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2009年12月31日 (木)

和泉式部・小野小町の恋歌

和泉式部は、平安朝中期の女性歌人である。

私が一番好きな歌は、

「つれづれと 空ぞ見らるる 思ふ人 天降り来む ものならなくに」(ぼんやりとと空を見上げてしまふ。私がお慕ひする人が天から降って来るわけでもないのに、といふ意)である。

この歌は、私の文藝上の師・中河與一先生の代表作『天の夕顔』といふ恋愛小説の冒頭に記された歌である。ロマンチックな歌というのはかういふ歌を言ふのであらう。そしてそれは、日本人の天上の世界への憧れの心をよく表してゐる。

和泉式部の歌では、

「黒髪の みだれも知らず うち臥せば まづかきやりし 人ぞ恋しき」(もの思ひのため心も乱れ、黒髪が乱れてゐるのにも気づかずに伏してゐると、何もい言わずにまづ私の髪の毛を掻き撫ぜ、整えて下さったあの方のことが恋しく思はれます。)といふ歌も名歌とされる。

これは亡くなってしまった恋人のことを慕ひ、思ひ出して歌った歌である。男性の女性に対する行為を具体的に歌ってゐることが、感動を呼ぶ。

小野小町は、平安朝前期の女性歌人。絶世の美人であったとされるが、真偽不明。代表作は、

「花の色は うつりにけりな いたづらに わが身世にふる ながめせしまに」(美しい桜の花の色はあせてしまった。春の長雨が降っている間に。それと同じく、私自身もこの世で長く暮らしている間に、女性としての盛りを過ぎてしまった、といふ意)である。

これはあまりにも人口に膾炙した歌である。女性の悲しさといふものを巧みに表現してゐる。

私は、小町の歌では次の歌が好きである。

「思ひつつ 寝(ぬ)ればや 人の見えつらむ 夢と知りせば さめざらましを」(恋しい方を思ひながら寝ますと、その方が夢に出てきたのでせうか。夢だとわかってゐたなら、目を覚まさないでゐましたものを、といふ意)

これもなんとも悲しい恋の歌である。私も、男のくせに、何回かこのやうな体験があるだけに、共感する歌である。

以上、和泉式部と小野小町の歌二曲がつけられて、歌はれたらいいと思ってゐる。

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