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2009年11月30日 (月)

千駄木庵日乗十一月二十九日

午前は、母のお世話。

昼は、編集を担当することとなった雑誌に関する仕事。

午後は、病院に赴き父に付き添う。昨日は全く眠ったままであったが、今日は目をあけて、私が来たことを喜んでくれた。体温も平熱に戻った。

帰宅後は、水曜日に行う「萬葉集」講義の準備など。

        ○

一昨日病院の担当医と話し合った。その時医師は、「延命とは延苦を意味することがある。」と言った。家族としては一日でも長く生きてほしいと思う。それが当然の心情である。しかし、命長らえることが、苦しみの持続であったどうするのか。本当に悩ましい。「生きていることが苦しみだけなら延命しないでください」などと簡単に言えるわけがない。

病院には、数多くのお年寄りがベッドに横たわっている。ほとんど意識のない人も多い。ただ栄養剤の点滴を受けて生きている。何の楽しみもない。家族もほとんど来ない人もいるという。まことに悲惨である。しかし、家族にも来たくても来ることができない人もいるのであろう。私も、勤め人ではないので、比較的時間が取れるから、毎日病院に行くことができるのである。

「人間は、何のために生きるのか、そして死とは何か」が哲学・宗教の根本問題であるのだろうが、実際に家族、生みの親のこととなると本当に深刻な問題である。恢復して元気になり、家に帰ることができるのが一番なのだが、それが不可能となったらどうするのか。ただ病院にいるだけでも可哀そうなのに、痛み苦しみを伴うとなれば、家族も本当に切ない。

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2009年11月29日 (日)

千駄木庵日乗十一月二十八日

午前は、母のお世話。

午後は、西日暮里の諏方神社に参拝。父の平癒を祈る。次に

谷中天王寺に参拝。大聖釈迦牟尼仏像に父の平癒を祈る。

わが国には今日においても太古以来の民族伝統信仰たる神ながらの道が破壊される事なく生きた信仰として残っている。しかも、わが國は佛教という國際的な宗教を取り入れ、さらにそれをわが國傳統信仰と融合させて大きく開花せしめた。そして、神仏融合は宗教面のみならず、文化・藝術面で見事な結実を見ている。

病院に赴き、父に付き添う。

この後、お見舞いに来て下さった方々と懇談。帰宅後は書状執筆など。

         ○

昨日で終わった「仕分け作業」というのが何となく胡散臭く思えるのは、仕分け作業を取り仕切り、盛んに厳しい質問を役人たちに浴びせかけていたのが枝野幸男氏と蓮舫氏の二人であったことだ。私はこの二人のことは嫌いではない。枝野氏は小沢一郎氏に距離を置いている。また、蓮舫氏のことに支那人という人がいるが、台湾人である。以前あるパーティーでお会いした時、「私は台湾独立支持です」と語っていた。しかし、枝野氏は、閣僚にも政務官にも登用されなかった人物であり、蓮舫氏は来年の参院選挙で再選を目指す人である。この二人に花を持たせたと考えざるを得ない。つまり、人事対策・選挙対策に仕分け作業が利用されたということだ。

日暮里諏方神社

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谷中天王寺釈迦牟尼仏像

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谷中霊園の黄葉

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2009年11月28日 (土)

千駄木庵日乗十一月二十七日

午前は母のお世話。

午後二時より、衆議院第二議員会館にて、『日本再生同志の会』役員会開催。小田村四郎会長が挨拶。中村信一郎氏が司会。「外国人参政権問題」「夫婦別姓問題」「来年の参院選」など当面する諸課題について、同志多数と討議。

この後、病院に赴き、父に付き添う。医師と懇談。今回は入院が大分長引きそうだとのこと。心配である。

帰宅後は、諸雑務・書状執筆など。

            ○

「事業仕分け」が今日で終わったが、警察庁・法務省予算の事業仕分けというのは全く報道されなかった。行われたのかどうかさえ分からない。この二つの官庁は聖域なのか。また、行政刷新会議の構成員になっていない枝野幸男氏と蓮舫氏の二人が何故取り仕切っているのかもわからない。多くの傍聴人がいて、メディアが集まる中で、官僚たちがとっちめられている。まさに人民裁判だ。

今日久しぶりに議員会館に行ったが、新しい会館が完成間近なようだ。まことに豪華な建物である。衆参両院の人件費や施設費などは税金の無駄遣い摘発の対象にはならないのか。

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2009年11月27日 (金)

千駄木庵日乗十一月二十六日

朝、宿舎を出発。先輩同志と共に帰京。

病院に赴き、父に付き添う。何としても父の苦しみを軽くしてあげたいの一念である。

帰宅後は、諸雑務。

            ○

『日本を糺す会』の会場となった熱海の古屋旅館は、二百年の歴史を持つ老舗旅館で、徳富蘇峰・若槻礼次郎・東郷平八郎・東條英機・横山大観・坪内逍遥・川合玉堂・前田青邨などがよく訪れたという。特に大東亜戦争中は、徳富蘇峰と東條英機がよく秘密会合を持ったという。

徳富蘇峰は、近代日本の代表的な歴史家であり言論人である。徳富蘇峰の代表的著作『近世日本国民史』は、大正七年から昭和二十七年にかけて執筆され、全100巻にも及ぶ近世安土桃山時代)以降の近代初期まで日本通史である。私もそのうちの何冊かを持っている。最終巻の『明治三傑』は、西郷隆盛・木戸孝允・大久保利通について書かれた名著である。

徳富蘇峰はまた、明治二十三年に『国民新聞』を創刊した。『日本を糺す会』には、その『国民新聞』の現在の発行人兼主筆である山田惠久氏も出席された。この由緒ある旅館で、大東亜戦争敗北後におけるアメリカによる日本弱体化、そして今日唯今のおけるアメリカの日本支配の実態について論じられた。

               ○

仕分け作業というのが行われているが、あれは一体どういう法律的根拠に基づいて行われているのか。そして仕分け人という人々は一体どういう資格で事を行っているのか。正しく国民に示されていない。ただメディアが面白おかしく報道するのみである。「聖域はない」という言葉を金科玉条にしているが、国防について安易にしてムードに流された仕分けなるものが行われたとしたらまことに危険である。また、法務省・警察庁についてはどういう事業仕分けが行われるのか、警察官僚・法務官僚に対しても他省庁と同じように『人民裁判』的質問や追及が行われるのかどうか、見ものである。

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2009年11月26日 (木)

千駄木庵日乗十一月二十五日

午前は父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

昼は、知人と懇談。

午後は病院に赴き、父に付き添う。看護師の言動に憤りを覚え、強く注意する。父が体の痛みを覚え「痛い、痛い」という声をあげていた。私が付き添っているとは知らなかった看護師が廊下から病室に入って来ならが、父の口真似をした。私は、「患者が苦しがっているのに、その真似をするとは何事かと」強く叱りつけた。こういう看護師がいることは本当に困る。一日中家族が付き添っていなければならなくなる。その看護師も謝罪し、婦長も出て来て謝罪した。

午後六時より、熱海にて、『日本を糺す会』開催。杉山清一代表世話人が司会。荒井清壽弁護士が主催者挨拶、「アメリカによる謀略・日本弱体化」について、相当突っ込んだ話があった。この後、多くの同志が、現下日本の情勢について深夜まで討論。同志多数と討議懇談。小生は昨年に引き続き、元禄十五年十二月十四日、江戸の夜風を震わせて響くは山鹿流儀の陣太鼓の合図によって敢行された赤穂義士の吉良邸討ち入りの歴史を回顧しつつ、日本武士道精神・忠孝精神について語らせていただいた。全体会議の後、明け方近くまで各分野別の討議が行われた。

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2009年11月25日 (水)

千駄木庵日乗十一月二十四日

午前は母のお世話。

午後は病院に赴き父に付き添う。

午後六時半より、高田馬場のホテルサンルートにて、『野分祭』執行。第一部の追悼祭では、祭詞奏上・祭文奏上・『英霊の声』拝聴・『檄文』朗読・遺詠奉唱・玉串奉奠などが行われた。

第二部では西部邁氏が追悼記念講演を行い、「ぺリリュー島で戦没者の慰霊祭に参列した。降神の儀の時背筋が寒くなるのを感じた。三十一歳の時に三島氏の自決の報を聞いた時も背筋が寒くなるのを感じた。三島氏の自決の直後、色々な評論が行われたが、武田泰淳氏が『刻苦勉励の人生がここに終わりを遂げた』といったのに共感した。三島氏はきわめて誠実な人であった。

私は、重症のドモリ患者で家族の前でも言葉を発することができなかった。十九歳の時、『共産党宣言』を読まないのに左翼になった。左翼運動の集団の中にいると、人間の愚かさ・卑怯さ・軽率さがよく見えてきた。三つの裁判を抱え、半年間巣鴨の拘置所にいた。三つとも執行猶予になった。十八年間大学の先生をした。

一流国家になろうとする時、一回や二回は他国を侵略した。それが当時の歴史段階であった。覇権的意志を持って武力を行使した。それを否定する必要なし。帝国主義戦争で、諜報活動は当たり前。スパイ組織を持つのは当然。太古から今日まで国際関係は交流と反発が続いている

日米を親子関係ととらえることに腹の底から怒りと恥辱を感じないのは恥ずかしい。現行憲法は、『国民主権』を謳いつつ『国民』の定義が書かれていない。『人民主権』の思想。日本の歴史・伝統・文化を背負わんとするものが日本国民。

あの戦争では太平洋で百万、非戦闘地域で九十万の日本人がアメリカに殺された。アメリカがどういう国かをまず考えるべし。現行憲法の第一条を見ただけで日本国民に背を向けている。左翼は、憲法前文の『平和を愛する諸国民』とはソビエト陣営だと考えた。

