をすべて、わが神代巻の注釈書とおもひて見るべきなり」(『本学挙要・下』)と述べてゐる。

日本儒教は支那中心主義=中華思想を日本化して、「日本が中華である」とするやうになった。日本佛教には「日本こそが大乗仏教を完成させた国」との自覚が起った。事実今日、儒教・佛教はこの二つの教へが発祥した国よりも、日本において教義は発展し洗練され高度なものとなってゐる。

日本民族の包容性は、決して無原則ではない。わが国は外来文化・思想・宗教を受容するにあたって、日本の傳統信仰と合はないものは、取り入れなかった。儒教の「易姓革命思想」の不受容はその典型である。

幕末以来、日本は貪欲なくらいに近代科学技術・西洋文明を包容摂取した。文明開化・富国強兵・殖産興業とは、「西洋文化文明摂取包容」の別名である。「尊皇攘夷」を唱へてゐても、柔軟にして革新的な意思と態度を持ってゐた。そしてそれが伝統ある日本國を守り発展させることになると信じたのである。それは頑迷固陋な保守主義ではなく、まさに明治天皇が御製に示された「よきをとり あしきをすてて 外国に おとらぬ国と なすよしもがな」の大精神である。

わが國は、外来文化文明を自由に柔軟に輸入し発展してきただけではない。太古以来の伝統を消滅させずにこれを現代に至るまで継承してきた。天皇を祭り主と仰ぐ國體はまさに今日に至るまで消滅する事はなかった。現代世界の所謂先進文明国家中でも太古以来の伝統を保持してゐる国は他に存在しない。

今日、日本は内憂外患の危機に瀕してゐる。かかる時にこそ、柔軟にして強靭なる「やまとごころ」を発揮すべき時であると信ずる。すなわち、日本伝統精神に回帰しそれを大いに興起せしめ、さらに外国の文化文明を日本化して国を強化し、我が國の独立と平和を守らねばならない。

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千駄木庵日乗七月十六日

午前は、母のお世話。

午後は、『政治文化情報』発送準備。

この後、病院に赴き、父に付き添う。

帰宅後も、発送準備。

       ○

二重人格のごとき家持の歌を読み 自らのことを省みるなり

梅雨の晴れ間 雲は流れ動きゐる 鎮まらぬわれの心の如く

わが命ふるひ立たせし書物なり 『生命の實相』全四十巻

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2010年7月16日 (金)

国会議員会館の新築について

議員会館には、比較的よく行く方なのであるが、たしかにこれまでの会館の議員の部屋は狭かった。来客の多い議員の場合、お客が立て込んでくると、部屋があふれかえって廊下で待つような状態になることもあった。また建物も古くなっていた。

ということで建て替えたのだが、今度は豪華絢爛たる建物になっている。マスコミは『贅沢過ぎる』という批判をしていたが、出来あがってからそんなことを言っても遅い。もっと早くからどういう建物を建てるのか報道すべきであった。

議員会館は、議員たちがお金を出し合って建てるのではない。国家予算で建てるのである。建てる前に国民に対して詳しい説明をすべきである。それこそ適切な『情報開示』を行って、国民の了解を得るのが筋であろう。ところがそういうとは一切しない。衆参両院の議院運営委員会などで、決めてさっさと建ててしまった。

こういうことには、庶民の味方を標榜し何でも文句をつける公明党・社民党・共産党も反対しない。まことにおかしい。民主党は、どれほど有効なのかは知らないが、「仕分け」とか言って国家予算の無駄遣いとかを追及し削減させている。衆参両院及び議員自身の無駄遣いというか、支出についても厳しい仕分けをすべきではないのか。

今度議員会館に行ったときに、隅々まで調べようかとも思うが、『訪問する議員の部屋以外には行くな』というような張り紙があるのでそれもできないかもしれない。以前、自民党本部に何かの問題で抗議に行った帰りに、知り合いの議員の事務所を訪問したら、私が訪問を終えて出て来るまで、外で警備関係者が待っていた。

議員宿舎とか公務員宿舎とか言っているが、九段・麹町・番町・隼町など都心の一等地の豪華マンションである。とても『宿舎』などという代物ではない。三上卓先生の『昭和維新の歌』の一節「栄華を誇る塵の世に 誰が高楼の眺めぞや」を想起する。こんなことを書くと貧乏人のひがみ根性といわれるかもしれないが、敢えて書いた。

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千駄木庵日乗七月十五日

午前は、母のお世話。

午後一時半より、豊島区立千早地域文化創造館にて、『萬葉會』開催。小生が、大伴家持の歌を講義。

終了後、出席者の方と懇談。宗教問題・日韓関係などについて語り合う。

この後、病院に赴き、父に付き添う。看護師さんなどが父の面倒を良くしてくれるので有難い。

帰宅後は、『政治文化情報』の発送準備など。今週は比較的忙しい。

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2010年7月15日 (木)

維新変革の志と大和歌

今日講義した大伴家持の「族に諭す歌」は、天平時代に色々な政争が起こった時、大伴の氏長として大伴一族に自重を促した歌である。大伴氏が、天孫降臨以来天皇に仕えて来た名誉ある一族であることを歌い、今後も、そのことを忘れることなく、その使命を果たすことの大切さを歌っている。大伴氏は、藤原氏の台頭によって神代以来の名門であるにもかかわらず、没落しつつあった。藤原氏の子孫は今日に至るまで残っている。近衛家などは藤原氏の子孫である。しかし大伴氏は平安時代に滅びてしまった。

『萬葉集』に限らず、和歌と言うと、平和の時に、花鳥風月を眺めながら悠長に、歌作りを楽しんだと思う人がいる。実際に私はある人からそういうことを言われたことがある。しかし、決してそうではない。むしろ国家的危機においてこそ、後世にのこる価値のある和歌が生まれている。個人の場合も、安穏な生活や満ち足りた生活を営んでいる時よりも苦闘している時期の方が良き歌が生まれる。

『萬葉集』は、大化改新・壬申の乱・白村江の戦いなどが起こりまさに内憂外患の時期に歌われた歌が収められている。『新古今和歌集』は承久の変の時に生まれた。元寇の時も、建武中興でも、明治維新においても、そして大東亜戦争においても、すぐれた歌がのこされた。

