« 千駄木庵日乗五月二十四日 | トップページ | 千駄木庵日乗五月二十五日 »

2010年5月25日 (火)

『日韓併合』について

100605_121401_2 日韓併合以前の朝鮮は混乱の極にあった。朝鮮併合の翌年支那に辛亥革命が起こり清朝が滅亡している。李王朝は専制政治だった。勢道政治(一族政治)などの言葉も残っている。それが日本との併合によって安泰を得た。日韓併合前の朝鮮即ち李王朝政府は名のみのものであって、その実力は全く失われ、当時の朝鮮は独立国家の体をなしていなかった。

 日露戦後、韓国は「日韓協約」により我が国の保護国とされ、伊藤博文が初代統監に就任した。この「協約」締結に際しての伊藤博文の本心は韓国を名実伴う独立国にすることにあった。韓国皇太子・李王垠殿下は伊藤博文を追慕して「伊藤は『自分は今、韓国を立派な国に建て直すために懸命の努力を払っておりますが、殿下はやがて韓国の帝位にお就きになる方ですから、それに相応しい御修行にお励みになりますように』と常々申していた」と語った。

 しかしそうした伊藤公の真摯な心を韓国民は理解することができず、ついにハルピン駅頭において伊藤公は安重根の銃弾によって暗殺され、日韓併合の至る。

 日韓併合に対して、韓国側は「日帝三十六年の植民地支配」として非難攻撃しているが、日韓併合の精神は決して植民地支配ではなかったし、単なる領土拡張政策でもなかった。それは、明治四十三年八月二十九日の『韓国併合に付下し給へる詔書』に「民衆は直接朕が綏撫の下に立ちて其の康福を増進すべし産業及貿易は治平の下に顕著なる発達を見るに至るべし」と仰せられ、また、大正八年三月一日の独立運動事件の後に出された『総督府官制改革の詔書』に、「朕夙に朝鮮の康寧を以て念と為し其の民衆を愛撫すること一視同仁朕が臣民として秋毫の差異あることなく各其の所を得其の生に聊(やすん)じ斉しく休明の沢を享けしむることを期せり」と宣せられたところに示されている。

 わが國は、朝鮮、台湾、樺太を「外地」と呼ぶことはあったが、「植民地」と呼ぶことは政府によって排された。事実、民法、刑法を始め大半の法律は内地と同一内容で施行され、各種の開発や公共事業も進み、医療衛生制度や教育制度も整備され、内地の政府民間の負担も相当の額に達した。そして乱脈だった李朝末期の韓国社会を正し法治社会をもたらした。これは欧米列強の植民地支配・愚民政策・搾取行為とは全く異なるものであった。

日本統治時代に韓国に大きな投資を行ったために、韓国が惨めだった状況から一足飛びに近代化したことは歴史的真実である。日本が韓国統治において一方的な収奪したというのは大きく事実に反する。

|

« 千駄木庵日乗五月二十四日 | トップページ | 千駄木庵日乗五月二十五日 »

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/121949/48451783

この記事へのトラックバック一覧です: 『日韓併合』について:

« 千駄木庵日乗五月二十四日 | トップページ | 千駄木庵日乗五月二十五日 »