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2010年1月 7日 (木)

天皇と「法・政治権力」との関係について

三潴信吾先生は、その著『日本憲法要論』において、「世界中で、成文憲法が先に出来て、然る後に国家が成立した國は一つも無い。国家生活の根本事実が出現し、これと同時に、またはその後の時点に於て、憲法典が制定される。」「日本においては明治二十三年十一月二十九日の大日本帝国憲法施行の日まで、成文憲法は無かったが、何人も、その故を以て、それまで日本国家が成立して居なかったと見ることは出来ない」と論じておられる。

「國王といへども法の下にあるといふのが『法の支配』の原点である」といふ考へ方がある。これは、イギリスの法思想であるといふ。かかる法思想は、「王の権威と権力は神によって与へられた」とする西洋の立憲君主國家の考へ方であって、わが國には通用しないし、通用させてはならない。

天皇は権力者ではなく祭り主である。わが國の國體は祭政一致である。天皇は法の上におられるとか下におられるとかではなく、天皇の「おほみことのり」そのものが「法」なのである。わが國においては、現御神日本天皇の「大御心」「勅」(みことのり)が絶対にして最高の法である。わが國の「法の起源」は、祭り主たる天皇が神の意志を傳へる『のりごと』である。法(のり)は宣(のり)である。天皇の上に「法」があるのではなく、天皇の宣命(おほせごと・大御心)が法なのである。

日本と英國とは國體・歴史・傳統・風俗・習慣が異なるのであるから、英國の法思想をそのまま日本に取り入れることは出来ない。

祭祀國家日本の祭祀主・天皇に関する神聖なる事柄は、世俗の権力問題ではない。即ち決して『現行憲法』が規定する「政治権力作用としての國政」ではない。政治権力や成文法によって、天皇を規制し拘束し奉るようなことがあってはならない。

國體の上に成文法が成立するのである。成文法があって國體が成立するのではない。わが國の國體は「祭政一致」である。天皇は権力者ではなく祭り主である。したがって、天皇の「おほみことのり」そのものが「法」なのである。

わが國の「法の起源」は、祭り主たる天皇が神の意志を傳へる「のりごと」である。祭政一致のわが國の国柄においては、祭祀主たる天皇が神の意志として宣()べられた事が最高の「法」と考へられた。わが國においては、現御神日本天皇の「大御心」「勅」(みことのり)が絶対にして最高の「法」である。天皇は、権力や成文法を超越された神聖なるご存在である。小沢一郎をはじめとする現代の政治家はこの事を正しく認識すべきである。

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