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2009年11月10日 (火)

千駄木庵日乗十一月九日

午前は父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後は諸雑務。

午後七時より、千駄木の養源寺にて、「おとなの寺子屋・論語の会」開催。東洋大学共生思想研究センターの野村英登氏(文学博士)が講義。次のように語った。

「北京に行ってきた。建国六十年で、テロに警戒していた。天安門広場に入る時も手荷物検査をされた。歴史の展示では、日本は悪者になっていた。チベットは独立国だったのに、中国の少数民族として日本と戦ったなどと書かれていた。文化大革命の時期は空白になっていた。

中国はあまりにも土地が広く人口が多い。日本みたいにきちんとした社会はあの規模では作れない。コントロールが効かない。賄賂はなくならない。強大な帝国が支配したポイントは漢字。ただし識字率の問題がある。欲望が溢れている。そういうことに政治が耐えられるかどうか。戦争直後の日本と今の日本が混在している感じ。

『恕』とは自分が望まないことを他人にもしないように心がけ努力すること。『仁』とは努力するのではなく自然な状態として他人の嫌がることをしないこと。朱子学の考え方を突き詰めると陽明学になる。古人の書いたことをただひたすら読むのが朱子学。実際に行動するのが陽明学。

態度が横柄だと、言っていることが正しくても他人に受け入れられない。前原国土交通相がそれ。人間は理屈では動かない部分がある。『論語』の価値はそのことを担保している点にある。日本は原典をそのまま読むことに血道をあげた。だから質が高い外来思想の受容が出来た。」と語った。

             ○

支那大陸は様々な氏族が覇を競い様々な王朝が興亡を繰り返して来た地域であって、全体が一貫した文化伝統を有する統一した国家ではあったことはなかった。天皇を中心に時間的連続性空間的統一性を連綿として維持し続けてきた信仰共同体国家たるわが日本とは、全くその性格を異にする地域が支那なのである。

和辻哲郎氏は「漢字の機能ゆえに、シナの地域における方言の著しい相違や、また時代的な著しい言語の変遷が、かなりの程度まで隠されている…現代の支那において、もし語られる通りに音表文字によって表したならば、その言語の多様なることは現代のヨーロッパの比ではないであろう。またもしシナの古語が音表文字にもって記されていたならば、先秦や秦漢や唐宋などの言語が現代の言語と異なることは、ギリシア語やラテン語やゲルマン語が現代ヨーロッパごと異なるに譲らないであろう。文字の同一は…必ずしも…緊密な文化圏の統一を示すものではない」(『孔子』)と論じておられる。

 

要するに日本民族及びその伝統文化と、支那大陸に存在する様々な民族及び文化とは、全く異なるものなのであって、格別の親近感を抱くのは誤りである。

日本人と支那人とでは根本的に異なる文化感覚を持っており、ものの考え方が実に大きく違っている。わが国のように四面環海で魚類の食べ物の豊富な所では、魚類で栄養を摂ったのだが、支那大陸のように広大な平野のある所では、牧畜が盛んに行われ、動物食で栄養を摂るのは自然である。支那人は豚肉をとりわけよく食する肉食人種である。明治以後になって初めて獣肉を食べ出した日本人とは大きな違いがある。

「同文同種」などという虚構に迷わされて、「中華人民共和国」という名の共産主義独裁政権と無原則な「友好親善」関係を結ぶことは避けなければならない。まして「東アジア共同体」なるものは、幻想どころかきわめて危険である。

山岡民主党国会対策委員長にSPがついたという。「永住外国人への地方参政権(地方選挙権)付与法案」の今国会提出は一刻も早く撤回すべきである。

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