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2009年11月 7日 (土)

千駄木庵日乗十一月六日

未明、父の容態に変化があり、付き添う。

午前は、父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後からは、在宅して、『政治文化情報』の原稿執筆。

夕刻、同世代の知人二人と懇談。一人の方は早稲田大学、もう一人の方は青山学院大学出身で、学生運動が激しく行われていた頃に、大学生生活を送った人たちである。

三人に共通した意見は、昭和四十年代以前の學生たちは、身なりは今の學生たちより貧しかったが、目付き・顔つきはしっかりしていたし、目に輝きがあった。それは何か心に決意するもの、目指すもの、生き甲斐を感じるものがあった。左右を問わず、また、是非善悪は別にして、当時の若者たちは、何かしらの理想を持ち、良き國家社會を建設しようという変革意識・現状打開への志があったからである。今の學生たちは全てとは言わないが、そういうものはない。いわゆる「馬鹿面」を下げて歩いている連中が多い、ということであった。

「今の若者は駄目だ」というのは、私たちが学生時代にも年配の人から言われた言葉である。まさに歴史は繰り返すのである。

わが國には「恥を知る」という倫理観がある。否、「あった」と書いた方かいいのかもしれない。「日本文化は名と恥の文化である」と言われるほどに、わが國民は恥をかくことを嫌うし、名がすたること忌み嫌ってきた。恥をかかされることに何よりも怒りを覚える國民であったし、恥ずべきことはしないことを何よりも重んじてきた國民である。

ところが、今日の若者は浮浪者でも乞食でもないのに平気で地べたに座り込んで話をしたりものを食べている。電車の中で平気でお化粧をする女の子。こういう若者たちを<恥知らず>というのである。若者だけではない。政界・官界・財界のエリートたちも<恥知らず>が多くなってきている。だからわが國近年の外交は屈辱外交を繰り返しているのである。

わが國のすぐれた伝統精神・倫理観念・國家観を回復することが緊急の課題である。問題はその方法論である。一番大切なのは、家庭と學校における教育なのであるが、これがおかしくなっているのだから事は深刻なのである。家庭においては親たちが子供の鏡となるような生活を営むことが大事であるし、學校教育においてはわが國のすぐれた古典を教育すべきである。人間は伝統的な諸価値(旧来の陋習に非ず)によって決定される正しい行動の規範に基づいて生活することが、真の自由と幸福とを得る道である。

 

帰宅後も原稿執筆。

        

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