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2010年3月 4日 (木)

永井荷風の愛國心

「根津の低地から彌生ヶ岡と千駄木の高地を仰げば、こゝも亦絶壁である。絶壁の頂に添うて、根津權現の方から團子坂の上へと通ずる一條の路がある。私は東京中の往來の中で、この道ほど興味ある處はないと思ってゐる。…千駄木の崖上から見る彼の廣漠たる市中の眺望は、今しも蒼然たる暮靄に包まれ一面に煙り渡った底から、數知れぬ燈火を輝し、雲の如き上野谷中の森の上には深い黄昏の微光をば夢のやうに殘してゐた。私はシヤワンの描いた聖女ジェネヴイエーブが靜に巴里の夜景を見下してゐる、かのパンテオンの壁畫の神秘なる灰色の色彩を思出さねばならなかった。」

これは、永井荷風の随筆『日和下駄』(大正四年)の一節で、「千駄木の絶壁」の真下の駒込坂下町(千駄木三丁目)で育った私にとって、この文章はきはめて親しみ深いものがある。とりわけ、わが町を通る古道を「東京中の往來の中で、この道ほど興味ある處はないと思ってゐる」と評した荷風散人に無上の敬慕の念を抱く。今日唯今、私は、毎日のやうに「千駄木の崖上から見る彼の廣漠たる市中の眺望」「數知れぬ燈火を輝し、雲の如き上野谷中の森」を眺めてゐる。荷風がこのやうな文章を書いたのは、彼が唯一尊敬してゐた先輩作家・森鷗外の住む観潮楼をよく訪問したからであらう。荷風は、わたくしにとって、最も親近感を抱き且つ尊敬する作家の一人である。

永井荷風は、近代日本の欧化主義に対して辛辣なる批判を行ひ激しい嫌悪を抱いた人である。グローバル時代とかいはれ、日本の傳統とか習慣とが侮蔑にされてゐる今日のおいてそれは大きな意味を持つ。永井荷風は、滔々たる西洋化・近代化の流れに圧倒されず、それを拒否し、江戸情緒・傳統文化をこよなく愛した人である。

永井荷風が愛國者であった。國粋主義者と言っても良い。在米中に日露開戦を知った荷風は、当時の日本人として当然のナショナリズムを発露したことを後年次のやうに記してゐる。

「明治三十七年日露の開戰を知ったのは米國タコマに居た時である。わたしは號外を手にした時非常に感激した。然しそれは甚幸福なる感激であった。」(『花火』大正八年)

荷風は「愛國主義」について次のやうに論じてゐる。「われ等は徒に議員選擧に奔走する事を以てのみ國民の義務とは思はない。われ等の意味する愛國主義は、郷土の美を永遠に保護し、國語の純化洗練に力むる事を以て第一の義務なりと考ふるのである。」(『日和下駄』・大正四年)

麗しい祖國の自然と純粋なる國語を護ることが愛國であると主張するのである。この主張は現代日本においてこそ、重要な意義を持つ。わが國の維新の道統は、政治経済体制の変革のみではない。その根本に國民精神の変革浄化が為されなければならない。日本固有の美、傳統信仰、秀麗なる日本の自然そして自然に宿る神への畏敬の念、祖靈に対する尊崇の思ひを涵養することが根本である。

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