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2009年12月29日 (火)

亀井静香氏の暴論について

亀井静香国民新党代表の「権力の象徴だった江戸城に今もお住まいになるのは、お立場上ふさわしくないのではないか。京都か、(亀井氏の地元の)広島にお住まいになればいい」「明治期に幕府の権力の象徴の跡に入られたことが、その後の歴史で、政治利用みたいな形になってしまった」という発言は、まったく誤っているし、天皇に対し奉り非礼きわまる発言である。

(亀井氏の地元の)広島にお住いになればいい」とは何事であろうか。これこそまさに悪質なる常軌を逸した「政治利用」である。このような発言を行った亀井氏は、世が世があれば、切腹ものであり、天誅の対象になる発言である。亀井氏は軽い気持ちで言ったのであろうか、陛下に対し奉り、軽い気持ちでものを申し上げることがそもそも間違っている。

亀井氏は、「天皇が政治に全く関わられず、江戸幕府時代のように、事実上京都御所に軟禁し奉るべきだ」と考えていると理解しても誤りではない。

しかし、江戸以前と近代以後の國體を分けて考えること間違いである。有史以来、天皇の御本質は、現御神であらせられ、祭祀主であらせられ、國家國民を信仰的文化的政治的に統合する君主であらせられる。その本質の上にそれに則って帝國憲法の「天皇条項」が規定されたのである。そして、天皇は、東京にお遷りになり、日本国の統治者としてのお役目を果たされてきたのである。

御歴代の天皇が政治権力の實際の行使者であられた時期は少なく、政治権力の権威の源泉として君臨されてきた時期が長い。しかしそれは、天皇が政治に全く関わりを持たれなかったという事ではない。中古・中世においては摂政関白を任命されたのは天皇であり、近世において征夷大将軍を任命されたのは天皇であり、近代において内閣総理大臣を任命されたのは天皇である。天皇は日本國の統治者として政治的権威を保持されてきた。それがわが國の傳統である。

徳川幕藩體制下では、行政権・司法権ともに幕府が掌握していたが、祭祀を根本にした日本國の君主すなわち最高の統治者としての権威は天皇にあった。徳川幕府成立自體が天皇・朝廷の神聖権威に依存したのである。

伊勢の皇大神宮は、日本の君主であられる天皇の祖先神をおまつりしているがゆえに、江戸時代においても全國民に尊崇された。江戸時代においても、天皇は日本國の統治者・君主として國家と國民を統合せられていた。

 

これは現代においても同じである。今日の日本の政治制度も、國會において多数を制した勢力の長が与党として内閣を組織するが、彼らは天皇の「親任」を得ることによってはじめて「内閣総理大臣」以下大臣としての地位につき國務を執行することができるのである。

しかしながら、江戸時代は、京都に天皇がおわしまし、江戸に征夷大将軍がいたことにより、「天に二日なし」「一君万民」「天皇帰一」の國體が隠蔽されてしまった。天皇陛下に京都にお遷り願うということは、江戸時代のように、天皇帰一・一君万民の國體を隠蔽することとなる。

天皇陛下を権力者の政治利用からお護りするためには、天皇陛下に京都にお遷り願うというのではなく、小沢一郎や亀井静香のような、尊皇精神希薄にして、天皇を政治利用しようとする政治家を、日本国から駆逐することが必要なのである。

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