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2009年12月22日 (火)

尊皇精神と人倫、そして小沢一郎

和辻哲郎氏は、「『清き心』の傳統は、尊皇の道の一つの顕著な特徴として、倫理思想の潮流の中に力強く生きている。…清さの価値は『私』を去ること、特に利害の放擲に求められる。…それは生命に根ざす価値ではなくて、生命を超えた価値である。…日本武尊は典型的な英雄として描かれているが、領土とか富とかはおよそこの尊とは関係のないものである。」(『尊皇思想とその傳統』)と論じている。

この捨身無我の清き心を漢語によって表現した言葉が「忠誠」である。従って、絶対的忠誠心は権力関係から生ずる精神ではない。間違いを犯す可能性のある権力者に対して絶対的忠誠心を持ってはならない。

信仰共同体・祭祀国家日本の祭祀主たる天皇に対し奉り、絶対的忠誠を捧げるのは国民としての「道」であり最高の「道義」である。

新渡戸稲造氏は、「我々にとりて天皇は、法律国家の警察の長ではなく、文化国家の保護者(パトロン)でもなく、地上において肉身をもちたもう天の代表者であり、天の力と仁愛とを御一身に兼備したもうのである」(『武士道』・矢内原忠雄訳)と論じている。

倫理(人のふみ行うべき道。人間関係や秩序を保持する道徳)は共同体国家において確立される。共同体の中で生きているからこそ、人間に倫理が必要となる。言い換えれば人間が獣ではなく、まさに「人」として多くの人々共に生活するには、倫理が必要なのである。倫理を人倫と言うのも、人にとって倫理が不可欠だからであろう。わが国が素晴らしい特質は、倫理・信仰・文化が天皇皇室を中心として継承されてきたところにある。わが國の国柄・國體が万邦無比といわれる所以である。

日本民族が太古以来、畏敬と仰慕の思いを持って来た神聖にして無私なるご存在である日本天皇に、政治家・官僚そして国民全体が絶対的忠誠心を捧げ奉ることが、政治家・官僚だけではなく広く国民全体の道義の頽廃を最小限防止する道である。

小沢一郎氏などの今日の政治家の尊皇精神が極めて希薄になっていることは、まさに国家の危機なのである。陛下をお護りして正義の発言を行った宮内庁長官に対して、「辞めてから言え」などと暴言を吐いた小沢という男は、何とも許し難い。尊皇精神薄き者は、道義精神も希薄であるということは、小沢一郎を見ているとつくづく真実である思う。

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