個人においても、変革の意志、維新の志、戦闘者の精神があってこそすぐれた和歌を詠むことができるのである。吉田松陰先生を始め明治維新の志士たちの歌、大東亜戦争に参加した将兵たちの歌を見ればそれは明らかである。

幕末の動乱期に「尊皇攘夷」の戦いに挺身した人々の述志の歌はそれぞれに憂国の至情が表白され、「魂の訴え」という和歌の本質そのものの歌ばかりである。特に「君が代」「国」を思う心を直截に歌った歌を挙げてみる。

 

藤田東湖(水戸藩主徳川斉昭と肝胆相照らし熱烈な尊皇攘夷論を主張し尊攘運動に大きな影響を与えた)の歌。

「かきくらすあめりかひとに天つ日のかがやく邦のてぶり見せばや」(心をかき乱すようなアメリカ人がやって来たが、天日が照り輝く日本の國風を見せてやればよい、という意)

伴林光平(文久三年(一八六三)攘夷断行・天皇親政実現のために挙兵した天忠組に参加し敗れて刑死した)の歌。

「君が代はいはほと共に動かねばくだけてかへれ沖つ白浪」

(天皇国日本は巌のように不動であるから日本を侵略しようとする国々は沖の白波のように砕けて帰ってしまえ、という意)

梅田雲濱(若狭国小浜藩士。尊皇攘夷運動を行い安政の大獄で捕えられ獄死した)の獄中で病気になった時に詠んだ歌。

「君が代を思ふ心のひとすぢに吾が身ありとはおもはざりけり」

吉田松陰は、

「討たれたるわれをあはれと見む人は君を崇めて夷攘へよ」と詠み、

平野國臣は、

「君が代の安けかりせばかねてより身は花守となりけむものを」という歌をのこしている。

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千駄木庵日乗七月十四日

午前は、母のお世話。

午後は、明日の『萬葉會』における講義の準備。

この後、病院に赴き、父に付き添う。意識がとてもはっきりしてきている。

午後七時より、豊島区立駒込地域文化創造館にて、『萬葉古代史研究会』開催。小生が、大伴家持の「族に諭す歌」などを講義。

帰宅後も、明日の『萬葉會』における講義の準備。

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2010年7月14日 (水)

二木啓孝氏の講演を聞いて

二木啓孝氏の講演で印象に残った話は次の通り。

「三年前まで、『日刊ゲンダイ』にいた。言論の中立性、報道の公平性は考えたことはない。『我々は朝日新聞ではない。アカ新聞である』と書いた紙が編集室の壁に貼ってある。田中金脈事件の時から自民党批判でグングン売れ始めた。以来時の権力批判をしてきた。スポーツ欄は何がなんでも巨人叩き。二十五年間『日刊ゲンダイ』にいたのでまともに世の中が見られなくなった。

予想以上に民主党が負けた。菅さんはボロボロ。お灸をすえてやろうというのが参院選の結果。相当大きなお灸だが、ガソリンをかけて死んでしまえではないというのが国民の意識。

衆院選で負けるのはアッパーカット・ノックダウン。参院選で負けるのはボディブロー。小沢は、自自公連立で高いハードルを突き付けて自民党を乗っ取ろうとした。政権は自公で続いたが、小渕の命は断たれた。二〇〇七年安倍さんが参院選で負け、ネジレが始まり、入院して政権をなくす。福田も過半数割れで苦労し退陣。麻生もボディブローで政権を失う。

菅さんの詰将棋はすでに詰んでいる。展望が無い。菅も、仙谷も、枝野も部分連合を言っている。『マニフェストが実行できなかったことを謝れば協議に応じる』と自・公・みんなの党は言っている。公務員制度改革について与野党協議の前に民主党が謝ってしまうと、野党に主導権を握られてしまう。部分連合をすると謝って丸呑みということになる。それでは何のための政権かということになる。

自民党の大島幹事長は、〇七年以来のネジレの中で国対委員長として頭を下げ続けた。二年半いじめられたことは、いじめ返したくなる。予算関連法案は参院を通さねばならない。衆院は三分の二ないから、来年度予算が執行できない。自民党は民主党を徹底的にやっつけて解散に持ち込む。十一月解散説もある。

樽床は、『頭の体操としては財政再建のための大連立はあり得る』と言っていた。党内で悩ましい人は小沢一郎。小沢は、金曜の夜から伊豆大島に釣りに行っていた。昨日の夜帰って来た。小沢は消えることによって揣摩臆測を呼ぶ。菅にとって前門の野党、後門の小沢。小沢は今の執行部に対して相当カリカリしている。枝野は小沢を大衆迎合主義と批判。仙谷は、『与党幹事長は懐の広いところを見せなければいけない。小沢は良くやってくれていると言うのが与党幹事長』と言っていた。

衆院選の選挙区には悉く小沢の影があった。太田昭宏が青木愛に負けた。小沢の秘書が青木にぴったりとついていた。福田康夫・久間・二階の選挙区も同じ。相手候補の事務所に取材に行くと、小沢の秘書が出て来た。負けそうな所には金を持って行く。秘書の給料・交通費は党の金ではない。小沢の金。三〇八議席は相当小沢の力があった。今度は小沢が行った所は悉く落ちた。

小沢は幹事長を降りたので、金と情報と人事権を奪われた。小沢にとって党は手段。金と情報と人事権を握るために党を作る。ところが民主党の議員は党が目的。小沢は民主党とは合わない。着地点が違う。

小沢は二七歳で初当選。四七歳で幹事長。六七歳で政権交代。小沢は『二大政党制を信じていない』と言った。自民党を根絶やしにしたい。来年の統一地方選で自民党をつぶしにかけたかった。市長村會議員を根絶やしにしないと自民党はつぶれないと小沢は思っている。自民党を根絶やしにして民主党を割り、二大政党制にしたい。参院選で複数区に二人立てたのは、落ちた人を地方選の目玉候補にするため。

小沢は今、情報・金・人事権の三つを握っていない。さあどうなるか。北澤・直嶋・仙谷は仲が良い。小沢のすごみは離党カード。参院の人事を見て行動を起こす。輿石を参院議長にして一丁上がりにして北澤を議員会長にすると戦争が起こる。小沢は後継者がいない。ナンバーツーになりかけると首を切る。小沢は衆院五十人。参院十人を連れて出ていく。菅と仙谷はこれを捌けるかどうか。