左翼以外は『アメリカの公正と信義に信頼して安全を保持しよう』としている。『国民の総意』とは歴史・伝統・文化を踏まえなければならない。これまでの人々、これからの人々の総意。つまり、伝統の精神と解釈すべし。伝統に基づく憲法論が必要。憲法なんか踏み躙っていい。歴史・伝統・文化が大切。

フランス革命のジャコパン党が『自由・平等・博愛』を唱えた。旧体制を破壊せよと叫んだのがフランスの左翼。今日、『自由・平等・博愛』を言っているのがアメリカ。つまりアメリカは左翼。その属国が日本。ヨーロッパ諸国は、フランスを含めて傳統を破壊する『自由・平等・博愛』だけではやばいと思った。そういう反省のない個人主義の『自由・平等・博愛』を大西洋を越えてアメリカで実現しようとした。東に進んで集団的統制として『自由・平等・博愛』を実現しようとしたのが旧ソ連と中国共産党。この二つの内部抗争が冷戦構造。

近代主義者になってはいけない。近代に疑いの念を持つべし。近代主義を受け入れる人が左翼。文化を破壊し、歴史を分断し、伝統を雲散霧消させようとするのが近代主義。三島氏には近代への反抗と絶望があった。反近代・現代文明への戦いをしかけねばならない。」と語った。

終了後直会が行われ、出席した同志から活発な意見の開陳が行われた。

         ○

西部氏の話は大変勉強になった。私は、直会の席で「近代主義は伝統の否定である。わが国は歴史・伝統・文化の体現者として、天皇を仰いでいる。天皇によって体現される日本伝統精神を世界に恢弘することが、今後の人類を救う道である」ということを訴えた。

何回か書いたが、近代主義を奉じる国家であり、世界最大の超大国であるアメリカの大統領が、日本天皇に拝謁して深々と頭を下げた。あれは、日本天皇および日本国の軍事力・政治力。経済力に頭を下げたのではない。天皇の神聖権威・御稜威に対し、自然に頭が下がったのである。

「國民主権・主権在民」という思想は、君主と國民が絶対的に対立し、権力を奪ひ合った歴史を持つ欧米で生まれた思想である。祭祀國家であり君民一體の國柄であるわが日本にはまったく適合しない思想であり、革命=國體破壊につながる思想である。「國民主権論」「主権在民論」は「人類普遍の原理」を詐称しているがそうではない。欧米における革命・政治変革から生まれてきた思想であり、日本國體とは相容れない思想である。「國民主権」といふ原理は全面的に否定されるべきである。

『現行憲法』の「平和主義」とは、「我が國は侵略戦争をした悪い國であった。今後は武力戦力國軍は持たないし武力の行使はしないし戦争はしない」という思想である。『現行憲法』の「前文」には「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないように決意し」「平和を愛する諸國民の公正と信義に信頼して、われらの生存と安全を保持しようと決意した」と書かれている。これは「東条内閣の行為によって行われた侵略戦争は二度と致しません。日本國および日本國民が安全を守るのも生存していくのもアメリカ様・ソ連様・中國様というような公正と信義のある國に一切委ねます」という意味であり、戦勝國に対する「詫び証文」である。

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2009年11月24日 (火)

千駄木庵日乗十一月二十三日

午前は母のお世話。

午後、病院に赴き、父に付き添う。看護師の方と相談。

この後、八重洲のあるホテルで、地方から上京され、インドネシア独立戦争を戦った元日本軍兵士と方たちと会うために、明日成田からインドネシアに出発される方と懇談。来年の参院選挙を目指し、真正保守の新政治勢力結集について色々と話された。今は詳しくは書くことができないが、これが実現できれば本当に素晴らしい。

午後五時より、東上野の下谷神社にて、『新嘗を祝ふ集ひ』開催。

斉藤吉久氏が講演し、「天皇の祭祀・無私の祈りによって日本国は多様な文化・宗教の共存が行われてきた。その宮中祭祀が今危機の真っただ中にある。宮内庁官僚により、宮中祭祀の簡略化が図られている。新嘗祭も、宵の宮だけがご親祭で、暁の宮は代拝になったという。昨年暮れのご不例とご高齢のため、ご負担を軽減させるというが、実際には件数は増えている。その中で、祭祀だけが簡略化されている。宮内庁官僚は『宮中祭祀は、陛下の個人的趣味である』という発想。五十年前の賢所における『ご成婚の儀』は国事行為として行われた。ところが今は『宮中祭祀』は『天皇の私事』とされ、ご負担軽減に対象になっている。これは入江相政と、無神論者の冨田朝彦の策謀による。政教分離問題は、日本文明の根幹にかかわる。『政教分離』はキリスト教文化圏から来た考え。日本は古代から多宗教の共存が行われてきた。その基が宮中祭祀。それが壊されかけているのは大変な文化問題。今上陛下は、宮中祭祀を正常化されてきた。宮内庁は、『紀元節祭』を認めないが、陛下は御拝をされている。」と語った。

      

この後、祭典・直会が行われた。

帰宅後は、書状執筆など。

        ○

日本の神話は、天皇の祭祀によって生きた現実として太古より今日まで継承されてきてゐる。世界に国家多しといへども、建国以来、国家元首が祭祀を行ひ続けてゐる国は日本のみである。宮中祭祀は、現代に生きる神話であり、文化・文藝・政治・経済・宗教など人間のあらゆる「いとなみ」を聖化し「いとなみ」の模範となる行事である。これを簡略化せよなどといふ論議は、まさに狂気の沙汰としか言ひやうがない。

新嘗祭をはじめとした宮中祭祀には、日本民族の傳統的世界観・国家観・人間観・神観が示されてをり、日本文化の中核である。

祭祀は、原初・始原への回帰であり、天地宇宙開闢への回帰である。それがそのまま新生となり革新となる。決定的な危機に際して、「原初の神話」を繰り返すことによってこれを打開する。

宮中祭祀を中核とする日本の祭祀は、自然神と祖霊を祀る行事である。今日、公害・自然破壊・核兵器など物質文明・近代科学技術文明が生んだ様々な「悪」によって人類全体が大きな危機に瀕してゐる。科学技術文明が徹底的に生態系を破壊せんとしてゐる。文明の進歩によってかへって人間の生命が蝕まれ精神が荒廃してゐる。

かかる状況を打開するためには、イデオロギーや特定の教義によるのではなく、自然と共に生きるといふ日本傳統信仰を回復し、自然と人間に宿る生命を護る態度を養ふことが大切である。宮中祭祀を中核とする日本傳統信仰の祭祀こそ、その原基となるのである。

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2009年11月23日 (月)

千駄木庵日乗十一月二十二日

午前は母のお世話。

昼は、父の病院に赴き、父に付き添う。

午後は、皇居東御苑の三の丸尚蔵館にて開催中の「御成婚・御即位記念特別展・両陛下-想い出と絆の品々」参観。宮中祭祀の皇后陛下のお途中着(御袿,御切袴,御中啓)、両陛下御手水具を拝観。天皇陛下節折(よおり)の御装束(御小直衣,御袴,御金巾子冠,御挿鞋)は、明日新嘗祭でご使用になられるため展示されていなかった。「晴御膳」等の新年の御膳に関連する品,漆器類。平成二十一年御題「生」の御製,及び御歌 。天皇陛下の御研究の御論文,御直筆のハゼの図 。天皇陛下のお稲作に用いられるお手播き用丸籠,お手植えお手刈り用角籠,御料鎌,粟刈り用穂刈鎌などを拝観。

祭祀と和歌は、天皇統治の根幹である。本日はそれに関わる御品々を拝することができ、まことに有難かった。両陛下御直筆の御製・御歌は、まことに神々しい思いがした。

続いて東御苑にて開催されている「御即位二十年記念装束類特別展」「御即位二十年記念旛類特別展」「御即位二十年記念御料車・儀装馬車特別展」を拝観。御即位関係の儀式に供奉員などが着用した装束類、「即位礼正殿の儀」に使用した旛類、「即位礼正殿の儀」終了後の「祝賀御列の儀」の際に両陛下が使用された旧御料車(ロールス・ロイス)、「即位礼及び大嘗祭後神宮に親謁の儀」の際に両陛下が使用された旧御料車(ニッサンプリンス・ロイヤル)、「即位礼及び大嘗祭後神宮に親謁の儀」の際に天皇陛下が使用された儀装馬車2号(昭和三十四年両陛下の御成婚の際にも使用された)、「即位礼及び大嘗祭後神宮に親謁の儀」の際に皇后陛下が使用された儀装馬車三号などを拝観。みやびの世界の美しさを拝した。

平川門より退出。

午後六時より、新宿に手『阿形充規氏の古希を祝う会』開催。多数の同志が参集。阿形氏は、人格識見共に同志から尊敬され、信頼されている民族運動活動家であられる。小生もいろいろとお世話になり、ご指導をいただいている。

帰宅後は、諸雑務。

          ○

天皇は、神の御心のままに國を治められると共に、臣下・民の心を良くお知りになり、お聞きになって、この國を統治あそばされる。そして、天皇と民の心をつなぐものが「やまとうた」=和歌である。天皇は御製によってその御心を民に示したまひ、民もまた歌を捧げることによって民の心を天皇にお知りいただくのである。その傳統は、毎年行はれる「新年歌會始」に継承されてゐる。

天皇統治とやまとうたは切り離し難く一体である。君民一体の國柄は和歌によって保たれてきた。神代の昔より、今日に至るまで、高下貴賎の区別なく継承されて歌はれて来た文藝が和歌である。かかる優雅にして清らかなる君民一体の國柄は他の國には見られない。

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2009年11月22日 (日)

千駄木庵日乗十一月二十一日

午前は母のお世話など。

午後は父が入院中病院に赴き、付き添う。このブログはあまり私的なことを書くべきではないと思うので、詳しくは書かないが、昨日は相当苦しがり衰弱していた父は何とか小康を得ていて、病状が悪化しているようには見えない。有難いことである。額や頬に手をあてつつ、回復を祈る。私が来たことは分かってくれて、「正貴か」と言ってくれた。涙がこぼれる。

