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2010年3月31日 (水)

東アジア共同体について

東アジア共同体については、民族派にも肯定的な見方をする人と、反対する人がいる。私は後者である。今日、共産支那と北朝鮮の軍事的脅威が高まり、特に共産支那のアジアにおける覇権拡大が、日本をはじめとした周辺諸国の独立を脅かしている。こうした時に、共産支那を含むとの『共同体』を作るのは、支那によるアジア支配を許すことになる。

日本がアメリカの従属下にあるということは事実であろう。アメリカの従属下の日本とは、現状のままということだ。しかし、共産支那の従属下に入ったら、どういうことになるか。予想するだに恐ろしいことである。

今日世界最大の帝国主義国家、軍事大国、侵略国家は何処か。それは「中華人民共和国」である。チベット・満州・東トルキスタンなど「中華人民共和国」の面積の三分の二は、支那民族が他の民族の居住地を侵略し収奪し併合したものである。

そして今日唯今も、中華人民共和国は、軍事力強化に狂奔している。『海洋強国』を国家戦略に掲げて海洋権益の拡大を進めている。

核兵器を保有する共産支那との「共同体」とは軍事大国によるわが国併合以外のなにものでもない。支那の李鵬はかつて「日本という国は五十年後にはなくなっている」と言った。まさに東アジア共同体が実現した暁には、わが國は「中華帝国」に併吞され、日本国は無くなるであろう。そんな悪夢を現実にしてはならない。

反米というか、アメリカの従属下から脱するということは大切である。しかしそれと引き換えに支那の従属下に入ることだけは避けなければならない。要するにも自主独立の日本建設が急務なのである。

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千駄木庵日乗三月三十日

午前は、母のお世話。

昼は、新宿の中村屋にて、同志お二方と懇談・打ち合わせ。カレーライスを食しつつ、東アジア共同体・日韓併合百年について、そして今後の活動について談論風発。中村屋のカレーライスはインド独立運動で活躍したラス・ビハリ・ボースが、日本に亡命して来て、頭山満氏の依頼により、中村屋にかくまわれた時、中村屋創業者の相馬愛蔵氏に伝えたという。実においしい。

この後、一人で、紀伊国屋書店に寄った後、明治新宮に赴く。

明治神宮文化館にて開催中の『日本文化を担う・漆の美展』参観。

そして、御苑を散策。入り口にたくさんの人が並んでいる。係の人に尋ねたら、「清正井」に来た人々だという。「散策する為に来た」と言ったら、「並ばなくて良い」とのことで、すぐに入苑させてくれた。以前はこんなことはなかった。最近、『清正井』がパワースポットとして喧伝され、この井戸に来ると心身がきよめられ、仕事運がつくと言われているそうである。

「清正井」とは、この地に下屋敷を構えていた「加藤清正」が掘ったと伝えられ、一年中絶えることなく湧き出る清水は、南池の水源となっている。水質が良いと言われている。御苑を拝観する度に、井戸の側まで行っているが、今日は、整理券をもらわなかったので行けなかった。何とも面白いことになっている。この井戸に来ることがきっかけとなって、多くの人々特に若者が、明治天皇様のご聖徳を理解するようになればいいと思う。

そして、本殿に参拝。明治神宮には、久しぶりに参拝した。神宮の森は、まことに素晴らしい。神宮に参拝すること自体が心身の「きよめ」になるのである。

病院に赴き、父に付き添う。落ち着いている。

帰宅後は、書状執筆・諸雑務。

            ○

明治神宮

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2010年3月30日 (火)

警察庁長官狙撃事件時効成立に思う

平成七年三月、国松孝次・警察庁長官(当時)が出勤のため東京・荒川区南千住の自宅マンションを出た直後に銃撃され、瀕死の重傷を負った事件は、殺人未遂容疑の公訴時効(一五年)が成立した。

一国の治安の責任者が銃撃され、しかもその犯人が逮捕できなかったというのは、前代未聞のことであり、国際的にもあまり例がないのではないか。

不思議なのは、国松氏の自宅がどうして分かったのか。出勤時間をどうして知り得たのか、警護が少ないことを何故知っていたのか、ということである。また、狙撃犯は相当の射撃の名手であったと思う。そんな人がオウムにいたのであろうか。いたとしたらすぐ誰であるか判明すると思うのだが…。

この事件が起きた日、私は引っ越してきたばかりの自宅マンションの部屋を掃除していた。九時過ぎだったと思う。けたたましいサイレンの音がしたので、ベランダに出ると、不忍通りを数台のパトカーと共に救急車が日本医大の方向に走って行った。物凄いスピードであった。南千住方向の空にはヘリコプターが飛んでいたと記憶する。天気の良い日だった。

この頃、私の出している『政治文化情報』に協力をいただいていた企業の渉外担当者に警察OBが多くいた。その人たちは異口同音に、『オウム真理教と半ば戦争のような状態になっていたのに、何故、官舎に住まなかったのか。これが一番の間違い』と言っていた。

しかし、ともかく、国松氏が助かったのは何よりのことであった。その後、健康を回復された国松氏の講演を新宿の花園神社で聞いたことがある。私の質問に丁寧に答えていただいた。

オウム事件・雲仙普賢岳の爆発・阪神淡路大震災・自民党政権の崩壊・バブル経済の崩壊・景気の低落というようなことがこの頃次々と起こった。そして日本は混迷を深めて来たように思われる。

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千駄木庵日乗三月二十九日

午前は、母のお世話。

介護のケアマネージャー来宅。来月の介護計画について確認。

何故「ケアマネージャー」という英語を使うのだろうか。私には分からない。おかしな話である。

午後は、資料の整理。

その後、病院の赴き、父に付き添う。お医者さん、看護師さん、介護士さんが親切なので助かる。

帰宅後も資料の整理。ともかく新聞雑誌がどんどんたまっていく。近々、「同和問題」及び「国民主権」について原稿を書く予定なので、その二つのテーマに関する資料を探し出した。

昨日の『サンプロ』最終回のビデオを見ながら仕事をした。亀井氏と菅氏は十年前にも、『サンプロ』で、『森総理神の国発言』と『亀井氏の資金疑惑問題』で激論を戦わせていた。と言うよりも、罵り合っていた。本来的この二人は犬猿の仲なのである。三党連立政権瓦解は時間の問題であろう。鳩山由紀夫に菅・亀井の二人を抑える力はない。ましても小沢には頭が上がらない。総理の資格なしということである。

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2010年3月29日 (月)

谷口雅宣氏のブログを読んで

生長の家の谷口雅宣氏のブログ『小閑雑感』というのを時々読むのだが、三月二一日ブログは、「『ともに生きるとは」と題して次のようなことが書かれていた。これは、生長の家本部で行われた行事での挨拶だという。

「生長の家で最も重要視されている神示は、『大調和の神示』と呼ばれているもので、…その中に、『神に感謝しても父母に感謝し得ない者は、神の心にかなわぬ』という箇所があります。また、『神に感謝しても天地万物に感謝せぬものは、天地万物と和解が成立せぬ』という文章もあります。この2つの文章は、生長の家の信仰する『神』というものは、具体的な姿形をもたないけれども、すべての命あるもの、命なきものの背後に存在する“結びの力”であるということを示しています。つまり、神において私たちは皆、結ばれているのです。この『大調和の神示』には『われかつて神の祭壇の前に供え物を献ぐるとき、先ず汝の兄弟と和せよと教えたのはこの意味である』とも書いてあります。これは新約聖書の『マタイによる福音書』第5章23節の記述に触れた教えですが、ここにも、神だけを目当てにしているのでは不十分で、神の創造されたすべてのものと和解することが、神に通じる道であるとの教えが説かれているのです。ですから、私たち人間は、肉体的には一人で生まれ、一人で死んでいくように見えていても、神を見出した人は、その神を通じて、すべてのものと調和した関係にあるとの信仰に到達することができるでしょう。」

まことにその通りである。ところが、谷口雅宣氏自身が、この「天地一切のものと和解せよ」「汝の兄弟と和解せよ」という「神示」を全く実践できていないのである。よくまあ、こんなご立派なことが書けるものだと感心する。自分が実践できないことを他人に説くなと言いたい。

『大調和の神示』の冒頭には、

「汝ら天地一切のものと和解せよ 天地一切のものとの和解が成立するとき 天地一切のものは汝の味方である 天
地一切のものが汝の味方となるとき 天地の万物何物も汝を害することは出来ぬ 汝が何物かに傷つけられたり黴菌や悪霊に冒されたりするのは汝が天地一切のものと和解していない証拠であるから省みて和解せよ。われ嘗て神の祭壇の前に供物を献ぐるとき 先ず汝の兄弟と和せよと教えたのはこの意味である。」と示されている。

私はこれまで雅宣氏への名指し批判は出来る限り控えてきた。自分が師と仰いだ谷口雅春先生のお孫さんにあたる方を批判するのは何とも心苦しいと思ったからである。しかし、最近の彼の言動は、全く祖父の教えを理解していないというか、実行できていないと思われるので、あえて批判することとした。

雅宣氏の兄弟は、姉二人と弟一人の三人いる。この三人の兄弟が全て、教団から追放されている。姉夫婦とは裁判沙汰にまでなっている。まことに困ったことである。宗教団体に内紛はつきものだが、「天地一切のものと和解せよ」「汝の兄弟と和せよ」という根本教義を、その継承者が全くし実践できないのみならず、全く逆のことをしているのではお話にならない。雅宣氏は、『法燈の継承者』と自称しているが、全くその資格はないと思う。

谷口家は、今や生長の家ではなく『バラバラの家』であり、「和解」「大調和」とは全く正反対の「争い」と「大不調和」の家となっている。一番悲しまれているのは、祖父・祖母である谷口雅春・輝子両先生であろう。
 

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千駄木庵日乗三月二十八日

午前は、母のお世話。

午後は、原稿執筆。

この後。病院に赴き、父に付き添う。眠っている。額に手を当てると薄目を開ける。苦しみが少ないことを祈る。

帰宅後も、原稿執筆。

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2010年3月28日 (日)

金玉均先生墓前祭における元韓国軍高官のお話

「先覚 金玉均先生墓前祭」の直会において、参列された大韓民国の元軍人の方が次のようなことを語られた。

「十七歳の時に終戦を迎えた。私たちの世代が鬼籍に入れば朝鮮はおしまい。私は歴史の生き証人。極東の情勢は百年前に戻っている。これから韓国と日本は手を携えて列強に立ち向かわねばならない。

朝鮮半島は九二0回以上侵略を受けている。韓国動乱でソウルは二回も敵に蹂躙された。そういう歴史を体験すると、日本人には考えられない精神状況が生まれる。日本人は、正義感・遵法精神を昔のまま持ち続けている。そういう国は世界で日本のみ。これを日本人は意識していない。

北朝鮮から亡命して来た黄長燁氏が私に語ったところでは、『三百万人が餓死している。これを食い止めるために、金日成・金日成偶像化のための銅像や建物を作るのを止めて外国からコメを輸入すべきだ。』と建言したが、金正日は拒否したという。金正日は人間ではない。

金大中・盧武鉉の時代に百億ドルの金が北に送られた。北朝鮮の国家予算は日本の鳥取県の予算と同じ。韓国の国家予算は十二兆円。東京都の予算は九兆円。小沢が六百人を引き連れて中国にお辞儀をしに行った。気が狂っている。

十八世紀、・十九世紀は、世界の八五%が植民地。日本の台湾・朝鮮統治は西洋列強の植民地支配とは全く性格を異にする。法治・教育・近代化・インフラ整備・階級支配の打破・農地解放を行った。

ロシアの南進を阻止するために、日清・日露の戦いがあった。その結果、満州・青島・樺太の権益を得た。それを守るための武力行使が、満州事変・支那事変・大東亜戦争。

日本人は、実直・生真面目・潔い。そういう立派な素質が、北朝鮮・中国の策略に立ち向かう態勢を弱くしている。南京で、日本軍が三十万殺したというのは嘘。平服に着換えゲリラ戦を行った支那兵即ち便衣隊を二・三万殺しただけ。国際法上認められた当然の戦闘行為。

