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2010年3月16日 (火)

天道是か非か

「おとなの寺子屋・論語の会」での野村英登氏(文学博士)が講義で印象に残った話を記す。

「こんなに立派な人・救われなければならない人が、救われない状況に陥るのは、人間の関知できない力が働いたからだと考える。それが『天命』という考え方。貧しいことによって、自分の心の楽しさが減ることはない。学ぶ楽しさに生きていれば、貧乏でも楽しい。

バランスをとるのが中国哲学の特徴。どちらかの価値観に一方的にはまってしまうのは良くない。それが『中庸』。キリスト教圏の発想とは大きく異なる。決まった答えを教わることのない世界。それが法治よりの人治の世界になる背景の思想。中国はヨーロッパ全体と同じくらいの広さ。広い国土と各地域の風土の違いが大きいことが、こういう考え方を生んだ。日本人は生真面目だが、中国人は生真面目では生きていけない。

孔子の思想はルサンチマンといわれる。孔子は才能があっても報われない人が好き。中国が法治国家になるのは無理。下からの民主化は起こらない。オマンマが食べられれば民主体制でも共産体制でもどちらでもいいという考え。」

           ○

善人はつねに栄えるはずである。ところが、そうはいかない。伯夷・叔斉は、仁を積み、行いを潔くしたが、餓死して果てた。また、孔子の一番弟子の顏淵は、栄養失調にかかって、年若くして死んでしまった。盜跖は、日ごとに罪のない人民を殺し、人肉を食し、ありとあらゆる悪事を公然と行ったが、長寿を完うした。

こうした事は近現代でも同じである。独裁専制政治を行い、おおくの人々を殺戮し残虐行為を働いたスターリン・毛沢東・金日成は、天寿を全うした。

腐刑(宮刑ともいう。去勢する刑罰)に処された司馬遷は、『史記』の「伯夷列伝」に「天道是か非か」という悲痛な言葉を記した。「天道是」という名前の人の本を読んだことがある。わが国の「民族運動」の歴史を書いた本であった。

『悪が栄えたためしはない』というのは、わが国のみに通用する言葉なのであろうか。その意味でも、小沢一郎の今後を注視したい。

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