看護師の方から色々お話をうかがう。親切そうな方なので安心する。昨日会った婦長の人も良い人だった。家族としては、医師不足・看護師不足が言われる中で、ともかく病院の対応が一番心配である。この二三年の体験で実感したのであるが、先進国とか経済大国とか言われるわが国の医療現場や介護現場は、なかなか多くの問題を抱えていることは確かである。

総合病院・大病院は大変な混雑である。診察を待つのに時間がかかり、さらに診察代の支払いに時間がかかり、さらに薬を買うのにも時間がかかる。ほとんど、半日は確実につぶれる。冗談ではなく、よほど丈夫でヒマな人でないと病院には行けないのではないか。

午後四時より、本郷の展転社にて、「時局戦略懇話会幹事会」開催。当面する諸課題について討議。

帰宅後は、諸雑務。

           ○

『時局戦略懇話会』には、二十年以上前から参加している。これまで真正保守・日本回帰・維新の立場から、時局問題について討議し、様々の運動を展開してきた。

私が参加した当時の中心メンバーは、甲斐田徹・鈴木正男・倉林和男の三先生であった。三先生とも幽明境を異にされてしまった。なんともさみしい限りである。

しかし、三先生の志を継承する活動家が幹事として頑張っている。今後も、より一層与えられた使命を果たすべく努力していきたい。今日も具体的な運動方策について討論が行われた。

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2009年11月21日 (土)

千駄木庵日乗十一月二十日

未明。父が苦しみ出したので、看病。小康を得る。

午前は、父のお世話。訪問看護師の方と共なり。しかし、やはり苦しみ出したので、救急車に来てもらい、病院に連れて行く。医師の診察の結果、入院と決まる。老衰が進んでいるとのこと。しかし、つい三四日前までは食欲も旺盛であり、意識もしっかりとし、あまり苦しむこともなかった。突然こういうことになり、驚いている。医師によると、高齢になると老衰とか病気は急激に進行することがあるという。ともかく、十分な治療を受け、何とか持ちこたえてもらいたいと祈るばかりである。

午後、いったん帰宅し、母といろいろ相談する。そして必要なものを持って再び病院に赴く。しばらくそばにいる。よく眠っている。

帰宅後は、資料の整理。

         ○

父が苦しんだり、病状の変化があったりすると、母も大変なのだが、父が入院し、母が一人になるとやはりさみしいらしい。長年苦労を共にしてきた夫婦である。私の両親は、戦前戦中戦後の激動期を生き、二人の子供を育ててきた。本当に大変だったろうと思う。これからは、苦しむことなく、苦労することなく、一日でも長生きして頂きたいと祈るばかりである。

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2009年11月20日 (金)

千駄木庵日乗十一月十九日

午前は父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

最近修養生活を終えられた元国会議員の方から電話があり、修養生活先に『政治文化情報』を送らせていただいたことに感謝に意を表され、激励の言葉をいただいた。この方は、小生が高校生の頃、生長の家の活動をしていた時以来の知己である。今後一層のご活躍を祈る。

午後一時半より、豊島陸理千早地域文化創造館にて、『萬葉會』開催。小生が、大伴家持の歌などを講義。

帰途、出席された経済学者の方と懇談。この方は、「父が日本共産党の中央委員候補で、メーデー事件の被告となった。子供の頃、同じ学校の子供たちに、登下校の途中、『アカ』とか『共産党』とか言われて石を投げられたりするいじめにあった。何時も首をひっこめていたので、『亀』というあだ名がついた。

父が、宮本顕治と対立して共産党を除名された後、今度は家族全員が共産党組織からいじめられた。私の国立大学教授任官に対しても共産党員の教授の妨害が行われた。弟は、国立大学を出ていたが、身元調査で、志望する大企業には就職できなかった。

父は共産党にいた時、地下に潜行した。その時、『私たちの生活はどうするのですか』と聞いた母に対して『人民が食べさせてくれる』と言った。母方の祖父が財産分けをして助けようとしたら、父がそれを拒否した。しかし『人民』は私たち家族を食べさせてはくれなかった。

奥平康弘氏が東京大学社会科学研究所の所長をしていた時、私は東大に出向していた。奥平氏は、『君たちは何故公文書に元号を使うのか。西暦を使いたまえ』と言った。私はただ一人それに異を唱え『西暦はキリスト教紀元である。元号を使うことは、文化の多様性を維持するために必要である。』と主張した。」と語った。

共産党が権力を掌握すると、国家権力を使って、反対派を抹殺することは、旧ソ連や共産支那などを見れば明らかである。全体主義集団の恐ろしさは、創価学会にも共通する。竹入・矢野両氏に対する迫害は想像を絶するものがある。共産党も創価学会も、口を開けば『人権』『平和』『民主』『文化』を強調するが、実際にやっていることはそれとは全く逆のことである。「朝鮮民主主義人民共和国」と名乗っている国が、全く民主主義の国ではなく、人民を迫害する国である。悪いことをする集団ほど、綺麗事を言うのである。

奥平康弘は「天皇国日本」解体を目指している「学者」である。「皇室典範」に関してもその立場から巧妙にして悪質なる論議を展開している。小生は『政治文化情報』今月号で彼の主張を批判した。

帰宅後は、書状執筆など。

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2009年11月19日 (木)

千駄木庵日乗十一月十八日

午前は父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後二時より、三田にて開かれた会合でスピーチ。

午後六時半より、新宿の花園神社にて、「神道時事問題研究会」開催。片山文彦宮司が司会。石破茂自民党政調会長が講演し、「政策で負けたのではない。『二年前に警告したではないか、今度こそ分からせてやる』という民意の結果。

私が初当選してから二十三年になる。その間に総理大臣が十六人代った。先進国にこんな国はない。国務大臣はもっとたくさん代った。防衛大臣は九ヶ月間に四人代り、農水大臣は一年九カ月で六人代った。行政のトップは四年間やるのが原則。これで何が政治主導か。企業なら潰れている。答はただ一つ、大臣はいてもいなくてもいいのだ。

大臣が良く代るので喜ぶのは、国会議員と官僚。私の同期生は鳩山由紀夫・新井將敬氏など四十八人いた。自民党は平等なので、能力があっても無くても大臣になれる。大臣や部会長は半年で代るので、当選を重ねればみんな平等に大臣や部会長になれる。官僚は、大臣が『良きにはからえ』なのでみんな喜ぶ。

私は軍事オタク・防衛オタクと言われたので官僚から好かれない。『九〇式戦車は何故北海道にしか配備されていないのか』と質問したら、重量が重いので内地を走ると道路は壊れ橋が落ちるからだという。対テロ作戦に戦車を使うのは、ハエを斧で追いかけるようなもの。大きな輸送機を持つべし。

今の若い自衛官は、叱ると辞める。個室の生活に慣れているので、大部屋には耐えられない。海上自衛隊の艦隊勤務は携帯電話が使えないので一番人気が無い。

予備役兵は常備兵と同数以上が当たり前。ところが我が国は四分の一から五分の一しか予備役兵がいない。海自には一人もいない。予備役兵に対する処遇が極めて劣悪。本当にこれで日本が守れるのか。

大臣が六カ月で代るので、官僚は自分たちの思い通りやれる。私は平成五年、初めて農林政務次官になり、国会答弁をすることになったので、大臣室で資料を取り寄せて夜遅くまで答弁書を作っていた。そこに事務次官がやって来て『答弁書は作ってあります。この通り答弁して下さい』と言った。その答弁書にはご丁寧にフリガナがふってあった。総理や大臣がコロコロ代るのは、議員や官僚には良いことだが、国家国民のためには良くない。

自民党は弱い人や恵まれない地域のことを思う心がなくなっていた。あったら、『後期高齢者』などという言葉を使わない。中国地方の山間部には一人しか住んでいない村がある。子供や孫は町に出て、お年寄りが年金をもらいながら農業をしている。過疎地への思いやり、地方への配慮が伝わらない。それで自民党的なものは嫌ということになった。私も含めて自民党的な立ち居振る舞いが拒否された。

『日米安保体制』が今ほど危機に陥っている時期はない。普天間基地問題で鳩山総理とオバマ大統領の言うことが百八十度違う。首脳会談に同席した人がいるのだから、今にどちらが間違っているかが分かる。北朝鮮の暴発を抑止できるのは、米海兵隊しかない。一刻も早く普天間問題に決着をつけないといけない。一つの自治体の判断に日本と極東の安全をゆだねるわけにはいかない。

カロリーベースの食糧自給率は四十パーセント。食糧生産額は世界第五位。日本ほど農業に向いている国はない。水・光・土壌が豊か。この潜在力を生かさなくてどうする。昭和三十年代初頭の食生活に戻れば、食糧自給率は九十パーセント。悲観することはない。ダイエットにもなる。農家は六十パーセントが六十五歳以上。

日本は、外交・安保・憲法問題でカウントダウンの段階になっている。兵士に対する尊敬の念のない国がどうして国を守ることができるのか。政治家はリーダーでなければならない。国益にならなければ米軍は引き揚げる。同盟関係は国益が重なり合って成立する。」と語った。

十年ほど前にも石破氏の講演を聞いたが、歳を重ねたのだから当然であろうが、その頃よりも大分風格が出来てきた。国防・農業に対する考え方は大体同感である。歴史観や靖国神社に対する考え方に問題があるが、自民党の背負って立つ政治家の一人になった。

帰宅後は、明日の萬葉集講義の準備。

      ○

今日の会合でも話したのですが、テレビニュースで、オバマ大統領が、両陛下に深々と頭を下げている姿を見て、嬉しく思いました。陛下のおのずからなる威厳というか、現御神としての神聖さが、オバマ氏に頭を下げさせたのでありましょう。これは力に対する屈服ではなく、神聖権威に対するかしこみの心であると拝しました。「対米自立」だの「日米対等」だのと息巻いて、同盟関係をおかしくしなくても、天皇国日本はアメリカに対して対等以上の関係にあるのであります。世界第一の超大国の元首が、日本の天皇陛下に深々と頭を下げたのです。まさに天皇陛下のお陰であります。日本国民がうぬぼれてはなりませんが、有難き限りであります。