私の十七歳までの人生、即ち日本統治下の人生が良かった。その後六十五年経った今日の韓国は滅茶苦茶。三十八度線近くの米軍基地の周りにはパンパン宿がたくさんあった。人類の恥部で伏せておくべきことは伏せておくべし。

中国は権力主体、王朝中心。日本は東洋でありながら東洋ではないところを持つ。竹島問題は国際司法裁判所で解決すべし。それでも解決しなければ爆破すべし。」と語った。

この方のお名前は分かっているが、お話の内容が非常に微妙であり、しかも、元韓国軍の高官であられるので、ご氏名を伏せる。

台湾統治・朝鮮統治は、決して侵略でも搾取でもなかったというご主張はまったく正しい。色々感想もあるが、今日はもう深夜になったので、機会をあらためて書くこととする。

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千駄木庵日乗三月二十七日

朝は、母のお世話。

午前十一時より、青山霊園外国人墓地にて、「先覚 金玉均先生墓前祭」執行。祭主の頭山興助氏及び代表呼び掛け人代表代理の山浦嘉久氏が挨拶。福永武氏が斎主となり、祝詞奏上・金玉均先生碑文奉唱・玉櫛奉奠などが行われた。そして、献杯が行われ、木村三浩実行委員長が挨拶して、終了した。今日はよく晴れあがり、さわやかな祭事となった。

この後、北青山の大東会館にて直会が行われ、出席者が活発な討論を行った。久しぶりにお会いした同志もいて、有意義な集いとなった。

金玉均氏は、福澤諭吉・犬養毅・頭山満氏らと深い関係を築き、明治維新を模範とした清朝からの独立、朝鮮の近代化を目指して活動した志士。188412月、閔氏政権打倒のクーデター(甲申事変)を起こしたが、朝鮮を属国にしていたの介入で失敗した。後、上海に渡り、1894年3月28日、上海で閔妃の刺客によって暗殺された。遺体は清国軍艦咸靖号で朝鮮に運ばれ凌遅刑に処された。

凌遅刑とは、肉を少しずつ切り落とし、長時間苦痛を与えたうえで死に至らす刑。金玉均氏は、遺体を切り刻まれた。この刑に処された人間の人肉漢方薬として売られることになっていたとされている。この刑罰は支那の影響を色濃く受けた李氏朝鮮朝鮮王朝)でも実施されていた。何とも残虐無比なる刑罰である。儒教国家ではこういうことが行われたのである。日本も儒教を受け入れたが、こんな風習というか刑罰は、受け入れなかった。

帰宅後は、資料の整理など。

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金玉均先生御墓

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2010年3月27日 (土)

最近寄贈された書籍の紹介

最近寄贈していただいた書籍を紹介する。

          ○

大野芳著 「死にざまに見る昭和史」 平凡社 著者より

苫米地英人 「スピリチュアリズム」 にんげん出版 小林健治氏より

川本祥一著 「部落差別の謎を解く」 にんげん出版 小林健治氏より

西光万吉集編集委員会 「西光万吉集」 解放出版社 小林健治氏より

「死にざまに見る昭和史」は、中河与一・山本五十六・大西瀧次郎など、昭和を生きた人々の生きざま・死にざまを書いた本である。著者の大野芳氏は、中河与一先生の門下として小生の先輩である。平野謙や中島健蔵という左翼評論家の虚偽の「告発」によって文壇を事実上追放された中河与一先生の悲劇の人生について書かれている。

「部落差別の謎を解く」は、部落差別の原因について書かれている。「西光万吉集」は、水平社創立者の一人である西光万吉の文章が収められている。西光万吉氏は、「高天原を地上へ」と説き、天皇を中心とする國體を明らかにすれば、部落差別は解消すると訴えた。昭和初期の維新運動にも参画した人物である。しかし、戦後、左翼勢力から「裏切り者」とされ、無視され続けてきた。

左翼は、「部落差別の原因は天皇制にあり」と主張するが、これは大いなる誤りである。制度としての身分差別は、徳川幕藩体制下に発生し、固定化したのであり、一君万民のわが国の國體とは相容れない。ゆえに明治維新後において、「身分解放令」が発布された。これは、明治天皇の「五箇条の御誓文」の「旧来ノ陋習ヲ破リ天地ノ公道ニ基クベシ。」との大御心に基づく。

このことは、小生の「平成維新試論」に少し書いたが、もっと詳しく勉強したいと思って、参考文献を探していた。特に西光万吉氏の論文を読みたかった。「にんげん出版」の小林健治氏のご厚意に深く感謝する。

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千駄木庵日乗三月二十六日

午前は、母のお世話。

午後、『伝統と革新』編集実務担当者の方と打ち合わせ。次号の企画などについて語り合う。

この後、病院に赴き、父に付き添う。意識が大変はっきりしていた。家に帰りたがるので本当に切ない。「靴を出してくれ」とか「さあ帰ろう」とか言う。なだめようがない。看護師さんに説得してもらうほかない。

帰宅後は、書状の執筆・資料の整理など。

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2010年3月26日 (金)

菅直人氏の国体観

資料の整理をしながら、撮りだめしたビデオを見ることにしている。十年くらい前の『サンプロ』を見た。森喜朗総理の『神の国発言』直後だったので、『森発言』について、当時の自民党政調会長亀井静香氏と、民主党の菅直人氏及び共産党の筆坂秀世氏が大激論を戦わせていた。殆ど罵り合いである。

菅直人氏と亀井静香氏とは、この頃は犬猿の仲であった。今は同じ内閣の閣僚になっている。民主党政権は、国家基本問題で、全く意見の異なる人々によって構成されているのだ。うまくいくはずがない。今日も、郵政問題で、菅氏が亀井氏を批判したと報道されている。

森喜朗氏の発言に、共産党が猛反発するのは当然としても、菅直人氏が、共産党以上に『神の国発言』を非難していた。菅直人氏は、森氏が「國體」という言葉を使ったことに対して、「國體とは、戦前の天皇主権の考え方であり、憲法に反する。」というようなことを述べていた。これは間違っている。『大日本帝国憲法』には、「天皇主権」などということは一言半句書かれていない。そもそもわが国の「國體」は、「君民一体」であり、天皇は権力者ではあらせられないし、君主と国民が政治権力の争奪戦を行った歴史もない。従って、日本國體は、「天皇主権の体制」などという議論は全く間違っている。菅直人氏は、日本の國體を正しく理解していない。國體とは、政治体制のみのことではなく、広く天皇を祭祀主と仰ぎ、文化の中心者と仰ぐ共同体のことを意味しているのである。

これは重要な問題であり、鳩山・小沢失脚後、菅直人氏が政権を担当する可能性もあるので、この問題を菅直人氏に質す必要がある。

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千駄木庵日乗三月二十五日

午前は、母のお世話。

午後は、両親の保険関係の手続きなど。

この後、病院に赴き父に付き添う。「暑さ寒さも彼岸まで」と言われるが、今年は、彼岸を過ぎて、冬に逆戻りしたようである。氷雨が降った。

帰宅後は、書状作成、資料の整理など。

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2010年3月25日 (木)

国家民族の危機と國體精神の回復

今夕、お二人の同志と懇談した時、次のようなことを話した。

わが國には、対外的危機感が伝統精神の復活・回帰の熱望を呼び覚まし国家を変革してきた歴史がある。大化改新・明治維新がそれである。現代もそうした時期である。わが國の伝統の根幹は「天皇中心の國體」である。「天皇中心の國體」とは、神話の世界以来の信仰に基づき一系の血統と道統を保持し継承される天皇による國家統治ということである。

國家的危機において國體の本来の姿・あるべき姿に回帰する運動が必ず勃興した。これが日本におけるナショナリズムである。承久の変・元寇・建武中興・幕末の時期に起こった動きがその典型である。元寇の時には「神國思想」が謳歌され、欧米列強による侵略の危機に遭遇した幕末においては「尊皇攘夷思想」が謳歌された。

國家的危機においてはわが國は、天皇を中心とした國家的統一すなわち國體の本来の姿・あるべき姿に回帰する運動、そして天皇及びご皇室を中心にして「ますらをぶり」「剣魂」「もののふの心」が勃興した。これが日本におけるナショナリズムである。

歴史は繰り返すと言うが、今日の日本も幕末当時と同じように、内憂外患交々来るといった状況になっている。対外的には、教科書問題・靖國問題・領土問題・歴史問題などを見ても明白なように、支那や韓國から侮りを受け、領土は侵され、國家としての自主独立性は失われている。しかも國家防衛はアメリカに依存している。対内的には、政治家は与野党を問わず政権争い権力争いのみに狂奔し、正しき國家の進路を指し示す事ができない。

こうした状況を打開するためには、日本的変革の原理たる「天皇中心の國體の明徴化」の理念を基本とした大変革即ち平成維新を断行しなければならない。

今日、政治の混乱・経済の停滞・道義の低下・外圧の危機が顕著になっている。にもかかわらず人々の心の中に不安と空虚感が広まっている。これを克服するためには、日本民族としての主体性が大事になってくる。

今日の政治家も変革・改革という言葉を連発しているが、危機を脱出するためには、単に政治体制の変革だけでなく、国民精神の革新・日本伝統精神の復興が行なわれなければならない。

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千駄木庵日乗三月二十四日

午前は、母のお世話。

午後は、諸雑務。

その後、病院に赴き、父に付き添う。

夕刻、西日暮里にて、同志お二方と懇談。六月より開始予定の勉強会について相談。

帰宅後は、原稿執筆。

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2010年3月24日 (水)

冷戦時代よりも国家的危機は深まっている

今日の昼に懇談した友人と話し合ったことを記す。

昭和二十年代は、共産党の暴力革命路線による火炎瓶闘争、そして朝鮮戦争が起こり中ソ両国の武力による侵略の危機があった。その後も、第一次・第二次安保闘争、そして過激派の跳梁跋扈などがあった。そういう時期は、革命前夜などと言われた。

そういう時代は、左翼革命勢力といわゆる保守勢力が激突し、敵と味方の峻別が容易であった。ところが今日は、保守といわれる勢力の中に、左翼的思想を持つ人物や勢力が入り込んでいる。そして思想的には左翼が影響力を強めている。民主党政権の実現は、左翼による政治権力掌握である。衆参両院議長は左翼である。小沢一郎は、はっきり言って共産党よりも悪質な反国家・反日本民族政治家である。そして民主党政権は、皇室の尊厳性を冒瀆し、夫婦別姓、定住外国人への地方参政権付与などを実現しようとしている。

冷戦時代の左右が激突していた状況よりも国家的危機は高まり、深まっている。民主党は、天皇国日本を内側から崩壊せしめようとしているとしか思えない。私は亀井静香氏に対しして、彼の皇室論を厳しく批判した。しかし、最近の亀井氏の色々な言動を見ていると、民主・社民連立による亡国政策に歯止めをかけているのは亀井氏であるように思える。

真正保守・維新政治勢力の結集と前進が望まれる。

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千駄木庵日乗三月二十三日

午前は、母のお世話。

昼は、知人と懇談。私の甥と同年代で、三十歳のこれからの活躍が期待される友人である。今後の発展を祈る。

午後は、資料の整理。

その後、病院に赴き、父に付き添う。

帰宅後も、資料の整理。

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2010年3月23日 (火)

横山大観展及び講談社について

今日、参観した講談社野間記念館は、講談社の創業者・野間清治が、大正期から昭和初期にかけて収集した美術品を主体とする「野間コレクション」が展示されている。隣の蕉雨園と共に野間清治氏の屋敷跡である。明治時代の宮内大臣田中光顕伯の屋敷であったが、渡辺治右衛門氏渡辺銀行総裁)を経て、昭和七年に講談社初代社長野間清治の所有となった。山縣有朋邸後の椿山荘に隣接し六千坪以上あるという。私設文部省と言われた講談社という出版社がいかに収益を上げたかが分かる。

