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2010年6月30日 (水)

三の丸尚蔵館を参観して

今日、三の丸尚蔵館で参観した「五〇回展覧会・花ひらく個性,作家の時代-大正・昭和初期の美術工芸」 展は、「当館は,平成511月の開館以来,年に4回の企画展覧会を基本にして,これまで様々な視点から収蔵品を紹介してきました。その第50回目の節目となる本展では,当館で展示する機会の少なかった大正から昭和初期に制作された日本画,彫刻,工芸の優品を選んで紹介いたします。大正から昭和初期にかけては,在野の美術団体が数多く結成されて作家たちが独自に発表の場を設けるなど,美術界に新たな動きが見られました。それぞれの作家が個々の表現を模索して制作に打ち込み,個性的で多彩な作品が花ひらくように次々と生み出された時代でした。そのような背景の中,皇室の御下命や,あるいは御慶事のお祝いの品などとして献上する作品を依頼された作家たちは,伝統を意識しながらも,独自の新しい表現,装飾美を追求しました。また,皇室では美術の奨励のため,当時開催されていた官設の美術展覧会をはじめとする様々な展覧会において出品作を数多くお買上げになりました。お買上げ作品の中には発表時より高い評価を受け,各作家の代表作として位置づけられる名品も含まれています。

皇室に伝えられたこれらの大正・昭和初期の作品を通して,この時代に活躍した作家たちの,それぞれ魅力ある個性に触れていただければ幸いです。』(案内書)との趣旨で開催された。

横山大観作「鸜鵒」(くよく)、河井寬次郎作「紫紅四耳壺」、堂本印象作「松鶴佳色」、土田麦僊作「罌粟」高村光雲作「鹿置物」、各務鑛三作「花紋硝子花瓶」などを観る。どれも精魂こめて創作された作品ばかりで見事なものであった。大観の作品には「臣 横山秀麿」という署名がなされていた。「秀麿」とは大観の本名である。大観は尊皇心篤い人であったことが分かる。

わが国の文化は、和歌をはじめとした文芸はもちろん、絵画・彫刻・建築・工芸品など全てが、太古以来、朝廷・皇室を中心として継承され、発展してきた。これは疑いのない事実である。

三の丸尚蔵館を参観した後、東御苑を散策させていただいた。緑が実に美しかった。また、せせらぎが流れていた。昭和天皇様の御発意で造園されたと承る雑木林を歩むと、自然を慈しまれた先帝陛下の大御心が偲ばれた。この林を歩む度に、先帝陛下の深い仁慈の大御心に包まれる思いがする。

先帝の慈愛のみ心偲びつつ御苑をへめぐることの嬉しさ

大観の尊皇心を偲びつつ見事なる絵を見つめてゐたり

美しき緑の苑を歩みつつ日の本に生まれし幸を思へり

東御苑の庭園

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東御苑の林

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東御苑の紫陽花

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千駄木庵日乗六月二十九日

午前は、母のお世話。

午後は、皇居東御苑にある三の丸尚蔵館にて開催中の『五〇回展覧会・花ひらく個性,作家の時代-大正・昭和初期の美術工芸 展参観。そして、東御苑を参観。

この後、病院に赴き、父に付き添う。今日は意識がかなりはっきりしていた。家に帰りたがるので、本当に辛い。

帰宅後は、資料の整理及び検索。

           ○

最近寄贈していただいた書籍

「中国人民解放軍の正体」 鳴霞さん著 日新報道刊 出版記念会にて

「中国の日本乗っ取り工作の実態」 福田博行氏著 日新報道刊 遠藤留治氏より

「徳の国富論」 加瀬英明氏著 自由社刊  藤田裕行氏より

「こんな日本に誰がした」 谷沢英一氏著 クレスト社刊   尾崎幸廣氏より

寄贈して下さった方々に感謝します。

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2010年6月29日 (火)

真の国民生活第一とは

民主党は政党の体をなしていないのではないか。与党の前幹事長が選挙演説で、自分の党の党首そして選挙公約について手厳しく批判した。菅も小沢もどっちもどっちで、どんどんケンカすればいいのだが、今、日本が置かれている状況は、きわめて厳しい。共産支那と北朝鮮による日本への軍事攻撃・侵略の危機が迫っていると言っても過言ではない。しかるに政権与党たる民主党は、一切そのことに触れない。つまらない内部抗争を行っている。

消費税・景気回復・雇用促進・高速道路が選挙の焦点になっている。民主党の言う「国民生活第一」とはこういう問題のことのだ。しかしその「国民生活」なるものは、国家と安全・独立が保たれた上での保障されるのである。国防・安保つまりわが国が北朝鮮と共産支那の軍事的脅威に対していかに対処するかについて、明確な指針を示すことが本当の意味の「国民生活第一」なのである。小沢も菅もそれが全然分かっていない。民主党に過半数を取らせてはならない。

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千駄木庵日乗六月二十八日

午前は、母のお世話。

午後は、諸雑務。

この後、奥歯一本が虫歯になり欠けてしまったので、歯医者さんに行く。抜歯することになる。私宅近くに新しく出来た歯医者さんに行ったのだが、そこのお医者さんは何と、小学校の同学年の女の子の子供さんだった。私もまともに結婚し、まともに子供が出来ていれば、このお医者さんくらいの年齢の子供がいるのだなあ、と思うと感慨無量なるものがあった。

この後、病院に赴き、父に付き添う。何時もよりやや遅く行ったので、父は熟睡していた。

帰途、日暮里駅前の蕎麦屋さんで地元の後輩と懇談。歯の治療中なので固いものを避け、蕎麦にした。驟雨の音を聞きながら、友と蕎麦を食しつつ語らった。

帰宅後は、原稿執筆の準備。日韓併合百年と東アジア共同体についての文献資料を読んでいる。

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2010年6月28日 (月)

共産支那の日本壊滅の野望と日本の核武装

昨日の『鳴霞さんの出版を祝う会』で、遅浩田前中国共産党中央軍事委員会副委員長兼国防相が二〇〇五年四月の中央軍事委員会拡大会議で行った演説が収録された資料が配られた。その演説で遅浩田は次のように語っている。

「国と国との関係には協力があるが、しかしさらに本質的なものは競争、衝突、そして衝突の極端な形としての戦争だ。協力とは暫定的なもので、条件付きのものだが、競争と衝突は絶対的にものであり、歴史の主軸だ。このため、いわゆる平和と発展が現代の主題だとする主張は完全に間違っている。どんなに譲っても便宜上のものでしかない。この主張には遂行に耐えうる論理的根拠などないばかりか、事実と歴史経験にすら符合していない。中日両国がこのように地理上、歴史上において和解し合えない関係だからだというのではない。六〇年代の中ソ分裂もまた、いかなる国も国家利益追求を唯一の行動基準とし、道徳が介在する余地などないということを十分に説明するものだった。」「日本軍を全面的に壊滅させ、米国を不具に陥れる能力があって初めて、平和を勝ち取ることができるのだ。」

これは軍タカ派の過激な発言ではない。共産支那の本音である。「鉄砲から政権が生まれる」という国家が共産支那である。毛沢東も周恩来も朱徳も鄧小平も、革命戦争を戦ってきた軍人である。軍人が国家を動かしてきたのが共産支那の歴史である。

「日中友好」などというのは、表面的なプロパガンダにすぎない。共産支那は、わが国を「和解しえない敵国」と思っていのだ。共産支那に対する警戒を怠ってはならない。というよりも、共産支那からの軍事攻撃を未然に防止するために、日本国は核武装しなければならない。それこそがまさに『核抑止力』である。国防費を減らせなどと言っている社民・共産両党は、共産支那の手先になっているのだ。

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千駄木庵日乗六月二十七日

午前は、母のお世話。

午後は、『伝統と革新』次号に関わる仕事。締め切りが迫っているので、執筆者の方々に確認の連絡など。

この後、病院に赴き、父に付き添う。何か話しかけてくれるのだが、言葉がよく聞き取れない。

帰宅後は、資料の整理など。

今日非常に蒸し暑く、外に出ると汗が噴き出て来た。こういう日は、とこか涼しい温泉にでも行きたいのであるが、父母を置いて泊りがけで出かけることはできない。父母が元気な頃は、よく旅に出ていたから、こういう状況で旅に出るなどということはすべきではないし、したいとも思わない。はじめてこのようなことを書くが、正直な話、父母に付き添っていることに生きがいを感じている。父母には一日でも長生きをしてもらいたいし、苦しみは出来るだけ少なくなってもらいたい。それが私の願いであり日々の祈りである。

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2010年6月27日 (日)

鳴霞さんの出版記念会で思ったこと

今日「出版を祝う会」が開かれた『中国人民解放軍の正体』という本の著者・鳴霞さんは、日本に帰化している満州人の女性である。瀋陽市にある戦闘機・ミサイル製造工場の情報課に勤務、その後、来日して現在『月刊中国』という情報誌を刊行している。今日初めてお会いした。一見普通の中年女性であるが、なかなかの人らしい。今回上梓された著書も、毎月一回出している「月刊・中国」という情報誌も、共産支那とくに軍関係の情報が詳しく書かれている。

祝辞を述べられた佐藤守元空将は、「中国は必ず近いうちに尖閣を狙ってくる。われわれは危機感を持たねばならない」と語り、川村純彦元海将は「中国はアジア太平洋インド洋にかけて覇権を握ろうとしている。尖閣からそれを始める」と語った。桜チャンネルの水島総氏は「日本が核武装し徴兵制を行えばアジア情勢は変わる。中国の暴走を防ぐことができる。」と語った。著者の鳴霞さんは「日本に中国の特殊工作員がどんどん入って来ている。中国に対する融和策は危険」と述べた。

小生は、「日本と支那・朝鮮の関係は、『記紀萬葉』の昔からのことである。しかも友好関係ばかりが続いたのではない。古代には白村江の戦いがあり、唐新羅連合軍の日本侵攻の危機もあった。元寇のまさに支那朝鮮連合軍の来襲であった。今の日本も同じ危機にある。水島氏の言う通り、核武装と国民皆兵が必要である。」と述べた。

日・中・米トライアングルなどと言う人がいる。しかし、古代には、支那は存在したが、アメリカという国は影も形もなかった。対米従属は現状のままであるが、対支那従属は、日本が政治的・経済的に完全に独裁国家支那の支配下に置かれるということである。領土も資源も支那に奪われる。ともかく、対米自立も、支那の日本侵略粉砕も、核武装によって実現できる。

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スピーチをする鳴霞さん

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千駄木庵日乗六月二十六日

午前は、母のお世話。

午後一時より、九段の靖国神社境内靖国会館にて、『鳴霞さんの出版を祝う会』開催。山田惠久国民新聞社長が司会。まず、亡くなられた中村粲氏に黙祷を捧げた。この後、川村純彦・佐藤守・遠藤留治・黄文雄・阿羅健一・水島総・森田忠明・藤本隆之の各氏ら多数が祝辞を述べた。そして『中国人民解放軍の正体』(日新報道刊)の著者・鳴霞さんが謝辞を述べた。

この後、病院に赴き、父に付き添う。

帰宅後は、資料の整理・書状執筆。

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2010年6月26日 (土)

中村粲先生のご他界を悼む

中村粲先生が他界された。心よりご冥福をお祈り申し上げる。

中村粲先生には本当に長い間ご厚誼をいただいた。昭和四十年代後半に、三波伸介氏や伊東四郎氏のマネージャーをしていた澤龍氏の紹介でお会いしたのが最初の出会いであった。当時、国鉄ストが繰り返されていたことに憤激した中村氏は、澤氏などと語らって、抗議活動を展開した。その頃は、中村氏はまだ三十代で、独協大学の英文学の助教授であられた。青年学者といった感じであった。直情径行という言葉がぴったりの方で、国鉄構内でのビラ貼りなど様々なことを先頭に立った実行された。大学をクビにならないのかと心配したくらいである。