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2009年11月18日 (水)

千駄木庵日乗十一月十七日

午前は父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後は、諸雑務・明日のスピーチの準備・明後日の『萬葉集』合議の準備など。

             ○

何人かの方々から、電話・メール・FAXで『政治文化情報』の拙論に対するご感想な・ご批評をいただいた。有難い。

今月号は『皇位継承と日本神話の精神』と題して書かせていただいた。

皇位継承について臣下・国民が「女系天皇を容認する」だの「しない」だのとかまびすしく論議すること自体、私は好ましいことではないと思う。そもそも「容認」などという言葉自体がまことに不遜である。一体誰が誰に対して「容認」するのか。

また、「皇統断絶」「皇室消滅」「易姓革命」などという言葉があまりにも安易を使われ、書名にまでなっていることに、身の毛がよだつ思いがする。「皇室」の御事、まして「皇位継承」という重大事は、もっとつつましく、冷静に、かしこみの心を持って論じられるべきである。自らの反省としてもこのことは書いておきたい。

今日、電話をいただいたある法律家の方が、「運動は、敵を作り、敵を憎み、敵を打倒するという目的が無ければ発展しない」と言われた。成程と思った。共産主義運動は資本家・搾取階級という敵を作り打倒するという目的を立てて盛り上がり、ソ連と共産支那という二つの強大な共産主義国家を作った。ナチスは、ユダヤ人と共産主義集団という敵を作り打倒するということで政権を握った。創価学会は、学会以外の宗教を全て邪教としそれを撲滅するという目的を掲げて組織を大きくした。

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2009年11月17日 (火)

千駄木庵日乗十一月十六日

午前は父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後三時、上野公園の東京文化会館にて、知人と懇談。この方は、十月四日、小生が南千住回向院の橋本左内先生の墓所に参拝した折に、偶然知り合った福井ご出身の方である。橋本左内墓所の横に建立されている『景岳橋本君碑』の全文を毛筆で書き写され、今日わざわざ上京されて、それを小生に贈呈して下さった。まことに有難きである。長文の碑文を毛筆で書写することはなかなか大変なことである。心より感謝申し上げる。この方は、郷土の大先輩・橋本佐内先生を心の底から尊敬しておられる。「景岳」とは橋本左内先生の「号」である。

『景岳橋本君碑』は、明治十七年十一月に建立された。太政大臣兼修史館総裁従一位大勲位三條實美篆額・編脩副長官兼大学教授従五位勲六等重野安繹撰・修史館監事従五位勲五等巖谷修書である。橋本左内先生のご一生とその業績がつづられている。

碑文を書いた重野安繹は薩摩出身の漢学者・歴史学者である。島津久光に仕え、西郷隆盛・大久保利通らと親交があった。西郷隆盛が橋本左内を尊敬していたが故に、薩摩の重野安繹が碑文を書いたのであろう。しかし、碑文には西郷隆盛のことは書かれていない。石碑建立の年が、西南戦争終結後七年しか経過していなかったからであろう。

帰宅後は、書状執筆・諸雑務。

         ○

今日お会いした方は、「漢文を書く人も少なくなったし、読める人すら少なくなった」と嘆いておられた。小生も恥ずかしながら二松学舎出身ではあるが、国文科だったので漢文をすらすらと読むことはできない。まして書くことはほとんどできない。今日いただいた碑文もこれから一生懸命読ませていただくつもりである。

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2009年11月16日 (月)

千駄木庵日乗十一月十五日

午前は、父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後は、資料の整理。

夕刻、小中学校の後輩であり民主党に所属している青年政治活動家と懇談。思想信条は保守。外国人参政権などに対しても反対の意志を持っている。党内でこれをどう発言していくかで悩んでいた。

夜も、資料の整理。

           ○

以前、今は内閣の要職についているある民主党政治家と名刺交換した時、その人は三回も繰り返して「私は保守です」と言っていた。父上が自民党政治家として要職を経験してきた人なので、そんなことを分かり切っていた。今は鳩山氏の側近として活躍している。

その鳩山総理は、昨日も書いたが、沖縄の米軍普天間飛行場移設問題について、首脳会談とその後の共同記者会見では、沖縄の米軍普天間飛行場移設問題について「できるだけ早く結論を出す」と語ったのに、14日には記者団に対し、沖縄県名護市に移設する現行計画にこだわらない考えを示し、来年1月の名護市長選を見極めて判断する可能性を示唆した。これは自民党の石破政調会長が言う通り、オバマ大統領に対する背信行為だ。側近にいる人は、相手は宇宙人を自称しているのだからなかなか大変だろうが、鳩山氏の暴走というか軽率極まりない発言を食い止める努力してもらいたい。ことは国家の安全にかかわる問題であり、同盟国との信頼関係に関する問題である。

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2009年11月15日 (日)

千駄木庵日乗十一月十四日

午前は、父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後は、『政治文化情報』発送作業。完了。購読者の皆様には週明けにはお届けできると思います。

夜は、資料の整理など。

           ○

テレビニュースで、オバマ大統領が両陛下に深々と頭を下げている姿を見て、嬉しく思った。日米同盟関係は大切にしなければならない。核武装もできない日本が「日米対等」「対米自立」とか言うのは危険千万だ。文化・政治・経済面での対米自立は当然であるが、軍事的には明らかに日本はアメリカの庇護のもとにある。この事実を変えることができずして、アメリカとの関係をギクシャクさせるのは全く間違っている。

しかるに鳩山総理は、訪日したオバマ米大統領との首脳会談で、米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)移設問題について「できるだけ早く結論を出したい」と確約したにもかかわらず、シンガポールで記者団に、来年1月の名護市長選後に結論を先送りする可能性を示唆した。こういう定まらない総理の姿勢は、大統領と確認した「強固な同盟」を空洞化させる。アメリカがニコニコ笑って、低姿勢でいるうちに、政府間の約束は履行すべきである。似非平和勢力への配慮よりも国家の安全とアジアの平和を優先すべきである。
 

              ○

森繁久彌氏が亡くなった。私の子供の頃から大スターだった。特に大ファンというわけではなかったが、やはり印象に残る俳優であった。名演技と思ったのは、『警察日記』の人の良い初老の警察官、『恍惚の人』の痴ほう症の老人、『男はつらいよ』の長崎県五島の漁師、題名は忘れたが会津戦争を描いたテレビドラマの会津藩の家老の役であった。ご冥福を祈ります。

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2009年11月14日 (土)

千駄木庵日乗一月十三日

午前は父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後は、ごく親しくさせていただいている二人の同志と電話で懇談。その後も、在宅して諸雑務。色々仕残した事、急いでしなければならない事がたくさんあり、大変でした。

          ○

オバマ大統領が来日しても、鳩山首相はたった一時間半くらいしか会談をしなかった。一番重要な外交関係である日米同盟が大きく揺らぐ危険性がある。十三日の金曜日というのも縁起が悪い。アメリカは日本よりも共産支那を重視している。今回も日本を素通りしては悪いから、立ち寄ったという感じだ。鳩山氏はオバマ大統領がまだ日本にいるのに、外国に行ってしまった。しかも明日は、天皇陛下との昼食会がある。総理は、天皇陛下の臣下として陪席するのが当然の義務であろう。なんという非礼であろうか。

日米対等とか対米自立などと格好いいことを言っても、日本は実際に、アメリカの軍事力で守ってもらっているのだ。この現実を変えないで、対米自立とか沖縄の軍事基地縮小だとか言っても通らない。

「友愛」「対米自立」を唱えるだけで日本の独立・安全が守れるわけがない。本当に対米自立を実現し、対等な日米関係にしようというのなら、日本は自力で自分の国を守る体制を構築しなければならない。つまり核武装である。

核武装なくして対米自立・日米対等などあり得ない。鳩山・小沢そして日本のメディアはそんなことも分からないくらい馬鹿なのであろうか。

軍事的実力も持たずアメリカに盾を突き、共産支那に媚びを売る鳩山・小沢の外交は、必ず破綻する。そして日本の安全と独立は根底から脅かされる。さらに「夫婦別姓」だの「外国人参政権付与」によって内側からも日本をぶち壊そうとしているのが民主党政権である。

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2009年11月13日 (金)

千駄木庵日乗十一月十二日

午前は、医師の往診があり、父母に付き添う。

その後、訪問看護師の方と共に父母のお世話。

午後は、天皇陛下御即位二十年一般参賀」のため皇居に赴く。宮内庁庁舎前の特設記帳所において記帳させていただく。

東御苑の売店に行き、来年の『皇室カレンダー』を購入。皇居前広場では、夕刻から開催される『国民祭典』祝賀パレードの準備が行われていた。何人かの同志友人に出会う。民主党政権が、今日を祝日とする法案に賛成し推進していれば、もっと多くの国民が参賀に訪れ、盛大にお祝い申し上げることができたはずである。誠に残念であった。

夕刻、湯島にて地元の先輩と懇談。

帰宅後は、諸雑務。

           ○

わが日本おいては、これだけ科学技術が進歩し物質文明が豊かになっている今日においても、古代信仰・民族信仰が脈々と生きており、伊勢の神宮をはじめとした全国各地の神社で毎日のようにお祭りが行われている。のみならず日本伝統信仰の祭り主であらせられる天皇は多くのみ祭りを厳修され、国家の平安・国民の幸福・五穀の豊饒を神に祈り続けられている。そしてその祭り主たる日本天皇は日本国家の中心者として君臨あそばされている。このようにわが祖国日本は永遠の生命を保ちつつ革新を繰り返してきている国である。これが世界に誇るべき日本の素晴らしさである。

現代日本の汚れを祓い清め、正しき国の在り方・日本人としての正しき姿を取り戻すことが維新である。日本は伝統と変革が共存し同一なのである。だから維新を<復古即革新>というのである。