『開館十周年・横山大観展』は、「大観と野間コレクションとの関わりは、大正10年(1921)ころから始まった、講談社の初代社長、野間清治の美術品収集と軌を一にします。…
野間は、大観に作品の制作を依頼、大観は自ら制作すると同時に、日本美術院の後輩画家たちにも、野間への作品制作を斡旋しました。こうして深まっていった大観と野間の交流。…本展では、その原画はもとより、野間コレクションの中から、大観の画業がもっとも充実した大正期の作品を中心に展示。さらに大観と同時代に活躍した、下村観山、木村武山、安田靫彦ら、日本美術院の画家たちの佳作を、あわせてご覧いただきます。」(案内書)との趣旨で開催された。

若き日の千利休を描いた「千与四郎」、そして「松鶴図」、「月明」、富士を描いた「暁山雲」などどれも迫力のある見事な作品であった。横山大観は、大胆な描き方のようでいて、緻密な描写があり、やはり近代日本画の最高峰と思う。圧倒されるような迫力と美しさがある。下村観山の「竹林賢人」も素晴らしかった。

大観が野間清治氏に宛てた大正十年十一月六日付の書簡も展示されていた。その頃の野間清治氏の住所は「本郷区駒込坂下町四八」であった。本郷区駒込坂下町とは、私が育ち現在も住んでいる千駄木三丁目の旧町名である。母方の祖父の代からここに住んでいて、母もこの町で生まれ育った。我が家は駒込坂下町一一八番地であった。講談社発祥の地で、野間清治宅及び講談社のあったところに今も講談社の社宅が建てられている。大正十年と言えば、私の母が生まれた次の次の年である。母は、野間氏のお嬢さんと同じ所で日本舞踊を習っていたという。また、私の祖父はあることから野間氏と多少の付き合いがあり、『講談倶楽部』などの雑誌が毎月送られてきたという。

野間記念館の前に、東京カテドラル聖マリア大聖堂がある。カトリックの大教会で、吉田茂元総理の葬儀が行われた。

また、永青文庫がある。旧熊本藩主細川家伝来の美術品、歴史資料や、一六代当主細川護立の収集品などを収蔵し、展示、研究を行っている。ここも、細川藩の藩邸跡。

永青文庫

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東京カテドラル聖マリア大聖堂

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千駄木庵日乗三月二十二日

午前は、母のお世話。

午後、文京区関口の講談社野間記念館で開催中の『開館十周年・横山大観展』参観。

参観後、目白台を散策。このあたりには、東京カテドラル大聖堂・蕉雨園・永青文庫・創価学会文京平和会館・故田中角栄邸などがある。

そして、病院に赴き、父に付き添う。父の頭の髪の毛が剃られていた。病院の都合もあるのだろうが、家族の了解を得て欲しかった。私は毎日病院に行っているのだから。

日暮里駅前の蕎麦屋にて、谷中霊園のご先祖の墓にお参り来られた知人と懇談。関ヶ原の戦いに敗れた後、八丈島に流された宇喜多秀家のこと、秀家を助けた前田藩のことなどを語り合う。

帰宅後は、『政界往来』の連載原稿執筆・脱稿・送付。

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2010年3月22日 (月)

「彼岸法要」で反省したこと

今日の法要でのご住職の法話で印象に残った話を記す。

「『仏・法・僧』の『僧』とは、仏道修行をする僧と広く在家を含めた集団をいう。これを僧伽という。つまりお寺のことである。地獄・極楽は、この世にもある。親殺し・子殺し、幼児を虐待し餓死させるなどというのは、この世の地獄。動物でも親は子を愛する。万物の霊長と言われる人間が動物以下のことをする。人の心の持ちようで、この世が極楽にも地獄にもなる。自分で自分の心をコントロールすることが大切。」

今日の法話を聞いて、

「ものいはぬ 四方の獣 すにだにも あはれなるかなや親の子を思ふ」

という源実朝の歌を思い出した。獣にも劣る人間が横行している今日の状況は、まことにも末世と言うべきであろう。

自分で自分の心をコントロールすることが実に難しい。私も還暦を過ぎたというのに、すぐに興奮するたちなので、深く反省させられる。もっともっと信仰心を深め、高めねばならない。

谷口雅春先生から教えられた

「心こそ 心まどはす 心なれ 心に心 心許すな」という

歌を思い出した。

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千駄木庵日乗三月二十一日

午前は、母のお世話。

午後、北区にある菩提寺に参詣。四宮家の墓を掃苔・拝礼。御加護を祈る。他界した叔母のご主人が来ておられた。叔母から「先祖の墓を参ってくれ」と遺言されたという。感謝。

午後二時より、本堂にて、『彼岸法要』執行。ご住職の導師で、読経・焼香。そして、ご住職が法話を行った。終了後、茶菓をいただき、しばし懇談。

この後、病院に赴き、父に付き添う。

帰宅後は、録画しておいた『サンデープロジェクト』を見ながら資料の整理。政策面でも体質面で民主党政権がいかにおかしいかを再認識した。来週で『サンプロ』も終了するという。田原氏とはずいぶんぶつかったが、いささかさみしい気もする。

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2010年3月21日 (日)

小沢一郎を政界から追放しなければならない三つの理由

小沢一郎が幹事長を辞任しないと、民主党の支持率はますます下がり続けるであろう。民主党亡国政権を崩壊せしめるにはその方がいいのかもしれない。しかし、小沢一郎はあまりにもひどすぎる。今まで国に害をなすと思われる色々な政治家を見てきたが、小沢一郎ほど悪い政治家はいなかった。まず第一に、彼の皇室に対する姿勢が全く許し難い。第二に、小沢が日本人であるかどうかを疑わしめるような国家観・歴史観を持っている。第三に、共産主義国家や集団と同じような独裁専制体質を持っている。

この三点が、小沢一郎を一日も早く政界から追放しなければならない理由である。この三つは、他の問題とは比較にならないくらい重大である。先日ある政治家と話した時、の「小沢一郎がこれほどひどいとは思わなかった」と私が言ったら、その政治家は「今こそ真正保守の政治勢力が結集する時である」と言った。そのためにも当面の最大の課題は、小沢一郎の打倒である。

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千駄木庵日乗三月二十日

午前は、母のお世話。介護の方と共なり。

この後、『政治文化情報』発送作業。発送完了。購読者の皆様には、連休明けにお届け出来ると存じます。

そして、病院に赴き、父に付き添う。

帰宅後は、資料の整理など。

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2010年3月20日 (土)

江戸時代の尊皇精神と現代

最近、江戸時代を理想化し、江戸時代のような態勢に戻るべきだという主張が出て来ているが、私は反対である。たしかに二百数十年の「太平の世」が続いた。これは徳川氏の功績である。しかし、江戸時代の徳川幕藩体制においては、天皇中心の國體が著しく隠蔽されていた。徳川将軍家が政治権力を壟断し、天皇・朝廷は、京都に逼塞状態に置かれた。天皇中心帰一の國體を回復する一大変革が明治維新であった。

ただし、江戸時代においても、天皇が日本国の君主であるという事実が全く隠蔽されていたわけではない。尊皇思想の道統は脈々と受け継がれていた。また、天皇を君主と仰ぐことが、徳川幕藩体制の正当性の根拠であった。

山鹿素行(江戸前期の儒者、兵学者)は、「朝廷は禁裏也、辱も天照大御神の御苗裔として、萬々世の垂統たり、此故に武将権を握て、四海の政務武事を司どると云ども、猶朝廷にかはりて萬機の事を管領せしむることわりなり」(『武家事紀』)と論じてゐる。

松平定信(江戸後期の白河藩主。田安宗武の子。徳川吉宗の孫。老中となって、財政の整理、風俗の匡正、文武の奨励、士気の鼓舞、倹約を実施して寛政の改革を実行)は、天明八年十月に将軍家斉に奉った上書で「六十余州は禁庭より御あづかり遊ばされ候御事に御座候へば、仮初にも御自身の物とはおぼし召され間敷候御事に御座候」と論じた。

山県太華(長州明倫館学頭・藩主毛利斉元の側儒)は、「天子は、先皇以来正統の御位を継がせ給うて天下の大君主と仰がれ給ひ、武将は天下の土地人民を有ちて其の政治を為す」(『評語草稿』)と論じた。

このように、江戸時代においても、日本国の君主は天皇であり、征夷大将軍はその臣下であるということが大義名分であった。臣下の自覚の希薄な者が、政治権力を掌握している今日の状況は何としても正されなければならない。

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千駄木庵日乗三月十九日

朝は、母のお世話。

午前十一時より、品川グランドセントラルタワーにて、『2010年深見東州作品展』開幕式開催。深見氏が挨拶。テープカットが行われた。そして、深見氏の絵画作品を参観。西村眞悟前衆院議員・下村博文衆院議員・園田天光光さんなどにお会いする。

帰途、出席した長年の同志お二人と懇談。談論風発。

この後、病院に赴き、父に付き添う。

帰宅後は、『政治文化情報』発送準備など。

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2010年3月19日 (金)

松本健一氏の講演を聞いて

松本健一氏の講演で、印象に残ったことを記す。

「内田良平の黒龍会は、傳統を継承しつつ国家の自立を求める革新的ナショナリズム運動を起こした。国民の権利を守り、日本の誇りを対外的に主張する。ナショナリズムは国民主権と切り離せない。ネーションは、民族・国家・国民が一元化した言葉。ナショナリズムは国民主権の国家をつくっていこうという考え方。明治維新は、日本人が独立国家を維持し、国民の権利を守る体制をつくっていこうとした。韓国における日本の三悪人は、豊臣秀吉・西郷隆盛・福澤諭吉。ナショナリズムは日本だけのそれを認めるのではなく、他民族のナショナリズムも認めねばならない。北一輝は、日本における革命思想を主張した。辛亥革命に参加した。明治政府は、優秀な人間を育成する金のかからない学校を三つ作った。士官学校・師範学校・司法省法学校の三つ。国民に夢を与えた。北一輝は『日本は天皇を中心とする民主国家』と言った。磯部浅一も同じことを法廷で述べた。北一輝は、対米戦争を起こしてはいけないという考えだった。対米戦争をすると、英国・ソ連・中国がわが国に戦争を仕掛けると言った。北一輝のような見取り図を持っていた人はいなかった。近代国民国家は、一言語・一民族・一国家にならなければ、独立が保てない。国際社会で自己主張できない。」

              ○

大変勉強になった。松本氏はまことに博学である。これだけ北一輝のことを研究している人はいないであろう。もっと色々なことが語られたが、必ずしも、小生の考え方と同じではないところも多く、且つ、明日は何時もより早く起床しなければならないので、この辺にとどめ、詳しくは、『政治文化情報』で報告する。ただ一つ言いたいことは、『国民主権』とか『近代国民国家』というのは、西洋概念である。特に「国民主権」というのは君民一体の日本國體とは相容れないと私は考える。

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千駄木庵日乗三月十八日

午前は、医師の往診があり、母に付き添う。

午後一時半より、豊島区立千早地域文化創造館にて、『萬葉會』開催。小生が、大伴家持の歌を講義。

いったん帰宅し、諸雑務。

午後七時より、ホテルサンルート高田馬場にて、『一水会フォーラム』開催。松本健一麗澤大学教授が、「本のナショナリズムについて」と題して講演。質疑応答。

この後、松本氏を囲んで懇親会。

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2010年3月18日 (木)

日本に絶対的独裁者が出現しなかった理由

日本には、近代において、スターリン・毛沢東・金日成のような、残虐無比の独裁者は出現しなかった。また、建国以来、古代・中世・近世を通じて絶対専制君主も出現しなかった。ここが、西欧諸国や支那大陸や朝鮮半島とわが国が根本的に異なるところである。

わが国は、神武建国以来、一系の天子が祭祀主として君臨されてきた信仰共同体であり、祭祀国家である。祭祀主としての天皇、道義の鏡としての天皇が、上におわしましたことが、武力・権力闘争に打ち勝った覇者が出現しても、自然に自制心、かしこみの心が生まれたと考える。それが、絶対専制君主や独裁権力者がわが国に生まれなかった原因である。

今日及び将来の日本においても、祭祀主たる日本天皇の信仰的権威が、政治権力を浄化し、権力者にかしこみの心を持たさしめ、国家・国民の幸福をはかることが出来るのである。こうした事が、わが国建国以来の「祭政一致」の理想であり、万邦無比の日本國體の素晴らしさである。

