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2010年5月14日 (金)

外来文化受容と国粋精神

日本伝統信仰たる神道の神官が日本思想史・文学史において占める位置は大きい。賀茂真淵・吉田兼好・鴨長明がその代表的人物である。しかも兼好や長明は仏教の影響も強く受けていた。神道が排他的ではない証拠である。日本の神を祭る人は実に寛容にして大らかであった。これが日本文化そのものの包容性の原点であったと思われる。国粋精神を謳歌した学者たちにおいても、外国文化受容に対して積極的だった。しかし、外来文化受容の根底にある伝統精神は極めて強靭であった。

例えば、平安前期・宇多天皇の御代の右大臣・菅原道真は優れた漢学者であり法華経の学者でもあった。言わば外来の最高の学問を身に付けた人であった。その道真が編纂した歴史書『類聚国史』(二百巻)は神祇・帝王のことが冒頭に記されていて、仏教のことについては外国関係のものとしてはるか後ろの方に輯録されているという。道真はまた遣唐使の廃止を建言した人物でもある。日本の伝統を重んじる精神があったればこそ外国文化を正しく学び自己のものとすることができたのである。道真はまさに主体性と開放性とを併せ有する日本文化のあり方を体現した人物であったと言える。

徳川初期の儒学者・兵学者である山鹿素行は、日本の皇統の正統性と政治の理想が古代において実現されていたと論じた『中朝事実』という歴史書を著した。これは日本の特質を儒教思想によって論じている。「中朝」とは世界の中心に位置する朝廷の意で、日本は神国であり天皇は神種であるとの意見が開陳されている。支那は自国を「中華・中国・中朝」とし、外国をことごとく野蛮な国と断じていた。素行は、その「中華・中国・中朝」は実に日本であるとして、書名を「中朝事実」としたのである。つまり国粋思想を支那の学問を借りて論じたのである。

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