何回か、講演を聞いたが、興奮して話されるので、板書する時に白墨が折れてしまうことがたびたびあった。「門は開けるためにあるのか閉じるためにあるのか」ということで私と論争になったことも懐かしい思い出である。「開けるためにあるのなら門は必要ない」という中村先生のご主張が正しいとうことになった。今考えるとまことにその通りである。

昭和史問題の研究そして誤れる自虐史観一掃のために生涯をかけて粉骨砕身努力された。『大東亜戦争への道』は不朽の名著である。また昭和史研究所の活動もまさに国家的貢献である。従って、中村粲先生の早すぎるご他界は、国家的損失である。中村粲先生、名越二荒之助先生、田中正明先生のお三方の歴史問題に関するご功績は永久に不滅である。

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千駄木庵日乗六月二十五日

午前は、母のお世話。医師の往診があり、付き添う。

午後は、『政界往来』の連載原稿執筆。

午後六時より、新橋の「港区生涯学習センターばるーん」にて、『第三回・日本の心を学ぶ会』開催。小生が「吉田松陰と明治維新」と題して講義。質疑応答。尊皇攘夷の精神、松陰先生のこと、奇兵隊のことなどについて話した。

終了後、出席者の方々と懇談。談論風発。相当大きな居酒屋なのだが、金曜日の夜のためかほぼ満員。見渡したところ、私より年上らしい人はいなかった。喜んでいいのか、悲しんでいいのか。新橋という町は、酒場が多いので二次会をやるには最適である。今日はモツの煮込みとモツ焼を食した。モツ焼屋は、数は多いが、おいしい店は少ない。今日の店はまあまあであった。東十条にとてもおいしい店があるが、遠いのでなかなか行くことができない。

新橋の駅の近くでは何とか云う女性歌手が街宣車の前で歌を歌っていた。民主党の選挙活動らしい。選挙は歌謡ショーでもないし、歌合戦でもない。郷ひろみが渋谷で自動車に乗って歌を歌ったら、警察に摘発されたことがあったのを思い出した。

選挙期間中は、街宣活動はできない。ただし、立候補すればできる。以前、ある同志が、区議会議員選挙に立候補し、信濃町の某宗教団体周辺で強力な街宣活動をしたことがある。私も手伝った。この宗教団体本部周辺は何故か街宣規制区域になっているので、普段は、街宣が出来ないので、大変気分爽快であったことを思い出す。今回の選挙ではそういうことはできない。ソウカガッカリ。

帰宅後は、原稿執筆・脱稿・送付。

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2010年6月25日 (金)

武道家の話を聞いて思ったこと

今日お会いした武道家の方は次のようなことを話された。

「戊辰戦争の時、尾張藩主徳川慶勝は、親藩・譜代の各大名に『錦旗に手向かうべからず』という書状を送った。このことが、新政府軍勝利の原因の一つとなった。相撲をはじめとする格闘技は、本来勝負事である。博打とは縁が深い。博打をすることによって勝負師としての気質を養うという面がある。日本の内閣の情報はすべてアメリカに筒抜けになっているという。それだけの科学技術をアメリカは持っている。普天間問題で鳩山や菅はアメリカに脅されたのではないか。」と語っていた。

        ○

尾張徳川藩は、御三家筆頭であるが、藩祖・徳川義直以来、尊皇の伝統を保持していた。水戸と同じである。義直の「義」は新田義貞から取った。尾張藩四代藩主・徳川吉通は、子孫に対する訓誡として「天下の武士は、みな公方(徳川将軍の尊称)家を主君の如く崇めかしづけども、実は左にあらず…三家(尾張、紀伊、水戸)の者は全く公方の家来にて無し、今日の位官は朝廷より任じ下され、従三位中納言源朝臣(註・天武天皇十三年に定めた八階級の姓〈かばね〉の第二位。後には三位の人の姓の下、四位の人の名の下につける敬称)と称するからは、これ朝廷の臣なり。されば水戸の西山殿(註・徳川光圀のこと)は、我らが主君は今上皇帝なり、公方は旗頭なりとのたまひし由、然ればいかなる不測の変ありて、保元・平治・承久・元弘のごとき事出来て、官兵を催される事ある時は、いつとても官軍に属すべし。一門の好みに思ふて、かりにも朝廷にむかふて弓を引くことあるべからず」と述べた。「錦旗に手向かうな」という書状を徳川一門の大名に送ったのは、この「訓戒」に従ったからであろう。御三家の水戸徳川家の尊皇攘夷思想、そして尾張徳川家の尊皇精神が、尊皇討幕の明治維新実現に大きな力となったということである。

親日家で夫人が日本人であったライシャワーアメリカ大使ですら、「日本が日米安保を破棄した時は、アメリカ軍が基地から出る時だ」と語ったという。「基地から出る」というのは、アメリカに帰るということではなく、日本を再占領するという意味であったという。

私は、賭け事は全くと言っていいほどやらないが、いかに法律で規制しても人間の射幸心というのは無くならないと思う。限度の問題であり、ある方面の資金源になるかならないかの問題であろう。公営ギャンブルやパチンコは今も堂々と経営されている。また、花札・麻雀がまったくなくなるということはあり得ない。

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千駄木庵日乗六月二十四日

午前は、母のお世話。

午後は、諸雑務。

この後、病院に赴き、父に付き添う。父の意識がはっきりしている。私が帰るのを悲しむ。

午後六時半より、武道家の方と懇談。

帰宅後は、書状執筆。

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2010年6月24日 (木)

民主党反日左翼政権補崩壊させることが第一である

愈々参院選挙であるが、民主党に過半数を取らせてはならない。民主党政権の中枢を担っている人々、即ち菅直人総理、枝野幸男幹事長、横路孝弘衆院議長、江田五月参院議長は、「国旗国歌法」制定に反対した。この事実だけを見ても、基本的に民主党政権が反日左翼政権であることは明白である。

今まで色々書いて来たように、民主党の國體・皇室に関する姿勢・考え方もおかしい。とくに菅直人は、『國體否定』『共和制樹立論者』である。このことは改めに詳しく書きたいと思っている。沖縄基地問題や日米関係そして安保国防などでややまともな姿勢になっているように見えても、やはり民主党に政権を握らせておくことは危険である。小沢一郎も陰に隠れたようになっているが、このまま静かにしてい続けるはずがない。またまた復活して、日本を朝鮮の属国にしようとするであろう。

それにしても、反民主を標榜する政党が乱立しているのはまことに困ったことである。これは民主党を利することになる。第三極などと言われているが、民主党批判票を食い合ってしまう恐れが十分にある。真正保守の票がどれだけあるか分からないが、反民主で一致結束すべきである。ともかく、左翼政権を一日も早く崩壊させることが第一である。

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千駄木庵日乗六月二十三日

午前は、母のお世話。

午後一時半より、三田にて行われた大行社幹部会でスピーチ。

この後、病院に赴き、父に付き添う。非常に意識がはっきりしていた。それだけに、色々辛さを訴える。何もしてあげられないので切ない気持になる。

帰宅後は、諸雑務。

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2010年6月23日 (水)

政治家・官庁に主張を送りつけることの大切さ

『フォーラム・マニフェスト再考』における登壇者の発言は次の通り。

加藤秀樹東京財団会長「二〇〇三年からマニフェストという言葉が使われ出した。選挙公約をイギリス流に言い換えただけの話。『われわれはこういう世の中をつくるから支持してほしい』という当たり前のこと。しかし、二〇〇三年までの公約は抽象的だった。選挙は権力闘争のスタートのようなもの。昨年の総選挙の民主党のマニフェストは『勝利のためには何でもあり』だった。『空手形・何でもあり』にしてもひどかったというのが、この八カ月の状況。項目の競い合いになった。選挙の後の民主党を見て、マニフェストへの信頼が落ちてしまった。マニフェストを誰がどうやって作るのかが問題。」

清水真人日本経済新聞編集委員「中選挙区制では、同じ党同士が戦うので、党の政策を掲げてもナンセンスだった。小選挙区制で、民主党と自民党ががっぷり四つで戦うので、マニフェストが大事になった。小泉はマニフェスト選挙を巧みに利用した。一点突破の選挙にした。去年の選挙で民主党は思い切りばら撒きのマニフェストを作った。民主党は『有権者との契約』と言って政権を取ったのだから約束したことを守るのは当然。菅内閣になって、『総理が変わったのだからマニフェストも変わって当然』と受け止められている。であるなら、前政権とは全く別の政権が出来たのだから、解散総選挙を行うべし。まだ小選挙区型の政権交代に慣れていない。菅内閣の誕生は民主党内たらい回しであり、コストがじわじわとかかって来る。消費税で菅党首の発言が先走っているのは禍根を残す。菅さんにとって重荷になる。鳩山さんの普天間と同じ。」

永久寿夫PHP総合研究所常務取締役「マニフェストをどう評価するかの統一基準が必要。与党のマニフェストは守り。与党は攻撃的。民主のマニフェストは与党的になって来た。有権者がマニフェストを見て評価して投票するのが本来の姿。有権者がマニフェストを読む力が大事になる。トップが代る度にマニフェストが変わるのなら、何故そうなったかが説明されねばならない。各党首が集まってマニフェストに基づいて討論する場を作るべし。政治家の資質が大事。マニフェストを実行する力がなければ絵に描いた餅。ビジョンを掲げながら現実にどう対応していくかが問題。日本全体の経営者である政治家に企業経営の経験がほとんどない。」

富田清行東京財団研究員「政策決定の透明性が問題。マニフェストは、個別政策の羅列になっていて、体系化されていない。ビジョンは始めから無い。党のガバナンスをどう考えるかが、マニフェストが良いものになるかどうかの鍵。消費税十%という言葉が独り歩きしている。菅総理は、上げた分を社会保障・医療介護に回すというが、回せば良くなるという説明も保証もないから不安が残る。民主党のマニフェストには工程表なし。マニフェストが広報誌・PR誌になる恐れあり。役所のホームページが意見を募集している。画期的なこと。マニフェスト決定過程にわれわれが関わっていくツールが必要。」

佐藤孝弘東京財団研究員「理念・ビジョンがあって政策がある事を明確にする姿勢が貫かれねばならない。児童手当は、

生活支援なのか、少子化対策なのかわからない。『税制の抜本的改革』という用語は消費税導入のこと。それを隠している。政策は体系立てなければならない。税制・予算・法律改正が政策の基本。官僚の上にリーダーが乗っかって抽象的なことを言っていればいいという時代ではない。」

杉浦哲郎みずほ総合研究所専務執行役員「消費税について世の中のコンセンサスに悪乗りしている。消費税を上げなければいけないという主張に切迫感がない。社会保障に使うのなら、赤字減らしはどうなるのかに、回答が無い。整合的になっていない。二〇〇六年の歳出歳入一体改革は切迫感があった。雇用を何百万増やすと書いてあっても、派遣・非正規雇用・リストラが多く、給料も増えない状況で本当にそんなことができるのか。マニフェストに現実味がなくなってきている。日本は党首の言葉が貧弱。政策説明能力、議論する力があまりにも無さ過ぎる。」

         ○

「マニフェスト決定過程にわれわれが関わっていくツールが必要」というのは大事である。総理官邸・各省庁などに対して、どんどんものを言って行くことが大事である。官庁や政党の政策決定にわれわれ国民が積極的にかかわっていくべきである。『夫婦別姓』『外国人地方参政権』などで、関係官庁や政治家にメールやファックスなどをどんどん送りつけるというのは大切である事をあらためて認識した。

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千駄木庵日乗六月二十二日

午前は、母のお世話。

午後は、金曜日の『日本の心を学ぶ会』の講義の準備。

その後、病院に赴き、父に付き添う。

午後六時半より、赤坂の日本財団ビルにて開かれた『フォーラム・マニフェスト再考』に出席。

帰途、知人と懇談。

帰宅後は、明日のスピーチの準備。

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2010年6月22日 (火)