尊皇精神こそが、日本国安泰の基礎である。天皇を君主と仰ぐ日本国体の護持とその理想実現こそが、日本国永遠の隆昌の基礎である。従って、尊皇精神希薄な権力者は断じてこれを排除しなければならない。今日において、それが誰であるかは、あまりにも明白である。

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千駄木庵日乗三月十七日

午前は、母のお世話。

午後一時半より、三田で開催された会議に出席。スピーチ。

この後、父がこの間まで入院していた病院に赴き、書類提出。

続いて、現在入院している病院に赴き、父に付き添う。

帰宅後は、明日の萬葉會における講義の準備、及び

『政治文化情報』発送準備。

忙しい一日であった。

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2010年3月17日 (水)

鳩山邦夫氏の自民党離党に思う

鳩山邦夫氏が自民党を離党した。坂本龍馬になりたいなどと言っているが、言いも言ったりである。兄貴が総理になったのに、自分の存在感が薄くなり、自分の居場所がなくなり、焦っての離党騒ぎと言うべきであろう。同調者が出ないどころか、批判する人が多い。

鳩山邦夫氏は、祖父・一郎氏の地盤を引き継いだので、文京区が選挙区である。若い頃は、清新な感じがしないでもなかったが、最近は人相がとても悪くなったように思える。政治家という職業は、長くやると人相が悪くなるように思える。

鳩山由紀夫・邦夫両氏に言いたいことは、祖父の鳩山一郎氏の精神を正しく継承してほしいということだ。鳩山一郎氏は、護憲安保体制を克服して、自主独立の日本を回復すべく努力した政治家である。自民党結党綱領に「自主憲法制定」を掲げられたのは、鳩山一郎氏の意志による。また、鳩山一郎氏の『友愛精神』は、生長の家の教義「人間神の子」「天地一切のものと和解せよ」に立脚するのである。鳩山一郎氏は谷口雅春先生の『生命の實相』を高く評価し「現代の聖書」と言った。

鳩山兄弟は、祖父の意志の継承し、自主独立の日本の回復=戦後体制の打倒・自主憲法制定・真の『友愛精神』の発揚に努力してもらいたい。

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千駄木庵日乗三月十六日

午前は、母のお世話。

午後は、両親の介護及び医療関係の書類の作成。年度末なので色々な書類を出さねばならない。お年寄りには無理な仕事である。家族のいない高齢者は大変であろう。もう少し簡略化できないものだろうか。

その後、病院に赴き、父に付き添う。眠っていたが、薄目をあけてうなずいてくれた。

帰宅後も書類作成。そして明日の会合でのスピーチの準備。

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2010年3月16日 (火)

千駄木庵日乗三月十五日

午前は、母のお世話など。

昼は、知人と懇談。

午後は、木曜日の『萬葉會』における講義の準備。

その後、病院に赴き、父に付き添う。熱は下がったが、家に帰りたがるのが本当に切ない。

午後七時より、白山の本郷青色申告会館会議室にて、「おとなの寺子屋・論語の会」開催。東洋大学共生思想研究センターの野村英登氏(文学博士)が講義。

帰宅後も、『萬葉集』講義の準備。

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天道是か非か

「おとなの寺子屋・論語の会」での野村英登氏(文学博士)が講義で印象に残った話を記す。

「こんなに立派な人・救われなければならない人が、救われない状況に陥るのは、人間の関知できない力が働いたからだと考える。それが『天命』という考え方。貧しいことによって、自分の心の楽しさが減ることはない。学ぶ楽しさに生きていれば、貧乏でも楽しい。

バランスをとるのが中国哲学の特徴。どちらかの価値観に一方的にはまってしまうのは良くない。それが『中庸』。キリスト教圏の発想とは大きく異なる。決まった答えを教わることのない世界。それが法治よりの人治の世界になる背景の思想。中国はヨーロッパ全体と同じくらいの広さ。広い国土と各地域の風土の違いが大きいことが、こういう考え方を生んだ。日本人は生真面目だが、中国人は生真面目では生きていけない。

孔子の思想はルサンチマンといわれる。孔子は才能があっても報われない人が好き。中国が法治国家になるのは無理。下からの民主化は起こらない。オマンマが食べられれば民主体制でも共産体制でもどちらでもいいという考え。」

           ○

善人はつねに栄えるはずである。ところが、そうはいかない。伯夷・叔斉は、仁を積み、行いを潔くしたが、餓死して果てた。また、孔子の一番弟子の顏淵は、栄養失調にかかって、年若くして死んでしまった。盜跖は、日ごとに罪のない人民を殺し、人肉を食し、ありとあらゆる悪事を公然と行ったが、長寿を完うした。

こうした事は近現代でも同じである。独裁専制政治を行い、おおくの人々を殺戮し残虐行為を働いたスターリン・毛沢東・金日成は、天寿を全うした。

腐刑(宮刑ともいう。去勢する刑罰)に処された司馬遷は、『史記』の「伯夷列伝」に「天道是か非か」という悲痛な言葉を記した。「天道是」という名前の人の本を読んだことがある。わが国の「民族運動」の歴史を書いた本であった。

『悪が栄えたためしはない』というのは、わが国のみに通用する言葉なのであろうか。その意味でも、小沢一郎の今後を注視したい。

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2010年3月15日 (月)

日本の道義精神について

政治の根底には、それを支える正しき國家観と共に正しき道義観念・哲學が必要である。しかし、わが國民は、戦後日本のいわゆる「民主化」が進行する過程において、伝統的権威や慣習に制約されることが少なくなった。今日の日本國民の多くとりわけ若者たちは、正しき國家観を喪失しているだけではなく、正しき道義観・倫理観も持ち合わせていない。 

戦前の日本には、『教育勅語』に集約される正しき道義観があったし、「忠君愛國」「敬神崇祖」という正しき信仰精神があった。しかし戦争に敗北したことにより、それらは全て「軍國主義」「封建道徳」の名を着せられて排撃されてしまった。そしてわが國は道義観なき「自由と民主主義」「個人の尊重」が声高に叫ばれて来たのである。そして五十二年を経過し、今日の体たらくとなっているのである。

わが國には「恥を知る」という倫理観がある。「日本文化は名と恥の文化である」と言われるほどに、わが國民は恥をかくことを嫌うし、名がすたること忌み嫌ってきた。恥をかかさせることに何よりも怒りを覚える國民であったし、恥ずべきことはしないことを何よりも重んじてきた國民である。

ところが、今日の若者は浮浪者でも乞食でもないのに平気で地べたに座り込んで話をしたり、ものを食べている。こういう若者たちを<恥知らず>というのである。若者だけではない。政界・官界・財界のエリートたちも<恥知らず>が多くなってきている。だからわが國近年の外交は屈辱外交を繰り返しているのである。

わが國のすぐれた伝統精神・倫理観念・國家観を回復することが緊急の課題である。問題はその方法論である。一番大切なのは、家庭と學校における教育なのであるが、これがおかしくなっているのだから事は深刻なのである。家庭においては親たちが子供の鏡となるような生活を営むことが大事であるし、學校教育においてはわが國のすぐれた古典を教育すべきである。

共同体は、それを構成する人々の相互信頼と協力によって成り立つ。しかし現実には人々の私利私欲の追求によって相互信頼と協力は屡々破壊される。それを抑制するためには、共同体を構成する人々の利害を超越した神聖性・道義性を持つ「無私なる倫理性の鏡」が必要となる。それがわが国においては共同体の祭祀主たる天皇であらせられるのである。 

尊皇精神が日本の倫理精神の基本である。尊皇精神希薄な小沢一郎が、政治家としての道義感覚も希薄であることを見ればそれは明白である。

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千駄木庵日乗三月十四日

午前は、母のお世話。

午後は、資料の整理。

その後、病院に赴き父に付き添う。熱が下がったようなので安心する。

帰宅後は、諸雑務。

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2010年3月14日 (日)

天皇陛下と自衛隊

『日台関係研究会』における野口裕之産経新聞政治部編集委員の講演で印象に残ったことは次の通り。

「総理が外国に行った際、相手国の軍隊の栄誉礼を受ける。天皇陛下はお受けになれない。エリザベス女王が来日した時、指揮官に先導されて儀仗隊を閲兵したのは女王のみ。昭和天皇は見守っておられた。有事の際、皇居をお守りするのは皇宮警察・丸の内警察・応援の機動隊。自衛隊はお守りできない。自民党左派の野中広務がそうした。

天皇陛下の行幸される時、自衛隊のヘリコプターが使われるが、警察の施設から離発着される。阪神淡路大震災の時、両陛下が、自衛隊の施設から陸自の航空機で神戸に赴かれた。その時、『隊員は隊舎の中で待機せよ』という命令が下った。その基地の司令官は、処分覚悟で全員に整列させて、両陛下をお見送り申し上げた。自衛隊には殉職者が最も多いのに、慰霊行事に、陛下のご臨席を仰いだことは無い。

フォークランド紛争で指揮を執ったイギリスの将軍に取材した時、私がわが国の『専守防衛』について説明したが、全く理解してもらえなかった。その指揮官は『日本という国は何という軍事戦略を立てているのか。国家民族の命が惜しくはないのか。敵を出来るだけ遠くで撃ち破ることをわが英国は国是としている』と語った。『専守防衛』は軍事用語ではなく政治用語。中曽根氏が『専守防衛は国是』と言った。周辺諸国の脅威にならない兵器は平気ではない。脅威になるから兵器なのだ。阪神淡路大震災の時、当時の中部方面総監は、偵察部隊を海岸に張り付けた。中国と北朝鮮が騒擾を起こす可能性ありと判断したからである。

一九九九年、航空自衛隊機がエンジントラブルで入間川に墜落した時、高圧線に触れて関東地方に停電が起こった。メティアは、スーパーのアイスクリームが溶けたなどと報道した。操縦していた自衛隊員は何とか市街地に墜落しないように懸命の努力をして、入間川に墜落した。隊員はそのため脱出が遅れ、地面に叩きつけられて即死した。

民主党政権は唯一北朝鮮に評価された政権。日米関係がギクシャクするのは最も北朝鮮が歓迎する。民主党に外交安保の戦略はない。大向こう受けするバラマキをしている。日本文化を葬る反日政策をやっている。

チャーチルは『永遠の同盟などはあり得ない。永遠にあるのは国益のみ』と言った。民主党政権は革命政権。強面ではないところが怖い。法曹界の赤化、メディアと教育界の乗っ取りが進んでいる。小沢の秘書だった石川氏の弁護団の一員はバリバリ左翼。

日本の保守党たる自民党はソ連の崩壊後、立ち位置が曖昧になった。日本の文化伝統を守る姿勢を正しく確立すべし。アメリカは、北朝鮮よりもイランの核問題を重視している。イランからヨーロッパを守るのが第一。北朝鮮の核兵器は二次、三次の問題。日本は核武装しなければ核攻撃される危険性はある。自民党は党内の左派をつぶし、民主党の反日政策に反対する政策を固めるべし。」と語った。

           ○

皇室と自衛隊の関係と入間川の墜落事故のことを聞いていて涙がこぼれた。講演を聞いて涙がこぼれたのは久しぶりである。私の父が自衛官であったから言うわけではないが、自衛隊は本当に気の毒な立場に立たされ続けてきた。災害救助に駆り出されれば「土方」と揶揄され、左翼からは税金泥棒と罵倒され続けてきた。自衛隊に皇居を守らせることに反対したのは、後藤田正晴かと思っていたが、野中広務だったという。この二人は共に自民党の左派であった。後藤田も妙に自衛隊に対する反感を持っていたことは確かである。

畏れ多いが、天皇陛下が自衛隊を親閲される態勢を整えるべきである。また、皇居をお守りする近衛師団を復活させるべきである。そし、国軍としてのあるべき姿を回復せしめるべきである。

