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2010年3月11日 (木)

現代の危機と「萬葉集」

今日は「防人の歌」講義した。防人とは、萬葉時代の国土防衛の兵士ことである。当時、新羅が唐を背景としてわが国を侵略する危険があった。これに対してわが国は、太宰府を置いて、九州と壱岐・対馬二島を管理せしめ侵略軍を防がんとした。このために東国諸国の国民から選抜し、筑紫・壱岐・対馬で守備の任にあたらせた。それが防人である。防人の歌は、大伴家持が兵部少輔として防人たちの歌を収集した。

阪東武者といわれる東人は、常に野にあって勇猛であった。武士の語源が「野に伏す」であることにも関連する。神護景雲三年(七六九)に、第四十八代・称徳天皇は、朝廷守護のために東人を召された時の詔で、「この東人は常にいはく額には箭(や・矢)は立つとも背には立たじといひて、君を一心に護るものぞ」と宣せられた。東国武士は忠勇義烈であり、卑怯未練の振る舞いがないと仰せになっているのである。

東国武士が勇猛なのは、神代よりの伝統である。信濃の諏訪に建御名方神が祭られており、鹿島神宮に建御雷神、香取神宮に經津主神が祭られている。だから、東国人が防人として出発した時に、「鹿島の神を祈りつつ」と歌ったのだ。

今日は、

「あられ降り鹿島の神を祈りつつ皇御軍(すめらみくさ)に吾は來にしを」(四三七0)

という歌を講義した。常陸の国の防人・大舎人部千文(おほとねりべのちふみ)の歌。鹿島の神に祈りつつ天皇の兵士として私は来たのだぞ。「あられ降り」は鹿島に掛る枕詞。あられが降るとかしましいから「かしま」に掛かるという。落語の駄洒落のようであるが、学問的にそう言われているのである。

鹿島の神即ち建御雷神は、邇邇藝命降臨の際、先に天降って国土を平定された神である。

防人の歌を収集し後世にのこした大伴家持の業績は素晴らしい。保田與重郎氏は、「(大伴家持が仼)萬葉集の編纂を志さなければ、我々は古代の草莽の信じた皇神の道義を見るすべなく、当時の仏教文化の底流にあったものと今云ひうる、日本の固有についての批評を確言し得なかったかもしれないのである。…もしこの集なくば、我々は歴史としての勤皇思想の血脈と現実を、今のやうに説き得なかったかもしれない」と論じでいる。

萬葉時代は、壬申の乱があり、唐新羅連合軍の侵攻の危機があった。内憂外患交々来たるといった時期であった。そうした時期に、國體精神を謳歌し天皇國日本の永遠を祝福する歌集が編纂されたことに重大な意義がある。保田氏は、「…最も深い日本の思想は、最もゆゝしい日に歌はれ、…萬葉集の如き古典が、その日を背景として生まれた。これは十分に治國の大御代の精神を教へ、國難に処する志を示すものである」と論じてゐる。

まさに今日の日本も「ゆゝしい日」である。今こそ萬葉の精神に回帰し新たなる國體精神を勃興せしめねばならい。今日の日本も、グローバリゼーションの時代といはれ、朝鮮半島及び支那大陸からの外患が迫って来ている。さらに戦後五十八年に及ぶ精神的・思想的侵略により國民の精神的思想的頽廃は末期的様相を呈してきている。

わが國は敗戦後の日本喪失の精神状況から脱出して、日本民族の誇りと矜持を取り戻さねばならない。それは偏狭な排外主義的なナショナリズムと独善に陥ることでは決してない。わが國のすぐれた古典であるところの記紀・萬葉の精神への回帰による精神の救済を図るといふことである。神話の精神の復活によってこそわが國の再生が行はれると確信する。

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