民主党には頭の良い人はいるが、腹芸のできる人はいない。寝業師がいない。できるのは仙谷くらい。細川連立政権を倒した時の自民党には、野中・亀井・梶山・鈴木宗男という胆力のある人がいた。正しい政策の人が勝つのではなく、勝った人が正しい。そういうことを松下政経塾の人は分かっていない。菅さんはだから消費税を上げるなんて言ってしまった。『国対も俺の仕事』と仙谷は言っていた。

自民党は本当に勝ったのか。民主党が大負けしたのであって自民党が勝ったのではない。加藤紘一は『一九五五年以来自民党が何を訴えてきたかを総点検しなければいけない』と言っていた。反共と経済成長の二つの柱を立ててきた。高度成長期はそれでうまく行った。ソ連の崩壊とバブルの崩壊でこの二つの柱を立てることができなくなった。

加藤の乱は加藤の根性無しでこけた。良い人は根性が無い、小泉は『自民党をぶっ壊す』と言って自民党を延命させたが、自民党は本当にぶっ壊れた。小泉は旧来の既得権を壊そうとした。そして地方は疲弊した。

加藤紘一は『保守とは何かという旗を考えたい。小さな村の単位が集まり、顔が見える単位の取りまとめ役が自民党であってほしい。ゆっくり暮らせる社会を保つのが保守。』と言う。自民党はきちんと保守の旗を立てるべし。今度の自民の勝利は敵失。仙谷は小沢が大嫌い。小泉改革も大嫌い。仙谷は加藤紘一と仲が良い。頭の体操として仙谷と加藤が仲介して谷垣と期間限定の大連立をする。小泉・竹中とタカ派は入らない。柔らかな保守。」と語った。

          ○

谷垣・加藤紘一・仙谷の連合はあり得る。その時小沢はどうするか。今日の話を聞いても、また『文藝春秋』今月号を読んでも、小沢という人はやはり国のためにならない人であることが分かる。彼には、権力欲と怨念しかないのである。

しかし真正保守・維新の立場からは、小沢も駄目だが、谷垣・加藤紘一・仙谷連合も駄目である。真の「保守」とは國體護持・戦後体制打倒だからである。

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千駄木庵日乗七月十三日

午前は、母のお世話。

午後、歯医者で治療を受ける。

この後、明日の『萬葉古代史研究会』における講義の準備。

午後七時より、ホテルサンルート高田馬場にて、『一水會フォーラム』開催。木村三浩氏が挨拶。二木啓孝氏(政治ジャーナリスト)が講演。質疑応答。

帰宅後は、明日の講義の準備。

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2010年7月13日 (火)

永井荷風の愛国心

荷風は「愛國主義」について次のやうに論じてゐる。「われ等は徒に議員選擧に奔走する事を以てのみ國民の義務とは思はない。われ等の意味する愛國主義は、郷土の美を永遠に保護し、國語の純化洗練に力むる事を以て第一の義務なりと考ふるのである。」(『日和下駄』・大正四年)

麗しい祖國の自然と純粋なる國語を護ることが愛國であると主張するのである。この主張は現代日本においてこそ、重要な意義を持つ。わが國の維新の道統は、政治経済体制の変革のみではない。その根本に國民精神の変革浄化が為されなければならない。日本固有の美、傳統信仰、秀麗なる日本の自然そして自然に宿る神への畏敬の念、祖靈に対する尊崇の思ひを涵養することが根本である。

また終戦直後、荷風はすでに自ら好んで世捨て人のやうな生活をしてゐたにもかかはらず、国語の傳統維持の重要さについてさらに次のやうに論じた。

「いづこの國に限らず、國民は祖先傳來の言語を愛護し、それを丁重に使用しなければならない責任があります。いかなるものでも放擲して時勢の赴くまゝにして置けば破壞されてしまひます。絶えず之を矯正したり訓練したりして行かねばなりません。言語と文章の崩れて行くのを矯正して行くのが文學者の任務でせう。」(『亜米利加の思出』・昭和二十年十二月)

日本人はやまとことば・言霊への信がなければならない。それが真の愛國であり國粋精神である。そして言葉の乱れを正すのが文学者の使命であり責任である。それを世間を韜晦する人生を歩んでゐたとされる荷風であったがそのことは正しく自覚してゐたのである。

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千駄木庵日乗七月十二日

午前は、母のお世話。

昼は、知人の医師と懇談。その方は「民主党と自民党の違いと言っても、銃殺が良いか電気椅子が良いかの違いのようなもの。」と言われた。わたしが「蓮舫のご主人は良い人のようですね」と言ったら、「良い人でなければあんなきつい女性の亭主は務まらない」とのご返事だった。

午後は、書状執筆。

この後、病院に赴き、父に付き添う。よく眠っている。

夕刻、小学校の先輩と懇談。

帰宅後は、水曜日に行われる『萬葉古代史研究会』の講義準備。

先週は原稿執筆の毎日だったが、今週は会合や『政治文化情報』の発送準備などがあり、また忙しい。

  

         ○

「老看護婦が『民主党では駄目ですね』と言ひし言葉を聞きて肯ふ」

「皆それぞれ勝手なことを言ひ合ひて結論の出ぬテレビ討論」

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2010年7月12日 (月)

参院選の結果に思う

山梨の輿石が僅差で当選したのが何とも悔しい。神奈川の千葉景子が落選したのは嬉しい。岩手は相変わらず小沢王国なのか、民主が圧勝。自民党は勝利したなどと喜んではいられない。大阪では、自民票が公明票より少ないのだ。東京では自民票は民主票より圧倒的に少ないのだ。国民新党が駄目だったのは残念であった。

これからますます政治は混迷するであろう。与野党激突もあるだろうし、民主党内の抗争の激しくなるであろう。「国民生活第一」などという歯の浮いたようなスローガンがいかに欺瞞的なものであったかが、今回証明された。

菅直人君は、記者会見でまたも「国民主権」を強調していた。よほど「国民主権」という言葉が好きなのだ。「国民主権」は、国王と人民が権力を争った西欧の市民革命から生まれてきた言葉であり、君民一体の日本國體には絶対に相容れない思想である。次号の『政治文化情報』でこの事を詳しく論じた。どうかご覧下さい。