日本の歴史と傳統は、天皇によって体現される。日本文化の一体性・連続性の窮極の中心者が天皇である。日本文化傳統の核である祭祀を司っておられるお方が天皇であらせられる。天皇は、日本の歴史的連続性・文化的統一性・民族的同一性の、他にかけがえのない唯一の中心者であらせられる。

日本国の君主であらせられ、祭祀主であらせられる天皇陛下そして皇室のご存在があってこそ、日本国は安定と平和が保たれる。今日の日本は醜い権力闘争が繰り広げられている。夢も希望もない亡国の淵に立たされているかの如き状況である。しかし、天皇・皇室がおわします限り日本国は安泰である。

            ○

写真はパレードの準備風景および記帳を終えた人々の姿です。

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2009年11月12日 (木)

千駄木庵日乗十一月十一日

午前は父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後は『政治文化情報』発送準備など。

午後六時より、『九段下沙龍』開催。多くの同志と当面する諸問題について討議。

帰宅後も発送準備。

           ○

今日の会合である同志から、「田中角栄は越後から上京してきて、故郷の貧困を何とか救いたいという情熱があった。野中広務には、いわれなき差別をなくしたいそして差別解消の運動を正常化したいという情熱があった。鳩山由紀夫総理など今の政治家には、そうした切実さ・情熱・強い意志・使命感・戦う姿勢というものが感じられない」という意見が出されました。成程と思いました。

鳩山総理は、今日の記者会見で自ら語っていたように「恵まれた環境に育った」人物です。細川護熙・小泉純一郎・福田康夫など最近の歴代総理はみなそうです。小沢一郎・加藤紘一もそうです。この人たちは「家業」としての政治家を継いだだけのことです。だからちょっとした試練にも耐えきれず、嫌になったら後は野となれ山となれで、辞めてしまうのです。

岸・池田・佐藤という人々は、官僚政治家と言われましたが、今の政治家にはない覇気というか、強さというか、図々しさというものがあったようです。

苦労した人が立派で、恵まれた環境にいる人は駄目だなどと短絡的な決めつけはできないと思いますが、近年の政治家がまことにだらしなく、強さ・豪胆さが無いことは確かです。その中で、小泉・小沢両氏は、剛直というか強い面を持つ人だと思います。小沢一郎は、私は全く好きではありませんが、ともかく近十数年の日本の政治を動かしてきたことは事実です。小沢以上に力のある政治家、別の言葉で言えば「悪党」はいないと思います。「悪党」とは、既存の体制をぶち壊す者という意味もあります。

ところで昨日小沢氏は「一神教は排他的だが、仏教はあらゆるものを受け入れ、みんな仏になれるという度量の大きい宗教だ」と言いました。しかし、日本仏教では、日蓮はかなり排他的で、念仏の坊さんの首を由比ヶ浜で刎ねよと主張し、法華経以外は皆邪教だとして排撃しました。創価学会などは日蓮の排他性を継承しています。では念仏宗が排他的・戦闘的ではないかというとそうではありません。一向一揆を見れば明白です。集団で武装して戦いました。

つまり、どの宗教が排他的・戦闘的で、どの宗教が平和的・融和的だという明確な区別があるわけではないのです。宗教というものは、ある時には平和的になり、ある時には戦闘的になるということです。ですから、宗教は人間を安穏の世界に導くこともあるが、逆に闘争の世界に導くこともあるのです。宗教の歴史は、宗教戦争の歴史でもあるのであります。そこが宗教の怖さでもあるのであります。

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2009年11月11日 (水)

千駄木庵日乗十一月十日

午前は、父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後は、広尾の山種美術館にて開催中の『新美術館開館記念特別展 速水御舟展日本画への挑戦』参観。

「大正から昭和を駆け抜けた日本画家・速水御舟。40年の短い生涯におよそ700余点の作品を残しました…初期の南画風の作風から、細密描写、象徴的作風、写実と装飾を融合した画風、そして水墨画へと、御舟はその生涯を通じて、短いサイクルで次々と新しい試みに挑み続け、常に挑戦者であろうとしました。新『山種美術館』開館記念特別展では、…山種美術館所蔵の御舟作品をすべて展示し、皆様にいま一度、御舟作品の凄みを体感していただきたいと思っています。」(案内書)との趣旨で開催された。

重要文化財の『炎舞』をはじめ『翠苔緑芝』『錦木』『白芙蓉』など実に彩色が見事な作品を観る。速水御舟のこれだけ数多くの作品をいっぺんに観たのは今回が初めてだが、なかなか迫力があった。もっと長生きをしていたら、さらに見事な作品をのこしたであろうと思われる。

山種美術館は、昭和417月、日本初の日本画専門の美術館として日本橋兜町に開館した。創立者は山種証券創業者の山﨑種二氏。その後、千代田区三番町に移り、この十月に広尾に新装開館した。三番町は、靖国神社や小生の母校二松学舎のすぐ近くなので大変便利だったが、広尾というところは小生の家から遠く、不便になってしまった。今日も恵比寿の駅から二十分ほど歩いた。途中歩道橋などもあり、肥満体の小生には少し苦痛であった。目黒・広尾・恵比寿というところは、私宅からは山手線の反対側なので、なかなか来る機会が無い。しかし、これから開館記念で、東山魁夷・横山大観・竹内栖鳳・奥村土牛の展覧会が開かれるという。この美術館のカレンダーは毎年購入して、父母の部屋と私の部屋に飾っている。今日も買ってきた。

父母のお世話などがあり、なかなか旅行に行くことができなくなったので、機会をつくっては美術館見学を楽しんでいる。

帰宅後は、『政治文化情報』発送準備など。

          ○

民主党の小沢一郎幹事長は、永住外国人への地方参政権付与法案について「外交政策が背景にある問題。やるならば原則として政府提案でやった方がいいと思っている」と述べ、臨時国会への議員立法提出に否定的な考えを示した。あまりに反対が多いので、方向転換したのだろうか。ただし政府提案となると、もっと強硬な姿勢で臨むということになりかねない。

小沢幹事長は、「全日本仏教会」会長の松長有慶・高野山真言宗管長と会談した後、「キリスト教もイスラム教も排他的だ。排他的なキリスト教を背景とした文明は、欧米社会の行き詰まっている姿そのものだ。その点、仏教はあらゆるものを受け入れ、みんな仏になれるという度量の大きい宗教だ」などと述べたことを明らかにした。さらに、小沢氏は記者団に、「キリスト教文明は非常に排他的で、独善的な宗教だと私は思っている」とも語った。

小沢氏の発言は、基本的に間違った議論ではない。しかし仏教界へのリップサービスで言ったのであろう。政権政党の「独裁者」がこのような発言をすると、欧米諸国やイスラム諸国から反発を受ける可能性がある。

小沢の言うことなすことに文句をつけると言われるのも嫌だが、私に言わせれば、小沢一郎氏の政治姿勢こそ、排他的であり、一神教的だと思うのだがどうだろうか。そもそも小沢氏が推進した小選挙区制は二者択一の選択肢しかないという一神教的な制度である。

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2009年11月10日 (火)

千駄木庵日乗十一月九日

午前は父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後は諸雑務。

午後七時より、千駄木の養源寺にて、「おとなの寺子屋・論語の会」開催。東洋大学共生思想研究センターの野村英登氏(文学博士)が講義。次のように語った。

「北京に行ってきた。建国六十年で、テロに警戒していた。天安門広場に入る時も手荷物検査をされた。歴史の展示では、日本は悪者になっていた。チベットは独立国だったのに、中国の少数民族として日本と戦ったなどと書かれていた。文化大革命の時期は空白になっていた。

中国はあまりにも土地が広く人口が多い。日本みたいにきちんとした社会はあの規模では作れない。コントロールが効かない。賄賂はなくならない。強大な帝国が支配したポイントは漢字。ただし識字率の問題がある。欲望が溢れている。そういうことに政治が耐えられるかどうか。戦争直後の日本と今の日本が混在している感じ。

『恕』とは自分が望まないことを他人にもしないように心がけ努力すること。『仁』とは努力するのではなく自然な状態として他人の嫌がることをしないこと。朱子学の考え方を突き詰めると陽明学になる。古人の書いたことをただひたすら読むのが朱子学。実際に行動するのが陽明学。

態度が横柄だと、言っていることが正しくても他人に受け入れられない。前原国土交通相がそれ。人間は理屈では動かない部分がある。『論語』の価値はそのことを担保している点にある。日本は原典をそのまま読むことに血道をあげた。だから質が高い外来思想の受容が出来た。」と語った。

             ○

支那大陸は様々な氏族が覇を競い様々な王朝が興亡を繰り返して来た地域であって、全体が一貫した文化伝統を有する統一した国家ではあったことはなかった。天皇を中心に時間的連続性空間的統一性を連綿として維持し続けてきた信仰共同体国家たるわが日本とは、全くその性格を異にする地域が支那なのである。

和辻哲郎氏は「漢字の機能ゆえに、シナの地域における方言の著しい相違や、また時代的な著しい言語の変遷が、かなりの程度まで隠されている…現代の支那において、もし語られる通りに音表文字によって表したならば、その言語の多様なることは現代のヨーロッパの比ではないであろう。またもしシナの古語が音表文字にもって記されていたならば、先秦や秦漢や唐宋などの言語が現代の言語と異なることは、ギリシア語やラテン語やゲルマン語が現代ヨーロッパごと異なるに譲らないであろう。文字の同一は…必ずしも…緊密な文化圏の統一を示すものではない」(『孔子』)と論じておられる。

 

要するに日本民族及びその伝統文化と、支那大陸に存在する様々な民族及び文化とは、全く異なるものなのであって、格別の親近感を抱くのは誤りである。

日本人と支那人とでは根本的に異なる文化感覚を持っており、ものの考え方が実に大きく違っている。わが国のように四面環海で魚類の食べ物の豊富な所では、魚類で栄養を摂ったのだが、支那大陸のように広大な平野のある所では、牧畜が盛んに行われ、動物食で栄養を摂るのは自然である。支那人は豚肉をとりわけよく食する肉食人種である。明治以後になって初めて獣肉を食べ出した日本人とは大きな違いがある。