『怪力乱神を語らず』とは

「おとなの寺子屋・論語の會」において、東洋大学共生思想研究センターの野村英登氏(文学博士)は次のように語った。

「『疏食を飯い、水を飲み、肱を曲げて之を枕とす。楽しみ亦その中に在り、不義にして富み且つ貴きは、我に於いて浮雲の如し。』これは、貧乏が素晴らしいと説いているのではない。清貧が良いのだというのでもない。お金が無い方が良いというのは老荘の思想。お金さえつかんでいれば良いかというと、そうではないよ、ということを言っている。

子怪・力・乱・神を語らず』。孔子は、目に見えない世界についてあえて語らなかった。神の存在は否定しない。怪⇔常、力⇔徳、乱⇔治、神⇔人。乱を語ったのは、『水滸伝』『三国志』『西遊記』。これらは古代中国で評価されなかったが、多くの人が読んでいた。どんなに立派なこと考えていても、二十四時間立派なことを考えているわけではない。『論語』や『孟子』だけ読んでいたわけではない。しかし、そうした小説でも、仁義という儒教的価値を大切にする思想が説かれた。

中国や台湾には『功過格』という儒仏道の教義に基づいた格(道徳規準)に照らして、自己の行為を採点し、功(善行)と過(罪悪)とに分類して表にする書物がある。善い事と悪い事とあらわす成績表。その基準は儒教的倫理観。

日本の『こっくりさん』(註・机に乗せた人の手がひとりでに動く現象による占いの一種)に近い『扶乩』(ふけい・フーチ)という占いがある。明清時代の知識人は皆やっていた。立派だった人は天界に行って仙人になっているので下界に下りて来てくれると信じた。孔子・孟子・キリストは下りてくるという。大川隆法のやっていることもオーソドックスな道教。國共内戦の時、共産党に殺された人が出て来た。死者に言葉を語らせて、仲間の団結を図った。

義和団(清朝末期の排外運動)は『西遊記』の神様を自分の体に下ろして毛唐が来ても負けないと信じて戦った。道教では、陽の世界にいる目に見えぬ存在が『神』。陰の世界にいる目に見えない存在が『鬼』」。

        ○

儒教とくに孔子の教えは、きわめて合理的であり、現世的である。しかし、実際には、人間は非合理の世界・神秘の世界に憧れる。信仰の力は強い。目に見えぬ存在を信じるのは良いことだが、それがおかしな方向に行くと、人間生活を破壊する。今日唯今の日本でも、おかしな信仰に絡んだ陰惨な事件が起こっている。『さわらぬ神に祟りなし』という言葉が生まれたのも、そういうことを警戒してのことであろう。孔子が『怪力乱神を語らず』と言ったのも故あることである。あまり安易に、そして狂的に『目に見えぬ存在』によりかかるのはやはり慎むべきであろう。

私は、「敬神崇祖」という日本傳統信仰の基本の道を歩むことが、最も大切であると信じる。天地の神々そして先祖への報恩感謝が人間生活の基本であり、日本人の道である。

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千駄木庵日乗六月二十一日

午前は、母のお世話。

午後は、資料の整理など。

午後七時より、白山の本郷青色申告會館會議室にて、「おとなの寺子屋・論語の會」開催。東洋大学共生思想研究センターの野村英登氏(文学博士)が講義。

帰宅後も、資料の整理。

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2010年6月21日 (月)

菅直人氏は誤れる国民主権論を放棄せよ

先日も書いたが、とても重要な問題なので再度書く。菅直人氏は『文藝春秋』平成十一年七月号の「第九条は覚悟なくして変えられない」と題するインタビュー記事で「(現行憲法で日本人がどのようにあるべきかを示しているのは・註)国民主権です。残念ながら、それが日本人に浸透していない。」「戦前には天皇制を中心とした國體護持ということがあり、そのためには一億玉砕もありうるという考え方のなかには、私の言う『国民と国民が構成する政府』とは違う国家があった。」「国民主権国家のことを、たとえ話で私がよく言うのは『水戸黄門』ではなくて『七人の侍』です。立派な人にお任せしようではなく、自分たちを守るために…自分たちで判断して、自分たちでリスクを負うことです。」と論じている。

今日一般的になっている「國民主權」の定義は次のようなものである。「憲法上最も重要な意味は、國家の意思を最終的に決定する權力ことである」「日本國憲法も、明治憲法における天皇主權を廃止して、この普遍の原理を採用した」(伊藤正己著『注釈憲法』)。

つまり、「主權とは國政を決定する權利であり、主權が國民にあるか君主にあるかによって、國民主權、または君主主權と呼ばれる」というのが今日の憲法學の定説になっている。 かかる「主權」論から、「主權は國民にある」とか「君主にある」とかという対立的な考え方が発生した。

長谷川三千子氏は、十八世紀にできた近代成文憲法における國民主權というのは宗教戦争が繰り広げられたヨーロッパで生まれた闘争的概念であるとされて、次のように論じている。

「フランス革命を起こした人間たちは、自分たちの革命をどう正當化したのかーそのときに採用されたのが、國民主權という考え方なんですね。……自分たち國民が國の中枢に座って、自分たちが考えたことは何でも通る、そういう力を我々は持っているんだ、ということを宣言してしまった。これがフランス革命を通じて出来上がってきた國民主權という考え方なんです。…血なまぐさい、國民と國王とが首をはね合うような戦争の歴史の記憶が、憲法の上に投影されてしまいますと、國民主權という言葉は、ものすごく闘争的な概念となってしまう。……日本國憲法第一条にある『主權の存する國民』という言葉を、近代成文憲法の傳統に従った読み方で読みますと、國民主權なんだからどうしてこの國民は、すぐに天皇の首をちょん切らないんだ、という話になってしまうんです。つまり、本當に我が國の、國の體(てい)に基づいて憲法を考えるとしたら、この主權という言葉から徹底的に洗い直していかなければいけない」(『主權をどう考えるか』)。

 

わが國は三千年前に建國された天皇を中心とする信仰共同體國家・祭祀國家である。欧米のような契約國家でもなければ權力國家でもない。ゆえに、君主と國民が対立関係にある國家ではない。

ところが現行憲法では、國民主權という西洋の対立概念を日本國體に無理やりあてはめ、「(天皇の・註)地位は、主權の存する日本國民の総意に基づく」と成文規定している。つまり、現行憲法は、君主と人民とは相対立する存在であり、國家とは國民同士が契約して成立するものであると考える西洋的法思想・國家觀・君主觀・權力論が基礎となっているのである。

天皇の國家統治を、西洋の絶対君主の暴力的支配と同一視し、國家は個人に対する暴力的抑圧装置であるとし、天皇及び國家は「人民」と相対立する存在であるという考え方に立って制定されたのが「現行憲法」である。そして、「民主化」「個人の幸福」のためには、天皇の「地位」を低め「權能」を弱めることが必要であるという意識のもとに、欧米の政治思想であり、対立闘争の概念である「國民主權論」が採用されているのである。

神話時代からの悠久の歴史を有する日本の天皇中心の國柄を、西洋の契約思想や人間不信を基盤とした西洋の憲法概念に基づいて成文憲法に規定することは重大な誤りである。「主權」が、「天皇」にあるか「國民」にあるかを、論議すること自體、日本の傳統的な考え方・國體觀とはなじまない。                        

祭祀主たる天皇と國民の関係は、支配・被支配の関係ではない。わが國は、信仰的・祭祀的統一によって形成された國家である。そしてその祭祀主が天皇であらせられるのである。祭祀國家として約三千年の時間的連続・歴史を有してきたことが最も大切な日本國の本質であり、日本國體の尊厳性なのである。

日本國は、國家の意思を最終的に決定する權力としての主權を持つ國民の意思によって形成された國家、すなわち契約國家・集合國家・權力國家・統治システムとしての國家ではない。

菅直人総理は、日本國體の真姿を正しく理解し、誤れる『国民主権論』を放棄してもらいたい。

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千駄木庵日乗六月二十日

午前は、母のお世話。

午後は、資料の整理。

この後、病院に赴き、父に付き添う。やや意識がはっきりしていて、私が来たことを喜んでくれる。

帰宅後も、資料の整理。

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2010年6月20日 (日)

国体・憲法・民主政治について

今日の『憲法懇話会』で、久保田信之氏は次のように語った。

「一切の枠を排除するのが左翼のヒューマニズム。『夫婦別姓』は、縦横のつながり、枠は無い方が良いという考え。ポールテールの『歴史は汚らわしい』という言葉に象徴される。それは『一人一人の生活が豊かであればいい、国家は無い方が良い』という考え。個人を限りなく尊重し『歯止めのない自由』を拡大すれば、『人間は人間に対して狼になる』。リンカーンの『人民の人民による人民のための政治』という言葉は日本語に翻訳した時にトリックがあった。南北戦争に後、国の分裂を救うためにリンカーンが行った演説は、『人民』を念頭に置いていない。國を思い。國を背負う『国民』の自覚と役割を説いたのだ。リンカーンを尊敬したJ・F・ケネディが『國がな何をしてくれるかを考える前に、国に何ができるかを考えて欲しい』と訴えたことと関連して、アメリカのデモクラシーの本質を考え直してほしい。国籍を無視し、縦横のつながりを遮断した『ヒト科の動物』が、政治を左右してはならない。私一人の幸福ではなく、この國を築き維持して来た先人や現存する国民の安寧と幸福を第一義的に考え国益を優先させる『地に足のついた人間によって政治は運営されねばならない』との思いから『定冠詞の付いたthe people』を繰り返したのがリンカーンの演説の特徴であった

」。

慶野義雄氏は次のように語った。「菅直人首相が鳩山前首相から受け継ぐと言った政策は全てひどい。最悪のものを受け継いだ。地域主権は國を亡ぼす。主権とは国家の本質に関わる属性。国家のみが主権を持つのであって、地域に主権は無い。地域主権とは地域が独立国家になること。これに、外国人参政権を合わせてやられると、国家は滅びる。菅直人は、経済音痴だが、大衆運動出身なので、大衆を操るカンは良い。わが国における『反戦』とは、戦争に反対するというのではなく、社会主義陣営に味方するということ」。

           ○

日本國は、単なる権力機構・政治的支配機関ではない。もっと大らかにして神聖なる存在であり、精神的・道義的・信仰的・文化的存在である。人と人とが精神的に結合した共同體である。日本國はその生成の過程を見れば明らかな通り、天皇を祭祀主とする信仰共同體である。日本國は革命とか開拓によって人為的に造られた國ではなく、神が生みたもうた國であるという神話と信仰が古来からの國體思想である。

ローマ法においては、権力支配組織たる国家は「主権、人民、国土」の三要素があり、「主権」とは最高絶対排他的な支配権力とされる。かかる「主権」論から「主権は国民にある」とか「君主にある」とかという対立的な考え方が発生するのである。

わが國の天皇と国民と国土の関係は、対立関係・支配被支配の関係にあるのではない。契約関係・法律関係にあるのでもない。精神的に一体の関係にある。これを「君民一体の国柄」といふ。

戦後日本は「国民主権」「人命尊重」「人権擁護」「平和」を絶対的価値、最高の目標としてきた。それは『現行占領憲法』の基本原理となっている。しかし、戦後六十年を経過して、人権が侵害され、人命が軽視され、国民の平和が侵される残虐無比の事件が日常茶飯事になるというまったく逆の結果を生み出した。「人権擁護」とか「人命尊重」とか「平和」とかがいくら麗々しく憲法の原理として書かれていても、それは空念仏にすぎなかった。むしろそういう原理に基づく戦後教育は、自分さえよければ良いという観念を養い、他人や国のために尽くす、親に孝養を尽くすという人倫の根本を忘却せしめた。そして、己の権利のみを主張する精神が横溢した。こうしたことが今日の日本を作り出した。

