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2010年3月13日 (土)

宗教争いについて

宗教には、正しい宗教と邪宗教があるといわれる。しかし、この宗教は絶対に正しく、この宗教は絶対に邪教だというよりも、宗教全般に良い面と危険な面・天使的側面と悪魔的側面とがあるように思う。言い換えると、宗教は人々に救いや平安を与えてきたと共に、争乱を巻き起こしてきたのである。

キリスト教が愛を説き、世界文化・文明の発展と人々の平和に貢献したことは間違いない。しかし、キリスト教が正しいことしかしなかったといふとそれは大きな間違いである。十字軍の遠征という侵略戦争をローマ法王の命令で行ったし、西欧列強による世界侵略の尖兵の役割を果たした。

慈悲を説き非暴力とされる佛教も、比叡山などの僧兵が戦闘を行ったし、一向一揆もあった。近年では、オウム真理教のようなテロを起こす教団も出た。宗教は愛や慈悲を説くと共に、罰や祟りも説く。そして呪詛することもある。ここが宗教の怖いところである。これまでの人類が行った宗教戦争・宗教対立でどのくらいの人が命を失ったことであろうか。

新宗教・新々宗教団体に内部抗争・分裂はつきものである。内部抗争の無い教団は無いと言って良いくらいである。慈悲・愛・赦しを説く宗教が、何故争いを起こすのか。全く不思議である。しかも、宗教団体の争いの憎しみは凄まじい。お互いに「罰が当たる」「地獄に落ちる」などと罵り合う。創価学会と日蓮正宗が良い例である。

私が若い頃活動し、今も、創始者の本を読んで魂の糧にしている教団も、「天地一切のものと和解せよ」「汝の兄弟と和解せよ」というのが根本教義なのに、兄弟同士が対立し、裁判沙汰にまでなった。何とも悲しいことである。この教団の場合は、公平に見て、今の指導者がおかしいと思う。何故なら、後継者であるのなら、もっとも正しく模範的に教義を実践すべきであるからである。しかるに、自分の意に沿わない人は兄弟すら教団から追い出してしまうなどということはしてはならないことである。

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