「同文同種」などという虚構に迷わされて、「中華人民共和国」という名の共産主義独裁政権と無原則な「友好親善」関係を結ぶことは避けなければならない。まして「東アジア共同体」なるものは、幻想どころかきわめて危険である。

山岡民主党国会対策委員長にSPがついたという。「永住外国人への地方参政権(地方選挙権)付与法案」の今国会提出は一刻も早く撤回すべきである。

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2009年11月 9日 (月)

千駄木庵日乗十一月八日

午前は父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後一時半より、九段の靖国神社境内の靖国会館にて、『二宮報徳会講演会』開催。小林幸子会長が挨拶。西村眞悟氏が講演し、「真の日本再生のためには、真の政界再編が必要。社会党なき社会党支配の様相。イデオロギーなき社会党が一番タチが悪い。

神話の世界に天皇の権威の淵源がある。日本は革命や契約によって生まれた国ではない。歴史の名誉を回復することが大事。

日本国政府は北朝鮮と不作為による共犯関係にあった。拉致事件を認識していたのに封印した。

一九四一年八月十日から英国海軍戦艦『プリンスオブウェールス号』で行われたチャーチルとルーズベルトの会談内容を公開すべし。戦時の陸海軍の統帥は並立・独立していた。東條首相は海軍を指揮できなかった。海軍と陸軍の軍令が統一しなかった。戦争は政治の無能によって負ける。専守防衛とは何か。

専守防衛とは敵が海岸線に上陸してきたら戦うことだという。こんなことで防衛は不可能。制空権・制海権を奪われた時に戦うのが専守防衛。イギリスの防衛ラインは敵基地の背後。日本の防衛ラインは大陸の背後。陸上自衛隊は海を渡る軍でなければならない。海上自衛隊はインド洋から来るシーレーンを守る軍でなければならない。航空自衛隊は敵の戦略基地を爆撃できる軍でなければならない。

核兵器は持たねばならない。核兵器は既に通常兵器になっている。現実的対処は抑止しかない。核兵器のない世界は通常兵器による殺戮が起こる世界。一人の独裁者が核を持ち、世界を支配する世界が出来る。日本の周辺諸国は全て徴兵制。日本国を守るのは国民の義務。徴兵制かどうかは別としてその義務を教育する必要あり。日本には核シェルターを作るという議論が無い。

十二億の貧民と七千万の守銭奴が構成する中国とどうやって東アジア共同体を作るのか。責任を取らない奴が自分の都合で軍を動かそうとしている。

日本はスパイ天国だと、旧ソ連のスパイ・レフチェンコは言った。東アジア共同体の背後に中国がいる。日本の警察はあまり動いていない。中井洽国家公安委員長が警察当局に『朝総連のパーティーに行った政治家は誰か』と聞いたら、『これから調べる。一週間かかる』と答えたという。スパイ防止法とCIAのような組織を作るべし。

民主党の弱点は歴史観。内部分裂傾向を秘めている。『外国人参政権法案』を推進すれば民主党は分裂するという状況を作り出すべし。迫力のある国民運動を行うべし。

子供は一瞬にして変わる。私は小学校三年生の時『明治天皇と日露大戦争』を見て感激した。土屋たかゆき氏には、『離党勧告を受け入れるな』と進言した。内部分裂要因を膨らませることが大事。」などと語った。

終了後、西村氏などと『日本再生同志の会』の今後の活動について打ち合わせ。

帰宅後は、書状執筆など。

           ○

西村眞悟氏は元気一杯であった。「神話の世界に天皇の権威の淵源がある」という主張はまったくその通りである。数日前も書いたが、何故、天皇は神聖なる御存在であるのか、それは天皇が、天照大神の地上に於ける御代理であらせられるという「神話の精神」によるのである。また、何故、天皇が日本國の統治者であらせられるのか、それは天皇が、天照大神より日本國を統治せよと御命令を受けておられるという「神話の精神」によるのである。それ以外に理由はない。このことをまず以て確認しなければならない。古代から今日に至るまで様々な歴史の変遷があったが、このことは決して変わることはない。「皇位継承」に関連して、神話と歴史、天照大神と天皇とを、分離させ断絶するような論議をする人がいることは大変に残念である。「今即神代」「高天原を地上へ」が維新の根本である。

私も小学校五年生の時、『明治天皇と日露大戦争』を見て大感激した。父に連れて行っていただいたのだが、橘大隊長戦死の場面では涙が止まらなかった。私の愛国心の自覚的な芽生えは、この映画を見た時であると言ってもいい。以来、嵐寛寿郎の大ファンになった。

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2009年11月 8日 (日)

千駄木庵日乗十一月七日

午前は父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後からは在宅して、『政治文化情報』の原稿執筆。今日はご案内をいただいた会合が二件あったのだが、原稿執筆を急がねばならないので、参加できなかった。

           ○

ここ数日、石川県の諸橋茂一氏をはじめ多数の同志同憂から、民主党小沢政権が、今国会で、『外国人参政権付与法案』を提出することを決定したことに対する危惧表明と抗議運動提起のFAXやメールを送っていただいた。今後『夫婦別姓法案』『人権擁護法案』『慰安婦に対する再補償を実行するための法案』『靖国神社に代わる国立追悼施設建設のための法案』『国立国会図書館で過去の日本の罪悪なるものをでっちあげる為の法案』など次々と反日法案・祖国日本破壊法案を出してくる危険を訴えている。鳩山総理が、『外国人参政権付与法案』を提出することにやや消極的な姿勢を示したばかりなのに、小沢一郎が提出を決めた。今の政権は、鳩山政権ではない。小沢政権である。

諸橋氏は、寉見芳浩氏の『アメリカ殺しの超発想』(徳間書店)という本の中で小沢一郎に関して書かれた部分のコピーを送っていただいた。それには、かつてノエリガと池田大作と小沢一郎の三人が手を結んでいたということが書かれていた。ノエリガ逮捕によって、CIAがその証拠をつかみ、小沢を操作するムチとして使ったという。つまり小沢一郎はアメリカのエージェントだったということである。私にはこのことが真実であるどうか確かめるすべはない。しかし、小沢一郎には、多くの疑惑や胡散臭い噂が多い。

民主党政権にとって、今国会でやらなければならない多くの懸案事項があるのに、また党内意見の集約を終えておらず、衆院選マニフェストにも載せなかったのに、何故小沢一郎は「永住外国人への地方参政権付与法案」を今国会に提出する方針を突然打ち上げたのか。まことに不可思議である。

小田内陽太氏から送られて来た民主党への抗議文サンプルの重要部分を紹介する。

「国家あっての参政権です。地方行政サービスの対価の税金と国家主権に支えられた地方自治への参画の権利は別です。竹島を不法に占拠し対馬を自国領と言い張る韓国や核で日本を恫喝し日本人を拉致し続ける北朝鮮の国民に地方なりとも参政権を渡すのはまっぴらです。外国人地方参政権法案提出を中止してください。」

「憲法違反の外国人地方参政権付与法案をマニフェストから隠していた民主党に抗議します。議席をとったら国民などなんとでもなるという貴方がたの姿勢に怒りを感じます。」

「『日本国民』としての徴用や経済事業のために来日、日本敗戦を『光復』と呼び戦勝国民たろうとし(日本国籍からの積極的離脱ですよ!)、帰国の機会を放棄し日本社会で多くの特権を持つに至った韓国人・朝鮮人優遇のこの法案は日本国民に不利益を生ずる売国法案です。」

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2009年11月 7日 (土)

千駄木庵日乗十一月六日

未明、父の容態に変化があり、付き添う。

午前は、父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後からは、在宅して、『政治文化情報』の原稿執筆。

夕刻、同世代の知人二人と懇談。一人の方は早稲田大学、もう一人の方は青山学院大学出身で、学生運動が激しく行われていた頃に、大学生生活を送った人たちである。

三人に共通した意見は、昭和四十年代以前の學生たちは、身なりは今の學生たちより貧しかったが、目付き・顔つきはしっかりしていたし、目に輝きがあった。それは何か心に決意するもの、目指すもの、生き甲斐を感じるものがあった。左右を問わず、また、是非善悪は別にして、当時の若者たちは、何かしらの理想を持ち、良き國家社會を建設しようという変革意識・現状打開への志があったからである。今の學生たちは全てとは言わないが、そういうものはない。いわゆる「馬鹿面」を下げて歩いている連中が多い、ということであった。

「今の若者は駄目だ」というのは、私たちが学生時代にも年配の人から言われた言葉である。まさに歴史は繰り返すのである。

わが國には「恥を知る」という倫理観がある。否、「あった」と書いた方かいいのかもしれない。「日本文化は名と恥の文化である」と言われるほどに、わが國民は恥をかくことを嫌うし、名がすたること忌み嫌ってきた。恥をかかされることに何よりも怒りを覚える國民であったし、恥ずべきことはしないことを何よりも重んじてきた國民である。

ところが、今日の若者は浮浪者でも乞食でもないのに平気で地べたに座り込んで話をしたりものを食べている。電車の中で平気でお化粧をする女の子。こういう若者たちを<恥知らず>というのである。若者だけではない。政界・官界・財界のエリートたちも<恥知らず>が多くなってきている。だからわが國近年の外交は屈辱外交を繰り返しているのである。

わが國のすぐれた伝統精神・倫理観念・國家観を回復することが緊急の課題である。問題はその方法論である。一番大切なのは、家庭と學校における教育なのであるが、これがおかしくなっているのだから事は深刻なのである。家庭においては親たちが子供の鏡となるような生活を営むことが大事であるし、學校教育においてはわが國のすぐれた古典を教育すべきである。人間は伝統的な諸価値(旧来の陋習に非ず)によって決定される正しい行動の規範に基づいて生活することが、真の自由と幸福とを得る道である。