今日の日本を混迷に陥れている根本原因である『現行占領憲法』の「国民主権」という國體破壊思想、「恒久平和主義」といふ名の侵略誘発の敗北思想、「基本的人権の尊重」という欲望民主主義・利己思想という三原理に要約される「戦後精神」を徹底的に祓い清めなければならない。日本國の根幹を揺るがせ、日本国民の道義心を低下せしめている『現行憲法』の三原理を肯定したままで一部の条項を変えるだけの「改憲」では駄目である。

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千駄木庵日乗六月十九日

朝、母のお世話。

午前は、『政治文化情報』発送完了。購読者の皆様には、週明けにお届けできると存じます。

この後、病院に赴き父に付き添う。

午後六時より、神田学士会館にて、『憲法懇話会』開催。久保田信之元学習院女子大学教授及び慶野義雄平成国際大學教授が講義。質疑応答。

帰宅後は、諸雑務。

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2010年6月19日 (土)

菅直人氏に命懸けで破壊と建設を行う決意があるのか

菅直人総理は、自分の内閣を「奇兵隊内閣」と称し、「破壊と建設を同時に行う」と言った。奇兵隊は文久三年(1863)の下関戦争の後吉田松陰門下の高杉晋作らによって組織された戦闘部隊である。

安政五年(一八五八)六月十五日、井伊幕閣幕が勅許を得ずして「日米修好通商条約」を締結したことを知った吉田松陰は激怒した。同年七月十三日、松陰が長州藩主に提出した意見書『大義を議す』において「墨夷(注・アメリカ)の謀は、神州の患たること必せり。…ここを以て天子震怒し、勅を下して墨使を断ちたまふ。是れ幕府宜しく蹜蹙(注・恐れ縮こまる)遵奉之れ暇あらざるべし。今は則ち然らず。傲然自得、以て墨夷に諂事(注・へつらふこと)して天下の至計と為し、国患を思はず、国辱を顧みず、而して天勅を奉ぜず、是れ征夷の罪にして、天地も容れず、神人皆憤る。これを大義に準じて、討滅誅戮して可なり。少しも許すべからざるなり。」「征夷は天下の賊なり。今を措きて討たざれば、天下万世其れ吾れを何とか謂はん。」と主張した。

まことに上御一人日本天皇の勅を蔑ろにしてアメリカに諂った徳川幕閣を、天人共に許さざる存在であり、天下の賊なりと断定した激烈な文章である。松陰は、日本國體を護り、国家の独立を守るために、徳川幕閣に天誅を加えねばならないと決意した。京都に上り、朝廷に圧力をかけ、朝議の操作を成さんとし、また、京都所司代・酒井忠義に命じて尊攘の公卿や志士たちを弾圧捕縛した老中・間部詮勝(まなべあきかつ・越前国鯖江藩第七代藩主)誅殺を企てた。かうしたことが、長州藩政府の咎めるところとなり、野山の獄に入れられた。

松陰は、囹圄の身になっても、倒幕の志を変えることはなく、ますます燃え盛った。松陰は、同年四月七日、野山の獄から北山安世に宛てた手紙に「独立不羈三千年来の大日本、一朝人の羇縛を受くること、血性ある者視るに忍ぶべけんや。…今の幕府も諸侯も最早酔人なれば扶持の術なし。草莽崛起の人を望外なし」と書いた。幕府も諸藩も頼むに足らず、全国の在野の同志が決起して外国からの脅威を撃ち祓ふ以外に道はないと主張したのである。

翌安政六年五月、松陰は幕府の命により江戸に送られた。出発直前の五月十八日、松陰に代って松下村塾の教育に当たる事となった小田村伊之助(後の楫取素彦)に宛てた手紙に記された言葉が「至誠にして動かざる者未だ之あらざなり。…願はくは身を以て之を験さん。乃ち死生の大事の如きは、姑くこれを置く」である。

菅直人氏に、この吉田松陰のような、尊皇攘夷の志があるのか。本当に命懸けで「破壊と建設」を行う決意があるのか。厳しく監視したい。

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千駄木庵日乗六月十八日

午前は、母のお世話。

午後は、資料の整理など。

このあと、病院に赴き、父に付き添う。看護師さんと話す。

帰宅後は、『政治文化情報』発送準備など。

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2010年6月18日 (金)

歴史について思ったこと

『萬葉會』の帰途、懇談した三人の方々のうち、お二方が越前国(福井)出身であった。歴史問題などを語り合った。

越前は明治維新において、松平春嶽・由利公正・橋本左内等の功労者がいた。しかし、維新後、薩長土肥と比較して明治新政権で重きをなすことはなかった。越前ばかりでなく、水戸藩も、尾張藩も、明治維新に貢献したのだが、中枢からは外された。やはり徳川氏一門であったためであろう。水戸藩は最も気の毒で、尊皇攘夷思想を鼓吹した水戸學は、維新断行の中心思想であったにもかかわらず、朝敵とされた最後の征夷大将軍・徳川慶喜が水戸出身であったこと、天狗党の乱など内紛が多かったことなどで、維新後、政府の主導権を握ることができなかった。

官軍が東北に進軍して行った際、薩摩軍が日光東照宮焼き討ちを主張したが、土佐の板垣退助が「東照宮には、後水尾天皇の勅額がある」と言って反対したと伝えられる。土佐藩祖・山内一豊が徳川家康から恩顧をこうむったことが影響しているのかも知れない。

江戸の町づくり、そして各藩の配置などを見ると、徳川家康・秀忠そして幕閣がいかに周到に計画したかが分かる。伊達が江戸に攻めてくることを防ぐために、仙台と江戸の間の水戸・会津・白河に御三家の一つと親藩大名を配置した。また加賀前田藩の動きを封じるために、越前に家康の長男・結城秀康を置き、彦根に井伊家を置いた。江戸においても前田藩邸のすぐ隣に、徳川四天王・徳川三傑の一人・榊原家の藩邸を置いた。また江戸城の周囲は御三家か親藩の大名屋敷で囲んだ。

福井松平藩のことで思い出すのは、もう二十年くらい前のことであるが、靖国神社のことで半蔵門の東条会館から日比谷公園までデモを行った時、私の隣を品の良い長身の老紳士が歩いていた。名刺交換をさせていただいたのだか、何と当時靖国神社宮司をされていた松平永芳先生(松平春嶽公の孫)であった。江戸時代に、私のような庶民が、徳川親藩大名しかも御家門筆頭の殿さまと並んで江戸城の横を歩くなどということは絶対にあり得ないことだろうと感慨にふけった思い出がある。

福井は、戦災に遭ったうえに、戦争直後震災にも見舞われた。しかしそのためかどうかは分からないが、いわゆる飛島・鹿島・熊谷組という大手ゼネコンの発祥の地は福井県である。今日、北陸地方や山陰地方は、『裏日本』などと言われているが、支那や朝鮮との交流が盛んであった萬葉時代は今日で言うところの『表日本』だったというとになる。福井県は、現在でも、児童生徒の平均学力が全国第一位か二位であるという。

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千駄木庵日乗六月十七日

午前は、母のお世話。

午後一時半より、豊島区立千早地域文化創造館にて、『萬葉會』開催。小生が、大伴家持が越中国の国司をしていた時期の歌を講義。

帰途、参加された方と懇談。

帰宅後は、たまりにたまった資料の整理など。

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2010年6月17日 (木)

自民党は真正保守の姿勢を明確にせよ

加瀬英明氏の講義で印象残ったことを記す。

「政策通と言っても、国防を論じないのは駄目。与謝野・菅・谷垣三氏はそのことが共通している。民主党が落ち込んでも、自民党の支持率が上がらないのは、国防・教育を語らないから。民主党は第二自民党になる。

菅政権は、外国人参政権と夫婦別姓を強行する危険あり。菅直人は、信念左翼ではなく、権力亡者のオポチュニスト。しかし、『習い性』は左翼だから危険。

『人民中国』は節操がない。トクになることは何でもする。鳩山辞任の時、私はワシントンにいた。『ワシントンポスト』は鳩山辞任を八面でベタ記事扱いだった。ワシントンでは日本の存在感が希薄になっている。明治に内閣制度が出来てから最悪の内閣が鳩山内閣だった。このままでは失われた三十年になる。

『生活第一』のスローガンで民主党は去年の総選挙で圧勝した。財政赤字・借金を抱えているのに、ばら撒きをやっている。日本は国力を失う。鳩山内閣は日本の凋落に拍車をかけた。

日本が陥没する大きな理由は、法人税と所得税が高いから。消費税を毎年一%づつ上げるというのが私の提案。何よりも大切なのは国防と教育。

沖縄に米軍は二万二千人いるのに、自衛隊は二千人しかいない。これは異常。今の日本にとって、『日本国憲法』よりも『日米安保』の方が大切。中国と対等に口がきけるのは、アメリカが後ろにいるから。首相・外相・官房長官が軍事について何も知らない。『学べば学ぶほど海兵隊の抑止力が必要なことが分かった』と言って、自民党内閣の日米合意に戻さざるを得なかった。ヘリコプターは海兵隊の乗り物。徳之島では遠すぎる。消防署から三キロから五キロも離れたところに消防車を置くようなもの。桟橋方式は爆撃されたら修復できない。

民主党議員に殆どが軍事問題に知識も関心もない。日本の独立を守っているのは『日米安保』。戦後の学校教育は軍事を教えていない。民主党に参院選で鉄槌を下さないと、明日の日本はない。

明治時代になった時。日本の人口の八%が武家。九二%が百姓町人。日本が近代化に成功したのは武士のみならず庶民が素晴らしかったから。武士道精神は百姓町民も持っていた。『商』を倫理に高めたのは日本のみ。暖簾を神聖なものと考え、暖簾を汚すようなことはしなかった。暖簾を神棚に供え切り火をした。

沖縄の地上戦で死んだ人より、東京大空襲で死んだ人の方が多い」。

            ○

とても勉強になった。特に、『商』を道徳にしたのは日本のみというお話に共感した。ただし、マックスウェーバーやアメリカの光明思想(ウイリアムジェイムズなど)にはそういう思想があったように思う。しかし勤勉の美徳は説いたが、日本の江戸時代の学者のような商いを「道」と考える思想ではなかった。

谷垣氏は総理になったら、靖国神社参拝はしないだろう。また、野に下ってから急に靖国神社に参拝しても、何を今更という感じである。菅直人氏も靖国神社に参拝したと言っている。谷垣内閣になっても国防や外交も菅直人と大差はない姿勢になるのではないか。菅直人も「日米基軸」と言っている。

しかし、菅直人の本質は左翼である。日本國體に関する考え、国家観、皇室に対する姿勢は、基本的におかしい。私は菅直人氏は、『天皇制否定』論者であると考えている。ゆえに比較の問題として、やはり民主党政権よりは自民党政権の方がましだ。自民党が今為すべきことは、真正保守に回帰することである。そうしなければ、第二自民党=民主党に政権を奪われたままになる。反民主の小政党が乱立しているのも困ったことである。『真正保守』とは、現状維持・戦後体制擁護ではなく、「天皇国日本・真正日本」の回復による現状変革ということである。

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千駄木庵日乗六月十六日

午前は、母のお世話。

午後は、『政治文化情報』発送準備。

この後、病院に赴き父に付き添う。やや体調が良いらしく、私が来たことをとても喜んでくれる。少し会話をする。

午後七時より、世田谷区野沢の「レストランテ ケ・セラ・セラ」にて、『世田谷クラブ六月会』開催。藤田裕行氏が進行。主催者の瀬良まどかさんが挨拶。加瀬英明氏が講義。全員で討論。

帰宅後は、明日の『萬葉會』の講義の準備。

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2010年6月16日 (水)

民主党新政権の魂胆は許しがたい

国民新党は十五日、参院選で社民党から出馬する埼玉選挙区の日森文尋、大阪選挙区の大川朗子の二氏と、社民党に所属しながら、無所属での出馬を表明している新潟選挙区の近藤正道氏の推薦を決めた。