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千駄木庵日乗三月十三日

午前は、母のお世話。

午後二時より、渋谷のフォーラムエイトにて、『日台関係研究会』開催。野口裕之産経新聞政治部編集委員が講演。

この後、湯島天満宮に参拝。梅園の梅は既に散り果てていた。

そして近くで先輩と懇談。この方は、先祖代々湯島に住んでおられる方である。湯島には、世田谷に越す前に、小沢一郎氏が住んでいた。その方が言われるには、それほど大きな家ではなかったという。週刊誌の記者が小沢氏のことでこの方のところに取材に来たという。田中内閣で大蔵大臣をつとめた愛知揆一氏も湯島に住んでいたが、この人の家は豪邸といってよかった。同じく田中内閣で建設大臣を務めた木村武夫氏の弟さんが湯島で美術商を営んでいた。

帰宅後は、資料の整理。

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2010年3月13日 (土)

宗教争いについて

宗教には、正しい宗教と邪宗教があるといわれる。しかし、この宗教は絶対に正しく、この宗教は絶対に邪教だというよりも、宗教全般に良い面と危険な面・天使的側面と悪魔的側面とがあるように思う。言い換えると、宗教は人々に救いや平安を与えてきたと共に、争乱を巻き起こしてきたのである。

キリスト教が愛を説き、世界文化・文明の発展と人々の平和に貢献したことは間違いない。しかし、キリスト教が正しいことしかしなかったといふとそれは大きな間違いである。十字軍の遠征という侵略戦争をローマ法王の命令で行ったし、西欧列強による世界侵略の尖兵の役割を果たした。

慈悲を説き非暴力とされる佛教も、比叡山などの僧兵が戦闘を行ったし、一向一揆もあった。近年では、オウム真理教のようなテロを起こす教団も出た。宗教は愛や慈悲を説くと共に、罰や祟りも説く。そして呪詛することもある。ここが宗教の怖いところである。これまでの人類が行った宗教戦争・宗教対立でどのくらいの人が命を失ったことであろうか。

新宗教・新々宗教団体に内部抗争・分裂はつきものである。内部抗争の無い教団は無いと言って良いくらいである。慈悲・愛・赦しを説く宗教が、何故争いを起こすのか。全く不思議である。しかも、宗教団体の争いの憎しみは凄まじい。お互いに「罰が当たる」「地獄に落ちる」などと罵り合う。創価学会と日蓮正宗が良い例である。

私が若い頃活動し、今も、創始者の本を読んで魂の糧にしている教団も、「天地一切のものと和解せよ」「汝の兄弟と和解せよ」というのが根本教義なのに、兄弟同士が対立し、裁判沙汰にまでなった。何とも悲しいことである。この教団の場合は、公平に見て、今の指導者がおかしいと思う。何故なら、後継者であるのなら、もっとも正しく模範的に教義を実践すべきであるからである。しかるに、自分の意に沿わない人は兄弟すら教団から追い出してしまうなどということはしてはならないことである。

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千駄木庵日乗三月十二日

午前は、母のお世話。

午後は、『政治文化情報』の原稿執筆。

その後、病院に赴き、父に付き添う。熱は下がったようだが、昏々と眠り続けている。話すことはできない。額に手を当てて快癒を祈る。今度の病院はベテランの看護師さんが多く、父に対する接し方もソフトである。何となく安心感がある。前の病院は若い看護師さんばかりだった。若い看護師はテキパキとしているのだが、何かきつい感じがしていた。

帰宅後も、『政治文化情報』の原稿執筆・脱稿・送付。今月は、「日本主義」について書かいた。「書かせていただいた」と書こうとおもったが、鳩山総理がよく「何々させていただいた」という言葉を使うので、止めておく。丁寧過ぎると嫌みにもなる。「有難うございます」という言葉も、「お有難うございます」となると、乞食・物乞いのセリフになる。

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2010年3月12日 (金)

東京大空襲について

昨日の蜷川正大氏のブログ『白雲去来』に次のようなことが書かれていた。

「今日は、東京大空襲の忘れがたき日である。といっても私は産まれてもいなかったが、日本の政党は、この日にアメリカ及びアメリカ大使館に抗議行動を行っているのだろうか。東京裁判で、戦勝国は、『平和に対する罪』や『人道に対する罪』などをでっち上げて、日本やドイツを裁いたが、平和や人道と言うならば、広島、長崎への原爆の投下、あるいは東京など日本の都市に対して行なった無差別爆撃、焼き討ちほど残虐な行為はない。非戦闘員の殺戮は国際法で禁じられているにも関わらずだ。支那への『侵略』とか『南京大虐殺』などは、米軍の日本人に対する残虐行為を隠蔽するためにでっち上げられた史観に、アホな進歩的文化人と称された学者や反日主義者が、乗っかっただけだ。

 

しかし、驚くべきことに、戦後、わが国の政治家は、東京大空襲の米軍の責任者であった、カーチス・ルメイに、何と、勲一等旭日大勲章を授与しているのである。一水会の機関紙『レコンキスタ』の今月号に、木村三浩代表が『外交上の儀礼にしても米軍拝跪は行きすぎだよ』と題して書いているので、是非、ご一読いただきたい。」

             ○

全く同感である。戦時中日本は「鬼畜米英」と言った。原爆投下、東京大空襲を見れば、それは嘘でも誇張でもなかったのである。満州・樺太・千島を侵略し、無辜の民を抑留し虐殺したソ連(今のロシア)もまさに鬼畜である。

日本は決して侵略国家ではない。日本は敗北したがゆえに、侵略者とされ、米英支蘇は勝利したがゆえに、正義と人道の國になりすましたのである。何とも理不尽であり、悔しい。

日本国内に、日本国民でありながら、勝者におもねり、且つ、天皇国日本を破壊せんとして、日本を侵略者と断じ、戦時中の「残虐行為」「侵略行為」なるものを野良犬のように嗅ぎまわり、祖国を貶める連中がいることが何とも許し難い。特に、我々から視聴料を取っているNHKの歴史番組などにそうした傾向が顕著なのはまことに許し難い。

支那や韓国・朝鮮は、執念深く、日本を「侵略者」として責めさいなみ、「残虐行為をした」「侵略した」「植民地支配をした」と言って罵倒する。それに比して、日本人はまことに寛大というか大らかである。米国やロシアに対して過去の事をあまり追及しない。それは日本人の良い所なのであろうが、歴史の清算を何としても断行しなければならない。そして、民族の誇りを回復しなければならない。今日と将来の日本の自立のためにそれは不可欠である。

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千駄木庵日乗三月十一日

午前は、母のお世話。

昼は、『傳統と革新』編集実務担当者の方と打ち合わせ。次号の企画などを話し合う。

午後は、病院に赴き、父に付き添う。熱が出ているので心配である。

午後六時より、『九段下沙龍』開催。多くの同志の方と当面する諸課題について討議。小生が、『傳統と革新』発刊に目的等について話させていただく。

帰宅後は、『政治文化情報』原稿執筆。

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2010年3月11日 (木)

現代の危機と「萬葉集」

今日は「防人の歌」講義した。防人とは、萬葉時代の国土防衛の兵士ことである。当時、新羅が唐を背景としてわが国を侵略する危険があった。これに対してわが国は、太宰府を置いて、九州と壱岐・対馬二島を管理せしめ侵略軍を防がんとした。このために東国諸国の国民から選抜し、筑紫・壱岐・対馬で守備の任にあたらせた。それが防人である。防人の歌は、大伴家持が兵部少輔として防人たちの歌を収集した。

阪東武者といわれる東人は、常に野にあって勇猛であった。武士の語源が「野に伏す」であることにも関連する。神護景雲三年(七六九)に、第四十八代・称徳天皇は、朝廷守護のために東人を召された時の詔で、「この東人は常にいはく額には箭(や・矢)は立つとも背には立たじといひて、君を一心に護るものぞ」と宣せられた。東国武士は忠勇義烈であり、卑怯未練の振る舞いがないと仰せになっているのである。

東国武士が勇猛なのは、神代よりの伝統である。信濃の諏訪に建御名方神が祭られており、鹿島神宮に建御雷神、香取神宮に經津主神が祭られている。だから、東国人が防人として出発した時に、「鹿島の神を祈りつつ」と歌ったのだ。

今日は、

「あられ降り鹿島の神を祈りつつ皇御軍(すめらみくさ)に吾は來にしを」(四三七0)

という歌を講義した。常陸の国の防人・大舎人部千文(おほとねりべのちふみ)の歌。鹿島の神に祈りつつ天皇の兵士として私は来たのだぞ。「あられ降り」は鹿島に掛る枕詞。あられが降るとかしましいから「かしま」に掛かるという。落語の駄洒落のようであるが、学問的にそう言われているのである。

鹿島の神即ち建御雷神は、邇邇藝命降臨の際、先に天降って国土を平定された神である。

防人の歌を収集し後世にのこした大伴家持の業績は素晴らしい。保田與重郎氏は、「(大伴家持が仼)萬葉集の編纂を志さなければ、我々は古代の草莽の信じた皇神の道義を見るすべなく、当時の仏教文化の底流にあったものと今云ひうる、日本の固有についての批評を確言し得なかったかもしれないのである。…もしこの集なくば、我々は歴史としての勤皇思想の血脈と現実を、今のやうに説き得なかったかもしれない」と論じでいる。

萬葉時代は、壬申の乱があり、唐新羅連合軍の侵攻の危機があった。内憂外患交々来たるといった時期であった。そうした時期に、國體精神を謳歌し天皇國日本の永遠を祝福する歌集が編纂されたことに重大な意義がある。保田氏は、「…最も深い日本の思想は、最もゆゝしい日に歌はれ、…萬葉集の如き古典が、その日を背景として生まれた。これは十分に治國の大御代の精神を教へ、國難に処する志を示すものである」と論じてゐる。

まさに今日の日本も「ゆゝしい日」である。今こそ萬葉の精神に回帰し新たなる國體精神を勃興せしめねばならい。今日の日本も、グローバリゼーションの時代といはれ、朝鮮半島及び支那大陸からの外患が迫って来ている。さらに戦後五十八年に及ぶ精神的・思想的侵略により國民の精神的思想的頽廃は末期的様相を呈してきている。

わが國は敗戦後の日本喪失の精神状況から脱出して、日本民族の誇りと矜持を取り戻さねばならない。それは偏狭な排外主義的なナショナリズムと独善に陥ることでは決してない。わが國のすぐれた古典であるところの記紀・萬葉の精神への回帰による精神の救済を図るといふことである。神話の精神の復活によってこそわが國の再生が行はれると確信する。

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千駄木庵日乗三月十日

午前は、母のお世話。

午後は、病院に赴き父に付き添う。

午後六時半より、豊島区立駒込地域文化創造館にて、『萬葉古代史研究会』開催。小生が『萬葉集』防人の歌を講義。

帰宅後は、『政治文化情報』の原稿執筆。

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2010年3月10日 (水)

父の入院で実感したこと

父は、三か月以上同じ病院に入院していることはできないとか何とか言う理由と、もう治療する必要が無くなったとかの理由で、転院させられることになったのである。今日まで入院していた病院に入ってから、院内感染などで父の病状が一層悪くなったのである。この責任はどうとってくれるのか。父が入院している間は、病院側にあまり文句も言えなかったが、今後は、法律の専門家と相談して、病院と医師の責任を追及するつもりである。このまま黙っていては、父があまりにも可哀そうである。今まで入院していた病院と担当の医師が大袈裟ではなく「親の敵」のように思える。

父が、入退院を繰り返すようになってから、この国の医療の実態を体験するようになった。『医療の沙汰も金次第』ということを実体験している。また、質の悪い医師に担当されると悲劇である。患者は人質に取られているようなものなので、あまり文句は言えない。また、四六時中家族が付き添っているわけではないし、医療には全く素人である。有体に言って、何をされても証拠をつかむことが出来ない。

私の場合、ほとんど毎日、病院に行き、たとえ一時間でも父に付き添っていたので、不自然な病状の変化というか悪化を知ることが出来た。闘いはこれからである。

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千駄木庵日乗三月九日

午前は、父の転院に付き添う。介護の自動車で新しい病院に行く。医師・看護師と今後のことを色々打ち合わせ。今までの病院よりも規模は小さいが、なかなか雰囲気は良い。今までの病院の医師の対応があまりにもひどかったので、余計そう思える。もちろん、今までの病院の看護師などもよくやってくれる人は多くいた。否、殆どそうなのであるが、担当の医師だけはどうしても許すことはできない。

