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2010年5月31日 (月)

美濃部達吉氏の憲法論を読んで思う

今日調べていた資料に、終戦直後の昭和二十年十月二十日の『朝日新聞』に、憲法学者の美濃部達吉氏が次のように論じたことが記されていた。

曰く「私は、いわゆる『憲法民主主義化』を実現するためには、形式的な憲法の条文の改正は、必ずしも絶対の必要ではなく、現在の憲法(註・『大日本帝国憲法』)の条文の下においても、議院法、貴族院令、衆院議員選挙法、官制、地方自治制、その他の法令の改正及びその運用により、これを実現することが十分可能であることを信ずるもので、たとえ結局においてその改正が望ましいとしても、それは他日平静な情勢の回復を待って慎重に考慮せられるべき所で、今日の逼迫せる非常事態の下において、急速にこれを実行せんとすることは、いたずらに混乱を生ずるのみで、適切な結果を得る所以ではなく、したがって少なくとも現在の問題としては、憲法の改正はこれを避けることを切望して止まないものである」と。

今日、『大日本帝国憲法』復元改正論に対して、時代錯誤であるかのような批判があるが決してそうではない。『大日本帝国憲法』は決して過去の遺物ではない。極めて正統なる法思想に貫かれた憲法である。日本國體精神と近代法思想・議会政治思想が見事に融合している。

アメリカ占領軍が国際法違反の軍事的政治的圧力のもとで押し付けた『現行占領憲法』には正統性は無い。また内容も日本国を混乱に陥れるものとなっている。

『大日本帝国憲法』に一度回帰し、その上で、時代状況に合うように改正することが、真の法治国家・独立国家としての日本を正しく回復する道である。対米自立とか、反米を叫ぶ連中が、アメリカ製の『現行占領憲法』擁護を声高に叫んでいるのは全く理解に苦しむ。

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千駄木庵日乗五月三十日

午前は、母のお世話。

午後は、資料の整理。

この後、病院に赴き父に付き添う。看護師さんのお話をうかがう。

帰宅後は、書状執筆及び資料の検索・整理など。

          ○

最近受贈した書籍

「日本の良心」 教育勅語運動事務局編集・発行 二宮報徳会より

「天皇様がないてござった」 しらべかんが著 教育社刊 平澤暁男氏より

「乃木希典」 中西輝政著 国書刊行会刊 乃木神社より

「古神道入門」 吾郷清彦・松本道弘・深見東州共著 たちばな出版刊 発行所より

「神風 そのふきゆくかなたへ」  靖国神社遊就館編集発行 近代出版社より

贈呈して下さった方々に感謝します。

 

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2010年5月30日 (日)

社民党と連立を組んだのがそもそもの間違い

社民党と連立を組んだのがそもそもの間違いである。社民・共産両党は、社会主義政党であり、北朝鮮・旧ソ連・共産支那と同根の政党である。今はどうか知らないが、旧ソ連・共産支那・北朝鮮から様々な援助を受けていた政党である。そのような政党が、北朝鮮・共産支那からの侵略から祖国を守ることに反対し妨害するのは当然である。民主党の中にもまだ社民・共産と同根の勢力が残存している。

数合わせのための連立や新党結成は日本の政治を混乱させるだけでなく、国家の存立と安全を危うくさせる。鳩山政権が良い例である。国家観・国防観など国家基本問題・根本的な政治理念を軸にした政界再編が行われなければならない。

燃え上がりつつある沖縄の反基地闘争・反米闘争・反本土闘争をどうやって解決するのか。民主党鳩山政権の責任は実に大きい。小沢・鳩山にそれが出来るのか。今までの動きをみると、まず不可能であろう。意地悪なことを書くようだが、ヤワラちゃんにはもっと不可能だ。菅直人氏が総理になっても無理だろう。一日も早い政権交代が望まれる。

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千駄木庵日乗五月二十九日

午前は、母のお世話。

午後は、病院に赴き、父に付き添う。父は、「正貴に会えることを神様に祈っていたよ」と振り絞るような声で言う。昨日は病院に行くことができず、一昨日は父が熟睡していたので、話すことができなかったからである。涙が出る。

帰途、上野に出て知人と懇談。

帰宅後は、原稿執筆のための資料検索と勉強。あるテーマについて調べているのだが、読むべき資料が多いので大変である。

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2010年5月29日 (土)

沖縄で反本土・反米闘争が起こる危険あり

鳩山由紀夫総理は、米軍普天間飛行場移設に関する政府の対処方針に反対した福島瑞穂消費者・少子化担当相を罷免した。

鳩山氏は、記者会見で、沖縄に基地を置くことの必要性というか、致し方ないことを色々説明していたが、選挙前からそういうことを言っていれば、こんな大混乱は起きなかった。また、「最低でも県外」などと耳触りの良いこと、沖縄県民に期待を持たせるようなことを言ったのが、今回の混乱の最大原因である。鳩山氏は、総理を辞任して責任を取るのが筋である。

福島罷免とか、社民党の政権離脱などはどうでもいい。今後、沖縄で大規模な基地反対闘争が起こることの方が問題である。左翼革命勢力・反日勢力が沖縄県民を扇動して「成田闘争」のような事態になる危険も否定できない。それは、単に基地反対にとどまらず、反米反本土闘争に発展しかねない。そういう意味でも民主党・鳩山内閣の責任は大きい。鳩山はまさにパンドラの箱を開けたのである。

小沢一郎はこの問題でこそ、「剛腕」とやらを発揮して、問題解決に動くべきだった。しかし全くそういうことはしなかった。何か思惑があるのだろう。普天間問題のドサクサにまぎれて、「郵政改革法案」を衆院総務委員会でたった一日の審議だけで野党の質問を打ち切って採決を強行した。まさに火事場泥棒である。郵政票を民主党に取り込むための選挙対策である。小沢には選挙対策即ち権力維持しか頭に無いのである。

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千駄木庵日乗五月二十八日

午前は、母のお世話。

午後は、北区にある菩提寺に参詣。祖先のお墓を掃苔。新しいお塔婆をお墓の後ろに供えさせていただく。今月二十三日に執行された『お施餓鬼法要』に都合で参列できなかったので、今日参詣した。ご住職夫人にご挨拶。

午後四時より、西荻窪にて、『伝統と革新』の編集会議。第二号の企画会議。最終決定したので、来週から原稿依頼・編集に取り掛かる。

帰宅後は、ニュースを見ながら、原稿執筆のための資料検索・整理。

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2010年5月28日 (金)

平沢勝栄氏のパーティーで思ったこと

今日のパーティで平沢氏は、「民主党政権が『政治主導』と言うので、官僚が動くことができない。しかるに赤松農水相は、家畜伝染病・口蹄疫の感染が拡大しているのに九日間も海外に行っていた。危機管理がお粗末。鳩山首相は米軍普天間飛行場移設問題でずっと『県外か国外移転』と言って来たのに、いまさら辺野古周辺を移設先とするなどと言うのは受け入れられない。この混乱の責任は誰がとるのか。社民党は絶対反対なら内閣から出て行けばいい」という意味のこと穂話した。

「政治主導」というのは、官僚以上に優秀な政治家がそろっていて初めて成り立つことである。今の民主党に官僚より優秀な人がどれだけいるのか。官僚が反発して、情報を上げないばかりでなく、「政治主導なら政治家にやってもらおう」ということで、意識的に動かない可能性もある。民主党政権は今やそういう事態になっているのではないか。よく言われることだが、政治家がうまく官僚を使うこなすことが真の「政治主導」である。うまく使うこともできず、やたらに官僚を敵に回し、いじめているのでは、政治・行政がうまくいくはずがない。民主党政権の誤れる「政治主導」で被害を受けるのは国民生活である。「国民生活第一」のスローガンが全く逆になる。その良い例が「口蹄疫問題」だ。

上田清司埼玉県知事は祝辞で「国家観・歴史観という国家基本問題を軸にした政界再編が行われるべきだ」という意味のことを言っていた。全く同感である。

浅香光代氏は何故か祝辞の中で当たり役の『一本刀土俵入り』の台詞を言っていた。帰宅したら、相撲協会の二人の親方が処分されたニュースをやっていた。芸能界・相撲界とある方面との関係は、江戸時代以来である。この二人の親方だけに責任を負わせるというのは酷ではないのか。

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千駄木庵日乗五月二十七日

午前は、母のお世話。

午後は、病院に赴き、父に付き添う。父は熟睡していた。

午後六時より、ANAインターコンチネンタルホテル東京(長い名前だが、要するに全日空ホテル)にて「平沢勝栄政経文化セミナー」開催。多くの同志・友人・知人に会う。平沢氏とは以前、『朝まで生テレビ』でご一緒した。警察官僚だが、官僚らしからぬ個性とバイタリティの持ち主。言っていることもおおむね同感できる。小林節・浅香光代・笹川尭・上田清司埼玉県知事・山崎拓・丸山和也・中川雅治・後藤田正純・金田正一・加藤紘一の各氏らが祝辞を述べた。衆院本会議開会中とのことで、衆院議員の出席は少なかった。お相撲さんも来ていた。

帰途、出席していた同志と懇談。

帰宅後は、諸雑務。

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2010年5月27日 (木)

民主党政権の一日も早い瓦解を祈る

最近のメディアは、鳩山政権への批判を強めている。当然のことである。しかし、こんなお粗末な政権が出来たのは、メティアが民主党政権樹立を扇動したことが大きな原因である。そのことへの反省のきちんとしてもらわねばならない。去年の総選挙前の「反自民・親民主」の報道姿勢は目に余るものがあった。

自由民主主義の社会は、賢明な民衆と公正な報道感覚をもつメディアと有能な政治が三位一体となることで、あり得べき理想的な姿を示す。しかし現実は、偏向したメディアと無能

な政治と軽薄な民衆が三位一体となっている、と言っては言い過ぎであろうか。 

民主党の「国民生活第一」は、欺瞞的なスローガンであった。そんなことは政治の目的として当たり前のことである。それをあえて声高に叫んだのは、国防安保・歴史観・教育・憲法という「国家基本問題」での民主党内の不一致を覆い隠すためであったと共に、国民の関心を目先のことに引き付けるためだったのである。

「国家基本問題」こそが、国民生活を守るための基本なのである。民主党が国防安保という「国家基本問題」で国民の支持を失いつつあるのは何とも皮肉である。ともかく、民主党政権が一日も早く瓦解することを祈るのみである。

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千駄木庵日乗五月二十六日

午前は、母のお世話。

午後は、知人と懇談。縄文文化のことなどを語り合う。

夕刻も、知人と懇談。最近の諸情勢について意見交換。

夜は、資料の整理など。

         ○

今日は父の病院に行くことができなかった。出来得る限り毎日行くことにしているのだが、どうしても無理な日がある。私が来ることを心待ちにしていることが痛いほどよく分かるので、そういう日は、夜になると何とも気分が憂鬱になる。父と私にとって、一日一日が大切な日々である。

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2010年5月26日 (水)

『楠公祭』に参列して思う

楠公精神とは、「七生報国」「一族勤皇」である。これは言うは易く行うは難い。しかし、この二つの精神を何時も心の底に保持し、出来得る限り、それに近づこうとする努力はしていかねばならない。

国史上、国民から尊敬されている人物を三人挙げるとするなら、楠木正成公・吉田松陰先生・西郷南洲先生の御三方である。この御三方に共通するのは、「権力を欲しなかった」「君国のために命を捧げられた」「現世的覇道的意味においては敗者であった」ということである。しかし、敗者ではあっても絶対的多数の人々から後々の世まで尊敬されている。日本民族が尊敬する生き様を示されたからである。湊川・江戸伝馬町・城山における最期は、盡忠報国の精神の実践であった。そして、その尊い魂は永遠に日本国民の中に生き続けている。『敗者の側に正義がある』という言葉は正しい。