国民新党は、「夫婦別姓法案」「外国人地方参政権付与法案」に反対の姿勢を示している。一方の社民党は、この二つの法案を積極的に推進する立場だ。「郵政改革法案」成立のための取引なのだろうが、こういうのを野合というのである。もっともこの二つの政党は、連立を組んでいたのだから、今更批判をしてもはじまらない。いまの政治は、政治理念とか国家観に軸に動いていないことが最大の問題である。

鳩山・小沢両氏が退陣し、菅直人氏が総理になった途端に内閣支持率が急上昇するというのも、国民が、政治理念・思想信条・歴史観など国家の基本に関わる問題について無関心だということだ。これは、メディアの責任も大きい。

菅直人首相が副総理・国家戦略担当相だった昨年九月の政権交代直後、民主党の喜納昌吉参院議員(党沖縄県連代表)に対し、「沖縄問題は重くてどうしようもない。基地問題はどうにもならない。もうタッチしたくない」と漏らし、最後は「もう沖縄は独立した方がいい」と言い放ったという。

沖縄独立論は以前からある。もともと琉球王国だったのだから、独立という選択もあり得るということなのか。しかし、歴史的にも、宗教的にも、文化的にも、沖縄は日本國である。

今日の東アジア情勢を考えた時、沖縄が日本から分離したらどうなるか。まず第一にアメリカが許さない。再占領ということも考えられる。あるいは、沖縄とアメリカが同盟を結ぶのか。さらには、共産中国と同盟を結ぶのか。そうなると、沖縄はアメリカか中国の属国ということになる。

沖縄が独立しても、日本・アメリカ・支那の何処かと軍事的同盟を結ばないと、安全は保てない。日本に属しているよりももっと過酷な状況になるのは火を見るよりも明らかである。日本の政治家が安易に『沖縄独立論』を主張するなどということはあってはならない。

国家基本問題で、もっと徹底的に議論し、菅直人新総理の考え方を明確にそして詳細に国民に明らかにすることなく、ただ高い支持率のあるうちに、言いかえると追い風に乗って、参院選に突入しようという民主党の魂胆は全く許し難い。

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千駄木庵日乗六月十五日

午前は、母のお世話。

午後は、『政治文化情報』の発送準備。

この後、病院に赴き、父に付き添う。

帰宅後も、発送準備。

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2010年6月15日 (火)

菅直人氏の天皇観・国家観について

『産経』の報道によれば、菅直人総理は、今日の本会議で、 「国旗は大好きだし、国歌も決して嫌いなわけではない」と答弁したという。「国旗国歌法」に反対したことについての弁明である。村山富市元総理も、国旗国歌法に反対したが、総理になったら、立場を変えた。政治家というのは、立場が変わると考え方も変わるのだろう。いや、表面的に変えたように見せるのであろう。自民党の谷垣総裁も、自身が閣僚の時には参拝せず、総理の参拝にも反対していたのに、野に下ったら、靖国神社に参拝した。

 

菅直人氏は『文藝春秋』平成十一年七月号の「第九条は覚悟なくして変えられない」と題するインタビュー記事で「(現行憲法で日本人がどのようにあるべきかを示しているのは・註)国民主権です。残念ながら、それが日本人に浸透していない。」「戦前には天皇制を中心とした國體護持ということがあり、そのためには一億玉砕もありうるという考え方のなかには、私の言う『国民と国民が構成する政府』とは違う国家があった。」「国民主権国家のことを、たとえ話で私がよく言うのは『水戸黄門』ではなくて『七人の侍』です。立派な人にお任せしようではなく、自分たちを守るために…自分たちで判断して、自分たちでリスクを負うことです。」と論じている。

これは、「国民主権」を強調し、「天皇中心の國體」を否定あるいは危険視しているかのような発言である。「君主制はいらない、人民民主主義が良い」という共産主義者の思想と同じである。菅直人氏の天皇観・国家観・歴史観は本質的に変わったということはあり得ない思う。総理になったから仕方なく、これまでの国旗・国歌についての主張を表面的に変えたということであろう。菅直人氏は本質的に『日本国体』否定論者であると思う。

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千駄木庵日乗六月十四日

午前は、母のお世話。

ある同志より電話をいただく。この方も、ご高齢の母上のお世話をされている。私の父と同じような状況なので、色々語り合った。私と同様に大病院への不信感を持っておられる。詳しくはまだ書くことができないが、質の悪い医師と看護師にぶつかると患者とその家族は悲劇である。

午後は、木曜日の『萬葉會』における講義の準備。

この後、病院に赴き、父に付き添う。今入院している病院は、こじんまりとしているが、医師も看護師も、以前入院していた総合病院よりもずっと質が良い。

帰宅後も、『萬葉集』講義の準備。

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2010年6月14日 (月)

千駄木庵日乗六月十三日

午前は、母のお世話。

午後は、書状執筆。

この後、病院に赴き、父に付き添う。声をかけると頷いてくれる。父の入院している病院は、距離的には遠いが、交通の便が良く、時間的に近いので助かる。

帰宅後は、原稿執筆のため滞っていた新聞雑誌の整理を行う。

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奇兵隊内閣を自称する菅直人総理は尊皇攘夷を実行せよ

菅総理は今日、出身地の山口・宇部市を訪れ、自らの内閣は、長州藩士・高杉晋作にちなんだ「奇兵隊内閣」だと強調した。

菅首相は「高杉晋作率いる奇兵隊が、幅広い草奔の志士を集めて、そこから日本の、まさに明治の大転換をなし遂げた。今の民主党は、まさにそういう意味では奇兵隊だと思っているんです」と述べたという。

前にも書いたが、髙杉晋作も、その師の吉田松陰も「尊皇攘夷」の精神で明治維新を戦ったのである。菅氏は、「国旗国歌法案」に反対した。また、「昭和天皇は戦争責任を取って終戦の時退位されるべきであった」などと主張した。こういう人に真の尊皇精神があるのであろうか。

現代における「攘夷」とは、わが国に対して、軍事的・政治的圧迫を行い、数々の主権侵害を行っている共産支那・北朝鮮に対して、毅然とした対応をとることである。菅直人氏にその覚悟があるのだろうか。

菅氏は、「奇兵隊が、幅広い草奔の志士を集めて、そこから日本の、まさに明治の大転換をなし遂げた」と言った。奇兵隊は「百姓・町人」の勢力も結集した。これは明治維新後に實現した身分・階級を超えた皇軍創設即ち國民皆兵の淵源である。奇兵隊には差別されていた人々も参加した。この被差別部落の人々の諸隊は第二次長州征伐で勇戦奮闘し、とくに芸州口の戦いで華々しい戦果をあげた。不当に身分差別を固定させた徳川幕府打倒の戦いに、身分解放の願いを込めて挺身したのである。明治維新の戦いは、まさに一君万民の國體を明徴化する戦いだったのである。

「部落解放同盟綱領」(一九九七年五月二七日 部落解放同盟第五四回全國大會決定)の「基本目標」には「われわれは、部落差別を支える非民主的な諸制度や不合理な迷信・慣習、またイエ意識や貴賤・ケガレ意識など差別文化を克服し、身分意識の強化につながる天皇制、戸籍制度に反対する。」と書かれている。「天皇制反対」を目標にする部落解放同盟の副委員長である松本龍氏は民主党の衆院議員であり、民主党両院議員総會長である。中央書記長松岡徹氏は、民主党参院議員である。

菅直人氏が真に奇兵隊の精神を継承するのなら、『尊皇攘夷』の姿勢を明確にし、それを実践すべきである。部落解放同盟の「天皇制反対」の「目標」なるものを破棄させるべきである。

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2010年6月13日 (日)

小沢一郎ほど悪質な政治家を見たことはない

『日台関係研究会定例会』における浅川公紀武蔵野大学教授の講演で印象に残ったことを記す。

「アメリカの知日派もアメリカの新聞の論調も、日本経済の再建を菅さんに期待。鳩山退陣を『イット・イズ・ネセサリィ』(日本のためにもアメリカのためにもそれは必要であった)と書いた。日米間の長期的戦略の話をしないまま八カ月が過ぎたという思いがアメリカにはある。

オバマは日米安保五十周年で同盟関係の再定義をしたかった。日本に来て五十周年を祝いたいと思っていた。しかし疑心暗鬼が出てきて日本に来る気がなくなった。アメリカは鳩山を見限っていた。鳩山のブレーンと称する寺島実郎氏などがアメリカに行っても、国務省も国防省も会おうとはしなかった。

アメリカは普天間問題で、日米合意ができているのだから、その通りやるということ。八月までに沖縄の負担を軽減するというのは日本の思い入れ。沖縄の痛みは日本の国内問題。

アメリカは菅新総理に対して、アメリカの世界戦略の中で如何に沖縄が重要かという話から出発してほしいと思っている。一九九〇年以降日本の首相が十三人変った。アメリカにとってそういう国は不安。アメリカは、小沢が古い自民党の悪い部分を受け継いでいると思っている。小沢が徳之島に土地を買っていたことが分かって、小沢をアメリカに招くのをやめた。

菅首相は前政権時代の対米外交を教訓に、普天間合意を履行し、日米同盟の維持、発展に前向きに取り組むだろう。私が心配するのは、新首相が経済再建に積極的に取り組むことができるかだ。日本は経済を活性化できなければ、アジアや世界での地位や発言力が保てないし、日本の安全保障も弱まる。菅さんはこの点を見誤らないように望む。世界第二位の経済大国の地位を中国に奪われる日が迫っているではないか。

中国政権は『米中戦略・経済対話』(SED)を交渉の場とは全く考えていない。この種の政府間協議は相手国の政情、政府の対応を探り、中国のイメージ向上のための議論の場と見做している。対外的には協調姿勢を宣伝するが、中国の立場を変えるつもりはなく、SEDで懸案解決に努める気はない。

中国はアメリカの経済安定を支えているのは中国だという感覚を持っている。オバマ政権は日本よりも韓国に対して好意的と言われる。日本は集団的自衛権を行使しないと他の国から相手にされない。アメリカは産軍複合体として発展してきた。戦争へのいざないがある。それが日本との違い」。

          ○

日本は、アメリカと共産支那の狭間にあって、独立国家としてどういう戦略を持って生きていくか。実に難しい立場に立たされている。菅新政権の責任は大きい。内外情勢は、権力闘争に明け暮れしている状況ではない。それにしても、「政治改革」だとか、「日本に民主主義を確立するためには二大政党による政権交代が必要だ」とか、綺麗事を言っている小沢一郎が、国防・安保まで利権に結びつけていることが明らかになった。本当に小沢一郎は國を危うくする政治家である。私はこれほど悪質な政治家をこれまで見たことはない。

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千駄木庵日乗六月十二日

午前は、母のお世話。

午後二時より、渋谷道玄坂のフォーラムエイトにて、『日台関係研究会定例会』開催。浅川公紀武蔵野大学教授が講演。

この後、病院に赴き、父に付き添う。

帰宅後は、『政治文化情報』原稿執筆・脱稿・送付。

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2010年6月12日 (土)

国旗国歌法と菅新政権

菅直人新総理の「所信表明演説」というのをテレビで垣間見た。演説ではなく朗読であった。

亀井氏が閣僚を辞任した。亀井氏と菅氏とは犬猿の仲なのだから、これで良かったのではないか。菅新政権閣僚には、元自民党が本当に少なくなった。私ははっきり言って、郵政のことなどどうでもいい。反日的姿勢と政策を何としても粉砕しなければならない。国民新党は、「夫婦別姓」と「外国人参政権」に反対している。政権内部にあって、この二つの法案に反対してもらうためにも、国民新党には連立にとどまってもらいたい。