 

帰宅後も原稿執筆。

        

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2009年11月 6日 (金)

千駄木庵日乗十一月五日

午前は父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

昼は知人と懇談。最近の情勢について意見交換。同じ店に、小学校の同級生の兄上が来ておられた。久しぶりにお会いした。

午後からは在宅して、原稿執筆。

         ○

昨日の予算委員会で、亀井静香国務大臣と町村信孝が罵り合っていました。初めに相手を呼びつけにしたのは亀井氏でした。亀井氏の方が悪いと思います。両方とも、最高学府それも東大出身で、高級官僚経験者です。なんともみっともないことです。亀井氏は警察官僚、町村氏の父上の町村金吾氏は、終戦時の警視総監です。また二人とも清和会=福田派で一緒でした。近親憎悪ということでしょうか。

ただ、テレビ中継をしている時の国会の乱闘とか罵り合いは、パフォーマンスである場合があるようです。私もあるパーティーに出た時、いつもテレビや国会で罵り合ったり激論を戦わせている議員同士か、仲良く歓談している姿を見て驚いたことがあります。

昨日今日の予算委員会で、自民党が民主党政権の痛いところを突いて攻撃していました。どんどんやるべきです。加藤紘一氏に質問されると、民主党閣僚もやりにくいでしょう。石破氏に対して、佐賀県選出の若手閣僚が思わず「大臣」と呼び掛け、「失礼しました。大臣は私でした」と言ったのには笑わされました。

鳩山総理は、政治資金問題で大分とっちめられていました。この人が総理辞任という事態になると、菅直人が総理になる可能性があります。これも問題です。今のところ、鳩山氏は保守政治家としての立場を辛うじて保っているように思えるのですが、私の見方は間違っているでしょうか。

ともかく、民主党には、国家基本問題で正しい立場に立ってもいらいたいと思います。

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2009年11月 5日 (木)

千駄木庵日乗十一月四日

午前は、父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後は、『政治文化情報』次号の原稿執筆準備。

午後六時半より、豊島区立駒込地域文化創造館にて、『萬葉古代史研究会』開催。小生が大伴家持の歌を講義。今日は、北朝鮮に抑留された経験を持つ方が出席されたので、休憩時間に興味深い話を聞くことができた。

帰途、出席された方と懇談。この方の父君は私たちがご指導いただいた維新運動の指導者であられるので、色々懐かしい思い出話の花が咲いた。

帰宅後も原稿執筆の準備。

            ○

何故、天皇は神聖なる御存在であるのか、それは天皇が、天照大神の地上に於ける御代理であらせられるという「神話の精神」によるのである。また、何故天皇が日本國の統治者であらせられるのか、それは天皇が、天照大神より日本國を統治せよと御命令を受けておられるという「神話の精神」によるのである。それ以外に理由はない。このことをまず以て確認しなければならない。古代から今日に至るまで様々な時代の変遷があったが、このことは決して変わることはない。

したがって『現行占領憲法』第一章の「天皇の地位は日本國民の総意に基づく」という条項は、天皇の御本質を正しく表現していない。

「神話の精神」と言うと非科學的だとか歴史的事実ではないと主張してこれを否定する人がいる。しかし、神話は荒唐無稽な伝承ではない。「神話」において語られているのは、一切のものごとの生成の根源であり古代人の英知の結晶であり、神話的真実なのである。「神話」には日本民族の中核的思想精神・根本的性格(國家観・人間観・宇宙観・神観・道義観・生活観など)が語られているのである。それは、天地自然・生きとし生けるもの一切の中に、神の命を見るという信仰精神である。

日本民族の「神話の精神」は、ただ単に『古事記』『日本書紀』といった文献だけでなく、「天皇の祭祀」という「生きた行事」によって今日まで継承され語られている。神話伝承と歴史とを切り離すことはできない。我が国の歴史は「神話」の世界を継承し、「神話」の精神の上に成立するのである。

維新とは、「今即神代」「高天原を地上へ」の実現である。「神話」には時間を超えた永遠の価値がある。日本民族の伝統的思想精神の結晶である「神話」への回帰こそが、現代の混迷を打開する方途である。

日本國體の根幹である「皇位継承」についても、『神代』『神話の世界』に回帰することが大切である。わが国においては、「神話」と「歴史」の混同ということはあり得ない。國體・天皇に関しては「今即神代」という信仰精神を根幹にして考えるべきである。ご歴代天皇は、天照大御神の「生みの御子」であらせられる。だから、現御神・現人神・日の御子と仰ぐのである。天照大神の『生みの御子』としてのご本質は、瓊瓊杵尊も神武天皇も今上天皇も全く同じである。

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2009年11月 4日 (水)

千駄木庵日乗十一月三日

午前は父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後一時半より、永田町の星陵会館にて、『新しい歴史教科書を作る會シンポジウム・日本人にとって「天皇」とは何か』開催。登壇者の印象に残った発言は次の通り。

小林よしのり氏「加藤紘一氏と議論した。加藤氏は自然を大切にする心・自然に神を見る心・多神教の世界を認めていたが、『日本のナショナルアイデンティティは天皇ではない』と言った。今や自民党の政治家がナショナルアイデンティティを語る場合も、國體・天皇がなかなか出てこない。御即位二十年を記念して臨時に祝日とする法案について、民主党は日教組・自治労が反対するので、内部分裂になることを恐れ見送った。祝日になれば、その意義が報道され、天皇に対する認識が広まるきっかけになった。『戦争論』を書くために、数多くの英霊の遺書を読んだ。みんな天皇陛下のために戦うという思いで死んでいった。私はそれまで、国民主権論を刷り込まれ、自分が主権者であり、天皇は王様の残滓にすぎないと思っていた。漫画家はあらゆる権威を笑いにする反権威主義であると思っていた。しかし、『戦争論』を『天皇なきナショナリズム』と言われた時、嫌な感じがした。その感覚から『天皇論』を書くまで二十年かかった。皇居の一般参賀に行き、禊をして、知識を蓄えて、自分が変化した。小堀桂一郎氏は、女系天皇は易姓革命だというが、女性天皇の夫になる人が皇室に入る時には『姓』を捨てる。易姓革命と言うが、誰が誰を放伐するのか。『姓』と『苗字』とは異なる。天皇の大御心はどうなのかを考えてみなければならない。悠仁親王しか皇族がおられなくなるという事態になることを、天皇陛下が誰よりも知っておられ、心配しておられる。天皇が『女系でよし』とされ、宮内庁が動いているとしたらどうする。女系は易姓革命と言う人は、『天皇が易姓革命を起こそうとしている』として、楯を突くのか。男系でなければ皇統断絶と言う人に怒りを覚える。女系でも失望しないというヒトコマを取り上げてすべてを否定するべきではない。『海ゆかば』を初めて聞いた時、魂が震撼した。英霊は国家の歴史伝統を背負われた天皇陛下の万歳を唱えて死んで行った。多神教でありながら絶対を求める。多神教・相対主義が良いと言うがそれではすまないものが出てくる。天皇は国民のために祈られる。癒しであり、純粋なものへの感動であり、邪悪にものを去る存在。純粋なものを求める心が皇室によって体現されている。今ほど皇室の有難さが隠されてようとしている時代はない。」

長谷川三千子さん「神学という言葉はあだやおろそかで使える言葉ではない。『記紀』を読み、神道思想及び神道思想に融合した仏教思想を学び、祭儀をきわめて、その後に神道神学に至る。神学という観点は宗教学でも哲学でもない。神を恐れかしこむ心を基本に置く。『国のため・家族のために死ぬ』というと不満が残るのに、『天皇のためなら死ねる』というのはどうしてか。『何々のため』というのは、本当に『ためになって』いなければならない。成果が無いと犬死ということになる。神様のために死ぬとなると、全然次元が違う。神に対しては死が捧げものになる。成果は関係ない。『創世記』二十二章に、神がアブラハムの信仰を試すそうとして、アブラハムの子イサクを焼き尽くすささげものとして供えるよう求める。アブラハムはこれに従いまさに息子を屠ろうとした時、神はアブラハムの信仰の確かさを知ってこれを止めるということが書かれている。これを燔祭(ホロコースト)と言う。アブラハムがもし神の命令を拒否したら、ユダヤ教・キリスト教・イスラム教は成り立たない。これが一神教神学の基礎になっている。日本の神はこんなむごいことは言わない。ヘブライの神は上から目線の神様。日本の生き神は、終戦の時、我が身はいかになろうともかまわないと言われた。天皇御自らが命を投げ出される。ここが日本の神学とユダヤ教・キリスト教・イスラム教の神学との大きな違い。日本人の生活は過度に黴菌を恐れる。それが思想の分野に及んでいる。多神教だから安心ということは全然ない。竈の神様はほっとくと火事を起こすから大事にしなければならないという信仰。『世界には怖いものがたくさんあるぞ』というのが多神教。山や海はいつもニコニコしているわけではない。宗教は恐れかしこむこと。戦後教育で『国民主権』が叩き込まれた。『国民主権』とは国民が一番偉いというだけの話ではなく、国民が国王をギロチンにかけなくてはいけないという思想。だから、天皇が国民のために祈り、命を投げ出されるということは、隠されタブーになる。」

高森明勅氏「天皇御訪中問題の時、民間人代表の一人として当時の加藤官房長官にあった。加藤氏は『天皇国事行為で公聴会を開くのはなじまない』と言った。私は、『外国ご訪問は天皇の国事行為ではない』と反論した。日本は最大最古の君主国。国家元首とは行政権・統治権をダイレクトに握っているという考えは、十九世紀の古い概念。その後の歴史で、元首と統治権はセパレートした方が元首の地位が安定するという概念になった。元首が世襲の場合、君主と言う。異常な時に絶対的なものを求める。硬直した国家体制になってしまう。平和になると懐が深く柔軟になる。日本の絶対化は上から下へ、下から上への双方向。緩急自在。暴君の下で民衆が迫害された歴史は日本にはない。民主政治が成熟して機能している國は君主国家。」