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千駄木庵日乗五月二十五日

午前は、母のお世話。

午後は、病院に赴き、父に付き添う。

午後六時より、赤坂の乃木会館にて、『楠公祭』執行。国歌斉唱・祭詞奏上(祭主)・祈願詞奏上(犬塚哲爾氏)・「櫻井の訣別」斉唱・玉串奉奠・「海征かば」斉唱などが行われた。

この後、直会が行われ、多数の同志が意見発表を行った。

私がこのお祭りに初めて参加したのは、昭和四十年代でまだ二十代の頃であった。中村武彦先生をはじめ多くの諸先生諸先輩が御健在であった。列席者の殆どが私より年上であった。今はその多くの方々が幽明境を異にされている。まことにさみしい限りである。今日は、わたくしよりも年下の方々の方が圧倒的に多くなっている。先輩方の志を継承する人たちが増えているということなので、これは有難くも嬉しいことである。みんなで斉唱する『櫻井の訣別』は、戦前は小学校で教えられた歌である。戦後日本では教えられていない。わたくしも、このお祭りで教えられた。このこと一つとっても、日本という国がその本来の素晴らしさを失っていることが分かる。だからこそ鳩山のごとき愚か者が総理になり、小沢のごとき逆賊が最高権力者になるのである。

帰宅後は、書状執筆。

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2010年5月25日 (火)

『日韓併合』について

100605_121401_2 日韓併合以前の朝鮮は混乱の極にあった。朝鮮併合の翌年支那に辛亥革命が起こり清朝が滅亡している。李王朝は専制政治だった。勢道政治(一族政治)などの言葉も残っている。それが日本との併合によって安泰を得た。日韓併合前の朝鮮即ち李王朝政府は名のみのものであって、その実力は全く失われ、当時の朝鮮は独立国家の体をなしていなかった。

 日露戦後、韓国は「日韓協約」により我が国の保護国とされ、伊藤博文が初代統監に就任した。この「協約」締結に際しての伊藤博文の本心は韓国を名実伴う独立国にすることにあった。韓国皇太子・李王垠殿下は伊藤博文を追慕して「伊藤は『自分は今、韓国を立派な国に建て直すために懸命の努力を払っておりますが、殿下はやがて韓国の帝位にお就きになる方ですから、それに相応しい御修行にお励みになりますように』と常々申していた」と語った。

 しかしそうした伊藤公の真摯な心を韓国民は理解することができず、ついにハルピン駅頭において伊藤公は安重根の銃弾によって暗殺され、日韓併合の至る。

 日韓併合に対して、韓国側は「日帝三十六年の植民地支配」として非難攻撃しているが、日韓併合の精神は決して植民地支配ではなかったし、単なる領土拡張政策でもなかった。それは、明治四十三年八月二十九日の『韓国併合に付下し給へる詔書』に「民衆は直接朕が綏撫の下に立ちて其の康福を増進すべし産業及貿易は治平の下に顕著なる発達を見るに至るべし」と仰せられ、また、大正八年三月一日の独立運動事件の後に出された『総督府官制改革の詔書』に、「朕夙に朝鮮の康寧を以て念と為し其の民衆を愛撫すること一視同仁朕が臣民として秋毫の差異あることなく各其の所を得其の生に聊(やすん)じ斉しく休明の沢を享けしむることを期せり」と宣せられたところに示されている。

 わが國は、朝鮮、台湾、樺太を「外地」と呼ぶことはあったが、「植民地」と呼ぶことは政府によって排された。事実、民法、刑法を始め大半の法律は内地と同一内容で施行され、各種の開発や公共事業も進み、医療衛生制度や教育制度も整備され、内地の政府民間の負担も相当の額に達した。そして乱脈だった李朝末期の韓国社会を正し法治社会をもたらした。これは欧米列強の植民地支配・愚民政策・搾取行為とは全く異なるものであった。

日本統治時代に韓国に大きな投資を行ったために、韓国が惨めだった状況から一足飛びに近代化したことは歴史的真実である。日本が韓国統治において一方的な収奪したというのは大きく事実に反する。

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千駄木庵日乗五月二十四日

午前は、母のお世話。

昼は、知人と懇談。内外の諸情勢について意見交換。これまで何回かお会いしている元自衛官の方であるが、レンジャー部隊にいたことは今日まで全く知らなかった。空手の有段者であられることも今日初めて知った。「人は見かけによらぬもの」という言葉を想起した。

午後は、資料の整理。

この後、病院に赴き、父に付き添う。看護師さんより色々お話をうかがう。よくやっていただいているので感謝する。

父は『ズボンをはかせてくれ。家に帰る』と言う。何とも切ない。

帰宅後も資料の整理。原稿を書く予定にしている「東アジア共同体」及び「日韓併合百年」に関する資料を検索・整理している。

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2010年5月24日 (月)

祖国を危殆に瀕せしめる鳩山・小沢政権

米軍普天間飛行場の移設問題で、沖縄を再訪問した鳩山由紀夫首相は、仲井真弘多知事らとの会談で、公式に名護市辺野古キャンプ・シュワブ沿岸部への移設を求めた。昨年の総選挙における「最低でも県外」の公約を反古にしたばかりでなく、鳩山氏自身が作り上げた「世論」なるものに踊らされて、四苦八苦した上での結論がこれだ。

多くの沖縄県民の本音は「現行案支持」だったという。ところが鳩山首相の無責任発言で反米、反基地闘争グループが大義名分を得て活気づいた。そして偏向したメディアが「反基地」を扇動した。

そもそも鳩山は国民に「最低でも県外」などと耳触りの良いことを言ったことが、国家存立の基本である安全保障を危殆に陥れた原因である。今後、沖縄県において反基地闘争が大きく盛り上がるであろう。それは、反基地だけではなく、反米・反本土闘争になる危険もある。まことに危険な事態になって来た。その原因を作ったのは、鳩山政権である。

この問題について、小沢一郎が全く発言しないのは理解に苦しむ。党の幹事長なのだから、しっかりとした見解を示すべきである。

「井上順理先生・倉林和男先生を偲ぶ集い」で同席したある同志の方が、「昨日は、小沢の選挙区に行ってき糾弾の宣伝活動をしてきた。地元の人も我々の運動を支持してくれる人がいたが、取材に来たテレビ局に『絶対に顔を写さないでくれ』と言った。今時、これほどの恐怖政治が行われている所は無いのではないか。私は以前、小沢一郎を支持し、期待していた。彼の著書『日本改造計画』を読んで共感した。しかし、今の小沢一郎は、当時とは全く違ってしまった。特に韓国における発言は、韓国や民団に対するリップサービスなのか、それとも巷間言われているルーツについての噂が本当なのか分からないが、許し難い。」と語っていた。

私は、もう十数年前、小沢の評価についてこの同志の方と論争したことがある。かつての小沢ファンも今や反小沢の立場に立つ人がほとんどだ。当然である。

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千駄木庵日乗五月二十三日

午前は、母のお世話。

午後一時より、深川の富岡八幡宮にて、「井上順理先生・倉林和男先生を偲ぶ集い」開催。小林幸子二宮報徳会会長が開会の挨拶を行った。黙祷の後、発起人代表の板垣正元参院議員・湯澤貞元靖国神社宮司が挨拶。井上清香様が御遺族代表挨拶を行った。そして鈴木靖岳氏が朗詠を行った。田中舘貢橘氏の音頭で献杯を行い、相澤宏明・三輪和雄・村山實の各氏そして小生などが多くの方々が思い出を語った。倉林晶子様が御親族を代表して謝辞を述べ、森幸雄二宮報徳会事務局長が閉会の挨拶を行って終了した。

井上順理先生は、哲学者・教育学者であられる。小生が学生時代の母校の二松学舎大学の学長をしておられ色々教えていただいた支那学の泰斗・加藤常賢先生は、井上先生が広島文理大学に学ばれた頃の恩師であられた。小生の出している『政治文化情報』を購読して下さり、毎号のように感想のお手紙をいただいた。また、先生の御論考や御著書を送っていただいた。倉林和男先生は、航空自衛隊を空将補で退官され、その後『英霊にこたえる会』運営委員長として活躍された。気さくな方で、倉林先生の御人徳が多くの同志の団結に要であった。小生の父も自衛官であったので、なおさら親しくさせていただいた。

お二方とも、大東亜戦争を体験され、戦後の混乱期を生き抜き、祖国の真の再生のために挺身されて来られた。先輩方が次第にあの世に旅立たられることは本当に残念であり、さみしいかぎりである。明治生まれの方はもちろん、大正生まれの方すら少なくなってきた。

その分、後にのこされた者たちが、より一層奮闘していかねばならない。今日はそのことを深く思った。この会を催して下さった。二宮報徳会の小林・森両氏に深く感謝する。

帰宅後は、『政界往来』の連載原稿執筆・脱稿・送付。

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2010年5月23日 (日)

維新と和歌

明治天皇は、

「世の中のことあるときはみな人もまことの歌をよみいでにけり」

「天地をうごかすばかり言の葉のまことの道をきはめてしがな」

「まごころをうたひあげたる言の葉はひとたびきけばわすれざりけり」

と詠ませられている。

ところが徳川幕府が、皇室に対して規制的意味をもって制定した「禁中並びに公家諸法度」(別名「禁中方御条目十七箇条」)に「和歌は、光孝天皇より未だ絶えず、綺語たりの雖も、我が国の習俗なり。棄て置くべからず」などと記されている。

 

「綺語」とは、美しく表現した言葉といふ意味であると共に、仏教の「十悪」の一つで真実に反して飾り立てた言葉という意味である。徳川幕府の和歌といふ日本伝統文学に対する理解がいかに浅かったかを証明している言葉である。和歌は決して遊びごとでもないし単なる美辞麗句を連ねたものでもない。まさに「まごころをうたひあげたる言の葉」なのであり、「世の中のことあるときによみいでる」ものなのであり「天地をうごかす」力を持つものである。神代の昔に発生し日本の道統を継承する最高の文藝が和歌である。

『古今和歌集』仮名序(紀貫之)に「力も入れずして天地(あめつち)を動かし、目に見えぬ鬼神(おにがみ)をもあはれと思はせ、男女(をとこをんな)の中をも和(やは)らげ、猛(たけ)き武士(もののふ)の心をも慰むるは歌なり。」(力を入れないで天地を動かし、目に見えない鬼神をも感動させ、男女の間をも和ませ、猛々しい武士の心をも慰めるのが歌である)とある。

歌の語源は「訴える」である。物事に感動して何事かを訴えた声調・調べ(音律の調子を合わせ整えること)のある言葉を歌という。そしてそれは一定の形式と調べが自然にうまれた。五七五七七という形式である。

日本國民の草莽の心としての思想・精神とりわけ國體観念は、和歌によって表白せられ傳承されて来た。幕末維新期の志士の歌などを見てもそれは明白である。 

元寇・明治維新・大東亜戦争の時もそうであるが、我が國は國家的危機の時に、國民的な尊皇愛國の精神が燃え上がる。そしてそれ一體ものとして「まごころを歌ひあげる言の葉」としての和歌が勃興する。それが『萬葉集』であり、幕末維新の志士の歌であり、大東亜戦争で散華した英靈たちの歌である。和歌と日本的変革=維新とは切っても切れない関係にある。