民主党政権の閣僚などで、「国旗国歌法案」に反対した人物は、菅 直人 横路孝弘 赤松広隆 松本 龍 枝野幸男

小沢鋭仁 海江田万里 前原誠司 原口一博 千葉景子    江田五月 円より子 小川敏夫 輿石 東 小宮山洋子    

簗瀬 進の各氏らである。内閣総理大臣と衆参両院議長が反対したのである。実に以て由々しきことである。

賛成した議員は、安住淳 岡田克也 鹿野道彦 川端達夫 玄葉光一郎 仙谷由人 樽床伸二 中野寛成 中山義活 羽田孜 鳩山由紀夫 平野博文 藤田幸久 渡辺周の各氏らである。

元自民党あるいは松下政経塾出身の議員にも反対した人がいたには驚いた。仙谷由人官房長官が賛成したのにも驚いた。民主党議員の中には、「天皇制反対」などと言っている部落解放同盟の幹部がいる。ともかく、民主党政権は危険である。

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千駄木庵日乗六月十一日

午前は、母のお世話。

午後は、『政治文化情報』の原稿執筆。

この後、病院に赴き、父に付き添う。また少し微熱が出ている。額と胸に手を当てて回復を祈る。

午後六時半より、平河町の高池法律事務所にて、『國體政治研究会』幹事会開催。中村信一郎氏が司会。高池勝彦・尾崎幸廣両弁護士及び小生が、今後の活動について協議。

同時刻に、『九段下沙龍』が開かれ、先輩の平澤暁男氏の古希の祝いが催されたのだが、残念ながら欠礼した。

帰宅後も、原稿執筆。明日までに書きあげなければならない。

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2010年6月11日 (金)

いま、日本國體と部落差別問題について書いています

いま、「日本國體と部落差別」というテーマで原稿を書いている。前々から書きたいと思っていた。最近、ある方から色々貴重な書籍や資料を贈っていただいたので、書く決心をした。『政治文化情報』次号に掲載する予定である。一君万民の日本國體と部落差別は相容れない、「部落差別の原因は天皇制にある」などという議論は全く誤りである、ということ論じたい。

松本治一郎氏が部落解放運動の戦前戦後にかけての指導者である。松本氏は、「貴族あれば賤民あり」というスローガンを唱え、戦前は、華族制度の廃止を唱えたり、徳川家に対する攻撃を行った。戦後になると、参議院議員として、国会で執拗な皇室に対する批判・攻撃を行った。戦前はともかく、戦後は明らかに反皇室の姿勢を示していた。

しかし、戦後愛国運動の指導者のお一人は、松本治一郎氏を師と仰いでおられた。事務所には肖像写真を掲げておられた。また、私がとてもお世話になった九州出身の愛国運動の先輩は、涙を流しながら、松本治一郎氏を慕う言葉を述べておられた。

松本治一郎という人物にはそれだけ魅力があったのであろう。また、部落解放運動に大きな貢献をしたのであろう。松本氏が本当に「天皇制打倒」を目指していたのかどうか、これれからよくよく勉強したいと思う。

菅直人総理は、自分の内閣を奇兵隊内閣だと言った。長州の奇兵隊には、差別されていた人々も参加した。明治維新の戦いは、まさに一君万民の國體を明徴化する戦いだったのである。菅直人氏は、そういうことを分かっていて、奇兵隊内閣だなどと言ったのであろうか。

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千駄木庵日乗六月十日

朝は、母のお世話。

午後は、原稿執筆。

その後、病院に赴き、父に付き添う。少し会話をする。

帰宅後も、原稿執筆。

今週は、原稿執筆に追われている。「日本國體と『部落差別』」といふやや大きく難しいテーマなので大変である。

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2010年6月10日 (木)

菅直人氏の国体論を糺す

過日、資料の整理をしながら撮りだめしたビデオを見てゐた。十年前の『サンデープロジェクト』だった。森喜朗内閣総理大臣(当時)が、平成十二年六月三日に奈良市で行った演説で、「共産党は綱領を変へないと言ってゐる。天皇制を認めないだらうし、自衛隊は解散だらう。日米安保も容認しないだらう。さういふ政党とどうやって日本の安全を、日本の国体を守ることができるのか」と発言した事について、当時の自民党政調会長亀井静香氏と、民主党の菅直人氏などが大激論を戦はせてゐた。殆ど罵り合ひであった。

菅直人氏と亀井静香氏とは、この頃は犬猿の仲であった。最近も、郵政問題で、菅直人氏と亀井静香氏の意見の違ひが表面化し、同じ『サンデープロジェクト』で激論を戦はせた。民国連立政権は、国家基本問題で、全く意見の異なる人々によって構成されてゐるのだ。

菅直人氏は「(森喜朗氏は・註)何故わざわざ國體といふ言葉を使ったのか。私は國體といふ言葉は、戦前の『國體護持』とか、『ポツダム宣言』の時、國體維持できるかどうかが、大議論になったり、憲法の時も、天皇の地位をめぐって大議論になった。ですから國體といふ言葉は、戦前の國體護持に象徴される『天皇主権』といふものをベースとした言葉なんです。」と語った。  

『大日本帝国憲法』には「天皇主権」といふ言葉は一言半句書かれてゐない。そもそもわが国の「國體」は、「君民一体」である。君主と国民が政治権力の争奪戦を行った歴史はない。「君主主権」「国民主権」は欧米の政治概念である。日本國體は「天皇主権の体制」などと規定することはできない。菅直人氏は、日本の國體を正しく理解していない。これは重要な問題であり、総理になった菅直人氏に質す必要がある。

日本國體とは、わが国肇國以来の「天皇を祭祀主と仰ぐ信仰共同体としての国の姿」のことである。天皇を祭祀主・文化の中心者と仰ぐ祭祀共同体・文化共同体のことである。「権力機構としての国家」を意味してゐない。

日本天皇の日本国家統治は決して絶対的政治権力や武力を行使して人民を支配するといふ事ではない。西洋の政治概念である「君主主権」とは全くその性格を異にする。菅直人氏の、「國體といふ言葉は、戦前の國體護持に象徴される『天皇主権』といふものをベースとした言葉なんです。」といふ主張は誤りである。

實際の政治體制のことを「政體」と言ふ。國體と政体とを混同してはならない。わが國は有史以来、天皇親政、摂関政治、幕府體制、立憲君主制といふやうに政体は変化してきた。

しかしどのような政體であらうとも、その根底には「天皇中心の祭祀國家」という不文法としての國體が厳然として続いて来た。天皇を君主と仰ぐ日本國體は建國以来不変である。天皇は日本の長い歴史を通じて「統治者」として君臨されてきた。これを「天壌無窮の國體」と言ふ。

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千駄木庵日乗六月九日

午前は、母のお世話。

昼は、知人と懇談。菅直人民主党政権について語り合う。この方が、隣町の根津で買って来られた「鯛焼き」がとてもうまかった。評判の店で、何時もお客が並んでいるので買うことができず、今日初めて食べた。

午後は、原稿執筆。

午後六時半より、豊島区立駒込地域文化創造館にて、『萬葉古代史研究会』開催。小生が、『萬葉集』防人の歌を講義。

帰宅後も原稿執筆。

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2010年6月 9日 (水)

菅直人氏は『尊皇攘夷』の精神を継承し実行するのか

長州出身の安倍元総理は、「史上まれに見る、陰湿な左翼政権が誕生した以上、これからしっかりと、菅政権の危険性、実態を、国民の皆さまに訴えていくことによってですね、われわれの支持も回復をしていきたい」と述べた。

ところが、菅直人総理は「記者会見」で「わたしの趣味で言えば、『奇兵隊内閣』とでも名づけたいと思う。今、坂本龍馬が注目されています。私は長州生まれなので、まさにこの停滞を打ち破るために奇兵隊のような志を持って、まさに勇猛果敢に戦ってもらいたいと」と述べた。

なかなか良いことを言うとは思う。また菅直人氏は髙杉晋作を尊敬しているという。しかし奇兵隊とは、長州藩が尊皇攘夷を決行すべくの列強四国と戦った馬関戦争に敗れた後、髙杉晋作らによってつくられた軍事組織である。以後、奇兵隊は徳川幕府と果敢に戦い、明治維新の原動力となった。

言うまでもないが、髙杉晋作も、そしてその師匠の吉田松陰も、さらには、明治維新そのものの戦いも、「尊皇攘夷」を基本理念としている。菅直人氏が自分の新内閣を「奇兵隊内閣」と称するのなら、まず以て「尊皇攘夷」の精神を実行しなければならない。天皇・皇室を敬い、支那や北朝鮮と果敢に戦わねばならない。そうでなければ、「奇兵隊内閣」と称する資格はない。尊皇攘夷・松陰精神を受け継がない限り、安倍元総理の「史上まれに見る、陰湿な左翼政権が誕生」という厳しい批判は正しかったということになる。

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千駄木庵日乗六月八日

午前は、母のお世話。

午後は、明日の夜に行われる『萬葉古代史研究会』における講義の準備。

この後、病院に赴き、父に付き添う。点滴を受けている状態だが、昨日よりも良くなっている。帰り際に、父が「お前も体に気をつけろよ」と言ってくれる。有難くも切ない。

帰宅後も、『萬葉集』講義の準備。

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2010年6月 8日 (火)

『日本の司法を考える会』での講演を聞いて

『日本の司法を考える会』における各氏のお話は以下の通り。

石川知裕衆院議員「村上正邦・鈴木宗男・佐藤栄佐久・中村喜四郎氏などみんな捕まった方々ばかりの『七転び八起きの会』という会合に参加したら今日の講演を依頼された。検察は明確な意図を持って小沢さんの権力を奪おうとしたのではないと思う。シナリオを練った人がいたとは思えない。日本を良くするためには悪い政治家は逮捕しなければならないという検察の使命感があった。集団的無意識・心に奥底にそういう思いがあり、小沢さんをターゲットにした。

私は昔からの業務を引き継いでいただけ。検察には小沢一郎という政治家への恐怖感があった。私に対しては、早稲田大学の同窓の検事が調べた。取調の半分以上が雑談。検察は、民主党政権になって取調べの可視化が行われることになるのを恐れた。『取調べの可視化についてどう思われますか』と何回か聞かれた。

マスコミは事実ではないことを平気で書く。ナマの調書と一言半句違わないことをどうして新聞は報道することができるのか。何処かでリークがある。世論形成が大きく影響を与える。

私にとって小沢さんは絶対権力者だとか言われているが、小沢さんと私とは師弟の関係ではあっても、私は十勝の有権者に選ばれて議員になった。選挙区には小沢さんが嫌いな人が大勢いる。その人たちをどう説得するかが大変だった。私は秘書として好かれてはいなかったと思う。しかし政治資金担当として、企業を開拓したことは評価された。

検察審査会の人たちも世論の期待にこたえたいという気持ちになるのではないか。水谷建設の人とは会っていないのに『読売新聞』に『会った』と報道されたのには驚いた。特捜部がいまだに水谷建設の言うことを信じているのが不思議。私は五千万円を貰っていない。このことは人生をかけて戦う。水谷は何故こんなウソをつかねばならないのか。その背景を解明してもらいたい。小沢さんを囲む建設業者の会合で、水谷建設の人と名刺交換をしたことはあるかもしれない。

取調べでは罵倒されなかった。検事個人への憎しみはない。検事から『この組織は恐ろしい。何でもできる。ちゃんと話さないと、どういう事態になるか分からない』と言われた。起訴されると九十九・九%有罪になるというが、有権者の期待にこたえるためにも、〇・一%の可能性に賭けたい。

推定無罪・未決なのだから、拘置所はもう少し自由であっても良い。自白しないと保釈しないのはおかしい。夜は電気がつけっぱなしなので寝るのがつらかった。自殺の恐れがあるから逮捕したと言われたが、死にたいと思ったことはあるが死のうと思ったことはない。

議員に当選した時、大久保さんから『手帳で人生が変わる』と言う言葉と共に手帳をたくさんプレゼントされた。たしかにこんな事態になり人生が変わった。鳩山氏は、小林ちよみ議員に『議員を辞めてもらいたい』と言ったが、鳩山氏には民主党を辞めてもらいたいと言う権力はあっても、議員を辞めろと言う権力はない。」

