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2009年11月 2日 (月)

千駄木庵日乗十一月一日

午前は父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後は諸雑務。

午後四時より、南千住の荒川スポーツセンターにて、『橋本左内先生記念講演会』開催。

伴五十嗣郎皇學館大学学長が講演し、「若い頃、福井の歴史博物館の学芸員をしていた。館長は松平永芳様。靖国神社宮司を兼ねておられた。浅川喜文荒川区議と知り合いになり、今日は回向院の及びその周辺をご案内していただいた。

明治十年の西南戦争の時、政府軍が城山の西郷さんが籠っていた洞窟に入り、捜索した時、薩摩出身の吉井友實が、西郷さんの軍用鞄を発見し、披いてみたら、安政四年二月十四日付の、橋本左内の西郷宛の手紙があった。左内先生が二十四歳の時、十四代将軍を誰にするかの政争の際の密書である。西南戦争で転戦している時、西郷さんは肌身離さず、左内先生の書状を持っていたのである。西郷さんは、西郷さんよりずっと若い左内の見識に尊敬の念を持っていた。吉井友実は東京に持ち帰り、明治天皇にご覧にいれた。

橋本左内は天保五年(一八三四)福井藩奥外科医の子として出生。幼年より鋭敏で、数え十歳で『三国志』を通読。十五歳で『啓発録』を著す。自分自身を啓発・鞭撻するために書かれた。『稚心を去る』『気を振ふ』『志を立つ』『學に勉む』『交友を択ぶ』の五つの項目を立てた。幼い子供じみた心を取り去り、大人としての自覚を確立することが第一。第二に強い気力を養う。そして純粋な心で将来に向かって志を立てる。『啓発録』の五項目の順序は極めて緻密な理由がある。

十六歳の時、大坂に出て適塾緒方洪庵に蘭学を学ぶ。三年間適塾で学び、オランダ語を身につけ、西洋の原書を読んだ。他の幕末の志士には真似のできない学問と視野を身に付けた。適塾に学んでいた時、夜中に出かけて行って、天満橋の下のいる浮浪者の診療にあたった。杉田成卿に師事し蘭方医学を学んだ。左内がオランダ語の原書を一カ月で読破したので、杉田成卿は『自分の学業を継ぐのはこの者』と言った。

左内が、安政四年に書いた『学制に関する意見書』では『自分の持っている器量でしか他人を評価することはできない。故に偉人英傑を軽々しく批判するのは控えるべし。自分の理解できる範囲内でよいから、先人から学ぶべし』と論じた。

松平春嶽の側用人・中根雪江は、左内を『落ち着きがあり、剛毅果断で、肝がすわっている』と評した。左内は『器械藝術は彼に取り、仁義忠孝は我に存す。以て富強を謀るべし』と論じ、科学技術は諸外国から学び取り、人としての道義精神は日本に存在している。日本人としての自覚を確立して海外から学ぶべし、と主張した。」と語った。

帰宅後は、水曜日に行われる『萬葉古代史研究会』における講義の準備など。

          ○

『器械藝術は彼に取り、仁義忠孝は我に存す。以て富強を謀るべし』は、明治維新後の日本において実行された。しかし、西洋科学技術・思想の輸入は成功したが、西洋覇道精神に浸食されたためか日本に本来あった「仁義忠孝」即ち道義精神が希薄になったことは事実であった。

福井県は実に多くの偉人傑物が輩出している。特に幕末において、橘曙覧、松平春嶽、橋本左内、由利公正という人々が輩出し、維新に大いなる貢献をしている。今日も真正保守・維新政治家として稲田朋美氏が大活躍している。

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