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千駄木庵日乗五月二十二日

午前は、母のお世話。

この後、『政治文化情報』発送作業・完了・送付。購読者の皆様には週明けにお届けできると思います。

この後、病院に赴き、父に付き添う。昨日より意識ははっきりしている。詳しくは書くことができないが、父を見ていると本当に辛い。

前に入院していた病院の対応は本当に許し難いものがある。母の友人で、名横綱と言われ相撲界の超大物だった人の奥さん(故人)は、その病院のことを「あんな病院に入れると殺されるわよ」と酷評していたと母から聞いたが、間違ってはいなかった。そのことを聞いたのは、父が入院する大分前のことだったし、最初に救急車で運び込まれた病院がそこだったので、どうしようもなかった。今入院している病院への病状の伝達も十分ではなかった。まことに許し難い。

帰宅後は、資料の整理など。

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2010年5月22日 (土)

小沢と池田の共通点

宗教と政治が、人類の生活を守り救済して来たといわれる。しかし、これまで「正義」を主張し、「世紀末的危機」「終末」を煽り、そして「救済・革命」を説いてきた宗教運動や政治運動は、かえって闘争と殺戮を生んできた側面がある。政治面では、スターリンも毛沢東も金日成もポルポトも自分の主義主張が正義と信じ込み、國民全体にこれを強制し、自由を奪い、そして何百万何千万という人々を大量虐殺した。宗教面では、イスラム教・ユダヤ教・キリスト教の対立は、テロや戦争を生んでいる。九・一一同時多発テロ以後、『國家なき敵との宣戦布告なき戦争の時代』に入ったという。近年続発しているテロの根底には、宗教対立がある事は言うまでもない。宗教の歴史とは、宗派争いの歴史であると言っても過言ではない。

オスカー・ワイルド(一八五四~一九〇〇。イギリスの劇作家・小説家。世紀末文学の代表的作家で、芸術至上主義者。代表作に戯曲『サロメ』がある)に、「もっとも害を与える人は、もっとも善いことをしようと努めている人だ」という言葉がある。「自分の行っていることが正義だ」と信じ込み実行する勢力や個人が、殺戮を行い、世の中を暗黒にし、独裁政治を生み、國民から自由と繁栄を奪うという意味であろう。

自由で幸福な世の中とは、ある特定の人が唱える「正義」を絶対のものとして民衆に押しつける世の中ではない。独裁者は必ず「正義」を旗印として独裁政権を手に入れる。レーニン、スターリン、ヒトラー、毛沢東、カストロなどは皆そうだった。

真に正義を尊重し正義の実現を目指す人は、そしてそれが権力を持つ人であればなおさら、自由で柔軟で大らかな精神を持っていなければならない。正義や人間の幸福は法律や権力のみによって実現されるものではない。法律や権力のみによって実現された正義の世の中とはロボットが動く世の中と同じである。

「正義」の呪文を唱えながら、自由を否定する狂気は暗黒と専制の世の中をもたらす。それが一七八九年革命直後のロベスピエール独裁下のフランスであり、革命後の旧ソ連であり、共産支那であり、南北分断後の北朝鮮である。誤った宗教教義や政治思想の教条に支配されるのはまことに恐ろしい。

小沢一郎と池田大作の二人は、まさに独裁者の体質を持っている。排他独善の姿勢を貫き、少しでも自分に逆らったり、利用価値がなくなると、どんなに貢献し協力した人でも切り捨てる。小沢・池田の二人を普通一般の国民は嫌っている。しかるに、この二人が大きな影響力を持っている。まことに不思議であり困ったことである。

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千駄木庵日乗五月二十一日

午前は、母のお世話。

午後は、『政治文化情報』発送準備。

この後、病院に赴き、父に付き添う。うっすらと目を開けて、うなずいてくれる。額と胸に手を当てて、一日でも長生きしてくれること、そして苦しみが無いことを祈る。

帰宅後は、資料の整理など。

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2010年5月21日 (金)

千駄木庵日乗五月二十日

午前は、母のお世話。

午後一時半より、豊島区立千早地域文化創造館にて、『萬葉會』開催。小生が、大伴家持の越中の国司時代の歌を講義。質疑応答。

帰途、出席した同志の方と当面する諸課題について討議。

午後六時半より、入居しているマンションの管理組合の会合に出席。昨年までは両親か出席していたのだが、不可能になったため小生が出席することとなった。

帰宅後は、『政治文化情報』発送準備。

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最近読んだ本の池田大作批判に思う

最近購入した本に、池田大作氏の偽善性・見苦しさ・冷徹性が赤裸々に書かれていた。池田大作氏は、独裁者・偽善者としては当代一と言っていい。その独裁者ぶりは、旧ソ連のスターリン、共産支那の毛沢東、北朝鮮の金日成といい勝負である。違いは池田が、国家権力を全面的に掌握していないだけの話である。

『聖教新聞』は、池田大作の礼賛と、池田大作に反旗を翻した人物や集団に対する罵詈雑言しか載っていないと言って良いくらいの新聞である。「ある特定の人物を褒めちぎるにはどういう書き方をしたらいいか、ある特定の人物を痛めつけるにはどういう書き方をしたらいいか」ということを学ぶには、『聖教新聞』を読むのが一番いい。こういう新聞を毎日読んで洗脳されているのが創価学会員なのだ。

創価学会の歴史の改竄の凄まじい。これまでの学会の発展は全て池田に功績になっている。どんな功労者であっても、その人の功績が語られることはない。全て池田がやったことになっている。池田の先輩には、原島宏治・柏原ヤス・小泉隆・小平芳平・石田次男・龍年光・和泉覚・辻武寿など多くの功労者がいるのだが、その人たちを称賛し、功績が語られることは一切ない。

池田は色々な国や機関や学校から勲章や名誉学位をもらうのが大好きで、『聖教新聞』には連日そのことが報道される。ところが、創価学会や公明党の幹部が国から勲章をもらうことは事実上禁止している。もらった人間は、『聖教新聞』で批判される。竹入義勝氏が批判され裏切り者だと言われるのも、竹入氏が勲一等をもらったことがその一因であろう。

池田という人物は自分が絶対者であり、自分以外の人物が権威や名誉を与えられることを絶対に許さないのである。スターリン・毛沢東・金日成と全く同じで、典型的な独裁者体質を持っている。

池田を批判した人物に対して猛烈な迫害・非難攻撃をするばかりでなく、池田のために尽くした人物も使い捨てる。秋谷・北條という二人の会長経験者はその典型である。近年まで池田のお庭番と言われ事実上の創価学会渉外担当責任者であった人物も、今やその存在すら、忘れられようとしている。

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2010年5月20日 (木)

米田建三氏の講演と小生の感想

『水曜会・皐月の集い』において米田建三日本国民フォーラム会長は次のように語った。

「亀井静香は人相も悪いが性格も悪いのでどうにもならない。日本の政治は、戦後日本の脆弱な精神性が噴き出た。鳩山由紀夫がそれをはっきりさせた。大衆迎合と幼いヒューマニズムを振りかざし、衆愚政治を良しとした。国家の運命を語ることを避けて来た。平沼赳夫氏には、前回の選挙の時、新党結成を迫った。今回では遅かった。

子供手当は愚策。それよりも保育所を建てるべし。高校無償化で、大金持ちのドラ息子までタダにするのか。個別保障制度は農業を亡ぼす。一般企業が農業に参加しなければ駄目。それなのに『お金をもらえるから農地を返してくれ』と言う人が増えた。

普天間問題は、現行案で知事も了承していた。県民も国のためになるのなら仕方がないと思っていた。鳩山が県外と言ったので困ったのは沖縄県民。

国会議員の必修科目は、外交・防衛・教育。その他は地方に任せろ。日米同盟は必要。しかし今のままではいけない。わが國は攻撃力を持っていない。米国務省高官にイラク攻撃の時『バクダットと共に平壌も攻撃してくれ』と言ったら、『駄目』と言われた。アメリカは北朝鮮を叩かない。ユダヤ・イスラエル・中東の石油のためなら血を流す。

自衛の目的を達成するためには攻撃力が必要。安倍晋三氏に『憲法は自衛権を否定していない。集団的自衛権を認める。九条の解釈を変える、と言うべきだ。法制局長官が反対したら罷免すべし』と進言したが実行しなかった。

消費税をアップして医療と教育を充実すれば貧乏な人々のためになる。消費税を上げても金持ちは買い物をする。

郵政制度・医療の普及・鉄道の普及が日本近代成功の原因。官僚叩きは幼いヒューマニズム・大衆迎合の表れ。ジェラシーに火をつけている。優秀な人はどんどん働いてもらうべし。天下り反対もおかしい。死ぬまで働かせればいい。貧しい若者が国会議員に当選しても、東京に家が持てないということがあってはならない。河村たかしの議員宿舎不要論はおかしい。小沢一郎が一人で儲けて、みんなが貧乏している。陳情は金儲けになる。」と語った。

         ○

「幼いヒューマニズムと大衆迎合が日本をおかしくした」という意見は全く同感である。この二つを煽っているのが、メティアだ。その上で踊っているのが民主党政権である。仕分けとか官僚叩きはその典型である。

今朝のテレ朝のワイドショーで出演者三人が「核兵器は攻撃兵器だから、防衛のためということを理由にして持ってはならない」ということを言っていた。この人たちは『核抑止力』ということを知らないのである。米ソが本格的な核戦争をしなかったのは、核抑止力が働いたからである。また、「攻撃は最高の防御」という言葉もある。核攻撃される前にこちらから攻撃することによって、核攻撃を防ぐことができるのだ。こんな簡単なことが分からないのが『幼いヒューにズム』の持ち主たちなのである。

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千駄木庵日乗五月十九日

午前は、母のお世話。

午後一時半より、三田にて開かれた会合にてスピーチ。共産支那と北朝鮮、そして鳩山・小沢両名を糾弾した。

この後、病院に赴き父に付き添う。少し熱がある。

午後六時より、平河町の都道府県会館にて『水曜会・皐月の集い』開催。篠宮良幸氏が司会。米田建三日本国民フォーラム会長・朱文清台北駐日文化代表処広報部長が講演。質疑応答、懇親。

帰宅後は、明日の『萬葉會』における講義の準備。

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2010年5月19日 (水)

明治維新の精神と現代

和辻哲郎氏は、「明治維新は尊皇攘夷という形に現わされた国民的自覚によって行われたが、この国民的自覚は日本を神国とする神話の精神の復興にもとづき、この復興は氏神の氏神たる伊勢神宮の崇拝に根ざしている。原始社会における宗教的な全体性把捉が高度文化の時代になお社会変革の動力となり得たというような現象は、実際、世界に類がないのである。」「(註・明治維新で)封建制度は再び顛覆せられた。中央集権的国家は再び形成せられた。永い封建制度の間を通じて権力なき権威であった天皇の権威は、依然として将軍の権力よりも上にあり、依然として国民の全体性を表現するものである、ということが明白に示された。原始的な信仰は決して死んではいなかった。(『風土』)と論じておられる。

祖先神たる天照大御神は神として神社に祭られると共に、天皇がその地上におけるご代理としての役目を果たされた。

日本民族精神の基礎となるものは、天皇中心の國體を護持する精神である。日本國民の國を愛する心の特質は、「尊皇攘夷」「尊皇愛國」といふように萬邦無比といわれる日本國體の精神即ち天皇尊崇の心と一体であるところにある。

日本の民族意識・日本ナショナリズムの基礎は、一君万民の共同体即ち天皇中心の國體を護持する精神である。民族主義・愛國心・ナショナリズムは、天皇中心の歴史意識と不離一体である。日本民族の歴史を我々一人一人の精神の中で甦らせて、自己の倫理観・道義感の基本に置くことによって日本民族の意識・ナショナリズムが形成される。

日本ナショナリズムの基礎にはわが國の古代からの伝統精神への回帰があった。これを復古即革新という。日本人における愛國心は、日本人一人一人が静かに抱き継承してきた天皇を尊崇し日本の自然を慈しむごく自然な心である。「恋闕心」(「みかどべ」を恋ふる心)であり「麗しき山河即ち自然を慈しむ心」である。どちらも「愛」の極致である。