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千駄木庵日乗七月十一日

午前は、母のお世話。

午後は、諸雑務。

母校の中学校に投票に赴く。小生が幼少の頃から知っているご婦人が立会人をしておられた。

この後、病院に赴き、父に付き添う。やや体調が良くなっている。有難い。色々話しかけてくる。

今年九十歳になる母に「雨が降っているから投票に行かないでください」と言って病院に行ったのだが、帰宅したら、なんと投票に行って来たという。無事に帰って来ていたのでほっとした。

帰宅後は、テレビの開票速報を見ながら資料の整理など。

            

           ○

己が言葉にたがはずに生きよと自らに言ひ聞かせ今宵も眠らんとする

戦争も軍隊もなき日本の若者たちの「幸せそうな顔」

腑抜けたる若者たちと言ふなかれ日本の國は「平和大国」

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2010年7月11日 (日)

どこの党に投票したらいいのか

いよいよ明日が投票日。地方区は誰に入れるかは、決めている。比例区がまだ決めかねている。はっきり言ってどうしても投票したいという政党が無いのである。

平沼赳夫氏の主張は共感しているし支持している。だから『たちあがれ日本』に投票したいのだが、与謝野馨・園田博之・藤井孝男という中心メンバー三人が真正保守・維新の立場に立つ人かどうかがわからない。この三人の人々が、「國體護持」「自主憲法制定」「自主防衛体制確立」「教育正常化」「自虐史観の払拭」「共産支那や北朝鮮の脅威」など国家基本問題での発言を聞いたことがない。

また、『たちあがれ日本』は、尖閣諸島に上陸を試みようとした参院選比例代表候補・足高慶宣氏を「法令軽視」という理由で除名処分にした。これはどう考えても納得できない。参院選の候補者が日本国内の何処に行って選挙運動をしようと自由である。わが国の領土である尖閣に行くことが何故「法令軽視」なのか。私には納得できない。

民主党は、「外国人参政権付与」「夫婦別姓」という亡国二法を通そうとしている。これに反対しているのが民主党と連立を組んでいる国民新党である。民主党の暴挙を食い止めるためには国民新党の議席を増やすべきだという同志もいる。成程と思った。しかし、亀井氏が「皇居を広島あるいは京都にに遷すべきだ」と、天皇陛下に言上したことはやはり常軌を逸しているし、許し難い。

明日になったら、よくよく考えて、比例区での投票先を決定したいと思っている。

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千駄木庵日乗一月十日

午前は、母のお世話。介護の方と共なり。

午後は、原稿執筆。

その後、病院に赴き父に付き添う。やや体調が良いようなので安心する。

午後六時より、『九段下沙龍』開催。同志多数と参院選のことなどを討議。また、「山口二矢烈士五十年祭」について事務担当者から話があった。

帰宅後は、『政治文化情報』原稿執筆・脱稿・送付。

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2010年7月10日 (土)

国歌「君が代」の素晴らしさ

菅直人君は、「国歌『君が代』は元気が無いから、好きではない」という意味のことを言った。もっと「元気のある国歌」とは戦闘的な歌ということであろう。「平和」を強調する左翼が返って戦闘的な歌を歌う。「インターナショナル」などはその典型である。君主制打倒の革命を行った国は、そのあと、戦闘が繰り返され、独裁国家となり、多くの国民が苦しんだことは先日も書いた。

日本の国歌君が代の素晴らしさについて少し書いておきたい。『國歌君が代』には日本國民の伝統的天皇信仰が高らかに歌いあげられている。『君が代』はめでたい歌として貴族から庶民に至るまで自然発生的に全國民的に歌われ続けた歌である。 江戸初期には、堺の町の美声の歌い手に隆達という人がいた。その『隆達節』にもこの『君が代』が最初に挙げられて、広く庶民の間に親しまれたという。薩摩琵琶(注薩摩で発達した琵琶、およびそれによる歌曲)の『蓬来山』という曲にも取り入れられた。

 明治初期に『君が代』が國歌として制定された時、薩摩の大山巌は、「わが國の國歌としては、よろしく宝祚の隆昌、天壤無窮ならん子とをり奉るべきである」として「平素愛誦する薩摩琵琶の中から『君が代』を選び出した」と語っている。

 

また、「さざれ石のいはほとなりて苔のむすまで」という歌句をとらえて、小さな石が大きな岩に成長するということはあり得ないから非科學的な歌であるという議論があるが、これは『國歌君が代』を否定するための屁理屈である。

石が成長して大きくなり巌となるというのは日本人の古来からの信仰的真実である。古代日本人は、石が成長すると信じた。『君が代』の歌の根底にはこの信仰がある。単なる比喩ではない。これは石や岩という自然物が生きているという自然神秘思想から来ている。 全てを命あるものとして見る自然信仰は、祖霊信仰とともに日本伝統信仰の大きな柱である。

石と岩の違いは、石が成長した岩には魂が籠っているということである。「いは」の語源は「いはふ」である。「いはふ」は「いへ」と同根の言葉で、霊魂を一処に留めて遊離させないして霊力を賦活させ神聖化することである。そして「いはふ」は神を祭る意にもなった。神を祭る人(神主)を「斎主」(いはひぬし)、神を祭る宮を「斎宮」(いはひのみや)と呼ぶようになった。

家に籠ることを「いはむ」という。「いはむ」とは忌み籠ることである。「忌む」とは、不吉(ふきつ) なこと、けがれたことをきらって避けること。特に、ある期間、飲食・行為を慎んで、身体をきよめ不浄を避けることをいう。「斎」(いつき・心身を清めて飲食などの行為をつつしんで神をまつる。いみきよめる。いわう。いつく。ものいみする、という意)と同じ意である。「いつき・いつく」の「いつ」とは清浄・繁茂・威力などの意を包含している神聖観念である。天皇の神聖権威を意味する御稜威(みいつ)はこの言葉から来ている。

日本の「家」(いへ)はそれを構成する人々つまり家族の魂が一処に籠っているということである。したがって、君が代(天皇の御代)は「石」が「岩」になるまで続くということは、天皇國日本は魂の籠っている永遠の國家であるということになる。岩を霊的なものとしてとらえ、それを永遠無窮・天壤無窮の象徴としたのである。そういう信仰を歌っている歌が『君が代』なのである。

