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2010年1月27日 (水)

霧社事件を描いた映画について

今日お会いした俳優の方は、「霧社事件」を描いた映画に出演するとのこと。事件鎮圧にあたった日本軍の指揮官の役であるという。三月から二三カ月台湾に赴き、撮影に参加するという。

この映画の魏徳聖監督は、日台の若者の恋愛を描いた「海角七号 君想う、国境の南」の大ヒットで、台湾での映画興行収入記録を塗り替えた若手監督である。魏徳聖監督は、霧社事件を描いた今度の映画も「反日映画を作るつもりはない」と言っているという。

「霧社事件」とは、昭和五年(一九三〇年)十月、台湾中部の高地千㍍にある霧社で、日本警察に対する不満から端を発し、タイヤル族が中心になって、日本人多数を惨殺した事件である。

同年十月二十七日、霧社公学校において小公学校連合運動会が開かれるので、日本人生徒とその父兄が参集したところ、日章旗掲揚を合図として、約三百人のタイヤル族の男たちが会場になだれ込んで会場を襲撃し、そこにいた日本人を女性や幼児にいたるまでその殆どを殺害した後、警察駐在所や郡役所の霧社分室、さらに職員宿舎などを襲撃した。この日の襲撃で日本人の一三四名を殺害され、二一五名が負傷した。殆どの日本人の死体は首をはねられていたという。

事件の鎮圧に当たった台湾総督府は、警官一一六三名、軍隊八百余名、漢族系台湾人青年団など一五六三名、総計三五百余名を出動させた。事件は、付近の山地にも波及したので、日本側は砲兵隊や飛行機まで出動させ威嚇した。しかし鎮圧するのに五十数日を要した。多くのタイヤル族捕らえられるよりも自らの手で死を選んだ。自死の方法は縊死であった。深山の大木には多い場合には十数人の人たちが一本の木で自殺していたという。

霧社に居住する山地先住民の十二の部落の内、六部落・総人口一三九九人の人々が蜂起もしくは蜂起に協力した。そのうちの二七六人が鎮圧の過程で死んだと伝えられる。

「霧社事件」の原因は、総督府のタイヤル族対策、中でも「出役」といわれる「労働の強制」及び「官憲の態度」であるといわれている。タイヤル族を含めて高砂族は長い間外界からの刺激や、文化交流の機会が少なかった。故に先住民は殆ど自然人に近い生活を営んで来た。そして自然の恵みの中で生活してきた。ゆえに、一般的に労働意欲は高くなかった。特に他人の強制で働くのを嫌った。

文化的に進歩し、学問も技術もあり、その上せっかちで勤勉さを誇る日本人が、文化交流の機会を持たず、のんびりした生活をしてきた自然人に、教育や労働をせっかちに強制することが、タイヤル族の不満を掻き立てたのであろう。そして失われかけていた彼らの自然人としての本能が爆発したのが「霧社事件」の原因だと考えられる。 

 

先住民側も日本人側も犠牲者は多かったが、それほど根の深い事件ではなく、日本人と先住民との意思の疎通を欠いたことによって起こった惨劇であった。戦後、国民党が宣伝したような「日本の支配に対する反日、抗日の計画的な反抗」ではなかった。

事件の後、純朴で従順な先住民たちは日本の教育に素直に順応した。だからこそ、先住民たちは、日本人になり切り、大東亜戦争では、先住民だけで編成された「高砂義勇隊」が、東南アジアの戦線で勝利のために勇敢に戦ったのである。

先住民に対する日本語教育の普及率は漢族系台湾人よりも高く、今日でも先住民の部族間の共通語は日本語になっているという。日本統治時代に郷愁を抱く人は多かった。

魏徳聖監督がどういう意図でこの霧社事件を描いた映画を作るのか、よくわからない。台湾問題の専門家に聞いてみたいと思う。

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