早川忠孝前衆院議員(弁護士)「国会議員に元被告人・元受刑者・元容疑者が増えているので、司法改革・刑務所改革・取調べの可視化などの動きが活発化している。受刑者に介護の資格を取ってもらって、刑務所近くの老人ホームで働いてもらうのも一つの方法。私の経験から言って、検察陰謀説には加担できない」

村上正邦氏「鳩山氏は、責任を取って辞めると言ったが、『自分と小沢氏は政倫審でも証人喚問にも出る』と言うべきだった。」

            ○

石川知裕氏については、「小沢の金の運び屋だ」などと言われていたし、童顔なので、大した人物ではないと思っていたが、率直に言って、なかなかしっかりとしていた。小沢氏に対しては少し距離を置いているのかという印象を持った。

考えてみれば、自民党は、優秀な人・やり手・力のある人の多くが党の外に出てしまっている。そして、民主党政権は、いよいよ左翼政権になった。「菅直人新体制」の主要メンバーに自民党にいた経験のある人がほとんどいない。「左翼」と言う定義が難しいが、総理・幹事長・衆参両院議長はみんな「元左翼運動家」である。もっとも自民党・元自民党にもおかしなのが多い。

愈々「歴史と傳統の国日本」の再興・再生の戦いを強めねばならない。天皇・皇室を蔑ろにし、軽視する政治家を厳しく糾弾しなければならない。

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千駄木庵日乗六月七日

午前は、母のお世話。

午後二時半より、永田町の村上正邦事務所にて、『日本の司法を考える会』開催。南丘喜八郎氏が総合司会。青木理氏が進行。石川知裕衆院議員が講演した。活発な質疑応答。村上正邦氏も所感を述べた。

この後、病院に赴き、父に付き添う。昨日より大分良くなっているので安心する。医師と看護師の丁寧なお話を聞く。

帰宅後は、原稿執筆。

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2010年6月 7日 (月)

小沢氏を排除しても民主党はやはりダメであろう

菅直人次期政権の人事を見ていると、小沢一郎排除が進んでいるように見える。小沢氏は、菅氏が代表に選ばれた後、何故、菅氏に会おうとしなかったのであろうか。これまでは仲良さそうにしていたのに、おかしなことである。そのことが「イラ菅」を敵に回したのではないだろうか。

小沢一郎氏がこのまま引っ込んでいるとはとても思えない。百人以上の小沢派がいるのだから、何か仕掛るに違いない。参院選前後に、小沢氏の復讐が始まるのではないか。民主党政権内部の権力闘争などどうでもいいのであるが、なかなか面白いドラマではある。

以前民主党に属していたある政治家が「民主党は難民キャンプ」と言っていた。それが一応結束した形になって自民党に対峙できたのは、小沢氏の力によるところが大きかった。菅氏は「小沢氏はしばらく静かにしてもらいたい」と言って、小沢氏を排除した。現時点では民主党と菅氏の支持率は急上昇したが、これはご祝儀相場であろう。ゴタゴタが起って難民キャンプに戻れば、どうなるか分からない。菅と小沢の対立は相当深刻なものとなるであろう。

鳩山氏は「菅氏は良くキレる」と言っていたが、頭が切れるという良い意味で言ったのかどうか。すぐにカッとなるという意味で言ったのであろうか。私もすぐキレるところがあるからあまり他人のことは批判できないが、菅氏が人格識見ともに信頼の置ける政治家だとはとても思えない。

「歴史と伝統の國日本」の真姿顕現が我々の理想であり、目的である。民主党は、日本の歴史と伝統を破壊するような政治家が多い。皇室・憲法・国防・教育など国家基本問題に対して、菅次期政権がどのような姿勢を示すが厳しく監視しなければならない。

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千駄木庵日乗六月六日

午前は、母のお世話。

午後は、原稿執筆。

この後、病院に赴き、父に付き添う。昨晩から今朝にかけて発熱したという。看護師さんと介護の方が色々心配して下さる。今は微熱がある状態。ここ数日やや体調が良かっただけに残念であり心配である。昨日病院に来ることができなかったため、父は小生の名前を呼び続けていたという。額や胸に手を当てて快癒を祈った。肺炎になることを最も恐れる。

帰宅後も原稿執筆。

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2010年6月 6日 (日)

菅直人氏が為すべきこと

テレビ朝日のインタビューで菅直人夫人は、「ファーストレディはアメリカの言葉であって、また日本にはファーストレディは他にいらっしゃる(皇后陛下)ので、首相夫人と呼んでもらいたい」と言ったという。

見識のある発言である。夫の菅直人次期総理が、火曜日に皇居で行われるという『任命式』と『認証式』を「皇居における手続」などと不敬千万なことを言ったのとはえらい違いである。

菅直人氏は、平成十八年十月五日の衆議院予算委員会において、当時の安倍晋三総理に対して「大東亜戦争開戦の詔書に大臣として署名している貴方の祖父の岸信介大臣の行為は正しかったのか、誤っていたのか」と質問し、「(岸元総理が)開戦詔書に署名したのは、今、考えると間違っていたのではないかと、そういうふうな認識だと理解していいですか」と問い詰めた。

歴史問題は國會といふ政治闘争・権力闘争の場で論議すべき事柄ではないし、政争の具にしてはならない。さらに言えば、孫に対して祖父の責任を問うて何になるのであろうか。菅直人氏の道義感覚・人権感覚を疑う。こういう行為を「いじめ」と言うのである。青少年に悪い影響を与え教育上も良くない。孫と祖父とは政治的には勿論一般の犯罪についても全く関係ない。一体祖父の行為が孫に何の関わりがあるのか。

祖父のしたことの責任を孫に問い詰めることが正しいと思っているのなら、菅氏は、鳩山由紀夫氏の祖父・鳩山一郎氏の行為についてこそ厳しく問い詰めるべきである。昭和五年、当時政友會幹事長であった鳩山一郎氏は、軍部に協力して「統帥権干犯問題」を議会で取り上げ、民政党の浜口雄幸内閣を責め立て、「用兵と国防計画は憲法一一条(『天皇ハ陸海軍ヲ統帥ス』)の作用である。政府が軍令部長の意見に反して国防計画に変更を加えたことは乱暴ではないか。」「国防計画は統帥府の責任であり、政府が変更するのは、一大政治的冒険だ」と迫った。

 この鳩山一郎氏の行為について、今日次のような批判がある。

「日本の野党は自分たちの利益を優先し、国益を忘れて政権政党を攻撃するのは昔も今も変わりありません。」「統帥権干犯問題を大きくした原因は野党の不見識と海軍内の海軍省と軍令部の派閥争いです。」「その後は、統帥権干犯という言葉は、それまでほとんど使われたことがないのに、特に軍人たちの間で大手を振って歩くようになったのです。」(「鈴木敏明氏『大東亜戦争はアメリカが悪い』)

「浜口内閣が三〇年にロンドン海軍軍縮条約を締結すると、民政党内閣をつぶすために政友会の犬養毅、鳩山一郎らは『統帥権干犯だ』と批判した。これは昭和史を破局に導くような重大発言だ。軍縮条約を政党内閣は結べないことになる。政党にはその力がないとい自己否定しているのと同じだ。…政争に統帥権干犯を使ったことで政党が軍部と結託する構造が出てくる。」(読売新聞戦争責任検証委員会『検証戦争責任』における松本健一氏の発言)

「何と野党政友会が、海軍の味方をした。というより、明らかに浜口内閣を潰すために『統帥権干犯』だと、軍を呼び込むかたちで大問題としたのだった。政党としては、軍が政治に介入する危険性が生じれば、対立党とも協力して、懸命に介入の阻止を図るべきなのに、政友会は、その逆をやってしまったのである。」(田原総一朗氏『日本の戦争』)

このように「鳩山一郎氏の行為が、軍人が『軍人勅諭』に反して政治に関与する道を開き、政党政治崩壊の導火線となった」とする説が通説となっている。

「大東亜戦争を日本の侵略戦争であり、軍部の台頭と横暴が日本を戦争に追い込んだ」とするいわゆる「東京裁判史観」から見れば、鳩山一郎氏の行為は「日本を侵略戦争への道を歩ませた」ということになろう。そしてその「誤り」は、岸信介氏が『開戦の詔書』に副書した以上に大きいとされるであろう。

大東亜戦争はわが国の一方的な侵略であったと思い、それに参加し協力した政治家・軍人などの本人はもちろんその子孫までもがその責任を負い、先祖のしたことを批判し否定しなければならないと思っている菅氏は、安倍元総理に対して行ったと同じように、鳩山由紀夫氏に対しても「貴方の祖父の鳩山一郎氏の行為は正しかったのか、誤っていたのか」と問いただすべきである。

また、昭和八年五月二十六日、当時文部大臣であった鳩山一郎氏が、「滝川幸辰京都帝国大学教授(当時)の学説は危険思想である」として、小西重直京都帝国大学総長に滝川教授の辞職を要求したことは「正しかったのか、誤っていたのか」問いただすべきである。

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千駄木庵日乗六月五日

午前は、母のお世話。

午後十二時より、青山墓地にて、「無名烈士八六年忌法要」執行。無名烈士遺言書奉読・読経・焼香・「無名の志士を弔ふ歌」斉唱・呼び掛け人代表(山口申・伊藤好雄両氏)挨拶・施主(頭山興助氏)挨拶などが行われた。この後、近くの蕎麦屋にて直会が行われた。多くの同志が談論風発。

「無名烈士」とは、大正十三年に制定された米国の『排日移民法』に抗議し、同年五月三十一日早朝、赤坂の米国大使館隣の焼跡(井上子爵邸)において割腹自決された「雄心院義膽日忠居士」のことである。

帰途、同志と長時間懇談。

帰宅後、原稿執筆。

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2010年6月 5日 (土)

天皇陛下を軽視し奉る菅直人氏及びメディア

菅直人氏が衆参両院で次期総理に指名された。新鮮さというか、期待感は何時までもつか。ほんの数週間で馬脚を現し、色褪せるであろう。参院選で勝利するかどうか。小沢一郎排除を貫くことができるかどうか。それより何より、反小沢という人たちに、サヨクが多いのも困ったことである。もっとも輿石氏など参院の旧社会党系は小沢支持だ。何ともややこしい。いずれにしても、民主党政権は一日も早く打倒しなければならない。

NHKやテレ朝などは、菅氏のことを「菅新総理」と呼んでいた。字幕まで「新総理」と書いていた。これは全く間違っている。天皇陛下から任命されていないのだから、菅直人氏はまだ総理大臣になっていないのだ。フジテレビは、「菅次期総理」と呼んでいた。これが正しい。

菅直人氏は記者に答えて、「火曜日中に皇居の手続きを終える」などと言っていた。何たる言い草か。天皇陛下から総理大臣に任命されることを「手続」とは何事であるか。菅直人氏は天皇陛下及び皇室を尊重する心が希薄であることがはしなくも露呈された。

池田内閣と佐藤内閣で、内閣官房副長官(事務担当)を務めた石岡実氏は、終戦時、警視庁特高第二課長として愛国団体の終戦阻止行動などに対処し、戦後は、警視庁公安部長・内閣調査室長などを経て、内閣官房副長官に就任した。石岡氏は愛宕山の「尊攘義軍」(終戦直後、終戦に反対し愛宕山にて集団自決した人々)の慰霊祭には必ず参列されていた。古武士のような風格の方であった。

その石岡氏は、佐藤栄作氏が國会で総理に指名されただけで、任命式が終わっていないのに、意気揚々と総理官邸に来て執務を開始しようとした時、官房副長官として「皇居における任命式が済んでいないのですから、官邸を使うことはできません」と佐藤氏に諫言したという。佐藤栄作氏は、そのことでかえって石岡實氏を大変信頼したという。佐藤栄作氏は総理退任後、侍従長になることを切望したと伝えられる。今は、佐藤・石岡両氏のような尊皇愛国の士が本当に少なくなった。