皇室は、神代以来の悠久の歴史を有する。明治維新前夜の國家的危機に際して、日本民族は自然に、日本國家・民族としての一體感・運命共同意識中心に古代からの國家の統一者である天皇を仰ぎ國内的統一を達成して國を救わんとしたのである。國民の同胞意識・連帯感、そして外敵に抗するナショナリズムの中心には天皇を仰いだのである。徳川幕府を打倒し天皇中心の日本國本来の在り方に回帰する変革即ち明治維新によって日本は國難を打開したのである。

現代における維新も、基本原理は全く変わらない。国内の反国体勢力を一掃し、天皇帰一の國體を明らかにして、外圧の危機を打開しなければならない。

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千駄木庵日乗五月十八日

午前は、母のお世話。

午後は、資料の整理など。

この後、病院に赴き、父に付き添う。医師の方に父の病状について懇切なお話をうかがう。

帰宅後は、『政治文化情報』発送準備など。

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2010年5月18日 (火)

盗人猛々しいとは共産支那のことである

共産支那は、わが国に対して「侵略国家だ」と非難するが、東アジア近現代史における最大の侵略国家は支那である。清帝国は、東トルキスタン(新疆ウイグル)、チベットなど周辺諸民族を侵略、征服、蹂躙した。

「中華人民共和国」=共産支那は、清帝国が侵略によって獲得した領土をそのまま継承するのみならず、さらに領土拡大とアジア支配を目論んでいる。共産支那建国以来、十七回も対外戦争あるいは武力行使を行った。「朝鮮戦争」・「ベトナム戦争」・「中印戦争」・「チベット侵略」・「中ソ国境紛争」・「中越戦争」などである。

共産支那は、「改革開放路線」と共に、「富国強兵」路線をとり、軍拡を続けて来た。この名称は明治維新後におけるわが國の国策の猿真似である。(内実は全く違うことは言うまでもないが)なぜ共産支那は、軍拡を行う必要があるのか。「富国」はともかく「強兵」を行う必要があるのか。今日、世界においてもアジアにおいても、支那を武力攻撃しようとしている国などは存在しない。支那の軍拡は、日本及び台湾への侵略を目論んでいるからである。

かつて共産支那は理不尽にも、「ベトナムは小覇権主義国家だから懲罰する」とか言って、武力侵攻を行った。それと同じように、状況が整えば「台湾を取り戻す」「解放する」と言って台湾を、「歴史問題で反省謝罪が足りない日本を懲罰する」とか言って、台湾とわが国に対して軍事侵攻を行う危険性が高い。

一九九二年には、「中華人民共和国領海法及び接続水域法」とやらを制定し、東シナ海の尖閣諸島から南シナ海の島々まですべて支那の領海だと勝手に決めてしまった。日本、韓国、台湾、アセアン諸国と係争中の東シナ海、南シナ海の大陸棚、西沙諸島、南沙諸島の領有を、一方的に宣言した。とりわけ許し難いのは、わが国固有の領土たる尖閣諸島の領有をも一方的に宣言したことだ。

共産支那は、「大躍進政策」の経済失敗で二千万以上の餓死者を出し、文化大革命では五千万以上の自国民を殺戮した。世界中で共産支那ほど軍国主義国家はないし専制独裁国家はない。

これに対し、わが国は戦後ただの一回も対外戦争を行っていない。世界中で日本ほど平和国家はないし自由民主国家もない。過去数千年にわたりアジアを侵略しこれからも侵略しようとしている支那にはわが国を軍国主義国家・侵略国家呼ばわりする資格は毛筋の横幅ほどもないのである。「盗人猛々しい」とは共産支那の事である。わが国国民はこの事を先ずもって認識しなければならない。

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千駄木庵日乗五月十七日

午前は、母のお世話。

午後は、新宿にて、同志と懇談。当面する諸問題について意見交換。

帰宅後は、資料の整理など。

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2010年5月17日 (月)

川村純彦元海将補の講演を聞いて

『台湾研究フォーラム定例会』において川村純彦元海将補は次のように語った。

「中国は独裁国家であり、法治国家ではない。十三億の国民を持って発展し続けている。『後発国家だ』と言っている。後発国家は既存の秩序を壊していくほかはない。現状打破勢力。内陸部はロシア・インドに接していてこれ以上国境を広げられない。出るところは海しかない。中国は二十一世紀前半の最大の災厄になる。無理に無理を重ねる。軍拡は中国共産党が崩壊するまで続く。そのために出るところは海しかない。

毛沢東は敵を中に引き込んで人民の海の中で殲滅するという人民戦争論を唱えた。一九七九年の『懲罰を加える』と言って行なったベトナム侵攻で返り討ちに遭いほうほうの体で逃げて来た。そこで鄧小平は『近海積極防衛戦略』と言う新しい戦略を立てた。第一列島線で徹底的な守りを固める戦略。この目標は達成した。米第七艦隊もうっかり入って行けない状況になりつつある。四月に出てきた中国艦隊は第二列島線の防衛を行うため。日米関係が悪くなった時期に出て来た。新華社は『軍事訓練のほかに、宣伝線・心理戦・法律戦の三つをやった』と言った。

中国の『領海法』は国内法であり国際的効果なし。しかし、尖閣も台湾も中国の領土だと繰り返し主張し、心理的に屈服させようとしている。

中国は『沖の鳥島は岩礁だから、二百カイリの排他的経済水域は発生しない』と言っている。南シナ海では、岩礁の上に掘立小屋を作り中国の領土だと言っている。南シナ海は中国の海になってしまった。アキノ大統領の時に米軍の駐留を認めなくしたら、その翌年にフィリッピンが領有権を主張していた岩礁穂奪った。第二列島線の内側に沖ノ鳥島がある。

後発国家である中国はまともな戦略では戦えない。だから潜水艦を重視している。そして弾道ミサイルを使って米空母を攻撃しようとしている。東風二一号が届く距離は第二防衛線まで。日本攻撃にも都合が良い。中国海軍は台独阻止・第一列島線の防衛・海洋権益の防衛を任務としている。日本は尖閣に巡視船しか配備していない。海上保安庁は国内治安維持が任務。政府は自衛隊を使わない。

中国のエネルギー資源は中東から運搬する。中国の海上運搬手段は、日本の自衛隊によって何時でも止めることができる。アメリカから『中国の全都市を核兵器によって破壊する』と言われれば中国はどうしようもない。中国はチンケな空母を造っている。この空母では第一列島線の外には出ることができない。潜水艦に頼ろうとしている。中国の空母と潜水艦のレベルは低い。有事に中国の潜水艦が出てきたら、海上自衛隊に追い回される。海上での補給能力なし。有事になって出てくることができるような海軍ではない。わが国の潜水艦への攻撃能力なし。日本は世界第二位の潜水艦能力を持つ。中国に外洋行動能力は殆どない。

台湾に対して、ミサイル攻撃と空爆をやれば台湾が手を挙げる可能性あり、封鎖もできる。特殊部隊の潜入もできる。しかし、核攻撃も空爆も成功しない。封鎖も台湾の東側の海域では出来ない。台湾武力侵攻は百万の兵力が必要。どうやって運ぶのか。補給路を断たれたら終わり。

中国の最終的狙いはアジア太平洋での覇権。日米合同訓練を東シナ海・南シナ海で行うべし。対潜水艦作戦や上陸阻止訓練をすべし。集団的自衛権行使を示すだけで大変な抑止力になる。機密保護法の無い国は一流国家とは言えない。尖閣に自衛隊の部隊を配備すべし。『國體』『安保』『国防』という三本の柱しっかり立てなければならない。」と語った。

           ○

まことに胸のすくような講演であった。また、勉強になった。あまり支那を恐れてしまってはならない。しかし、油断してはならない。ともかく、アメリカとの軍事同盟を強化しつつ、自主防衛体制をしっかりと確立すべきである。そのためには、沖縄県民には大いに協力してもらわねばならない。これは、犠牲にするとか、差別するということではない、地理的・地政学的にどうしようもないことなのである。また、尖閣に自衛隊基地を早急に建設するべきである。社民という侵略国家の手先のような政党と連立を組んでいる民主党を一刻も早く政権から放逐すべきである。『國體』『安保』『国防』という三つの柱を根底から脅かす民主党政権を打倒しなければならない。

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千駄木庵日乗五月十六日

午前は、母のお世話。

午後は、諸雑務。

この後、病院に赴き、父に付き添う。看護師さんや介護の方が良くしてくれるので助かる。父も私が行くと大変喜んでくれる。

午後六時より、春日の文京区民センターにて、『台湾研究フォーラム定例会』開催。永山代表が挨拶。川村純彦元海将補が講演。質疑応答。

帰宅後は、書状執筆。

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2010年5月16日 (日)

支那の侵略策謀と歴史問題

共産支那の語る歴史にいかにウソが多いかは、毛沢東の葬儀の写真を見れば一目瞭然である。喪主として参列していた江青やその子分たちの姿が消されてしまっている。歴史の改ざんは共産支那のお家芸である。共産支那では歴史は政治の道具なのであり、外交の手段であり、さらに言えば自己正当化のためのでっち上げであり、プロパガンダである。支那大陸にはそういう歴史教育を受けた若者が陸続と育っているのである。わが国にとって大変な脅威である。また、中華帝国主義のアジアにおける覇権確立のためにアジアのみならず地球的規模で日本を悪者にしてその影響力を弱めるようとしているのだ。外交上・政治上の戦略としての反日であり歴史問題なのである。

支那に対して敵対感情を煽るべきではないとか、感情的なナショナリズムに結び付けて相互の反発を拡大さいさせるべきではない、冷静な対応をすべきだなどという意見がある。

しかし、国家的規模でわが國に対して敵対感情・感情的なナショナリズムを煽っているのは、共産支那である。

共産主義の有効性がすでに過去のものとなった今日、共産党一党独裁の「中華人民共和国体制」を存立させるには、反日イデオロギーを国民に吹き込むしか方法がないのである。わが國が「日中国交樹立」以来行ってきた莫大な対支那経済援助については自国民に一切教えない。わが国政府もまた、わが国国民に情報公開を行っていない。

共産支那政府は、南京問題や七三一部隊問題などの「歴史問題」を利用して、日本を悪者に仕立て上げ、自国民を被害者にして、国内に過激なナショナリズムと反日イデオロギーとを煽っている。

そして、領土領海の侵犯・沖縄尖閣諸島への侵略策謀などを展開している。日本に不法入国し、凶悪な犯罪を起している支那人たちの心理には、侵略国家日本・自分たちの祖先を苦しめた日本人たちに対する報復感情があるのではないか。わが日本および日本国民は共産支那にたいして毅然として姿勢で臨まねばならない。

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千駄木庵日乗五月十五日

午前は、母のお世話。介護の方と共なり。

午後は、原稿執筆及び今夜の講演の準備。

午後六時より、春日の文京区民センターにて、『日本の心を学ぶ会』開催。小生が「尊皇攘夷の精神」と題して講演。

終了後懇親会。

帰宅後は、『政治文化情報』の原稿脱稿・送付。

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2010年5月15日 (土)

今こそ和歌の復興を

明治維新断行後、近代日本は堂々の歩みを開始したのであるが、やがて東亜解放の大義を掲げて大東亜戦争を戦うこととなる。この戦争は有史以来未曾有の国難であった。「一億一心火の玉だ」という言葉があったように、従軍兵士のみならず国民全てが参加して戦った。そして大いに「国を愛する心」の歌が歌われた。専門歌人の歌よりも戦線に赴いた軍人兵士たちの歌や一般国民が口ずさんだ戦時歌謡・軍歌に胸を打つ「国を愛する歌」が多い。

