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2010年4月29日 (木)

人権・差別などについて思う

日本人のくせに祖國の歴史を悪し様に罵る日本人が多くなっている。中國・韓國・フィリッピンなどにわざわざ出かけて行って根掘り葉掘り戦争中の日本軍の「悪行」とやらを野良犬の如く嗅ぎ回る「學者文化人」「マスコミ人」がいる。自分の生まれ育った國を悪く言うことに快感を覚える人間は、血は日本人の血が流れ肉体も日本人なのであろうが、その魂は反日國家に売り渡していると言っても過言ではない。

「人権」「差別」という言葉も多く使われている。「人権侵害だ。差別だ」と言われると、もう返す言葉がなくなってしまうのが今の風潮である。「差別」を辞書で引くと、「①差をつけて扱うこと。わけへだて。「~待遇」②区別すること。けじめ。」とある。たしかに、不当な人種差別・身分差別はあってはならないし解消されなければならない。「一君万民」が日本國體の真姿である。しかし、公平な世の中というのはあり得ても、全く平等な世の中というのはあり得ない。

それどころか、「区別すること。けじめ」という意味の「差別」や、男女・國家民族・地域の「境界線」があってこそ、文化が生まれ、平和が維持され、道義が守られるのだ。みんなが平等であるべきだということになると、天才も秀才も否定され文化・文明は生まれないし発達もしなくなる。芸術の創造と継承そして伝統護持もできなくなる。「あの人の作品はこの人の作品よりも良い」という「差別」があってこそ文芸・美術・音楽などの芸術や文化が存在するのである。そういう意味の「差別」から文化が生まれるのである。また、國家・民族の境界があるから各國家・民族の伝統文化が守られ継承されるのである。

親と子のけじめ・差別がなくなりつつあるから家庭崩壊が起こり、教師と生徒のけじめ・差別がなくなりつつあるから學級崩壊・教育荒廃が起こっているのである。

さらに言えば、「人間は全て平等だ」とか言って、皇室の御存在を否定する輩が増えているが、皇室への國民の尊崇心の希薄化は國家崩壊の予兆である。天皇及び皇室という高貴なる御存在こそ、わが國の存立の基礎であるし、真の意味の公平な社会確立の原基である。

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