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千駄木庵日乗七月九日

午前は、母のお世話。介護の方と共なり。

午後二時、先輩の事務所訪問。選挙情勢などについて懇談。

この後、平河町の平河天満宮に参拝。

続いて、病院に赴き、父に付き添う。

夕刻、新宿にて長年の同志と二、三の懸案事項について語り合う。

帰宅後は、『政治文化情報』の原稿執筆。

 平河天満宮

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2010年7月 9日 (金)

縄文セミナーで学んだこと

『縄文特別セミナー』において、小田静夫氏(東京大学教養学部講師)は次のように語った。「島国・日本には様々な人々が渡来し、その都度様々な文化の波が押し寄せてきた。最新の人類学・考古学の成果により、約三万五千年前の二つの地域から日本列島に『旧石器時代人』の渡来が判明した。

最初の集団は東南アジアの『スタンランド』に生活していた南の石器集団で、彼らは黒潮を利用して島伝いに九州四国本州の太平洋沿岸に到達した。次の渡来集団は中国大陸北部・シベリア地域から朝鮮を経由した旧石器集団で、九州北部から本州日本海沿岸に到達した。

港川人(みなとがわじん・およそ17000年前に存在していたとされている人類沖縄県島尻郡具志頭村港川、現在の八重瀬町字長毛の海岸に近い石切場で骨が発見された。)はオーストラリアの先住民と同じ骨格。七千年前に土器を使う人が沖縄にいた。

ベトナムは色々な文化が交差した地域。生活しやすい所。台湾は考古学の発掘が進んでいない。日本列島を含め黒潮が流れているところは学問のメッカ。

オーストラリアとニューギニアがつながっていたスタンランドが日本人の起源。日本民族はオーストラリアの先住民と関係があるかもしれない。北海道の縄文人は本州の縄文人とは全く関係ない。弥生人は二千年前に朝鮮半島から渡来した。鹿児島・宮崎はこれから発掘すると色々出てくる。

パソコンばかり見ないで、自然界を見なければならない。縄文人と同じ様に開基すべし。縄文人はやさしい。日本の三万五千年前の遺跡で見つかった石器は、オーストラリアやニューギニアで見つかった石器と同じもの。東南アジアの土器は四千年前のものが最古。青森で見つかった。

海の旅はきついから、ポリネシアやミクロネシアの海洋民族はタフ。縄文人には自然崇拝の宗教があった。どんなものにも神が宿っていると信じた。日本文化の基層は縄文人。縄文人はコメを食していた。陸稲は縄文文化。米作文化が続いたので日本人は海洋民族であることを忘れた。

縄文人は朝鮮半島に行った。釜山あたりは日本文化。縄文文化の範囲が日本の範囲。アジア各地から色々な人がやって来て複雑に混じり合ったのが日本人。

上野原古墳では七千五百年前の壺型土器が見つかった。湊川遺跡では日本最古の一万六千年から一萬八千年前に生きた人の人骨が発見された。沖縄とフィリッピンは黒潮を利用した交流があった。湊川人は、南フィリッピンから黒潮に乗ってやって来た。一万二千年前に南九州に黒潮の民が渡来した。食糧を求めて移動する生活から、定住する生活になった。

吉永小百合は縄文人。由紀さおりは弥生人。考古学は日進月歩。明日をも知れぬ学問。縄文人の特徴は自然によく親しむ。」と語った。

西垣内堅佑理事長は、「縄文文化には戦争は無い。富を持つ者と持たぬ者との格差もない。これから天変地異が起こる可能性がある。また、かつてない大恐慌が起こり、戦争によってこれを解決しようとする。世界戦争が起こると、日本に食糧危機が起こる。日本人はどうやって生きていくのか。縄文文化を生かすこと考えるべし。」と語った。

              ○

縄文文化史そして日本民族の祖先は何処から来たかということについては、今日初めて本格的な講演を聞いた。縄文と弥生は対立するものなのか。縄文文化の上に弥生文化が形成され、この二つが複合したものが、日本文化ではないのだろうか。弥生文化も自然を大切にし、自然と共に生きる文化だと思う。

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千駄木庵日乗七月八日

午前は、母のお世話。医師の往診があり、付き添う。私の血圧も測ってもらったが、異常なし。

午後三時より、虎ノ門の国際縄文学協会にて、『縄文特別セミナー』開催。小田静夫氏(東京大学教養学部講師)が「スタンランドから縄文へ」と題して講演した。この後活発な質疑応答。西垣内堅佑理事長が挨拶し終了した。

帰宅後は、『政治文化情報』の原稿執筆。

            

           ○

昨日詠んだ歌を記します。

七夕といへどそれらしき行事なくただ曇り日を過ごしたるのみ

冷やし中華食しつつ夏といふ季節をば確かめてをり今日は七夕

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2010年7月 8日 (木)

「君が代」斉唱を拒絶した菅直人氏の危険性

今日『月刊日本』発行人であり愛国者であられる南丘喜八郎氏より、佐藤優氏の、「ミッキー安川さんが語った菅直人民主党代表の『君が代』観」(『SANKEI EXPRSS』2021年と6月5日号)といふ文章のコピーを送っていただいた。

それによると、ミッキー安川氏が担当していたRFラジオ日本の『朝まで勝負』といふ番組は、開始と同時にゲストとスタッフ全員が立ちあがって『君が代』を斉唱することになっていたが、ある日ゲストで出演した菅直人氏は歌うことを拒否したという。

そして佐藤氏は次のように論じている。「菅氏の世界観において『君が代』はどういう位置を占めているのだろうか?日本国家の根本は祭祀共同体である。目に見える制度や法律ではなく、目に見えない高天原の神々によって、日本は支えられている。」「参議院選挙の結果がどうなろうと民主党は権力を手離さない。民主党という巨大な権力の器の中に、超越的なものに対する畏敬の念を欠いた、合理的計算で理想的社会を構築することができると考える人々が、官僚と手を組み、イタリアのムッソリーニ首相が理想としたファッショ体制が、知らず知らずのうちに形成されるのではないかという不安を筆者はもっている」と。