昭和二十年(一九四五)六月二十三日未明、沖縄第三十二軍司令官として摩文仁岳にて自刃した牛島満陸軍大将の辞世歌。

 

「矢彈(やだま)盡き天地染めて散るとても魂がへり魂がへりつゝ皇國(みくに)護らむ」

さらに昭和二十三年十二月二十三日、東京巣鴨拘置所にて絞首刑に処せられた東條英機元総理は、

「たとへ身は千々にさくとも及ばじな栄えし御世を墮せし罪は」             

という歌をのこし、さらに

「苔のした待たるゝ菊の花ざかり」

という句をのこした。どちらもすでに身を国に捧げつつも死してなお国家(皇國・御世)の行く末を思う真心が切々と歌われている。

 

「腕をたたいて遥かな空を/仰ぐ眸に雲が飛ぶ/遠く祖国をはなれ来て/しみじみ知った祖国愛/友よ来て見よあの雲を」

藤田まさと作詞大村能章作曲『麦と兵隊』の一節である。東海林太郎が歌って大ヒットし長く兵士や庶民によって歌われ続けた軍歌である。ここにあらわれているのは祖国のために外地へ行った時にこそ祖国への愛がしみじみと生まれてくるという実感である。遠い『萬葉』の昔にも遣唐使たちがそういう歌を詠んでいる。 

愛国尊皇の心を張りつめた精神で歌う時、やはり日本伝統の文学形式即ち和歌で表現されることが多かった。漢詩にもすぐれたものもあるが、

和歌が日本人の真心を表現するのに最も適した文芸であるからである。

今日の日本はまさしく亡国の危機に瀕している。今こそ、その危機を脱出する方途として、単に政治体制の革新のみではなく、国民精神の革新・日本の伝統精神の復興を期さなければならない。そしてその中核が祖国への愛・至尊への恋闕の思い歌いあげる和歌の復興なのである。

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千駄木庵日乗五月十四日

午前は、母のお世話。

午後は、『政治文化情報』の原稿執筆。

この後、病院に赴き父に付き添う。今日は意識がややはっきりしていて、私の手を両手で握りしめる。少し語り合う。

夕刻、湯島にて地元の先輩と懇談。

帰宅後も、原稿執筆。

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2010年5月14日 (金)

外来文化受容と国粋精神

日本伝統信仰たる神道の神官が日本思想史・文学史において占める位置は大きい。賀茂真淵・吉田兼好・鴨長明がその代表的人物である。しかも兼好や長明は仏教の影響も強く受けていた。神道が排他的ではない証拠である。日本の神を祭る人は実に寛容にして大らかであった。これが日本文化そのものの包容性の原点であったと思われる。国粋精神を謳歌した学者たちにおいても、外国文化受容に対して積極的だった。しかし、外来文化受容の根底にある伝統精神は極めて強靭であった。

例えば、平安前期・宇多天皇の御代の右大臣・菅原道真は優れた漢学者であり法華経の学者でもあった。言わば外来の最高の学問を身に付けた人であった。その道真が編纂した歴史書『類聚国史』(二百巻)は神祇・帝王のことが冒頭に記されていて、仏教のことについては外国関係のものとしてはるか後ろの方に輯録されているという。道真はまた遣唐使の廃止を建言した人物でもある。日本の伝統を重んじる精神があったればこそ外国文化を正しく学び自己のものとすることができたのである。道真はまさに主体性と開放性とを併せ有する日本文化のあり方を体現した人物であったと言える。

徳川初期の儒学者・兵学者である山鹿素行は、日本の皇統の正統性と政治の理想が古代において実現されていたと論じた『中朝事実』という歴史書を著した。これは日本の特質を儒教思想によって論じている。「中朝」とは世界の中心に位置する朝廷の意で、日本は神国であり天皇は神種であるとの意見が開陳されている。支那は自国を「中華・中国・中朝」とし、外国をことごとく野蛮な国と断じていた。素行は、その「中華・中国・中朝」は実に日本であるとして、書名を「中朝事実」としたのである。つまり国粋思想を支那の学問を借りて論じたのである。

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千駄木庵日乗五月十三日

午前は、母のお世話。医師の往診があり、付き添う。

午後は、病院に赴き、父に付き添う。看護師と病状について相談。

帰宅後は、『政治文化情報』の原稿執筆。

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2010年5月13日 (木)

日本伝統精神の本質と使命

大川周明氏は、「(日本精神・大和魂の最も著しい特徴は・注)綜合の精神、統一の精神、包容の精神であります。己を失はずして他を採り入れ、古きを失はずして新しきを採り入れ、すべての思想文化を具体的なる日本国民の生活の上に、それぞれの意義と価値とを発揮させてきた日本精神は、東洋の綜合的精神の生きた姿である」(『新東洋精神』)と論じてゐる。

今日の求められてゐる民族主義は、民族の伝統に回帰することによってその民族が幸福になるのみならず、世界の平和実件に寄与するといふ理想がなければならない。日本民族精神による世界平和確立への貢献が求められている。

日本建国の精神は世界平和の思想(八絋為宇・万邦共栄の精神)である。決して排他独善の精神ではない。大川氏が言われるように、包容の精神である。日本民族は、外来の諸文化・文明を包容し、包摂し、より高度なものとして来た。日本民族の包容性の中核に強靭なる日本傳統精神がある。

日本民族の中核精神たる日本国体精神は、覇権覇道闘争の精神ではなく、米作りといふ絶対に平和的な人間の生産活動よといふのが、日本天皇が神から授かった御使命である。我等日本人はこの精神を発展させて、いよいよ混迷を深める真の全世界の安定と繁栄の実現のために貢献すべきである。それが即ち「この漂へる國を修理固成(つくりかためな) せ」との御神勅を奉行することなのである。

日本伝統精神を世界に発展させて、混迷せる現代世界を救済する役目をわが日本は背負ってゐる。日本伝統信仰の精神が世界の國と民を永遠の平和と幸福に導く道である。日本人が古来抱いて来た自然の中に神の命を観るといふ信仰精神を回復しなければならない。

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千駄木庵日乗五月十二日

午前は、母のお世話。

午後一時、西日暮里にて、五月十五日土曜日午後六時より、春日の文京区民センターにて開かれる「日本の心を学ぶ会・第一回勉強会」の打ち合わせ。この勉強会では小生が、「尊皇攘夷の精神と現代」について講義をする。聞いてみたいと思われる方、関心のある方はどうぞご出席くださいませ。

その後、病院に赴き父に付き添う。医師に病状について話をうかがう。

午後六時半より、豊島区立駒込地域文化創造館にて「萬葉古代史研究会」開催。小生が、『萬葉集』防人の歌を講義。

帰宅後は、「政治文化情報」の原稿執筆など。

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2010年5月12日 (水)

今こそ『尊皇攘夷の精神』を興起すべし

吉田松陰門下の髙杉東行(晋作)は「攘夷の第一策は則ち天下の人心を一にするに在り、天下の人心一なれば、則ち百万の醜虜も懼るるに足らず」(『送田中子復序』)と論じ、平野國臣は「天下を一にするは、王室を尊ぶより善きはなし」(『尊攘英断録』)と論じ、真木和泉守は「我をして夷を攘はんとせば則ち宜しく尊王より始むべし」(『道弁』)と述べた。

天皇中心の國體を正しく開顕し、天皇を國家の中心に仰いでこそ、日本國の主體性は確立され、外國の侵略を撃退し祖國の独立を維持することができる。事実、明治維新断行後、天皇を統治者として仰ぎつつ、封建的身分制度は廃止され、廃藩置県によって統一國家が建設され、帝國憲法の発布・議会政治が開始された。そしてわが国は、欧米列強の支配下に置かれるといふ事態を回避し、独立を維持した。

今日の日本も幕末当時と同じやうに、内憂外患交々来るといった状況になってゐる。対外的には、教科書問題・靖國問題・領土領海問題・歴史問題など、支那や北朝鮮から内政干渉と軍事的恫喝と侮りを受け、領土領海は侵され、國家としての自主独立性は失はれてゐる。対内的には、「外国人への地方参政権付与」「夫婦別姓」などの亡国的政策、売國政治家の跳梁跋扈、教育荒廃、経済の停滞等々、文字通り内憂外患交々来たるといった状況である。政治家は与野党を問はず正しき國家の進路を指し示す事ができない。特に許し難いのは、國家基本問題・歴史問題で外國からの内政干渉と追随し結託して祖國を内部から脅かす売國政治家・偏向マスコミの存在である。

内憂外患を除去するために、明治維新の精神に回帰し、明治維新と同じやうに、日本的変革の原理たる「天皇中心の國體の明徴化」の理念を基本とした大変革即ち平成維新を断行しなければならない。

民主党政権は、明治維新以来の大変革を行ふと言ってゐたが、「尊皇攘夷」の精神が確立せずして、真の維新が出来るはずがない。むしろ、日本國體を破壊せんとし、祖国日本の独立を危うくしてゐるのが、民主党政権である。

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千駄木庵日乗五月十一日

昼は、知人と懇談。

午後は、「政治文化情報」原稿執筆。

午後六時より、『九段下沙龍』開催。同志諸氏と当面する諸課題について討議。さらに、皇居清掃奉仕に参加した同志が、貴重な体験について語った。

帰宅後も、原稿執筆。

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2010年5月11日 (火)

谷亮子さんの民主党からの立候補に思う

谷亮子さんが夏の参議院選挙の比例区に民主党から立候補するという。「溺れる者は藁をもつかむ」という言葉を思い出した。数々の失策や公約違反そして政治と金の問題で支持率が低下し、鳩山・小沢の辞任を求める声が日増しに高くなっている民主党が、いわゆる「著名人」「有名人」「マスコミに売れている人」を候補者にすることによって、何とか危機を乗り越えようとしているのだ。みっともないの一語に尽きる。国政選挙は人気投票ではない。また政治とは選挙のためにあるのではない。国政の過ちをポピュリズムで乗り切ろうとする姿勢も全く間違っているし、国民を愚弄するものである。またそんなことに利用される谷亮子さんも気の毒だ。(本人はそういう自覚は全くなく議員になりたいのだろうが)

谷さんは、議員に当選しても、現役の柔道選手として次のオリンピックを目指すという。また、主婦でもあり、母親でもある。一人四役をこなそうというのである。とても無理なのではないか。プロ野球の現役選手や相撲の現役力士が国会議員になるのとあまり変わらない。政治とスポーツ両方を愚弄しているともいえる。

小沢氏は、記者会見で、「選挙に対するメディアの予測は外れる。また外れるように努力したい」という意味のことを言った。支持率の低下は予測ではない。現実である。鳩山・小沢両氏に対する批判も、現実なのだ。それが分からないというか、分かっていても、詭弁を弄する小沢という人物は全くおかしい。鉄面皮という言葉はこの人のためにある。

考えてみれば、亡国的政策を実行しつつある民主党政権をつぶすには、このまま鳩山氏が総理であり続け、小沢氏が幹事長であり続けた方が良いのかもしれない。

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千駄木庵日乗五月十日

午前は、母のお世話。

午後は、諸雑務。

この後、病院に赴き、父に付き添う。点滴を受けていた。息子が来たのが分かり嬉しそうな表情をする。涙が出る。看護師さんにお話をうかがう。

帰宅後は、「政治文化情報」の原稿執筆及び「日本の心を学ぶ会」における講演の準備。

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2010年5月10日 (月)

鳩山は百年に一度出るか出ないかの愚かな総理

鳩山政権成立後間もなくの昨年九月四日の小生のブログ「千駄木庵日乗」に次のようなことを書いた。

「鳩山氏の『故人献金問題』で立件の動きがあるという。また小沢秘書の公判も開かれる。三党連立もうまくいくかどうかわからない。第一、民主党自体が寄り合い所帯である。私は遠からず民主党政権に混乱が起こると思う。民主党政権がどうなろうと構わないが、政治の混乱が日本の亡国・沈没につながることを恐れる。」

