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2009年11月 4日 (水)

千駄木庵日乗十一月三日

午前は父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後一時半より、永田町の星陵会館にて、『新しい歴史教科書を作る會シンポジウム・日本人にとって「天皇」とは何か』開催。登壇者の印象に残った発言は次の通り。

小林よしのり氏「加藤紘一氏と議論した。加藤氏は自然を大切にする心・自然に神を見る心・多神教の世界を認めていたが、『日本のナショナルアイデンティティは天皇ではない』と言った。今や自民党の政治家がナショナルアイデンティティを語る場合も、國體・天皇がなかなか出てこない。御即位二十年を記念して臨時に祝日とする法案について、民主党は日教組・自治労が反対するので、内部分裂になることを恐れ見送った。祝日になれば、その意義が報道され、天皇に対する認識が広まるきっかけになった。『戦争論』を書くために、数多くの英霊の遺書を読んだ。みんな天皇陛下のために戦うという思いで死んでいった。私はそれまで、国民主権論を刷り込まれ、自分が主権者であり、天皇は王様の残滓にすぎないと思っていた。漫画家はあらゆる権威を笑いにする反権威主義であると思っていた。しかし、『戦争論』を『天皇なきナショナリズム』と言われた時、嫌な感じがした。その感覚から『天皇論』を書くまで二十年かかった。皇居の一般参賀に行き、禊をして、知識を蓄えて、自分が変化した。小堀桂一郎氏は、女系天皇は易姓革命だというが、女性天皇の夫になる人が皇室に入る時には『姓』を捨てる。易姓革命と言うが、誰が誰を放伐するのか。『姓』と『苗字』とは異なる。天皇の大御心はどうなのかを考えてみなければならない。悠仁親王しか皇族がおられなくなるという事態になることを、天皇陛下が誰よりも知っておられ、心配しておられる。天皇が『女系でよし』とされ、宮内庁が動いているとしたらどうする。女系は易姓革命と言う人は、『天皇が易姓革命を起こそうとしている』として、楯を突くのか。男系でなければ皇統断絶と言う人に怒りを覚える。女系でも失望しないというヒトコマを取り上げてすべてを否定するべきではない。『海ゆかば』を初めて聞いた時、魂が震撼した。英霊は国家の歴史伝統を背負われた天皇陛下の万歳を唱えて死んで行った。多神教でありながら絶対を求める。多神教・相対主義が良いと言うがそれではすまないものが出てくる。天皇は国民のために祈られる。癒しであり、純粋なものへの感動であり、邪悪にものを去る存在。純粋なものを求める心が皇室によって体現されている。今ほど皇室の有難さが隠されてようとしている時代はない。」

長谷川三千子さん「神学という言葉はあだやおろそかで使える言葉ではない。『記紀』を読み、神道思想及び神道思想に融合した仏教思想を学び、祭儀をきわめて、その後に神道神学に至る。神学という観点は宗教学でも哲学でもない。神を恐れかしこむ心を基本に置く。『国のため・家族のために死ぬ』というと不満が残るのに、『天皇のためなら死ねる』というのはどうしてか。『何々のため』というのは、本当に『ためになって』いなければならない。成果が無いと犬死ということになる。神様のために死ぬとなると、全然次元が違う。神に対しては死が捧げものになる。成果は関係ない。『創世記』二十二章に、神がアブラハムの信仰を試すそうとして、アブラハムの子イサクを焼き尽くすささげものとして供えるよう求める。アブラハムはこれに従いまさに息子を屠ろうとした時、神はアブラハムの信仰の確かさを知ってこれを止めるということが書かれている。これを燔祭(ホロコースト)と言う。アブラハムがもし神の命令を拒否したら、ユダヤ教・キリスト教・イスラム教は成り立たない。これが一神教神学の基礎になっている。日本の神はこんなむごいことは言わない。ヘブライの神は上から目線の神様。日本の生き神は、終戦の時、我が身はいかになろうともかまわないと言われた。天皇御自らが命を投げ出される。ここが日本の神学とユダヤ教・キリスト教・イスラム教の神学との大きな違い。日本人の生活は過度に黴菌を恐れる。それが思想の分野に及んでいる。多神教だから安心ということは全然ない。竈の神様はほっとくと火事を起こすから大事にしなければならないという信仰。『世界には怖いものがたくさんあるぞ』というのが多神教。山や海はいつもニコニコしているわけではない。宗教は恐れかしこむこと。戦後教育で『国民主権』が叩き込まれた。『国民主権』とは国民が一番偉いというだけの話ではなく、国民が国王をギロチンにかけなくてはいけないという思想。だから、天皇が国民のために祈り、命を投げ出されるということは、隠されタブーになる。」

高森明勅氏「天皇御訪中問題の時、民間人代表の一人として当時の加藤官房長官にあった。加藤氏は『天皇国事行為で公聴会を開くのはなじまない』と言った。私は、『外国ご訪問は天皇の国事行為ではない』と反論した。日本は最大最古の君主国。国家元首とは行政権・統治権をダイレクトに握っているという考えは、十九世紀の古い概念。その後の歴史で、元首と統治権はセパレートした方が元首の地位が安定するという概念になった。元首が世襲の場合、君主と言う。異常な時に絶対的なものを求める。硬直した国家体制になってしまう。平和になると懐が深く柔軟になる。日本の絶対化は上から下へ、下から上への双方向。緩急自在。暴君の下で民衆が迫害された歴史は日本にはない。民主政治が成熟して機能している國は君主国家。」

            ○

実に勉強になった。たしかに多神教が平和的だということはない。色々な神仏を拝み、テロを起こしたオウム真理教を見れば明白である。

また、「国民主権論」は國體破壊につながる思想である。「国民主権論」を基本原理としている『現行憲法』は、一刻も早く無効を確認し、正統憲法に復元すべきである。

天皇日本国を根源的に否定することになる「皇統断絶」とか、「易姓革命」だとか、「皇室消滅」だとかいう言葉を安易に使うべきではない。

『皇室典範』は、明治天皇の勅定である。内閣や議会という権力機構が「改正」するべきではない。天皇を君主と仰ぐ日本國體の真姿を開顕することが最も大切である。

        ○

帰途、同志と懇談。

帰宅後は、『世界日報』及び『月刊日本』依頼原稿脱稿・送付。

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