全くその通りである。「君主制を打倒し、国民主権の共和制国家にすることが進歩である」などという理論は全く誤りであり、危険である。日本の君主制を否定し、日本を国民主権が実現した国になったらどうなるか。それは、佐藤氏が指摘するように、独裁国家・専制国家が生まれる危険がある。これは、過去の歴史を見れば明らかである。

フランス革命の後の約六十万人のフランス人が殺し合ひによって死んだ。そして革命政権による恐怖政治が行われた。ロシア革命の後もスターリンによる独裁政治・大粛清が行われた。支那共産革命の後も毛沢東による独裁政治・大粛清が行はれた。カンボジア革命の後もクメールルージュによる大虐殺が行はれた。君主制が打倒された後、平和で民主的になった国は一つもないと言っても過言ではない。極論すれば、「国民主権」とは「プロレタリア独裁」と同義であり、独裁専制恐怖政治を招来するのである。

菅直人氏が、ロペスピエール・スターリン・毛沢東・ポルポトと同じような独裁専制政治を行うなどと言うつもりはない。しかし、国民主権論を振りかざし日本國體を蔑ろにする菅直人氏の基本的思想と姿勢は、強権政治・独裁政治を行う危険はある。佐藤氏の言う「超越的なものに対する畏敬の念を欠いた合理的計算で理想的社会を構築することができると考える」ことの危険性を我々は十分に認識しなければならない。日本国の祭祀主・日本天皇に対する『畏敬の念』を持たず、合理的計算のみで物事を処理し、政治を行うことがどういう結果を生むか。それは歴史を見れば明らかである。

『イラ菅』と言われるように、菅氏は自分の意見と対立する人に対しても感情的な反発する。さらに、予算委員会も開かず、野党との議論を拒絶した。さらに、テレビなどでの党首討論も「つるしあげになる」など言う理由で拒否した。こういう独善的な姿勢を見るとそういうことを予感させる。

菅直人内閣が、日本の国の安定と平和と自由と独立の維持に大きな弊害になることは確実である。

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千駄木庵日乗七月七日

午前は、母のお世話。介護の方と共なり。

午後は、歯医者に赴き、治療を受ける。抜歯した後の消毒など。簡単に済む。

この後、病院に赴き、父に付き添う。

夕刻、知人と懇談。参院選などについて談論風発。

帰宅後は、『政治文化情報』の原稿執筆。

             ○

洗ひたるサクランボをば 母と二人 語り合ひつつ食す楽しさ

自らの心をただす思ひにて 玄関に座して靴磨きする

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2010年7月 7日 (水)

相撲界と賭け事

今日懇談した友人二人は、日本相撲協会の処分は妥当という意見だった。私は、琴光喜の処分はきつすぎると思う。貴乃花が言うように十両最下位から出直させるくらいが良かったのではないか。しかしそういう処分にしても、本人は相撲取りをやめたかもしれない。

蒙古や東ヨーロッパから来たお相撲さんに『野球賭博』に関わって処分された人がいなかったはどういうわけかと言ったら、一人の友人は国に仕送りするので余裕が無いのだろうと言っていた。

博打というか賭け事は、好きな人にはたまらない魅力があるようである。はまったら抜け出すのが大変だという。関東管区警察局長と新潟県警本部長が、重要事件が発生していたのに、視察先でマージャンをしていたのが問題になったことがあった。検事・裁判官同士でもやるらしい。警視庁記者クラブの中でも記者同士がやっているという話を聞いたことがある。

私の知っている元警察官の人が、ある警察署で保安課長をしていた時、記者室で記者たちがマージャンをしているのを見つけて怒鳴りつけたという。この方は何時も着物を着て保守派の集会に来ておられたが、最近お見かけしない。ある政党に抗議に行った時、私と一緒に相手方を猛烈に怒鳴りつけていた。なかなか面白い人物であった。

お相撲さんや親方たちに一切賭け事をするなというのは無理な注文だ。そもそも格闘技は、勝負事である。勝負師としての感覚を養うのに、賭け事をするのは必要なのだという意見をある武道家の方から聞いたことは前に記した。程度の問題であろう。国技とは言っても相撲界は法曹界や治安機関と同じく聖人君子の集まりではない。

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千駄木庵日乗七月六日

午前は、母のお世話。

午後は、歯医者さんに赴き、抜歯。麻酔の注射も全く痛くなく、蚊にさされたようなものであった。抜歯もあっという間に終わった。医療技術も随分進歩した。若きお医者さんに感謝。私の同級生の息子さんである。

その後、『政治文化情報』原稿執筆。

夕方は、地元の友人と懇談。相撲のこと、母校のことなどを語り合う。抜歯の後なので、お酒はほんの少ししか呑まなかった。

帰宅後も原稿執筆。

            ○

クーラーより出で来る涼風に促され筆はすらすらとノートを滑る

明日の朝はまた母上に電話して恙無きことを喜ぶが良し

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2010年7月 6日 (火)

参院選でどこに入れるか

参院選で、誰に投票するか、どの党に入れるのか。地方区は、ずいぶん昔からの知人が立っているのでその方に入れるつもりである。もちろん保守の立場の人である。

比例が難しい。私が顧問をしている一水会は「国民新党」支持である。「たちあがれ日本」の平沼さんは尊敬する政治家の一人であるし、藤井さんが候補者になっている。「自民党」からも古くからの知人が立っている。高校時代からの同志・松浦芳子女史からは「日本創新党」を頼まれている。民主・社民・公明・共産に入れることは天地がひっくりかえってもあり得ない。

私一人の票でどうなるものでもないことは言うまでもない。しかし、「塵も積もれば山となる」という言葉もある。民主党の過半数阻止のためにどうしたらいいか熟考したい。菅直人か主導権を握り続けても、小沢が復活しても、民主党が祖国のためにならない政党であることには変わりはない。

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千駄木庵日乗七月五日

午前は、母のお世話。介護の方と共なり。

午後は、『伝統と革新』編集の仕事。

この後、病院に赴き父に付き添う。

帰宅後は、『政治文化情報』の原稿執筆など。

東京地方は、八王子や北区などで局地的な豪雨に見舞われたようだが、幸いなことに私は豪雨に遭遇しなかった。

「われの手を握りて離さぬ父上の心を思へば涙こぼるる 

とことはの命を願ふは無理なれど父の手を取り生きませと祈る」

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2010年7月 5日 (月)

