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2010年2月12日 (金)

紀元節に思う

神武天皇の御名前は、神日本磐余彦火火出見尊(カムヤマトイハレヒコホホデミノミコト)と申し上げる。「磐余」とは現在の奈良県桜井市の天の香具山の北東麓地域の古地名である。「火」は「ホ」と読み、「日」及び「稲穂」の意である。この御名前は、「神の國大和の磐余の首長である日の神の御子で稲穂がたくさん出て来る命」というほどの意である。

 つまり、神武天皇は、邇邇藝命と同じように太陽神たる天照大神の神霊と稲穂の霊の體現者なのである。そして神武天皇は、邇邇藝命が天照大神から受けた「日本國の統治」と「稲穂をたくさん地上に実らせる」という御命令を実現するために、九州より大和に来られて橿原の地に都をお開きになり、天皇に即位されたのである。これが日本國家の確立である。

『教育勅語』に示されている「皇祖皇宗」の「皇祖」とは、天照大神及び邇邇藝命の御事であり、「皇宗」とは神武天皇をはじめとした御歴代の天皇の御事である。

『日本書紀』には、「辛酉年(かのとのとりのとし) の春正月(はるむつき) の庚辰(かのえたつ) の朔(ついたち)、天皇橿原宮に即帝位(あまつひつぎしろしめ)す」と記されている。『書紀』が神武天皇即位の日を正月朔日(むつきついたち)としているのは、むつき(正月)の始めにおいて、神も天地も人も新生するという上古以来の日本人の信仰の上に立っているのである。

祭祀的統一によって成立した大和朝廷の最初の天皇が神武天皇である。稲作日本の祭祀的・信仰的統一、そして祭り主・天皇を中心にした國民の精神的共同體の成立を體現する御方が神武天皇なのである。つまり、神武天皇の御東征の物語は稲作文化(弥生文化)が西(筑紫)から東(畿内)へと移って来たことを象徴しているのである。

 

古来日本の変革思想は、祭政一致の理想國家への回帰がその根本にあった。具體的に言えば、政治権力を掌握した人のみならず我々國民一人一人が、天皇が神をお祭りになるみ心を、道義的倫理的規範としてならい奉るということである。それが理想的な國家実現の基礎である。

権力國家としての側面のみになってしまっている國家の現状を改革し、天皇中心の信仰共同體としての國家を回復せしめることが今日における國家変革即ち維新なのである。永遠の維新を繰り返す日本國は永遠に不滅である。上に天皇がいますかぎりは、現代の危機を見事に乗り切るための変革を断行することができると確信する。

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