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2010年6月20日 (日)

国体・憲法・民主政治について

今日の『憲法懇話会』で、久保田信之氏は次のように語った。

「一切の枠を排除するのが左翼のヒューマニズム。『夫婦別姓』は、縦横のつながり、枠は無い方が良いという考え。ポールテールの『歴史は汚らわしい』という言葉に象徴される。それは『一人一人の生活が豊かであればいい、国家は無い方が良い』という考え。個人を限りなく尊重し『歯止めのない自由』を拡大すれば、『人間は人間に対して狼になる』。リンカーンの『人民の人民による人民のための政治』という言葉は日本語に翻訳した時にトリックがあった。南北戦争に後、国の分裂を救うためにリンカーンが行った演説は、『人民』を念頭に置いていない。國を思い。國を背負う『国民』の自覚と役割を説いたのだ。リンカーンを尊敬したJ・F・ケネディが『國がな何をしてくれるかを考える前に、国に何ができるかを考えて欲しい』と訴えたことと関連して、アメリカのデモクラシーの本質を考え直してほしい。国籍を無視し、縦横のつながりを遮断した『ヒト科の動物』が、政治を左右してはならない。私一人の幸福ではなく、この國を築き維持して来た先人や現存する国民の安寧と幸福を第一義的に考え国益を優先させる『地に足のついた人間によって政治は運営されねばならない』との思いから『定冠詞の付いたthe people』を繰り返したのがリンカーンの演説の特徴であった

」。

慶野義雄氏は次のように語った。「菅直人首相が鳩山前首相から受け継ぐと言った政策は全てひどい。最悪のものを受け継いだ。地域主権は國を亡ぼす。主権とは国家の本質に関わる属性。国家のみが主権を持つのであって、地域に主権は無い。地域主権とは地域が独立国家になること。これに、外国人参政権を合わせてやられると、国家は滅びる。菅直人は、経済音痴だが、大衆運動出身なので、大衆を操るカンは良い。わが国における『反戦』とは、戦争に反対するというのではなく、社会主義陣営に味方するということ」。

           ○

日本國は、単なる権力機構・政治的支配機関ではない。もっと大らかにして神聖なる存在であり、精神的・道義的・信仰的・文化的存在である。人と人とが精神的に結合した共同體である。日本國はその生成の過程を見れば明らかな通り、天皇を祭祀主とする信仰共同體である。日本國は革命とか開拓によって人為的に造られた國ではなく、神が生みたもうた國であるという神話と信仰が古来からの國體思想である。

ローマ法においては、権力支配組織たる国家は「主権、人民、国土」の三要素があり、「主権」とは最高絶対排他的な支配権力とされる。かかる「主権」論から「主権は国民にある」とか「君主にある」とかという対立的な考え方が発生するのである。

わが國の天皇と国民と国土の関係は、対立関係・支配被支配の関係にあるのではない。契約関係・法律関係にあるのでもない。精神的に一体の関係にある。これを「君民一体の国柄」といふ。

戦後日本は「国民主権」「人命尊重」「人権擁護」「平和」を絶対的価値、最高の目標としてきた。それは『現行占領憲法』の基本原理となっている。しかし、戦後六十年を経過して、人権が侵害され、人命が軽視され、国民の平和が侵される残虐無比の事件が日常茶飯事になるというまったく逆の結果を生み出した。「人権擁護」とか「人命尊重」とか「平和」とかがいくら麗々しく憲法の原理として書かれていても、それは空念仏にすぎなかった。むしろそういう原理に基づく戦後教育は、自分さえよければ良いという観念を養い、他人や国のために尽くす、親に孝養を尽くすという人倫の根本を忘却せしめた。そして、己の権利のみを主張する精神が横溢した。こうしたことが今日の日本を作り出した。

今日の日本を混迷に陥れている根本原因である『現行占領憲法』の「国民主権」という國體破壊思想、「恒久平和主義」といふ名の侵略誘発の敗北思想、「基本的人権の尊重」という欲望民主主義・利己思想という三原理に要約される「戦後精神」を徹底的に祓い清めなければならない。日本國の根幹を揺るがせ、日本国民の道義心を低下せしめている『現行憲法』の三原理を肯定したままで一部の条項を変えるだけの「改憲」では駄目である。

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