菅直人君は『国民主権論』を捨てよ

菅直人君(同年代なのであえてこう書きます)がしきりに「国民主権」を強調するので、国民主権について勉強している。長谷川三千子先生の『民主主義とは何なのか』(文春新書)に非常に教えられることが書かれている。

長谷川先生は「近代民主主義においては、『デモクラティア』から引き継がれた『不和と敵対のイデオロギー』は、あらためて一つの原理、基本概念として表明される必要があった。『国民主権』という原理がそれである。」「『国民主権』の概念が『革命』というものと切り離しがたく結びついているものである」「ある一国の歴史を他国に『移植』出来ないのと同様にして、或る国の『古来の憲法』を他国に移植することは不可能である。」「『国民主権』の概念は、英国の国政が例外的にコントロールを失い、国王対国民の対立がむき出しの『闘争』となったことに刺激され『君主主権』を逆転して、『国民の力』を国政の支配者に立てる、というかたちででき上がったのである。」と論じている。

「国民主権」という考え方は、イギリスなどの西洋における国王と人民の対立闘争の歴史から生まれてきた思想である。したがって君民一体の日本の國體とは絶対相容れない思想である。菅直人君は、こういう思想を持っているから、「君が代」は歌わないし「聖寿萬歳」も三唱しないのである。そして内閣総理大臣の任命式を「皇居における手続」などと不敬なことを言うのである。菅直人君は一日も早く「国民主権」思想を捨て去り、日本の國體精神に回帰すべきである。こんなことを言っても無理だろうか。

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千駄木庵日乗七月四日

午前は、母のお世話。

午後は、『伝統と革新』編集の仕事。

この後、病院に赴き父に付き添う。

夜、動坂下の焼鳥屋さんで食事。この焼鳥屋さんは戦前からのお店で、今の御主人が三代目である。開店以来八十年以上になるのではないか。私宅の近所にはこういう老舗が多い。ご家族連れの神職の方とお会いする。私のブログを見てくださっているという。父のことを心配して下さった。有難い。

帰宅後は、『月刊・日本』に連載中の萬葉集解釈の原稿執筆・脱稿・送付。

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2010年7月 4日 (日)

菅直人君はずるい

菅直人君(同世代なので敢えてこう書かせていただく)は、テレビでの党首討論は「つるしあげになる」と言って拒否している。また、選挙前の国会も予算委員会での質疑そして党首討論も避けた。自分が野党時代は、さんざん自民党総裁たる総理大臣をつるしあげたくせに、自分が権力者になると逃げ回るというのは卑怯である。

菅直人君は全共闘の活動家でありいわゆる左翼学生だったという。私の体験では、民青であろうと反代々木系であろうと、左翼学生というのはずる賢かったという印象がある。大学側に対してはさんざん監禁して吊るしあげを行った。そして自治会を掌握して権力を握ると、あらゆる手段を用いて反対勢力の排除を行った。

菅直人君や仙石由人君はそういう体質を今でも引きずっているのであろうか。

自民党に便乗して消費税の値上げを言うなどというのも卑怯であり、やり方が汚い。日本人は、悪人よりも汚い人間を嫌う。「あいつは悪人だ」と言われるよりも、「あいつはやり方が汚い」と言われる方がつらいという感覚がある。紳士面をしている人間に「汚い奴」「ずるい奴」が多いというのも事実である。菅直人君がバカだといった『高級官僚』などはその典型なのだが、菅直人君も同類なのである。やり方が汚い人間、ずるい人間に権力を握っていてほしくない。

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千駄木庵日乗七月三日

午前は、母のお世話。

午後は、『伝統と革新』編集の仕事。

この後、病院に赴き、父に付き添う。

帰宅後は、書類整理及び編集の仕事。

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2010年7月 3日 (土)

韓国の『反日』について

『伝統と革新』の編集の仕事で、日韓併合と東アジア共同体をテーマにした原稿を読んでいる。韓国の元軍人の方の「日韓関係論」がとても勉強になった。韓国人はすべて『反日』というわけでは決してない。日本統治時代を経験した人に『親日』が多いというのは厳然とした事実である。戦後世代は、反日教育を受けているから、どうしても『反日』になってしまう人が多い。しかしそれも全部が全部というわけではない。呉善花さんは戦後世代である。

私はこれまで、十数回韓国を訪問しているが、会った人から「反日感情」をぶつけられたことは一回もない。勿論、私が韓国で会った人は、我々を招待した人とか、歓迎してくれる人たちが多いのだから、それは当然である。したがって、そういう経験をしたからと言って、韓国の人々に反日感情が無いとか希薄だと言うことはできない。しかしあれだけ反日デモが起ったり、反日報道などが繰り返されているにしては、日本人に対する対応は実に柔らかいという印象を持った。

随分前のことだが、何かの問題で、反日デモが起こり、日本人はタクシーに乗せてくれないとか、喫茶店に入れてくれないなどと報道されていた時期にソウルに行ったのだが、全くそういうことはなかった。それどころか、私の泊まったホテルの玄関で、韓国人のタクシー運転手同士が日本人客を奪い合って喧嘩をしていた。

また、李方子妃殿下の墓参団(名越二荒之助団長)の一員として韓国を訪問した時、三・一独立運動事件発祥の地であるソウルのパゴダ公園に行った。日本軍と韓国民衆が戦っている場面が彫られたレリーフや記念碑などがあった。三十人近くの日本人がバスに乗ってその公園に入って行った。東京で言えば日比谷公園のような所なので、老人たちが日向ぼっこをしていた。何か文句を言われるか、石でもぶつけられるかと思ったら、全く逆で、「日本の方々ですか。よく来てくれました」と言って握手を求めてきた。これには本当にびっくりした。

また、韓国の音楽家とお会いした時、私の浅い知識で「日本の演歌は韓国民謡の影響なのですね」と言ったら、「とんでもない。韓国の西洋音楽はすべて日本から学んだのです」と言われた。

