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2010年2月23日 (火)

孔孟の教えと現実の支那

「おとなの寺子屋・論語の会」における東洋大学共生思想研究センターの野村英登氏(文学博士)の講義で印象に残ったのは質疑の通り。

「『論語』は語録。『孟子』は説話。『荀子』は論文。中国思想のまとまった文献は『論語』が最も古い。シンプルで覚えやすい。儒教を学ぶ人は、世の中にどんなに役立つか。どんな学び方をするかが大事とされる。声を出して読むことから始め、一生涯かけて学ばねばならないとされる。自分自身の身で実践しないと、本当の意味で学んだことにはならない。中国の皇帝は、即位する前は、多くの人々を殺して、即位した後、『聖人・君子』になる。」

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「共産支那帝国」の「皇帝」であった毛沢東は、どれだけの人を殺したか分からない。即位する前どころか即位した後も、文革などで数千万の人を殺したと言われる。革命の同志であった劉少奇国家主席など多数をなぶり殺しにした。

色々ご教示頂いたある「中国問題の専門家」の方は私に「中国の権力者は、普段は聖人君子のようにふるまっているが、ある日突然極めて残虐になる」と語っていた。この方は。蒋介石のことを念頭に置いて言われたと思う。

『論語』『孟子』など支那の古典は実に立派なことが書かれている。日本思想史への影響も大きい。しかし、現実の支那の歴史は、極めて残虐なる闘争と殺戮の歴史である。また、今日の「中国人民」も道義精神を忘却している人が多い。鄧小平は、「黒い猫も白い猫も鼠を捕るネコが良い猫だ」と言った。これは、教条主義を批判した言葉だったのだが、現実には、金儲けのためなら何をしても良いというような意味に理解されている。

支那との友好を否定するものではないが、わが日本は支那とはよほど注意して付き合わねばならない。

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