この予測通りの事態になっている。民社国連立政権が、どんなに混乱しようと知ったことではない。しかし、日本国存立そして国民生活存立の基盤である国防・安保が迷走することは断じて許し難い。

小沢という人は昔から嫌いだったし、国家を危うくする人間だと思っていたが、鳩山がこれほどひどいとは思わなかった。鳩山というのは単なる馬鹿である。それは鳩山自身も認めていて「愚かかもしれない」と言った。しかし「かもしれない」ではなく愚かなのだ。あまり他人を罵倒したくしないが本当にそう思う。

沖縄に駐留する米海兵隊の役割の重要性を「勉強して分かった」などと言ったのには、まったく開いた口がふさがらない。そんな大事なことを勉強もせずに、「最低でも県外」などと公約したのだ。しかもその発言は「公約ではなかった」と言い訳した。選挙における党首の発言が公約ではないなどということは絶対にあり得ない。今に「五月末決着も公約ではなかった」と言い出すかもしれない。

鳩山は小沢のことを「百年に一度出るか出ないかの政治家」と褒めそやした。私に言わせれば、「鳩山は百年に一度出るか出ないかの馬鹿な総理」であり、「小沢は百年に一度で出るか出ないかの國賊政治家」である。

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千駄木庵日乗五月九日

午前は、母のお世話。

午後一時より、靖国神社境内の靖国会館にて、『日下部英夫氏を偲ぶ会』開催。同志多数が参集。境内の新緑が美しかった。すっかり初夏である。

この後、病院に赴き、父に付き添う。帰宅後は、『政治文化情報』原稿執筆の準備、及び今月十五日に行われる『日本の心を学ぶ会』における講義の準備。

今週は連日、会合や行事などがあり、忙しくなりそうである。

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2010年5月 9日 (日)

本多周爾氏の講演を聞いて

『日台関係研究会』における本多周爾武蔵野学院大学教授の講演で印象に残ったことを記す。

「台湾はメディアの圧力で民主化されたのではない。民主主義・自由の証しはプレスの自由。今の台湾には健全なジャーナリズムがある。

メディアには、『中華民国化』と『台湾化』という二つの流れがある。国民党政治の正当化とあらゆる面での中国化が『中華民国化』。政治・文化・言語などで台湾の独自性を守り発揮させるのが『台湾化』。台湾のメディアは、この二つの影響を受け揺れ動いて来た。民衆の意識も同じ。

テレビにはもともと台湾電視台・中国電子台・中華電視台の三つがあった。『三台』と言われた。三つとも国民党による『中華民国化』のためのメディア。民間放送の形ではあるが、国民党・軍・教育部などが握っていた。民間放送の形の方が、民間から資金調達がしやすいし、日本からの技術援助も受けやすかった。広告料も入る。当時の中華民国は、『大陸反攻』『反共政策』だった。アメリカの援助を期待していた。民主的で自由な社会であるとアメリカにアピールしたかった。

この『三台』は、政治批判は殆どしなかった。面白くない番組が多く、視聴者の『三台』離れが起きた。第四台が登場した。非合法のケーブルテレビ。党外人士といわれた今の民進党系列の人々がケーブルテレビを利用。ケーブルテレビは六百以上出来た。行政院新聞局が監督機関。収拾も出来ず、放置も出来ないので、『有線電視法』が制定された。財閥系の買収による市場の寡占化が進んだ。

一九九七年に民進党系のテレビ局が登場。テレビ分野での党国体制の崩壊を意味した。多チャンネル化は民主化を発展させた。国民党政権は、紙の規制で新聞を統制してきた。事業免許の入り口規制で参入が限られた。総統・国民党政府批判は禁じられ、大陸の共産党称賛も禁じられた。新聞社内に国民党部を作った。『聯合報』と『中国時報』の寡占化が起こった。新聞は政治を報道しない。『民は知らしむべからず、由らしむべし』であった。しかし民衆はしたたかで、口コミや噂で色々な情報を入手した。

独立志向の『自由時報』が登場した。社長の呉阿明さんは『私は皇民です』という。中国は危なくなっている。封じ込めた方が良い。日本にとって台湾はカウンターパートとして重要。国民党は本当に統一を考えているのか。香港は中国に取り込まれた。台湾が仮に中国になったら台湾海峡は中国の内海になる。日本にとって死活問題。」         

  ○

タイの暴動は共産支那の工作があるという説がある。台湾においても、共産支那の破壊工作というか、侵略併吞工作が行われているに違いない。台湾人の中に反日運動を行う連中が出て来たのはそういう工作の結果であると思う。共産支那に協力しその手先となった国民党統一派は、蒋介石の遺言である「反共救国」「光復大陸国土」「堅守民主陣容」を忘却したか無視している。

共産支那とそれに協力する国民党統一派がメティアなどを利用して、尖閣問題・靖国神社・歴史問題などで、反日を煽っている。われわれは台湾内部の動向に十分注意しなければならない。そして台湾独立を支持し、台湾との友好関係をより一層強めねばならない。

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千駄木庵日乗五月八日

朝、母のお世話。

午前は、『大吼』連載原稿脱稿・送付。

午後二時より、渋谷道玄坂のフォーラム・エイトにて、『日台関係研究会』開催。本多周爾武蔵野学院大学教授が「台湾のメディア状況」と題して講演。終了後懇親会。

この後、病院に赴き、父に付き添う。

帰宅後は、『萬葉古代史研究会』における講義の準備。

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2010年5月 8日 (土)

鳩山・小沢・山岡は政治家の資格なし

鳩山由紀夫首相は四日、米軍普天間飛行場の移設問題に関し「昨年の衆院選当時は、海兵隊が抑止力として沖縄に存在しなければならないとは思っていなかった。学べば学ぶほど(海兵隊の各部隊が)連携し抑止力を維持していることが分かった」と記者団に述べた。また、昨年の衆院選で沖縄県外、国外移設を主張したことについて「自身の発言に重みを感じている」とも語った。

民主党の山岡賢次国対委員長は六日、党本部で開かれた「女性議員ネットワーク会議」の総会であいさつし、米軍普天間飛行場移設問題について「直接国民生活に影響しない。地方にいくと、普天間というのは何か雲の上のお話だ」と発言した。これに対し、会合に出席していた沖縄県糸満市の女性市議が「普天間問題は生活を破壊される大きな問題だ」と抗議。山岡氏は「本質的に沖縄の負担を減らしていかなければならない」と謝罪し、発言を撤回した。

小沢一郎は、昨年二月二十四日、奈良県香芝市内で記者団に「この時代に米国が前線に部隊を置いておく意味が米国(にとって)もない。(米海軍横須賀基地を拠点とする)第七艦隊で極東におけるプレゼンスは十分だ」と語った。

鳩山・山岡・小沢三人の言動は、民主党政権がいかに駄目かを如実に証明するものである。国家防衛・安全保障に対する姿勢・認識が基本的に欠けている。

そもそも鳩山は国民に『最低でも県外』などと耳触りの良いことを言って、沖縄県民をだまくらかしたのだ。基地問題・安保問題は、雲の上の話などという認識を持つこと自体、山岡は政治家失格である。第七艦隊だけで日本及び東アジアの安全が保てるわけがないことは、最近の共産支那の軍事的攻勢を見れば火を見るよりも明らかだ。小沢も政治家失格である。

民主党は、『生活第一』と言って来たが、国防・安保は、日本国民の生活を守るために最も大切なことである。ところが民主党政権は、国防・安保・憲法・教育という国家基本問題に対する基本的姿勢がまさに無知であり、お粗末であり、亡国的である。民主党を支持して来た偏向マスコミもさすがに民主党政権を批判し出した。しかし、民主党政権を誕生させ、國を危うくさせた偏向マスコミの責任はまことに大きい。

『生活第一』などと言って、目先のことばかりを取り上げ、甘言を弄して選挙を戦い、風に乗って多数を獲得したのである。民主党は一刻も早く政権の座から降りるべきである。

それにしても困るのは、心安らぐ谷中霊園をうっかり散歩出来なくなったことである。その意味でも、一日も早く鳩山さんには総理を辞めてもらわねばならない。

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千駄木庵日乗五月七日

午前は、母のお世話。

午後は、同志と懇談・打合せ。

この後、病院に赴き父に付き添う。

帰宅後は、来週水曜日の『萬葉古代史研究会』における講義の準備など。

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2010年5月 7日 (金)

『日韓併合百年』に思う

 今年は日韓併合百年である。韓国は江華島条約(明治八年)から日韓併合(同四十三年)に至るまでの歴史を、一貫して日本の計画的意図に基づく侵略と見ているが、このような史観は我々日本人には到底受け入れることはできない。明治の父祖が心血をそそいだのは、欧米列強からいかにして祖国の独立を守り抜くかということであった。そして隣接する朝鮮とその周辺が強大国の支配下に入ることは日本の安全を脅かされるものとされた。日本自体が朝鮮半島へ進出すべきだというのではなく、朝鮮が第三国の属国にならないようにするというのが、『朝鮮独立』を目指した明治前半期の日本の対朝鮮政策であった。日本が国運を睹して戦った日清、日露両戦争が韓国の独立保全を目的として戦われたことは両戦争の「宣戦の詔書」に明らかに示されている。

日韓併合に対して、韓国側は「日帝三十六年の植民地支配」として非難攻撃しているが、日韓併合の精神は決して植民地支配ではなかったし、単なる領土拡張政策でもなかった。それは、明治四十三年八月二十九日の『韓国併合に付下し給へる詔書』に「民衆は直接朕が綏撫の下に立ちて其の康福を増進すべし産業及貿易は治平の下に顕著なる発達を見るに至るべし」と仰せられ、また、大正八年三月一日の独立運動事件の後に出された『総督府官制改革の詔書』に、「朕夙に朝鮮の康寧を以て念と為し其の民衆を愛撫すること一視同仁朕が臣民として秋毫の差異あることなく各其の所を得其の生に聊(やすん)じ斉しく休明の沢を享けしむることを期せり」と宣せられたところに示されている。

そもそも「日韓併合条約」は、十九~二十世紀の弱肉強食・優勝劣敗の時代において、日本、ロシア、支那三国間パワーバランスの中で、欧米列国もこれをすすめ、支持したものであり、当時韓国内に百万人の会員がいた一進会が韓国皇帝、韓国首相、日本統監宛に併合嘆願書や韓国十三道からの併合嘆願書と共に、皇帝の御沙汰書により内閣も一人を除く全員が賛成して実現したのである。

また当時の国際法では政府代表に直接明白な強制がない限り、正当対等に成立したものとされたのである。日韓併合は法的形式的に有効に成立しており、国際法上無効などということは金輪際あり得ない。「日韓併合条約」は国際法上有効であったという原則は断じて譲ってはならない。また日本の韓国統治は西洋諸国の行った植民地統治とは全く異なるものであった。これは感情論ではないのである。

韓国側の国民感情からの主張はあるであろう。しかし過去の歴史的事実を今日ただ今の価値観・倫理観・国際常識・国際法から全てを否定しさるのは歴史の隠蔽であり、時代錯誤である。歴史を直視すべきは日本ではなく韓国である。

もちろん、当時の日本が朝鮮半島および朝鮮民族の為のみに利他的に朝鮮を併合・統治し近代化したと主張するものではない。朝鮮の為という面もあったが、その半面日本は日本の国益のため、日本の独立維持と安全のために朝鮮半島を併合した側面もある。しかし、日本の国益のための朝鮮併合・統治であったから、朝鮮の利益は全く無かったというのは誤りである。