日本と韓国とは歴史問題・領土問題で対立関係にある。日本は韓国の理不尽な要求や、内政干渉に屈服してはならない。また、日本に永住する在日韓国人に「地方参政権」を与えることもあってはならない。しかし、お互いによく理解することは必要である。とくに近代における「日韓併合」の必然性と「日韓併合」によって韓国・朝鮮が近代化を遂げたという事実を韓国の人々、特に戦後世代の人々に正しく認識してもらう必要がある。

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千駄木庵日乗七月二日

午前は、母のお世話。介護の方と共なり。

午後は、『伝統と革新』編集の仕事。

この後、病院に赴き父に付き添う。まだ微熱がある。父はずっと私の手を握りしめている。

帰宅後も、『伝統と革新』編集の仕事。

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2010年7月 2日 (金)

民主党に勝たせてはならない

参院選の真っ最中ですが、区議選・都議選・衆院選と違って、あまり街宣車が動き回らないので、うるさくなくて助かります。区議選となると多数の候補者が路地裏までマイクを持ってまわってきますので、一日中騒がしいので困ります。参院選では、何時も「維新政党新風」の街頭宣伝を手伝うのですが、今回はそれがないので少しさみしい思いがします。

菅新総理も、消費税のことで少し先走ったことを言ってしまったということのようですが、私は、いずれ消費税は上げなければならないと思います。小沢一郎氏が、色々文句を言っていますが、「少し静かにしていろ」と言われたことが癪に障っているのでしょう。

それにしても、民主党という政党は、まとまりがない。追い風に乗っている時は、それが表面化しないのですが、今のように色々批判されてくると、まとまりのなさが露骨にあらわれるのでしょう。今度の選挙の後、内部抗争がさらに激化するでありましょう。

小沢一郎は、日教組の親玉である輿石と親しいというのも全くおかしなことであります。一体小沢という人の政治理念は何なのでしょうか。権力掌握のためなら、何でもいいということでしょう。

今日は、前鎌倉市議の伊藤玲子先生から、文書が送られてきまして、日教組教育の弊害について書かれてありました。

日教組は今更言うまでもなく、左翼思想を小中学生に強制して来た反民族・反日団体であります。

もう一つの民主党有力支援組織は部落解放同盟です。「部落解放同盟綱領」(一九九七年五月二七日 部落解放同盟第五四回全國大會決定)の「基本目標」には「われわれは、部落差別を支える非民主的な諸制度や不合理な迷信・慣習、またイエ意識や貴賤・ケガレ意識など差別文化を克服し、身分意識の強化につながる天皇制、戸籍制度に反対する。」と書かれています。 

民主党は「天皇制反対」を掲げる部落解放同盟を、支援組織にしている政党であります。このような政党が政権を握り続けていることを許してはなりません。

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千駄木庵日乗七月一日

午前は、母のお世話。

午後は、『伝統と革新』編集に関わる仕事など。

この後、病院に赴き、父に付き添う。少し熱があるので心配である。看護師さんが良くしてくれる。

夕刻、上野で知人と懇談。御徒町で生まれ育ち、父上の仕事を継いでいる人。

帰宅後は、書状の執筆など。

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2010年7月 1日 (木)

天道、是か非か

今日お会いした法律家の方は長い間検事をしてきた方なので、善と悪について色々語り合った。そして、来世はあるのか無いのかという大事についても語り合った。私は、来世というものはあると信じている。勿論まだ行ったことは無いのだが、霊界というか、あの世というか、目に見えぬ世界というものはあると信じる。

善人はつねに栄え、悪人はやがては滅びるはずである。ところが善人が、救われない状況に陥り、不幸な死に方をすることがある。一方、悪人が長寿を全うすることがある。支那の古代の伯夷・叔斉という人物は、仁を積み、行いを潔くしたが、餓死して果てた。ところが同じく支那古代の盜跖という人物は、日ごとに罪のない人民を殺し、人肉を食し、ありとあらゆる悪事を公然と行ったが、長寿を完うした。

支那の歴史家で『史記』を書いた司馬遷は、こうした事は、人間の関知できない力が働いた、即ち『天命』だと考えた。そして、『史記』の「伯夷列伝」に「天道、是か非か」という悲痛な言葉を記した。

近・現代でも同じである。独裁専制政治を行い、多くの人々を殺戮し残虐行為を働いたスターリン・毛沢東・金日成は、天寿を全うした。わが国においては今日まで、悪逆非道なことをした人物は、それなりの報いを受けた歴史を刻んできた。『悪が栄えたためしはない』という言葉は、わが国のみに通用する言葉なのであろうか。

日本には、近代において、スターリン・毛沢東・金日成のような、残虐無比の独裁者は出現しなかった。また、建国以来今日まで、独裁者・絶対専制君主が出現しなかった。ここが、西欧諸国や支那大陸や朝鮮半島とわが国が根本的に異なるところである。

わが国は、神武建国以来、一系の天子が祭祀主として君臨されてきた信仰共同体であり、祭祀国家である。祭祀主としての天皇、道義の鏡としての天皇が、上におわしましたので、権力闘争に打ち勝った覇者が出現しても自然に自制心・かしこみの心が生まれた。それが、絶対専制君主や独裁権力者がわが国に生まれなかった原因である。

今日及び将来の日本においても、祭祀主たる日本天皇の信仰的権威が、政治権力を浄化し、権力者にかしこみの心を持たさしめ、国家・国民の幸福をはかることが出来るのである。これが、わが国建国以来の「祭政一致」の理想であり、万邦無比の日本國體の素晴らしさである。

尊皇精神こそが、日本国安泰の基礎である。天皇を君主と仰ぐ日本国体の護持とその理想実現こそが、日本国永遠の隆昌の基礎である。従って、尊皇精神希薄な権力者は断じてこれを排除しなければならない。

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千駄木庵日乗六月三十日

午前は、母のお世話。介護のケアマネージャーの方が来宅。介護計画について話し合う。

午後は、『伝統と革新』編集関係の仕事など。

夕刻、ある法律家の方の事務所訪問。懇談。

帰宅後は、資料の整理など。資料整理をしながらテレビを見ていると、民主党の枝野幸男幹事長と小沢一郎前幹事長が、お互いに批判し合っていた。何とも滑稽に思えた。全く異質な人々が一つの政党にいるということだ。これでは政権運営がうまくいくはずがない。それでも、民主党が参院で単独過半数を取ったとしたら、日本国民には相当バカが多いということになる。

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