帰宅後は、諸雑務。

夕刻、三十年来の同志を湯島の事務所に訪ねる。皇室・國體についての貴重な文書を見せていただき、色々話し合う。その後、鍋をつつきながら、運動のことなどを語り合い、思い出話などをする。この方とは長く深い付き合いをさせていただいているが、すでに故人となられたこの方の恩師にも本当にお世話になった。

帰る頃には、湯島の町にはみぞれが降っていた。湯島は、いろいろ歴史があり、また湯島天神や岩崎邸などがあり、私の好きな町である。

帰宅後は、『政治文化情報』の原稿執筆。

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2010年3月 9日 (火)

われわれの愛する國家とは

國家を否定し、國家を破壊する運動を展開してきたのが共産主義革命運動である。これは、マルクスの「我々が國家を持つのは資本主義においてのみである」「國家は少数者による多数者に對する支配と搾取の體制」「國家は人間疎外の装置」という思想による。これは國家というものを権力機構・支配統制組織としてのみとらえた考え方である。

しかし、共産主義國家こそ、多数者による少数者の搾取が行われ、人間疎外の装置として國民を圧迫し苦しめてきたことは、旧ソ連・共産支那・北朝鮮を見れば明らかである。 権力無き社會の實現を目指して戦った共産主義勢力は、その結果として強大にして残虐無比な権力國家を作りあげた。旧ソ連・共産支那・北朝鮮がそれである。

また、共産主義社會の實現を目指し反國家闘争を繰り返してきた日本國内の共産主義勢力は、恐るべき闘争を繰り返し互いに殺し合っている。社民党や共産党を見て明らかな通り、國家否定を目的とする左翼革命勢力こそ、権力國家の建設を目指し、および外國の権力國家からの侵略に協力してきたのである。反國家・國家破壊の思想と行動は、人類に惨禍しかもたらさなかったと言っていい。

我々が限り無く愛する日本國とはいかなる國であるのだろうか。「國家」という言葉は漢語であるが、やまとことばには「國(クニ)」という言葉がある。この「國」という言葉は「懐かしい故郷」という意味で用いられる場合がある。「あなたクニはどこですか?」という時は、故郷という意味である。英語でいうとCounryである。ところが「クニに税金を取られる」という時のクニは、行政機構・権力組織のことである。英語でいうとStateである。

 「母國」とか「祖國」とかいう言葉で表現される一定の広がりを持った土地の上に自然に生まれた共同體が、我々の愛する國である。その基本は夫婦であり子であり孫である。すなわち「家」である。國と家は一體である。ゆえに「國家」という言葉が生まれたのではなかろうか。

 國家を否定し、皇室を否定し、「國旗日の丸」や「國歌君が代」も認めず、愛國心を嫌う人々は、「國家」を権力機構としてのみとらえているのである。

 現實に我々が愛する國とはやはり「懐かしい故郷」としての國であり、権力機構としての國家ではない。税務署や警察署を懐かしく思い愛着を抱く人はそんなに多くはないだろう。ただ、そういう権力機構としての國家を排斥し否定することはできない。我々の生活にとって必要不可欠である。

 しかし、権力機構としての國家を否定することは或いは可能かもしれない。しかし、自分が今「父祖の國」「母國」と表現されるところの「共同生活を営む國」に生まれ育ち生きている事實は否定できない。

天皇中心の祭祀國家の理想に近づく努力をし続けることが、闘争戦争絶え間無き現實社會を改善する方途である。言い換えると、古代からの道義國家・人倫國家・祭祀國家としての日本への回帰こそが、對立闘争を繰り返す人間が、より平和により豊かにより自由により道義的に生きる共同體を建設する方途である。

 我々の愛する國家とは権力機構としての國家ではない。三島氏の言う「祭祀國家」である。否定しても否定し切れないところの「父祖の國」「母國」「共同體」である。祭祀とは、己を無にして神に全てを捧げる行事である。

日本民族は祭祀を行うことによって、神のみ心のままの清らかで明るい人倫生活を営んできたのである。天皇を祭祀主と仰ぎ、海という大自然をめぐらし、緑濃き山と清らかな河とを有する國、農耕を営み、優れた文化傳統を持つ國が「祖國日本」である。

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千駄木庵日乗三月八日

午前は、母のお世話。

午後は、明日の転院の準備など。

その後、病院に赴き、父に付き添う。この病院とも今日でお別れ。明日は、新しい病院に移るのだが、途中で体調がおかしくなる心配があるので、無事に移れることを祈る。

帰宅後は、諸雑務。

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2010年3月 8日 (月)

明治維新と現代

                            

 わが國には、対外的危機感が伝統精神の復活・回帰の熱望を呼び覚まし国家を変革してきた歴史がある。大化改新・明治維新がそれである。現代もそうした時期である。わが國の伝統の根幹は「天皇中心の國體」である。「天皇中心の國體」とは、神話の世界以来の信仰に基づき一系の血統と道統を保持し継承される天皇による國家統治ということである。そして天皇の國家統治は、権力・武力による人民支配ではなく、祭祀主としての宗教的権威による統治(統べ治める)である。それは信仰共同体國家たる日本独特の國柄である。

 日本伝統精神は文献としての「神話」によって伝えられているだけではない。天皇は神話の世界からの道統である祭祀を今日においても行っておられる。天皇の祭祀は「生きてゐる神話」であり、天皇は「日本伝統精神の生きませる体現者」であらせられる。だから、天皇は生きたまふ神・現御神と申し上げて尊崇されてきたのである。

そして、國家的危機において國體の本来の姿・あるべき姿に回帰する運動が必ず勃興した。これが日本におけるナショナリズムである。元寇の時には「神國思想」が謳歌され、欧米列強の侵略の脅威を感じた幕末においては「尊皇攘夷思想」が謳歌された。

 今日も、政治の混乱・経済の停滞・道義の低下・外圧の危機が顕著になっている。にもかかわらず人々の心の中に不安と空虚感が広まっている。これを克服するためには、日本民族としての主体性が大事になってくる。

 

歴史は繰り返すと言うが、今日の日本も幕末当時と同じように、内憂外患交々来るといった状況になっている。支那や朝鮮から侮りを受け、領土は侵され、國家としての自主独立性は失われている。しかも國家防衛はアメリカに依存している。対内的には、政治家は与野党を問わず政権争い権力争いのみに狂奔し、正しき國家の進路を指し示す事ができない。

 こうした状況を打開するためには、やはり明治維新と同じように、日本的変革の原理たる「天皇中心の國體の明徴化」の理念を基本とした大変革即ち平成維新を断行しなければならないと信ずる。

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千駄木庵日乗三月七日

午前は、母のお世話。

午後は、火曜日に父が別の病院に転院することとなったので、その準備など。

病院に赴き、父に付き添う。

帰宅後は、水曜日に行われる『萬葉古代史研究会』の講義の準備。

今日は、午後六時から開催された台湾独立建国連盟の集会に出席する予定であったが、父のことで忙しく、残念ながら欠席した。

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2010年3月 7日 (日)

日・印・米は連帯して支那に対抗すべし

『アジア問題懇話会』における田久保忠衛杏林大学客員教授の講演で印象に残った話は次の通り。

「政治家に欠けているのは国際情勢に対する認識。顕微鏡の世界のみでものを考えている。三好修氏は、ド・ゴールを評価して、『ソ連に対抗するために核を持ったら、対米従属から脱した』と語った。今の政治家にそういう姿勢はない。事実を軽んじる政治家がいる。個人と国家の峻別がつかない。

東シナ海を『友愛の海』にするというが、それでガス田問題が一ミリでも動くのか。

外交と軍事はコインの裏表の関係。軍事力の投入した金は、十分に取り戻せるという説がある。

アメリカは崩壊するという俗論がある。予見し得る将来にはそれはない。崩壊とはどういう定義なのか。アメリカが強いから日本は同盟を結んでいる。二回のボーア戦争で大英帝国は痛手を被り、普通の国になった。イラクとアフガンの二つの戦争でアメリカはかつての大英帝国と同じ運命をたどると言われる。経済面では確かに弱っている。しかし、基軸通貨はまだ続くであろう。中国・インドなどが台頭すると、相対的にアメリカが衰えると言える。しかし、アメリカの軍事費は、世界の軍事費の総計の二分の一。依然として軍事力は強い。いたずらにアメリカを敵視するのは利口ではない。移民国家アメリカには少子化問題はない。移民で補う。アメリカは多くの留学生を受け入れている。アメリカが崩壊することはない。日本はアメリカとの関係を強めるべし。EUがワンプロックとなっている。複雑な国際構造になっている。

中国の軍事的脅威をどう見るかが大問題。日本の政治家は腰が引けている。前原誠司氏が『中国は現実的脅威』と言ったら、民主党内で袋叩きになった。

これからはインド洋に目を向けるべし。東アジア共同体論は、マハティール『ルック・イースト政策』(註・個人の利益より集団の利益を優先する日本や韓国の労働倫理に学び、過度の個人主義や道徳・倫理の荒廃をもたらす西欧的な価値観を修正すべきである、とする19811215日のマハティールの提言)から始まった。これに中国が目を付けた。

普天間問題で失敗すれば、鳩山は辞任せざるを得ないが、他の誰かが出て来るだけの話。ロシア経済は衰退し、人口も衰退している。

インドは、中国に包囲されているという気持ちを持っている。インドは海軍力を世界第三位にもっていきたい。西太平洋に同盟国を持ちたい。中国と熾烈な対立がある。外洋に出て来る中国をコントロールすべし。日米印連合艦隊が出来れば良い。鳩山はそれと全く逆なことをしている。アメリカは、『台独反対・中国の台湾併合反対』即ち現状維持の姿勢。」と語った。

池田維元日本交流協会台北事務所代表は「二〇一二年の総統選挙で民進党が政権に復帰すれば、中国のよる武力攻撃の可能性がある。国民党政権が継続すれば、台湾は香港化する。」と語った。

         ○

私は、支那の覇権拡大を防ぎアジアの平和を守るためにも、そして対米自立を実現するためにも、日本は核武装すべきと思う。そのためには日本国民の意識変革が必要であるし、ド・ゴールのような政治家か出現しなければならない。

「外交と軍事はコインの裏表の関係」という意見は正しい。もっと言えば「外交とは華麗に礼装した軍事である」という言葉も正しい。

東アジア共同体は、実現不可能である。支那を含めた共同体は支那のアジアにおける覇権確立と同義語である。それよりも、日本は、インド・アメリカと政治的・経済的・軍事的に連帯することが、アジアの平和を作り出す道である。

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千駄木庵日乗三月六日

午前は、母のお世話。

午後二時より、内幸町の日本プレスセンターにて、『アジア問題懇話会』開催。田久保忠衛杏林大学客員教授が講演。活発な質疑応答。

この後、病院に赴き、父に付き添う。

午後六時より、新宿にて開催された『民族革新会議懇親食事会』に遅れて参加。当面する諸課題について意見交換。

帰宅後は、資料の整理など。

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2010年3月 6日 (土)

上野公園で明治維新を思う

今日は上野公園の国立博物館に行き、また、寛永寺に参拝した。ここは、徳川将軍家霊廟の跡である。明治維新によって、それまで覇者として全国を支配した徳川将軍家は打倒された。そして、上野戦争で、寛永寺は灰燼に帰してしまった。

西欧列強の日本侵略から日本を守りぬくためには、全国的な統一国家建設が絶対必要条件であった。封建的各藩の分立を廃して統一国家を建設しなければならない。国家の中心を正しく確立しなければならない。もっともっと強力な国家統一・国家体制強化の牽引力が必要であった。この牽引力は、単に権力・軍事力に依拠するのでは駄目である。もともと戦國時代の武士の覇権争いの勝者・覇者にすぎなかった徳川氏は、その力を喪失してしまえば、国を支配者たるの地位も失うのである。徳川氏は征夷大将軍の任に堪えられなくなったのである。