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千駄木庵日乗五月六日

午前は、母のお世話。

午後は、『月刊日本』連載の「萬葉集」講義の原稿執筆。

この後、病院に赴き、父に付き添う。

帰宅後も、原稿執筆・脱稿・送付。

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2010年5月 6日 (木)

最近贈呈していただいた本

最近寄贈していただいた書籍を紹介します。

『一寸先に光は待っていた』 谷口貴康氏著 光明思想社刊 著者より

『陽明学のすすめ』 深澤賢治著 明徳出版社刊 著者より

『ムネオの戦い』 鈴木宗男氏著 K&Kプレス刊 著者より

『いざさらばわれはみくにの山桜』 靖国神社編 展転社刊  

 戦没者慰霊植樹『桜会』より

         ○

谷口貴康氏の著書は、苦難に満ちた青春時代を経て、祖父・祖母であられる谷口雅春先生・輝子先生の愛深いお導きにより、宗教者として蘇生するまでの貴い体験がつづられている。単なる理論・理屈・教条が書かれているのではではなく、体験からにじみ出た言葉が書かれている。

深澤賢治氏は、小生の大学時代の学友である。警備会社を経営しつつ、漢学を学び、それを経営に生かしている人である。この本もまた、机上の空論ではない。山田方谷という日本を代表する漢学者の思想が紹介されている。上海万博の混乱を見ていると、漢学の本家たる支那大陸で道義精神が全く実行されていないのは一体どうしたわけであろうか。これは小生の長年の疑問である。

鈴木宗男氏は、検察の摘発・取調べについて書いている。また、北方領土問題などに関する主張がつづられている。この本も鈴木氏の体験に基づいた本である。鈴木氏が批判しておられる方の中に、小生が親しくさせていただいている方がおられるので困っている。

『いざさらばわれはみくにの山桜』は、学徒出陣で、戦陣に散った多くの英霊の、戦死の状況、遺書・遺詠が収められている。まさに壮絶なる記録であり、命をかけた言葉、魂の表白である。

贈呈して下さいました方々に感謝申し上げます。

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千駄木庵日乗五月五日

午前は、母のお世話。今日は「端午の節句」である。わが家の窓から、鯉幟が見える。何とも嬉しい。

午後は、諸雑務。

この後、病院に赴き父に付き添う。昨日病院に来ることができなかったので、少し長くいて、父の胸や頭に手を置きながら、快癒を祈る。

帰途、御徒町に出て駅前の吉池で買い物。今日数多くなっているスーパーの元祖のようなお店である。しかも下町らしい大衆的な店である。吉池に来るのは久しぶり。故岸本力男先生と食堂でビールを呑みつつ、口角泡を飛ばされながら、語り合ったことを思い出す。二十年くらい前のことである。その頃御健在であられた諸先生の多くが幽明境を異にされた。さみしいが限りである。

帰宅後は、資料の整理など。

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2010年5月 5日 (水)

明治維新と徳川幕府

『江戸を開いた天下人・徳川家康の遺愛品』展は、「三井家が300年以上拠点とした江戸城のお膝元である日本橋にちなみ、江戸を開いた天下人徳川家康を紹介する展覧会です。特に徳川家康の文化面に焦点を合わせ、武器・武具をはじめ書画、茶道具、文具、調度品など徳川家康が日ごろ愛用していた遺愛品を中心に紹介し、家康の幅広い教養と趣味、科学的で世界的な視野をもった文化人であった横顔に迫ります。」(案内書)との趣旨で開催された。

「重要文化財 歯朶具足(伊予札黒糸威胴丸具足)」(岩井与左衛門作)「重要文化財 東照社縁起絵巻(仮名本) 狩野探幽筆」(家康の一生と日光東照社創建の由来を構成。撰述には天海と尊純法親王が関わり、絵は幕府御用絵師の狩野探幽が描き、詞書は、後水尾上皇はじめ親王・門跡・公家衆・天海24名が寄り合い書きをしている)「東照大権現像 伝狩野山雪筆」「重要文化財 大名物 唐物茶壺 銘松花」「水艸立鷺図」(伝徳川家康筆)などを見る。

東照社縁起絵巻」に、後水尾上皇が「詞書」を書かれているのには驚いた。後水尾上皇御宸筆「東照大権現」と記された書も展示されていた。大変な達筆であらせられる。日光東照宮の陽明門をはじめ各所に、後水尾天皇の御宸筆とされる勅額が掲げられている。戊辰戦争の折、日光東照宮の焼き討ちを要求する薩摩藩を説得する理由の一つとして、土佐藩の板垣退助がこの勅額が掲げられていることを挙げたという。

幕府は徳川家康を神格化するために、天皇及び朝廷の神聖権威を利用したのである。後水尾上皇は、度重なる徳川幕府とりわけ、徳川秀忠の圧迫と不敬行為に耐えられ、朝廷の権威を守られた。京都のある寺院で、後水尾上皇御宸筆の『忍』という色紙を拝したことがある。徳川幕府の横暴に対する御心を示されたと拝される。

幕末期、欧米列強の侵略の危機を打開し、日本の独立を維持するためには、徳川幕府が、天皇及び皇室の神聖権威に対抗すべく不遜不敬にも創出した「東照大権現」の神威では、とても國民的統一の信仰的核にはなり得なかった。

今谷明氏は、「東照大権現の神威は、武家階層はともかく、民衆レベルに浸透したとはとうてい考えられない。反面、大衆の間に天皇祖神を祭る伊勢の神威が高まっていくのは、よく知られているとおりである。伊勢と日光の勝負はもはやついて居た。」(『武家と天皇』)と論じてゐる。

もともと戦國時代の武士の覇権争いの勝者・覇者にすぎなかった徳川氏は、覇者たるのを喪失したのである。端的に言えば、徳川氏は「征夷大将軍」(夷狄を征伐する大将軍)の任に堪えられなくなったのである。

現御神信仰・尊皇精神の興起は、勤皇の志士たちのみならず、一般庶民においても旺盛であった。伊勢の皇大神宮への民衆の集団参拝(いわゆる御蔭参り)が行われ一般庶民の皇室の御祖先神に対する信仰が大きく復活してきていた。天保元年(一八三〇)には、御蔭参り参加者が閏一月から八月までで五百万人に達したという。

國家の独立と安定と統一を保持するには、日本の伝統と自主性を體現される御存在=神聖君主日本天皇を中心とした國家體制を確立しなければならなくなった。欧米列強の侵略から祖國日本を守るための國家體制は、神話時代からの伝統的君主である天皇を中心とする國家でなければならないということが全國民的に自覚されるようになった。そして、一君万民の國體を明徴化する明治維新が断行されたのである。

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千駄木庵日乗五月四日

午前は、母のお世話。

午後は、日本橋室町の三井記念美術館にて開催中の『江戸を開いた天下人・徳川家康の遺愛品』展参観。

帰宅後は、資料の整理など。

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2010年5月 4日 (火)

『第四十一回新しい憲法をつくる国民大会』

『第四十一回新しい憲法をつくる国民大会』の登壇者の印象に残った発言を記す。

清原淳平新しい憲法をつくる国民会議会長代行「平成二年より、失われた二十年といわれている。経済が停滞し、国民一人当たり七百万円の借金を背負っている。学力・国際競争力・技術力も低下している。自由民主体制は堅持しつつ根本的見直しをするべし。国のあり方・安保体制のあり方・司法の在り方が記されている憲法を根本的に改正する必要がある。法は制定された時点でストップする。時代は大変なスピードで変化し進歩する。そこでギャップが生じる。民主党のリーダーたちは改憲論者。鳩山総理も小沢幹事長も改憲草案を作っている。何故民主党政権は改憲に踏み出さないのか」

竹田恒泰氏「第一条はわが国の国柄の根本を指し示すもの。小沢一郎は、天皇は政府の操り人形のような発言をした。皇室は国益のぶつかり合いである外交は行わない。皇室は国際親善を行われる。何処かの國を特別扱いされない。中国だけを特別扱いをしたのは憲法違反。我が國體は、天皇と国民の結びつきにある。ヨーロッパは国王と国民は対立関係にある。わが国は古墳時代から、大きな内戦は無かった。天皇主権の『主権』と、国民主権の『主権』とは意味が異なる。天皇主権は権威。国民主権は権力。この二つが一緒になると主権が発動される。天皇は権力を行使する御存在ではなかった。天皇不親政の原則は貫徹されている。天皇の御存在によって日本の政治は安定的になる。天皇主権から国民主權に変ったということはない。戦前が天皇主権と言うのなら戦後も天皇主権、戦前が国民主権と言うのなら戦後の国民主権。代表と代表されるものは同質。象徴と象徴されるものは異質。ニキビは青春の象徴。桜は春の象徴。天皇は日本の象徴。統治とはシラスであり、支配ではない。シラスとは、天皇が御存在あそばされることによって国のことをお知りになり統合されるということ。『帝国憲法』第一条と『現行憲法』第一条は同じことを言っている。学生に『天皇は何故偉いのか』と問われたら、『天皇は偉いのではなく尊いのだ』と答える。天皇は言葉で説明できる御存在ではない。天皇の昼間のお姿は政治向き。夜のお姿は神事向き。天皇にとって一番大切なのは国民。歴代の天皇は全てこういう御心であった。国会議員全員がいなくなっても、天皇さえ存在すればわが国は大丈夫」。

高乗正臣平成国際大学教授「政権交代後初めての憲法記念日。民主党も自民党もバラマキを競うのではなく、憲法改正にかける気概を見せて欲しい。宮沢俊義が戦後の憲法学界をリード。それが国家論の不在、人権絶対の風潮となった。民主党政権下で、『外国人参政権』が付与されようとしている。これは国家を危うくする。参政権はいわゆる天賦人権ではない。国家と運命を共にする国民の権利が参政権。国防の義務とリンクしたもの。国家存亡の危機に命を国に捧げる者にだけ与えられる権利。わが国と運命を共にしない外国籍の人に政治的権利を与えることは出来ない。小沢・鳩山が妙に熱心なのは不思議。国と地方の政治は別という意見があるが、普天間問題一つをとっても、国の安全と地方政治は表裏一体。選挙権と被選挙權も表裏一体。」

平沢勝栄衆院議員「『朝まで生テレビ』で社民党の議員は『天皇制は民営化したらいい』と言った。社民党が護憲を言うのはまやかし。国民投票法が五月十八日に施行される。しかし具体的なことは何も準備していない。民主党の『マニフェスト』に『自由闊達な憲法論議を行う』と書いてあっても何もやらない。社民党と組んでいるから身動きがとれない。日本にふさわしい憲法をつくるべし。」

中川雅治参院議員「国会では、憲法改正論議がなされていない。自民党には憲法改正推進本部がある。民主党は、子供手当のようなばらまき、外国人参政権のような国を危うくする法案に熱心で、憲法改正は素通り。国民投票法が五月十八日に施行されるのに国会の憲法審査会が動いていない。一九五七年に、政府に憲法調査会が出来て、憲法論議が高まったが、両論併記で終わってしまった。六〇年代・七〇年代は、閣僚が改憲を口にすると首になった。私は昭和四十四年に東大卒。町村信孝氏・早川忠孝氏などと共に良識ある学生を組織して大学当局と交渉し、正常化した。鳩山内閣閣僚には、当時の全共闘やそのシンパが何人もいる。政策スタッフにもいる。『夫婦別姓』は日本の家制度を破壊してやろうということ。民主党内閣にまともな憲法論議が出来るわけがない。憲法論議を盛り上げていきたい。」

小野次郎前衆院議員「安保・外交・治安・経済に力を入れるのがみんなの党の党是。国のあり方をどうするかは政府がリーダーシップを取らねばならない。法律・憲法は守らねばならない。そのためには私たちが正しいと思う内容にしなければならない。国民主権・平和主義・人権は守らねばならない。多くの国民が賛成するところから改正していけばいい。」

