« 千駄木庵日乗二月七日 | トップページ | 千駄木庵日乗二月八日 »

2010年2月 8日 (月)

日本文化と支那・韓国

『アジア太平洋交流学会十周年記念シンポジウム』における講演者の印象に残った発言は次の通り。

黄文雄氏「中国は、二千年間、道徳教育をしてきた。中共はっていなかったが、台湾は継続中。やしかし、道徳的人間を育成したかは疑問。学校の卒業式の時期になると、卒業生に暴力をふるわれるので校長教頭は逃げてしまう。中人国の六十数年間の共産主義体制を総括すると、人口災・資源災に見舞われ、人民は欲望に走っている。反道徳的人間があまりにも多過ぎる。『欲望最高・道徳最低』の人間しか育てられなかった。中国には、ヤクザが四千三百万人いる。広東省だけでも八百万いる。道徳教育をやればやるほど、偽善的・独善的人間が育つ。『道徳』の『道』は公的・客観的なもの。『徳』は私的・主観的なもの。道徳を超越する日本傳統文化を世界に広げよ。美的感情と道徳は不可分。しかし、美は徳を超えられるか」。

呉善花さん「東アジア共同体は、趣旨は素晴らしいが、まだまだ甘い。アジア各国がどういう性格を持っているかを把握することが大事。韓国の女性は。ヨン様のようななよなよした男は嫌い。朝鮮は徹底した儒教社会。目上と先祖を大切にする。朝鮮は強烈なる階級社会。厳しい上下関係が出来たとき、その家庭は円満。男系社会。女は男を支える立場でなければならない。強く逞しい男が理想。ヨン様はそうではない。日本は儒教では説明できない複雑な国。表面的には『男尊女卑』に見えるが。実は女性が仕切っている社会。日本女性は、完璧な男性より、少しナヨナヨした男の方に魅力を感じる。『一輪ざし』の美しさが韓国人にはわからない。萎れて散っていく花に魅力を感じるのが日本人。韓国人は咲き盛る造花が好き。曖昧な空間の中で曖昧な自分を出すことによって無意識に融合する。対立より融合。曖昧力が世界を救う。」

久保田信之氏「外国に手本を求めず、自分の足元から、自分をベースに置いて考えるべし。求道が大切。完璧であるとは破壊と終わりを意味する。完璧なものを日本人は求めない。大いなるものとの一体化が大切。常に大いなるものを求める謙虚さと成長力が大事。そうしないと偽善や欺瞞になる。これこそが最高というものを示したら駄目。道徳とは、道を求める姿勢が大切。」

           ○

なかなか興味深い話であった。日本と支那や韓国との文化・道徳面における差異は実に大きいと思う。それは、京都御所と、北京の紫禁城・ソウルの景福宮を比較してみれば一目瞭然である。

日本は支那から儒教を学んだが、宦官・纏足という畸形文化は全く受け入れなかった。また易姓革命も受け入れなかった。

今ここで詳しくは論じられないが、天皇を祭祀主と仰ぐ日本國體精神・伝統信仰が、これからのアジアのみならず世界のために大きな貢献をすると思う。

|

« 千駄木庵日乗二月七日 | トップページ | 千駄木庵日乗二月八日 »

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/121949/47509954

この記事へのトラックバック一覧です: 日本文化と支那・韓国:

« 千駄木庵日乗二月七日 | トップページ | 千駄木庵日乗二月八日 »