東照大権現などとその神聖性を強調しても、たかだか二百余年前に天海という僧侶によってつくりあげられた権威ではとても全国民的に精神的統一の中心とはなり得なかった。全国民が真に日本民族としての運命共同意識を強く保持し燃え立たせ得る精神的な基盤に依拠しなければならない。そうした精神的基盤は、神代以来の神聖権威の体現者・保持者であらせられる日本天皇への尊崇の念即ち尊皇精神であらねばならない。

国家の中心者は神代以来の伝統的権威を保持する天皇以外にあり得ない。日本伝統信仰の祭祀主・現御神日本天皇以外にあり得ない。統一国家の中心者・君主は、武力のよって権力と土地と富を占有している覇者では駄目である。覇道・強いもの勝ちの武家政権ではなく、現御神日本天皇の神聖権威が国家の統一を実現する。それが尊皇倒幕即ち明治維新であった。

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千駄木庵日乗三月五日

午前は、母のお世話。

お昼、上野公園の精養軒にて、ある法律家の方と懇談。父のことで相談に乗っていただくと共に、内外の諸情勢について話し合う。

その後、その方と共に、東京国立博物館平成館に向かう。途中、小松宮彰仁親王御像を仰ぐ。小松宮彰仁親王は、伏見宮邦家親王の第八王子として弘化三年(一八四六年)にご誕生。王政復古にあたっては、議定、軍事総裁に任じられた。戊辰戦争では、奥羽征討総督として官軍の指揮を執られた。近衛師団長参謀総長を歴任、日清戦争では征清大総督に任じられ旅順に出征された。明治三一年に元帥の称号を賜る。明治三六年二月に薨去。明治四五年三月、上野恩賜公園内に御が建てられた。

東京国立博物館平成館にて開催中の「没後四百年特別展・長谷川等伯」を参観。「水墨画の最高峰・桃山絵画の巨匠、長谷川等伯(15391610)。…はじめ「信春(のぶはる)」と名乗り主に仏画を描きました。30代で上洛すると画題を肖像画、花鳥画 などにも拡げています。豊臣秀吉や、千利休らに重用され、一躍時代の寵児となりました。時に精緻に、時に豪放に描きわけられた作品群は、今もなお我々を魅了し続けます。本展は、長谷川等伯の幅広い画業を、ほぼ網羅する大回顧展です。…約80件の桃山の鼓動を伝える作品群と、それを創出した等伯の人間ドラマを没後400年の節目の年にご紹介いたします」との趣旨(案内書)で開催された。

日蓮聖人像・武田信玄像・伝名和長年像・千利休像・楓図壁貼付(国宝)・松に秋草図屏風(国宝)・日親筆本尊曼荼羅(等伯寄進)・高士騎驢図屏風・仏涅槃図・松林図屏風(国宝)・等を観る。近世の画家としては最高峰と言えると思う。仏涅槃図の大きさには驚嘆した。中期の「楓図壁貼付」「松に秋草図屏風」の華麗な美しさと共に、晩年の「松林図屏風」という水墨画の枯淡美もまた素晴らしい。ただし、私が昔の日本画を観て常に疑問に思うのは、何故、支那の風景や「竹林七賢」などの支那の人物を題材にするのかということである。日本にも美しい風景があるし、描くべき人物はたくさんいる。昨日に引き続き、見ごたえのある美術展を参観した。

参観後、博物館敷地内のテラスで再び法律家の方と懇談。その方は、「豊臣秀吉自らが朝鮮遠征に出陣していたら、北京まで進軍していたであろう。しかし、日本にとってそれが良いことであったかどうかは別。『反清復明』ならぬ『反日復明』の戦いが起こったかもしれない」と述べられた。

この後、東叡山寛永寺に参拝。徳川綱吉霊廟勅額門を仰ぐ。

そして、法律家の方と別れ、父の病院に赴き、付き添う。

帰宅後は、『月刊・日本』に連載中の「萬葉集講義」の原稿執筆・脱稿・送付。

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小松宮彰仁親王御像

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徳川綱吉霊廟勅額門

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2010年3月 5日 (金)

小沢一郎と検察について

検察はアメリカの手先だとか、戦後体制の象徴的存在であるという主張がある。そして、「検察に摘発された人々は、アメリカの日本支配の犠牲者である。戦勝国支配体制打倒を目指す者にとって地検特捜部は敵であり、敵の敵である小沢一郎を擁護すべし」という意見がある。

私は、検察が絶対に正義であるとは思わない。人権無視のひどい捜査や取り調べが行われることもあるだろう。だから冤罪事件が起こるのだ。しかし、検察の捜査の対象となった小沢を擁護すべしなどという意見には全く同意することはできない。

戦勝国支配体制の最も大きな柱である『現行偽憲法』の「天皇条項」を振り回して、天皇の政治利用を正当化するのみならず、天皇陛下を自己の権力の下に置き奉ろうとする小沢一郎こそ、戦勝国支配体制の申し子である。

また、戦勝国支配体制の軍事面での柱は米軍の日本駐留であるが、沖縄の米軍基地移転を利用して利権あさりをする小沢一郎こそ、戦勝国支配体制の悪質なる利益享受者である。

報道によると、小沢一郎が平成十七年十一月、沖縄県宜野座(ぎのざ)村で約五千二百平方メートルの土地を購入していたことが登記簿や衆院の資産等報告書で分かった。土地は米軍普天間飛行場の移設予定地に近く、購入直前に移設を盛り込んだ在日米軍再編の中間報告に合意していることから、投機目的の不動産取得の可能性があるという。しかも、小沢の「資産等報告書」に、小沢に定期預金はなく、沖縄の土地を買う多額の資産がどこにあったかも不明だという。国防・安保という国家の存亡にかかわることまで、自己の利権にするなどというは絶対に許されない。小沢一郎という男の本性がどういうものであるかが、この一事を以て明瞭である。

小沢一郎は、「政権交代」「議会制民主主義」「日本一新」などと綺麗事を言っているが、彼の本性は、政治権力を悪用した悪質なる利権政治家なのだ。そもそも小沢は、戦勝国支配体制下で、自己の権力と金力を増大させてきた張本人である。小沢こそ、戦後体制下における最も悪質なる利権政治家・金権政治家である。一刻も早く政界から追放せねばならない。

小沢一郎は「一連の疑惑について説明責任を果たせ」という国民の声に対して、記者会見で「不起訴になったことで、不正なことはしていないと主張してきたことが明白になった。検察当局の強制捜査を受けて、事情を説明した。その結果が(不起訴という)結果だから、これ以上の説明はないのではないか」「政治倫理審査会であれ何であれ、どこでも話すが、検察の捜査に勝るものない。強制力を持った捜査ですべてを調べてもらい、不正をしていないことが明らかになった。このことをもって国民は理解してくれると思う」と語り、責任は果たしたとの認識を示した。

「馬鹿も休み休み言え」と言いたい。密室で検察官にどんな説明をしようと、国民全体に説明責任を果たしたことにはならない。「開き直るその態度が気に入らないのよ」という歌の文句を思い出す。

小沢という人はいつも自分の都合に合わせて主張をころころ変える。小沢一郎は、嫌疑不十分で不起訴となったのだ。検察側は「証拠が足りなかった」と言っている。「不十分」「足りなかった」ということは、「不正をしていない」ということではない。「疑わしきは罰せず」ということだ。小沢氏は潔白ではないということだ。

小沢氏は、去年、自分の公設秘書が逮捕された時は、「政治的、法律的にも不公正な検察権力の行使だ」などと検察を批判した。そした今年になって強制捜査を受けた時にも、「なぜわたしの事務所だけ強制捜査されるのか。国民のために権力は公平、公正な活用をしなければならない」と検察を批判した。ところが今回、不起訴になるや、にわかに「検察の公正・公平に捜査で不起訴になった」などと言いだした。小沢一郎のこういう態度・姿勢を見れば、この人がいかにおかしな人物であるかが分かる。全く信用できない。

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千駄木庵日乗三月四日

午前は、母のお世話。

午後は、広尾の山種美術館にて開催中の『開館祈念特別展Ⅲ 大観と栖鳳―東西の日本画』参観。

「横山大観と竹内栖鳳は、『東の大観、西の栖鳳』と並び称せられ、明治以降の日本画の革新をリードしてきました。…明治、大正、昭和を通じて、東京と京都のそれぞれの伝統の上に立ちながら、日本画の革新に努めた二人の画家の画業を振り返るとともに、その周辺の画家たちの作品も展観します。…同時代を歩み、それぞれ独自の絵画世界を打ち立てながら、常に近代日本画壇の中心的存在であり続けた大観と栖鳳。この二人の作品を軸に東西の作家を加えた、当館所蔵品の選りすぐりの作品を通して、日本画を再発見していただければ幸いです。」(案内書)との趣旨で開催された。

横山大観の「心神」「燕山の巻」「楚水の巻」「作右衛門の家」、竹内栖鳳の「班猫」、小林古径の「清姫」、上村松園の「新蛍」、安田靫彦の出陣の舞」、川端龍子の「鳴門」、村上華岳「裸婦図」などを観る。それぞれその見事さに圧倒された。近代日本画の粋が集められているという感がある。大観の絵は、スケールが大きく、雄渾である。富士山などの絵を見ると魂を揺さぶられる。栖鳳の絵は、描写が繊細で、美しい。動物などはまるで生きているようである。どちらも日本画の最高峰と言って良い。

山種美術館は、規模は大きくはないが。その所蔵している美術品は素晴らしいものが多い。山種証券の創業者・山崎種二氏が設立した。以前は兜町のあったのだが、その後、千代田区三番町に移り、最近広尾に引っ越してき。今回の展覧会は残念なことに図録が販売されていなかった。今回の作品を図録にしたら大変貴重なものになっていたであろう。

その後、病院に赴き、父に付き添う。看護師さんが色々親切にして下さる。

帰宅後は、資料の整理など。

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2010年3月 4日 (木)

永井荷風の愛國心

「根津の低地から彌生ヶ岡と千駄木の高地を仰げば、こゝも亦絶壁である。絶壁の頂に添うて、根津權現の方から團子坂の上へと通ずる一條の路がある。私は東京中の往來の中で、この道ほど興味ある處はないと思ってゐる。…千駄木の崖上から見る彼の廣漠たる市中の眺望は、今しも蒼然たる暮靄に包まれ一面に煙り渡った底から、數知れぬ燈火を輝し、雲の如き上野谷中の森の上には深い黄昏の微光をば夢のやうに殘してゐた。私はシヤワンの描いた聖女ジェネヴイエーブが靜に巴里の夜景を見下してゐる、かのパンテオンの壁畫の神秘なる灰色の色彩を思出さねばならなかった。」

これは、永井荷風の随筆『日和下駄』(大正四年)の一節で、「千駄木の絶壁」の真下の駒込坂下町(千駄木三丁目)で育った私にとって、この文章はきはめて親しみ深いものがある。とりわけ、わが町を通る古道を「東京中の往來の中で、この道ほど興味ある處はないと思ってゐる」と評した荷風散人に無上の敬慕の念を抱く。今日唯今、私は、毎日のやうに「千駄木の崖上から見る彼の廣漠たる市中の眺望」「數知れぬ燈火を輝し、雲の如き上野谷中の森」を眺めてゐる。荷風がこのやうな文章を書いたのは、彼が唯一尊敬してゐた先輩作家・森鷗外の住む観潮楼をよく訪問したからであらう。荷風は、わたくしにとって、最も親近感を抱き且つ尊敬する作家の一人である。

永井荷風は、近代日本の欧化主義に対して辛辣なる批判を行ひ激しい嫌悪を抱いた人である。グローバル時代とかいはれ、日本の傳統とか習慣とが侮蔑にされてゐる今日のおいてそれは大きな意味を持つ。永井荷風は、滔々たる西洋化・近代化の流れに圧倒されず、それを拒否し、江戸情緒・傳統文化をこよなく愛した人である。

永井荷風が愛國者であった。國粋主義者と言っても良い。在米中に日露開戦を知った荷風は、当時の日本人として当然のナショナリズムを発露したことを後年次のやうに記してゐる。

