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2010年2月17日 (水)

読書日記『彰義隊遺聞』

森まゆみ著『彰義隊遺聞』 新潮社発行

著者の森まゆみさんはわが家近くの歯医者さんのお嬢さんで、「谷根千」という地域雑誌を主宰していた人。文京六中から早稲田大学に行った方で、地元の先輩。

この本を読んで初めて知ったことを書く。上野戦争即ち彰義隊の戦いは、上野の山で行われたと思っていたが、そうではなかった。わが家から眺めることのできる日暮里諏方神社にも彰義隊が分屯していた。そして、谷中・根津・千駄木が戦場となった。団子坂・三崎坂あたりが凄惨な戦いの場となったという。

また徳川家康は、日光東照宮に自らの霊だけでなく、織田信長・豊臣秀吉の霊も合祀させたという。

皇女和宮様(静寛院宮)は、天璋院と共に総督府に徳川慶喜助命嘆願の使者を立てたが、「嘆願書」には、「慶喜のごとき朝敵と共に、身命を捨てんは、父帝様の玉体を汚し申し、不幸の段残念に堪ず」と書かれてあったという。つまり、和宮様は、降嫁先である徳川宗家を守ろうとされたが、慶喜については朝敵とのお考えであったと拝される。

上野戦争開始の原因の一つとなった官軍と彰義隊の衝突は、私がよく行くお寿司屋のある谷中三崎坂で起こった。官軍の武士三、四人が、わが家近くの動坂まで彰義隊士に追われてそこで斬られたという。

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彰義隊は、徳川将軍家そして徳川幕藩体制を護ろうとしたのであろうが、ひたすら恭順の意を表していた徳川慶喜の意志に反した戦いであったし、結果的に上野の徳川家霊廟が灰燼に帰してしまった。歴史の悲劇である。また、彰義隊には直参旗本はあまり参加していなかったようである。むしろ武蔵の国の郷士たちが多かったようである。

この本は、彰義隊について実に詳しく書かれている。明治維新史を学ぶ者には、大変参考になる。

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