秋元司参院議員「憲法改正の基本は立憲主義。時代に合わなくなったところは変えることが立憲政治をダイナミックにする。改正手続きを緩和せよ。憲法裁判所を作るべし。これまで経済優先で来たので、日本国の統治のあり方を議論してこなかった。安保も良好とは言えない。世界に日本とはどういう國かを発信するためにも憲法改正が必要」。

            ○

この大会には、数年前までは、民主党所属議員も藤井裕久・中山義活・平野貞夫氏など何人かが参加した。この二、三年、一人も参加しなくなった。これは小沢一郎の方針であろう。今日の『テレビタックル』で小池百合子さんが、「小沢氏は国家基本問題まで政局に利用する」と言っていたが、全くその通りである。

今日、出席した議員は、憲法問題に取り組む姿勢を持つ人なのであろうが、「國體論」「天皇・皇室」について論ずる人がすくなかったのは残念であった。

『国民主権』についての竹田恒泰氏のご見解は、じっくりと勉強させていただきたい。

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千駄木庵日乗五月三日

午前は、母のお世話。

午後一時より、四谷公会堂にて、『第四十一回新しい憲法をつくる国民大会』開催。

四谷公会堂の窓から眺められる新宿御苑の新緑が美しかった。先帝陛下の「大喪の礼」を思い出した。もう二十二年も経ってしまったのかと思うと感慨無量である。つい昨日のことのように思われる。

帰途、病院に赴き、父に付き添う。

帰宅後は、書状執筆など。

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2010年5月 3日 (月)

生長の家及び谷口雅宣氏について

一昨日の四月三十日、生長の家の創始者・谷口雅春先生のお孫さんの谷口貴康氏の出版記念会に出席して、多くの懐かしい人々とお会いすることができた。

今の生長の家は、貴康氏の兄である谷口雅宣氏(二代目の総裁谷口清超師の長男)が総裁として教団を率いている。ところが雅宣氏が、谷口雅春先生が國體論、大東亜戦争論、愛國思想を説いた書籍を絶版にしたこと、雅宣氏以外の雅春先生のお孫さんやその配偶者が生長の家の組織から排除されたり離脱していること、雅宣氏自身の言動・教団運営方針が創始者の意志に反していることなどに対して大きな批判が起っている。

宗教教団には内紛はつきものであるが、生長の家だけは、雅春先生ご存命中には内紛はなかった。しかし、近年、雅宣氏に対する批判が高まっている。そして最近は、現在の生長の家教団に対する批判活動が活発化している。教団の教祖が亡くなった後、幹部間・親族間で内輪揉めが起るのはよくあることであり、生長の家も例外ではなかったということであろう。

創始者・谷口雅春先生は、信徒から見れば事實上「生き神」であり、雅春先生をはじめとした谷口家の人々は「お山様」といはれ、言わば「神聖家族」として崇められていた。生長の家本部には「お山様ご専用」というトイレまであった。

雅宣氏は、「法燈継承者」とされる以上、他の誰よりも生長の家の教義を守り、その実践者であるべきである。ところが、生長の家の根本的経典『生命の實相』第一巻の巻頭にある『大調和の神示』の「天地一切のものと和解せよ」「汝の兄弟と和せよ」といふ教えを實行できないでのある。自分の実の兄弟・親族と「和解」「調和」「赦し合い」「拝み合い」が出来ないのは、法燈の継承者たるの資格がないと言われても仕方がない。

宗教というものは本来、人々に安穏・平和・喜びをもたらすものであるはずである。ところが、宗教が闘争・戦争の原因となるということが問題なのである。歴史上の戦争・紛争そして今日唯今起っている戦争・紛争の原因が宗教対立にある。宗教上の対立における憎悪は尋常ではない。しかし、これは人類の歴史で繰り返されてきたことなのである。

「完成の宗教」と自ら称し、「天地一切のものと和解せよ」「汝の兄弟と和せよ」を根本教義とする生長の家においても、同じような歴史が繰り返されることは何とも悲しいことである。「一切の自己の責任とする神の子の自覚に超入しよう」というのが、谷口雅春先生の教えであるのだから、やはり、その責任の多くは、法燈の継承者とされる谷口雅宣氏が負うべきものである。

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千駄木庵日乗五月二日

午前は、母のお世話。

午後は、原稿執筆。

この後、病院に赴き、父に付き添う。目を覚ましていたので少し会話をする。看護師さんから病状を聞く。

帰宅後は、資料整理・書状執筆。

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2010年5月 2日 (日)

山本秀也産経新聞東アジア室長の講演を聞いて

本日行われた山本秀也産経新聞東アジア室長の講演で、印象に残ったことを記す。

「中国は万博が好き。1893シカゴ万国博覧会に西太后の衣装でこしらえた家具を出展した。1904のセントルイス万博から正式参加した。

旧ソ連製の駆逐艦・潜水艦など十隻が宮古と沖縄本島の間を通過した。遠洋海軍への転換。沖の鳥島近海に行った。第二列島線まで出る能力を誇示した。

鄧小平は毛沢東の人海戦術を是正した。『経済の発展があって軍事の発展が保障される』と鄧小平は言った。海軍運用能力は想像以上に高い。中国国内のナショナリズムの過剰な高まりと、国力の向上による傲慢さの表れ。中国の軍事力誇示行動は台湾を念頭に置いている。

ブッシュ・ジュニアは、イラク問題では火傷を負ったが、東アジアに対しては原理原則を貫こうとした。民進党にはアメリカ通がかなりいたのに、陳水扁政権は重大な政策についての事前通報をアメリカにして来なかった。

専守防衛とはアメリカが日本に攻撃力を持たせたくなかった時代の言葉。普天間基地問題の解決は現行案以外にあり得ない。

大田元沖縄県知事は、キャラが立ちたいから『沖縄経済は米軍基地に依存していない。基地が無くなった方が経済発展する』と言っている。依存とはGDPの何%のことを言うのか。基地が無くなったら経済発展するというのは仮設のまた仮説。

台湾企業の大陸における雇用創出力は一千万にのぼった。台湾国内の労働力と同じ規模。台湾産業基盤のコピーを大陸にもう一つ作った。台湾のしたたかな駆け引きを立体的に見たい。しかし、下手をすると中国経済圏に呑みこまれる。下手を打たないためにどうするかが台湾の指導部の任務。

中国の土地バブルがはじけると各地方の地方債が全て紙屑になる。中国の地方財政は破綻する。人口の老齢化という強烈な爆弾を抱えている。経済情勢が社会情勢に変って行く懸念あり、民族問題などへの強硬策は胡錦濤の恐怖の表れ。

アメリカは中台両国が両岸の体制を一方的に崩すことを許さない。台独も併合も許さない。アメリカは中国に『武力侵攻に対してはためらいなく台湾を防衛する』と通告している。中台が協議の上統一すると、アメリカは手が出せない。台湾は台湾であることによってアメリカの恩恵をこうむっている。

中国の国防費はブラックボックス。公表されている二・五倍はある。中国の軍隊は、軍閥ー集団野戦軍―各軍区という流れがある。各軍区で商売をやっている。軍需品密輸・ホテル経営・ゴルフ場経営などをやり、潤沢な予算を持っている。

党の軍隊を国軍に変えるべしという議論が二十年前から起きている。これが実現できるかどうか。統帥権は党中央軍事委員会が持っている。軍事委員会主席は共産党総書記。党の政治局は多数決で決めるが、軍事委員会は委員長が決定する。核ボタンは委員長が握っている。中国は台湾への武力行使の選択肢は捨てていない。」

         ○

まことに勉強になった。共産支那の一党独裁とは、中国共産党が軍を握っていることにある。これを日本に当てはめると、民主党の中に軍事委員会があり、民主党代表が自衛隊の最高指揮権を握っているということである。

私が上海に行って驚いたのは、上海市政府と上海市公安局の建物が、中国共産党上海市委員会と同じ建物にあったことである。日本でいえば、民主党東京都連・都庁・警視庁が同じ建物にあるということである。

毛沢東は「鉄砲から政権が生まれる」と言ったが、その傳統はいまだに守られている。つまり共産支那は軍事独裁国家なのである。表面的な経済繁栄に目を奪われてこの事実を見失うことがあってはならない。北朝鮮と共産支那との国家体制の違いは、独裁者が世襲であるかどうかだけである。

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千駄木庵日乗五月一日

午前は、母のお世話。

昼、内幸町の日本プレスセンターに赴く。ある新聞社の元編集委員の方と懇談。

午後二時より、日本プレスセンターにて、『アジア問題懇話会』開催。産経新聞東アジア室長の山本秀也氏(前ワシントン支局長)が講演した。そして活発な質疑応答が行われた。

奥野誠亮元法相・小田村四郎元拓大総長のお元気なお姿を拝す。このお二方のような高潔にして憂国の情篤い政治家・官僚が少なくなった。

帰宅後は、原稿執筆・資料の整理など。

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2010年5月 1日 (土)

谷口貴康氏の出版記念会に出席して

今日出版記念会を行った谷口貴康氏は、生長の家の創始者・谷口雅春先生のお孫さんである。二度の大きな交通事故を起こし、短期間ではあるが囹圄の身になった。その後、長崎の生長の家の道場で修業された。そして、生長の家の最高幹部として、信徒指導に当たって来られたが、先年退職され、長崎で整体院を経営しておられる。

今回初めての著書を上梓された。なかなか衝撃的な内容である。若き頃の様々な苦難、二度の交通事故の経緯・精神的な葛藤を赤裸々に語り、到達した信仰的確信をつづっている。

私は、貴康氏の一番上のお姉さんである谷口佳世子さんとは、高校・大学時代に、生長の家の活動でご一緒していたが、貴康氏とは、年代が少し違うので、会うことはなかった。昨年末の村上正邦氏の社会復帰祝賀会で初めてお会いした。何か事故を起こしたということは昔から知っていたが、この本に書かれているような深刻な事態であったことは全く知らなかった。

新宗教の教祖は、信徒から生き神・生き仏のように崇められる。その家族も「神聖家族」として崇められる。であるがゆえに、なおさら、一般の人に持ち得ない精神的苦悩というものがあるということをこの本を読んで理解した。

谷口雅春先生ご夫妻が、入獄する貴康氏に出した手紙は涙なくしては読み得ない。もうその頃、お二人とも八十歳を越しておられた。生きている間に孫に更生し幸福になってもらいたいという切々とした思いがつづられている。

谷口貴康氏は、本来なら、今日も生長の家の最高幹部として、活躍しておられるべきなのである。現在総裁となっている貴康氏の兄・谷口雅宣氏は、自分の兄弟姉妹全員を教団から事実上追放した。また、教義面でも教団運営面でも、創始者の意志に背くようなことをしている。まことに困ったことである。

谷口貴康氏の著書に対する感想や、現在の生長の家の問題点について、いずれ詳しく書きたいと思っている。

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千駄木庵日乗四月三十日

午前は、母のお世話。

午後は、原稿執筆。

その後、病院に赴き父に付き添う。

午後六時より、平河町の赤坂氏四川店にて、谷口貴康氏著『一寸先の光は待っていた』出版記念会開催。村上正邦元参院議員が発起人代表挨拶。和田一夫元ヤオハン代表・山谷えり子参院議員・板東三津五郎丈・鈴木邦男氏らが祝辞を述べた。陳健一氏が祝辞を述べた後、麻婆豆腐料理の実演を行った。麻婆豆腐はさすがにうまかった。そして版元の光明思想社の白水春人が挨拶し、著者の谷口貴康氏が挨拶した。板東三津五郎・陳健一両氏は、谷口貴康氏の学友である。

帰宅後は、諸雑務。

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