            ○

実に勉強になった。たしかに多神教が平和的だということはない。色々な神仏を拝み、テロを起こしたオウム真理教を見れば明白である。

また、「国民主権論」は國體破壊につながる思想である。「国民主権論」を基本原理としている『現行憲法』は、一刻も早く無効を確認し、正統憲法に復元すべきである。

天皇日本国を根源的に否定することになる「皇統断絶」とか、「易姓革命」だとか、「皇室消滅」だとかいう言葉を安易に使うべきではない。

『皇室典範』は、明治天皇の勅定である。内閣や議会という権力機構が「改正」するべきではない。天皇を君主と仰ぐ日本國體の真姿を開顕することが最も大切である。

        ○

帰途、同志と懇談。

帰宅後は、『世界日報』及び『月刊日本』依頼原稿脱稿・送付。

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2009年11月 3日 (火)

千駄木庵日乗十月二日

午前は父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後からは在宅して水曜日に行う『萬葉集』講義の準備。

その後、『世界日報』からの依頼原稿執筆。

       ○

先週の土曜日(十月三十一日)にいただいた日本会議の江崎道朗さんからのメールに、大要次のようなことが書かれていた。

「御即位二十年に対して、鳩山民主党政権は、ちぐはぐな対応をしています。評価すべきは、政府主催式典の開催を閣議決定した106日、国民に対して以下のように求めています。

『各府省においては、式典当日国旗を掲揚するとともに、各公署、学校、会社、その他一般においても国旗を掲揚するよう協力方を要望するものとする』

つまり、あれほど学校での国旗『日の丸』掲揚を批判していた日教組や社民党の福島瑞穂大臣を抱えながら、鳩山政権は、御即位二十年にあたって、学校での国旗掲揚を推進することを『閣議決定』したのです。福島大臣も当然、学校での国旗掲揚を認めたことになります。

 関連して各府省でも御即位二十年の記念事業を実施していますが、実は、経済産業省、法務省、警察庁、金融庁も記念事業を実施することを、官邸のホームページで公表しました。

官民挙げて御即位二十年をお祝いするという基本方針を鳩山政権が受け継いだことは、政権交代があっても、皇室を戴く国柄をお守りするという基本姿勢を維持したという点で、大きく評価すべきだと思います。

 ただし、昨年から浮上していた、本年1112日を御即位二十年を記念して臨時に祝日とする法案については、民主党が賛同せず、見送りが決定しました。この臨時祝日法案については、鳩山総理自身は一貫して賛成の立場であったにもかかわらず、日教組出身の議員らの反対をとりまとめることができず、ついに時間切れとなってしまったわけです。全く残念でなりません。」

そして、江崎氏は『産経』の次の記事を引用している。

「旧社会党系議員や日教組系議員を抱える民主党が、8月の総選挙前に国家観や天皇観をめぐる路線対立を表面化させたくないという事情があって、法案は審議に至らずに廃案に。その後も臨時国会冒頭の制定に向けて関係者による調整が図られたが、民主党内で結論は出ず、実務面や日程上、成立は困難と判断した。

 皇室に関連した祝日には、皇太子さまの結婚の儀の平成5年6月9日、即位の礼が行われた平成2年11月12日などがある」

             ○

民主党政権が、皇室・国旗を否定したり軽視したりするような政権であったら、これはもう逆賊政権であり、打倒討滅の対象でしかない。鳩山内閣は、そういう姿勢ではないということであろう。日本国の政府として当たり前のことをしたまでである。

しかし問題は、小沢一郎独裁体制下にあるといわれる民主党そのものである。御即位二十年を記念して臨時に祝日とする法案について、民主党が賛同しなかったということはやはり重大である。小沢一郎はなぜこの問題で独裁権力を振るわなかったのか。彼が「賛成するべきだ」と言ったら、民主党内に反対する者はいなかっただろう。たとえ反対しても小沢が押し潰せばいいだけのことである。しかし彼はそうしなかった。やはり小沢一郎という人物の思想・國體観に問題があるというべきである。大体、小沢が日教組出身の議員に遠慮するようなタマであろうか。民主党が賛成しなかったのは小沢の意志であると考えるほかはない。よく解釈しても、『御即位二十年奉祝』は、小沢にはあまり関心のないことなのだろう。

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2009年11月 2日 (月)

千駄木庵日乗十一月一日

午前は父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後は諸雑務。

午後四時より、南千住の荒川スポーツセンターにて、『橋本左内先生記念講演会』開催。

伴五十嗣郎皇學館大学学長が講演し、「若い頃、福井の歴史博物館の学芸員をしていた。館長は松平永芳様。靖国神社宮司を兼ねておられた。浅川喜文荒川区議と知り合いになり、今日は回向院の及びその周辺をご案内していただいた。

明治十年の西南戦争の時、政府軍が城山の西郷さんが籠っていた洞窟に入り、捜索した時、薩摩出身の吉井友實が、西郷さんの軍用鞄を発見し、披いてみたら、安政四年二月十四日付の、橋本左内の西郷宛の手紙があった。左内先生が二十四歳の時、十四代将軍を誰にするかの政争の際の密書である。西南戦争で転戦している時、西郷さんは肌身離さず、左内先生の書状を持っていたのである。西郷さんは、西郷さんよりずっと若い左内の見識に尊敬の念を持っていた。吉井友実は東京に持ち帰り、明治天皇にご覧にいれた。

橋本左内は天保五年(一八三四)福井藩奥外科医の子として出生。幼年より鋭敏で、数え十歳で『三国志』を通読。十五歳で『啓発録』を著す。自分自身を啓発・鞭撻するために書かれた。『稚心を去る』『気を振ふ』『志を立つ』『學に勉む』『交友を択ぶ』の五つの項目を立てた。幼い子供じみた心を取り去り、大人としての自覚を確立することが第一。第二に強い気力を養う。そして純粋な心で将来に向かって志を立てる。『啓発録』の五項目の順序は極めて緻密な理由がある。

十六歳の時、大坂に出て適塾緒方洪庵に蘭学を学ぶ。三年間適塾で学び、オランダ語を身につけ、西洋の原書を読んだ。他の幕末の志士には真似のできない学問と視野を身に付けた。適塾に学んでいた時、夜中に出かけて行って、天満橋の下のいる浮浪者の診療にあたった。杉田成卿に師事し蘭方医学を学んだ。左内がオランダ語の原書を一カ月で読破したので、杉田成卿は『自分の学業を継ぐのはこの者』と言った。

左内が、安政四年に書いた『学制に関する意見書』では『自分の持っている器量でしか他人を評価することはできない。故に偉人英傑を軽々しく批判するのは控えるべし。自分の理解できる範囲内でよいから、先人から学ぶべし』と論じた。

松平春嶽の側用人・中根雪江は、左内を『落ち着きがあり、剛毅果断で、肝がすわっている』と評した。左内は『器械藝術は彼に取り、仁義忠孝は我に存す。以て富強を謀るべし』と論じ、科学技術は諸外国から学び取り、人としての道義精神は日本に存在している。日本人としての自覚を確立して海外から学ぶべし、と主張した。」と語った。

帰宅後は、水曜日に行われる『萬葉古代史研究会』における講義の準備など。

          ○

『器械藝術は彼に取り、仁義忠孝は我に存す。以て富強を謀るべし』は、明治維新後の日本において実行された。しかし、西洋科学技術・思想の輸入は成功したが、西洋覇道精神に浸食されたためか日本に本来あった「仁義忠孝」即ち道義精神が希薄になったことは事実であった。

福井県は実に多くの偉人傑物が輩出している。特に幕末において、橘曙覧、松平春嶽、橋本左内、由利公正という人々が輩出し、維新に大いなる貢献をしている。今日も真正保守・維新政治家として稲田朋美氏が大活躍している。

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2009年11月 1日 (日)

千駄木庵日乗十月三十一日

午前は父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後は、青山の根津美術館にて開催中の『新・根津美術館展 国宝那智瀧図と自然の造形』参観。

「根津美術館は新創開館いたしました。開館から一年間は、八回にわたる新創記念特別展を開催し、コレクションを代表する優品の数々を新しい展示環境の中でご覧いただきます。新しい根津美術館は、日本・東洋の古美術と広大な日本庭園との融和をテーマのひとつにしています。優れた美術と四季折々の自然をともに楽しめる新・根津美術館の新創記念特別展。そのオープニングを飾るのは、自然をモチーフにした絵画・工芸の名品展です。…いずれも根津美術館の顔というべき作品の数々を通じて、日本美術における自然表現の豊かさをご観賞ください。」(案内書)との趣旨で開催された。

『那智瀧図』、『観瀑図』(芸阿弥筆)、『和漢朗詠抄』(本阿弥光悦筆)、『百人一首帖』(八条宮智仁親王筆)古代支那の殷時代の青銅器『饕餮文方盉』、『双羊尊』、『装飾時計機械』( C・トンプソン作)などを見る。

古代支那の青銅器にはまことに精緻な模様が施されており、感嘆した。紀元前十三世紀から四世紀頃のものである。支那古代には素晴らしい文化があったということである。

根津美術館は、東武鉄道の社長などを務めた実業家・初代根津嘉一郎(一八六〇~一九四〇)が蒐集した日本・東洋の古美術品コレクションを保存し、展示するためにつくられた美術館である。

美術館の敷地は根津嘉一郎の私邸跡で、現在も広大な日本庭園があり、庭内には茶室が点在している。庭も散策したが、窪地があるためか、都心とは思えない幽邃の地になっている。広大な庭をへめぐりつつ、今日格差社会と言われているが、戦前の格差社会と比べれば大したことはないと思った。

帰途、上野で知人と懇談。

帰宅後は、書状執筆など。

写真は根津美術館の庭園です。

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