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2010年3月20日 (土)

江戸時代の尊皇精神と現代

最近、江戸時代を理想化し、江戸時代のような態勢に戻るべきだという主張が出て来ているが、私は反対である。たしかに二百数十年の「太平の世」が続いた。これは徳川氏の功績である。しかし、江戸時代の徳川幕藩体制においては、天皇中心の國體が著しく隠蔽されていた。徳川将軍家が政治権力を壟断し、天皇・朝廷は、京都に逼塞状態に置かれた。天皇中心帰一の國體を回復する一大変革が明治維新であった。

ただし、江戸時代においても、天皇が日本国の君主であるという事実が全く隠蔽されていたわけではない。尊皇思想の道統は脈々と受け継がれていた。また、天皇を君主と仰ぐことが、徳川幕藩体制の正当性の根拠であった。

山鹿素行(江戸前期の儒者、兵学者)は、「朝廷は禁裏也、辱も天照大御神の御苗裔として、萬々世の垂統たり、此故に武将権を握て、四海の政務武事を司どると云ども、猶朝廷にかはりて萬機の事を管領せしむることわりなり」(『武家事紀』)と論じてゐる。

松平定信(江戸後期の白河藩主。田安宗武の子。徳川吉宗の孫。老中となって、財政の整理、風俗の匡正、文武の奨励、士気の鼓舞、倹約を実施して寛政の改革を実行)は、天明八年十月に将軍家斉に奉った上書で「六十余州は禁庭より御あづかり遊ばされ候御事に御座候へば、仮初にも御自身の物とはおぼし召され間敷候御事に御座候」と論じた。

山県太華(長州明倫館学頭・藩主毛利斉元の側儒)は、「天子は、先皇以来正統の御位を継がせ給うて天下の大君主と仰がれ給ひ、武将は天下の土地人民を有ちて其の政治を為す」(『評語草稿』)と論じた。

このように、江戸時代においても、日本国の君主は天皇であり、征夷大将軍はその臣下であるということが大義名分であった。臣下の自覚の希薄な者が、政治権力を掌握している今日の状況は何としても正されなければならない。

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