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千駄木庵日乗六月六日

午前は、母のお世話。

午後は、原稿執筆。

この後、病院に赴き、父に付き添う。看護師さんと色々話す。御苦労に感謝する。父の容態はいくらか良くなってきたようである。有難い。

帰宅後は、書状作成。ニュースを見ながら資料の整理。『伝統と革新』次号への原稿執筆をお願いした方たちから、電話やメールなどで快諾を受ける。有難い。

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2010年6月 4日 (金)

またまた明らかになった民主党の『皇室軽視』}

またまた民主党という政党の「皇室軽視」の姿勢か明らかになった。民主党は、鳩山首相の後継代表を選ぶ両院議員総会に加え、国会での首相指名選挙と組閣を四日中に終えることで関係方面との調整をほぼ終えた。民主党はその調整の中で、首相官邸を通じて宮内庁に、天皇・皇后両陛下の静養日程を変更するよう要請したという。天皇、皇后両陛下は当初、四日から八日まで、神奈川県葉山町の葉山御用邸で静養されるご予定だった。このため、皇居での新首相の任命式や新閣僚の認証式は、週明け以降になるとの見方が出ていた。

だが、民主党は「天皇陛下の葉山でのご静養を少し遅らせていただければ、四日の組閣が可能になる」などとして、宮内庁に日程調整を要請。静養入りは5日以降に遅らせることになったという。

 民主党は、一六日の今国会の閉会を目前に、新首相の所信表明や代表質問などの日程を確保するため、任命式、認証式を急ぐ必要があったという。

この要請なるものを行ったのは、山岡賢治国対委員長だと思われる。鳩山総理の突然の退陣に伴って、天皇陛下のご日程を変更するなどということは、許されるべきことではない。普通一般の場合でも、任命される者が、任命するお方に対して、日程の変更を要求するなどということは非常識であり非礼である。

ましてや、天皇陛下は、日本国の君主であらせられる。君主に対して、臣下が日程の変更を要求するというのは、非礼どころの話ではない。タイ王国だったら『不敬罪』で罰せられるであろう。内閣総理大臣は、言うまでもなく、天皇陛下の臣下である。だから大臣と称するのだ。君主が臣下の都合に合わせて日程を変更するなどということがあっていいはずがない。陛下のご日程に合わせて『任命式』『認証式』を行うべきである。山岡賢治をはじめとした民主党はまさに『不忠者』である。

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千駄木庵日乗六月三日

午前は、母のお世話など。

午後は、原稿執筆。

この後、病院に赴き、父に付き添う。入浴の後だったので、疲れて眠っていた。私が来たことに気づくと嬉しそうな表情をする。

同室の患者さんの奥さんとお話しする。ご入院しておられるご主人は、全く意識が無いという。意識がある父のことをうらやましがられる。しかし、意識があるということは、苦痛を感じるということであり、はたして意識があった方がいいのか、ない方がいいのか、どちらが良いか分からない。

帰宅後も、『政治文化情報』の原稿執筆。

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2010年6月 3日 (木)

菅直人氏が総理になったら本格的な左翼政権になる

鳩山氏は、昨日は「国難に立ち向かっていきたい」などと言っていたのに、今日辞任した。やはり「宇宙人」である。言葉が軽すぎるどころの話ではない。こういう人が総理になり、小沢一郎が政権党の幹事長になったことが国難だったのである。

菅直人氏が「待ってました」とばかり後継に名乗りをあげたのには驚いた。せめて一日二日たってからというのが礼儀であり常識ではないのか。そして夜には、江田参院議長の誕生祝いとかで祝杯をあげたという。何か、鳩山辞任を祝っているかのようだ。

菅直人氏は、全共闘世代と言われ、本格的な左翼政権の誕生である。亀井静香氏とは国会やテレビでほとんど罵り合いの大論争をしていたのを見たことが何回かある。菅・亀井の二人は犬猿の仲だと思う。「民国連立」はうまくいくのだろうか。

鳩山氏が辞任を表明した民主党両院議員総会の議員総会長の松本龍氏は、部落解放運動の指導者・松本治一郎氏の孫である。松本治一郎氏及び部落解放同盟は、「貴族あれば賎民あり」を合言葉として「天皇制打倒」を唱えていた。今日においても「天皇制打倒」の看板を下ろしたとは聞いていない。

鳩山・小沢両氏が辞任しても、民主党政権が良くなるということは決してない。むしろ、左翼色を鮮明にするのではないか。国難はまだまだ続くのである。

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千駄木庵日乗六月二日

午前は、母のお世話など。

午後は、病院に赴き、父に付き添う。

この後、昨年他界した叔母(母の妹)の家に赴き、霊前にて拝礼。ご冥福を祈る。御主人と懇談。母の妹には、色々お世話になった。花柳流の日本舞踊家であった。戦前から、戦後にかけて外国に行って公演をした。小生の小さい頃、横浜港から、「プレジデントウイルソン号」に乗ってアメリカに行くのを見送った記憶がある。帰国した時は、「プレジデントクリーブランド号」であった。アメリカの客船を見たのは初めてであった。懐かしい思い出である。

帰宅後は、『月刊日本』連載の「萬葉集講義」原稿執筆・脱稿・送付。

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2010年6月 2日 (水)

やはり鳩山氏は在日宇宙人である

鳩山さんはやはり「宇宙人」である。このような状況でよく笑っていられるものと感心する。「国難に立ち向かっていきたい」などと言っていたが、国難をつくり出した張本人がよくそんなことを言えたものである。ちょっと常識では測りきれない人物である。「宇宙人」と言われる意味が良く分かった。

それに比べて、小沢一郎氏の顔つきの何と険しいことか。鳩山氏に振り回されているのだろうか。小沢氏はなぜ「記者会見」に応じないのか。「情報公開」「開かれた政治」とはおよそかけ離れている。闇将軍といわれる所以である。

ともかく鳩山政権は断末魔である。

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千駄木庵日乗六月一日

午前は、母のお世話など。

午後は、丸の内の三菱一号館美術館で開催中の『マネとモダン・パリ』展参観。丸の内の三菱一号館とは、明治二七年(一八九四年)に、英国人建築家ジョサイア・コンドルの設計により建設された建物。昭和四三年(一九六八年)に解体された。昨年、当時の設計図面や保管部材などを使用して、創建当時と同じ約二百三十万個の赤煉瓦を積み上げ、当時の設計図面や保管部材を使用するなどして忠実に再現されたという。重役室が再現されていた。

『マネとモダン・パリ』展は、「エドゥアール・マネ(18321883)は、後に『印象派』となる画家たちだけでなく、後世の芸術家たちに決定的な影響を与えた、近代絵画史上最も重要な画家のひとりです。…の開館記念展となる本展は、マネの芸術の全貌を、当時のパリが都市として変貌していく様子と結びつけながら、代表的作品により展覧しようとするもので、マネの油彩、素描、版画八〇点余が出品されます。また、同時代の作家たちの油彩、建築素描、彫刻、写真など約八〇点もあわせて展示し、マネが生きたパリの芸術的な背景も紹介します。日本でマネの作品をまとまった形で見ることができる貴重な機会です。」(案内書)との趣旨で開催された。

マネの描いたエミール・ゾラ(十九世紀のフランスの自然主義作家。『居酒屋』という小説を読んだが、暗い物語であった)の肖像画の背景には、力士の浮世絵が描かれていた。そのほか、「黒い帽子のマルタン夫人」「シャルル・ガルニエ」(自由九世紀フランスの建築家の肖像画。パリのオペラ座を設計した)「パリ・コミューン」(一八七一年三月二六日パリで民衆が蜂起して誕生した革命政府)を描いた絵などが印象に残った。ゴッホやピカソのような迫力のある作品とは言えないが、人間の営みや女性の姿を美しく描いていると思う。

この後、湯島で知人と懇談。

帰宅後は、資料の整理・原稿執筆など。

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2010年6月 1日 (火)

私が小沢批判を繰り返す理由

私は小沢一郎批判を繰り返している。それは、ただ単に小沢という人が嫌いだから行っているのではない。彼の基本的な考え方が間違っていると思うから、批判しているのである。

小沢氏は、「現行憲法三原理」を墨守する思想の持ち主である。これでは真の変革にはならないし明治維新をもう一度やろうなどと言う資格はない。小沢一郎氏はその『ウェブサイト』で「日本國憲法の基本理念は不都合はない。時代が変わっても普遍の原理、理想として掲げていてなにもおかしくない」と語っている。

「日本國憲法の基本理念」とは、「國際協調」「國民主権」「基本的人権の尊重」の三つであり、「憲法三原理」とも言はれる。「占領憲法」の「平和主義」「國際協調」とは、「我が國は侵略戦争をした悪い國である。だから今後は武力・戦力・國軍を持たない。祖國防衛・侵略阻止のための武力行使はしないし、國防戦争もしない」という敗北思想である。

「國民主権論」は、君主と人民とが「國家意思を最終的に決定する権限」を奪ひ合った西洋や支那大陸のような歴史は全くない「君民一体の信仰共同体」たるわが國の國柄と絶対相容れない國體破壊につながる思想である。日本では君民は対立する関係ではなかった。その精神を根本的に否定し、西洋の市民革命より生まれた君主と國民の対立闘争概念に基づく思想が國民主権論である。

「基本的人権の尊重」は、人権尊重・個の尊重を全てに優先させることはかへって人権を蹂躙し、個人の尊厳性を奪ふ結果になっている今日の我が國の荒廃の根本原因の思想である。

さらに小沢一郎氏は、『ウェブサイト』で、「私は、國連憲章と憲法と日米安保条約を、三つの同心円としてとらえている。安保条約も第五条で、國連が紛争解決の措置を執った場合は、日米の共同行動はそこで終了すると明記している。」「日本が名實ともに國連中心主義を實践することは、日本の自立に不可欠であり、対米カードにもなると思う。」と論じている。

「國連憲章」も「現行占領憲法」も「日米安保」も、大東亜戦争に敗北した日本を恒久的に戦勝國の支配下に置いておくことを目的としてつくられたものである。この三つを同心円ととらえることが日本の自立に不可欠だなどという主張は全く誤りである。この三つこそが日本の自立を妨げているのである。

國連とは、第二次大戦後の体制を恒久化しようとする組織である。すなわち戦勝國支配体制の維持組織なのである。國連は日本を守ってくれないし、國連は戦争を防止できない。國連はきはめて無力、独善、偏向の機関であり、日本の國家安全保障をそんな機関の手にゆだねることなど、危険このうえない。

さらに、莫大な分担金を払っている日本國を日本國常任理事國にもしない組織、侵略國家専制國家のロシアと支那に拒否権を持たせている組織に、わが國の安全と平和を任すなどといふことはとんでもないことである。國連憲章と憲法と日米安保条約を、三つの同心円などという考え方を祓い清めることが真の維新の第一歩である。

小沢氏に限らず、現代の政治家や評論家がよく言う「この國のかたちを変える」だの「維新」だの「革命」だの「一新」とは、一体どういう定義なのか。「國のかたちを変える」ということは大変なことである。単なる行政改革・経済改革のことを「國のかたちを変える」表現すべきではない。

鳩山氏が総理を辞任しても、深沢の闇将軍=小沢一郎氏が、実権を掌握したままでは何にもならない。小沢氏の政界引退こそが、日本の政治を真に安定させる道である。

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千駄木庵日乗五月三十一日

午前は、母のお世話。

午後は、資料整理・検索。

この後、病院に赴き、父に付き添う。医師のお話を聞く。容態はいくらか落ち着いてきている。ありがたい。この病院ののお医者さんはとても実直な方なので安心である。

帰宅後も、資料検索・整理・勉強。

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