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2010年3月23日 (火)

横山大観展及び講談社について

今日、参観した講談社野間記念館は、講談社の創業者・野間清治が、大正期から昭和初期にかけて収集した美術品を主体とする「野間コレクション」が展示されている。隣の蕉雨園と共に野間清治氏の屋敷跡である。明治時代の宮内大臣田中光顕伯の屋敷であったが、渡辺治右衛門氏渡辺銀行総裁)を経て、昭和七年に講談社初代社長野間清治の所有となった。山縣有朋邸後の椿山荘に隣接し六千坪以上あるという。私設文部省と言われた講談社という出版社がいかに収益を上げたかが分かる。

『開館十周年・横山大観展』は、「大観と野間コレクションとの関わりは、大正10年(1921)ころから始まった、講談社の初代社長、野間清治の美術品収集と軌を一にします。…
野間は、大観に作品の制作を依頼、大観は自ら制作すると同時に、日本美術院の後輩画家たちにも、野間への作品制作を斡旋しました。こうして深まっていった大観と野間の交流。…本展では、その原画はもとより、野間コレクションの中から、大観の画業がもっとも充実した大正期の作品を中心に展示。さらに大観と同時代に活躍した、下村観山、木村武山、安田靫彦ら、日本美術院の画家たちの佳作を、あわせてご覧いただきます。」(案内書)との趣旨で開催された。

若き日の千利休を描いた「千与四郎」、そして「松鶴図」、「月明」、富士を描いた「暁山雲」などどれも迫力のある見事な作品であった。横山大観は、大胆な描き方のようでいて、緻密な描写があり、やはり近代日本画の最高峰と思う。圧倒されるような迫力と美しさがある。下村観山の「竹林賢人」も素晴らしかった。

大観が野間清治氏に宛てた大正十年十一月六日付の書簡も展示されていた。その頃の野間清治氏の住所は「本郷区駒込坂下町四八」であった。本郷区駒込坂下町とは、私が育ち現在も住んでいる千駄木三丁目の旧町名である。母方の祖父の代からここに住んでいて、母もこの町で生まれ育った。我が家は駒込坂下町一一八番地であった。講談社発祥の地で、野間清治宅及び講談社のあったところに今も講談社の社宅が建てられている。大正十年と言えば、私の母が生まれた次の次の年である。母は、野間氏のお嬢さんと同じ所で日本舞踊を習っていたという。また、私の祖父はあることから野間氏と多少の付き合いがあり、『講談倶楽部』などの雑誌が毎月送られてきたという。

野間記念館の前に、東京カテドラル聖マリア大聖堂がある。カトリックの大教会で、吉田茂元総理の葬儀が行われた。

また、永青文庫がある。旧熊本藩主細川家伝来の美術品、歴史資料や、一六代当主細川護立の収集品などを収蔵し、展示、研究を行っている。ここも、細川藩の藩邸跡。

永青文庫

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東京カテドラル聖マリア大聖堂

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