「明治三十七年日露の開戰を知ったのは米國タコマに居た時である。わたしは號外を手にした時非常に感激した。然しそれは甚幸福なる感激であった。」(『花火』大正八年)

荷風は「愛國主義」について次のやうに論じてゐる。「われ等は徒に議員選擧に奔走する事を以てのみ國民の義務とは思はない。われ等の意味する愛國主義は、郷土の美を永遠に保護し、國語の純化洗練に力むる事を以て第一の義務なりと考ふるのである。」(『日和下駄』・大正四年)

麗しい祖國の自然と純粋なる國語を護ることが愛國であると主張するのである。この主張は現代日本においてこそ、重要な意義を持つ。わが國の維新の道統は、政治経済体制の変革のみではない。その根本に國民精神の変革浄化が為されなければならない。日本固有の美、傳統信仰、秀麗なる日本の自然そして自然に宿る神への畏敬の念、祖靈に対する尊崇の思ひを涵養することが根本である。

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千駄木庵日乗三月三日

午前は、母のお世話。

午後は、資料の整理など。

その後、病院に赴き、父に付き添う。来週転院と決まったので、その準備を少しする。

帰途、千駄木で、小学校の先輩と懇談。永井荷風や加納治五郎のことなどを語り合う。この方は、小生の初恋の人の兄上。妹さんは先年脳腫瘍で亡くなってしまった。心から、ご冥福を祈ります。

この先輩は、教育大付属高校(現在の筑波大付属高校)を卒業された。この学校は明治時代、東京高等師範学校附属中学校と称し加納治五郎が校長をしていたので、先輩は加納治五郎を尊敬しているという。加納治五郎のお孫さんで講道館の館長をしておられる方には、上野の飲食店でお会いしてお話したことがある。

私が好きな永井荷風も、この学校を卒業した。しかし、荷風は柔道が嫌いで、在学中、後の元帥寺内寿一らに鉄拳制裁を加えられた。

この寺内寿一元帥の子孫にあたる方が、生長の家本部に勤めておられたことを思い出す。今から思うとの顔がよく似ておられた。その方の夫人が、生長の家推薦で参院議員となり一期つとめた。

帰宅後は、資料の整理など。

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2010年3月 3日 (水)

森繁久彌氏と旧ソ連の暴虐

森繁久彌氏の追悼特集ということで、戸川幸夫氏の『オホーツク老人』の映画化で、森繁主演、久松静児監督の「地の涯に生きる者」(昭和三十五年)を放送していた。国後島に生まれた主人公が、知床半島で、命懸けで漁師として生きて行く一生を描いた作品である。

長男と次男を失い、最後に残った三男も海で遭難してしまう。国後島に避難すれば助かったのだが、ソ連に占領されているので避難出来なかった。主人公の国後島への望郷の思いと、北方海域における旧ソ連の横暴が描かれていた。この映画は初めて見た。他の森繁作品と違って、テレビで放映されない。

そういえば、旧ソ連の「日ソ中立条約」一方的破棄、樺太侵攻、停戦軍使の射殺、民間人の悲惨の運命、女子電話交換手たちの自決を描いた映画「氷雪の門」(昭和四十九年)も、テレビで放送されない。一体どういうわけであろうか。日本の「侵略行為」「残虐行為」なるものを野良犬の如く嗅ぎまわって放送するのに、日本がやられたことは一切放送しない。なんという偏向ぶりであろう。

森繁久彌氏がこの映画に出演した時、ロケ地の知床で作詞・作曲した歌が「知床旅情」である。その一節に『飲んで騒いで 丘にのぼれば はるかクナシリに 白夜は明ける』とある。国後に対する深い思いを訴えている。森繁氏は、終戦を満州の新京で迎えソ連軍に連行されるなどして苦労して昭和二十三年十一月に帰国した。私の知る限り森繁氏は終戦体験を語らなかったが、旧ソ連に対する特格別な思いがあったと推測する。

『日ソ不可侵条約』の破棄は、日本が「日独伊三国同盟」を結んでソ連に敵対した事が原因であるかのようなことを言う人がいるが、日本は旧ソ連に戦争を仕掛けたわけではないし、旧ソ連に侵攻したわけでもない。ドイツがソ連に攻め込んだ時、日本がソ連に攻め込んでいれば、ソ連は滅亡していた可能性が高い。ソ連は日本に感謝すべきだったのであって、日本が対米戦争に負けそうになったら、侵略して来るなどということ絶対に許されざることである。

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千駄木庵日乗三月二日

午前は、母のお世話。

昼は、食事を共にしながら知人と内外の諸情勢について意見交換。「ごはんや」という親子三人でやっているお店で、なかなかおいしい。御主人は、故古今亭志ん朝さんの友人。志ん朝さんは、私の小中学校の先輩でもある。明日が雛祭りなので、それらしい料理をいただく。

私の住んでいるマンションの隣の家のご主人に、紀元節の時に差し上げたお饅頭がおいしかったとお礼を言われた。そのお饅頭は、ある志ある会社経営者の方から、贈っていただいたものである。

午後は、書状執筆。

その後、病院に赴き、父に付き添う。意識がしっかりしていると、かえって苦しみを訴える。それを聞くのはとても辛い。ともかく出来得る限り毎日病院に行って、慰め、元気づけている。

帰宅後は、諸雑務。

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2010年3月 2日 (火)

日本人をアジアの寄生虫といった小沢一郎は本当に許しがたい

「おとなの寺子屋・論語の会」で、東洋大学共生思想研究センターの野村英登氏(文学博士)は次のように語った。

「周の時代は赤色を大事にした。神への捧げ物の牛も赤毛の牛を用いた。五行(古代支那で言われた宇宙の万物をなす五つの元素。木・火・土・金・水)にはそれぞれ色がある。木は青、火は赤、土は黄、金は白、水は黒。

仁とは私欲の無い状態のこと。仁の状態が変わらない人を聖人という。私心が少しでもあれば不仁。

六藝(支那の周代に、士(周代の支配階級のうち、大夫の下の身分)以上の者の必修科目とされた六種の技藝。『礼・楽・射・書・御(ぎょ=馬術)・数』)の礼と楽は、政治家の仕事。射・書・御・数は、官僚の仕事。礼と楽は儀礼・祭祀。射・御は武。書・数は実務。この順序に等級がある。価値判断として、実務よりも人間性を大事にした。武力でのし上がった人には、軍師がついた。教養がある無しと、その人が行うことが正しいかどうかとはあまり関係ない。

『何が何でも頑張る』ではなく、『手に負えなかったら逃げろ』というのが儒教の教え。『手を出しても大丈夫なことだけに手を出せ』という柔軟な教え。バランス感覚を大事にした。正義のためと頑張るが、自分の命を落とすまでは頑張らない。郭沫若はその典型。私は中国には住みたくない。」と語った。

          ○

千駄木庵主人曰く。毛沢東は、「鉄砲から政権が生まれる」と言った。蒋介石は軍人である。この二人の「皇帝」は、

武力で権力者になった。そして多くの人を殺した。しかし、二人とも、相当の知識を有していた。知識のある人が道義心に篤いということはないということはこの二人を見れば分かる。私は、蒋介石の方が毛沢東よりはましだと思う。

郭沫若は、最初蒋介石の部下であったが、裏切った。戦後は、共産党に入党した。文革が始まると、「私の過去の著作は毛沢東の教えに反しているから焼き捨てるべきだ」と言って毛沢東・四人組に迎合した。毛沢東が死に、四人組が逮捕されると、四人組糾弾の詩を書いた。文革派に殺された知識人も多くいる中で、郭沫若は自分を守るために実に変わり身が早かったというか、節操が全くなかった。今、支那では郭沫若はどう評価されているのであろうか。

支那思想の専門家が「中国には住みたくない」と言うのだから、孔孟の教えと実際の支那とは乖離は相当なものである。今日の出席者の殆どが、「中国には住みたくない」と言っていた。

この會は、支那という国の本質を知るのに本当に勉強になる。支那の知識人はよく言えばバランス感覚があるということだが、有体に云えばずる賢いということだ。独裁専制国家では、ずる賢くなければ生きていけなかったのであろう。

私は、日本に生まれて来て本当に良かったと思う。それにつけても、日本人をアジアに寄生して生きる害虫などとほざいた小沢一郎は許し難い。

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千駄木庵日乗三月一日

午前は、母のお世話。

午後は、諸雑務。

その後、病院に赴き、父に付き添う。不誠実なる医師と立ち話。怒りを抑えるのに苦労する。

午後七時より、白山の本郷青色申告会館会議室にて、「おとなの寺子屋・論語の会」開催。東洋大学共生思想研究センターの野村英登氏(文学博士)が講義。

帰宅後は、書状執筆。

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2010年3月 1日 (月)

小沢一郎の日本蔑視発言


民主党
小沢一郎幹事長は昨年十二月十二日、ソウルの国民大学で、「日本人の若者は漠然と他人に寄生し寄生虫として生きているとんでもない害虫だ」とした。「もともと日本人の親達もどうかしている。日本人は動物にも劣る民族といっても過言ではない」「日本人はもともと民度が劣るから、君達韓国人のような優秀な民族の血を日本人に入れない限り、他人やアジアに寄生して生きる害虫日本人が増えるだけだ」「(日本の古代歴史についても) 韓半島南部の権力者が日本の国家を樹立したもの」と述べたという。

わたくしは迂闊にも今日まで、小沢がこんなことを言ったとは知らなかった。何ともあきれ果てた発言である。小沢一郎には、日本を愛する心が無いのである。日本民族に対する誇りもないのである。むしろ日本民族を蔑視しているのである。そして韓民族に対する羨望の思いがあるのである。

このような人物が、国家権力を掌握している現実は何とも許し難い。「永住外国人の地方参政権付与」問題が起こっている。しかし、わが日本はすでに、日本民族に対する誇りはなく、日本民族を蔑視し、韓民族に誇りを持つ人物が国政の場で最大の権力を保有しているのだ。まことに以て由々しき事態である。

小沢一郎が、天皇・皇室を蔑ろにし、日本の破壊を目論む政治を行っている根本的理由が分かった。小沢一郎こそ、日本に寄生している害虫である。

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千駄木庵日乗二月二十八日

午前は、母のお世話。

午後は、諸雑務。

この後、病院に赴き、父に付き添う。

帰宅後は、資料の整理など。たまりにたまった新聞を整理した。必要な記事を切り抜く作業である。小生が購読している新聞は、『朝日』『産経』『日経』『聖教』『世界日報』『赤旗日曜版』である。これだけの新聞に目を通し、必要な記事を切り抜き保存するというのは相当時間がかかる作業である。

最近の『聖教』は面白くなくなってきた。紙面に活気がない。『聖教新聞』を読むと、特定の人物をほめちぎるにはどのように書けばいいか。特定の人物を罵倒するにはどのように書けばいいか、を勉強できる。毎日毎日、池田大作礼讃記事が一面に載る。いささか飽きた。うんざりする。日蓮正宗など反学会の姿勢を示す者たちに対する罵詈雑言は凄まじい。とても宗教の新聞とは思えない。創価学会という宗教の体質がいかにひどいものであるかを如実に示している。しかし学会自身はそれに気づかないのだから面白い。一時ひどかった竹入義勝・矢野絢也両氏に対する個人攻撃が載らなくなったのはどうしたわけか。

中学校の後輩で、私が母校で教育実習をした時、教室で一番前に座っていた生徒は、いま、桜田門にある役所に勤めているのだが、久しぶりに会った時、「先生は『赤旗日曜版』を読んでいるのですね」と言われた。よく調べているものだと感心した。

また、私の中学時代、なかなかの美人でわれわれの憧れの的であった体育の女性の先生は、何と日共系の教員組合及び「新婦人」という婦人団体の幹部として活躍している。同期会で会った時、「四宮君は今何をしているの」と聞かれたので、「民族運動です」と答えたらびっくりしておられた。

私の住むマンションのエレベーターが工事で二十日間ほど動かなかった時、『世界日報』はきちんと九階のわが家まで配達したが、『聖教新聞』は一階の郵便受けに入れていた。配達する人の使命感の違いであろうか。

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