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2009年10月16日 (金)

千駄木庵日乗十月十五日

午前は医師の往診があり、父母に付き添う。医師が色々相談に乗ってくれるので助かる。その後も訪問看護師と共に父母のお世話。

午後からは『政治文化情報』の発送準備。印刷機(英語ではプリンターと言う)の具合が悪いので手間がかかる。便利なものほど故障するとまことに不便になる。何時もより三倍くらいの時間がかかってしまった。

           ○

秋も深まった。秋は「もののあはれ」を感じる季節といはれる。たしかに日も短くなり、街路樹の緑も色あせてきて、何となく、心さみしい思いがする。

「あはれ」は、感動を表し、「あゝ」と「はれ」が結合した言葉である。「あゝ」も「はれ」も感嘆した時に自然に発する言葉である。「もののあはれ」は、わが國の傳統的な美感覚である。「もの」は、外界の事物のことで、「あはれ」は、外界の事物への感動である。日本の文學精神の主流になった感性であり、自然・芸術・人生などに触発されて生ずるしみじみとした趣き・情感のことと定義される。

すぐれて見事なこと、めざましいことを見たりしたときに発する感動の言葉である「あっぱれ」は、「あはれ」に通じる言葉である。故に本来は、「あはれ」は悲しみの情感を表白するのみではない。悲哀に限らず嬉しいこと・楽しいことなど物事に感動した時に発する言葉である。     

   

藤原俊成(『新古今和歌集』の代表的歌人)は、

「恋せずば 人は心も なかるべし もののあはれも これよりぞ知る」(恋をしないのは人の心がないのと同じだ。もののあはれも恋をすることによって知る、といふ意)

と詠んだ。

 近世の國學者・本居宣長は「もののあはれ」は日本文芸の一番大事な基本精神であると説いた。宣長は、「よきことにまれ、あしきことにまれ、心の動きて「ああ、はれ」と思はるることがもののあはれ」と論じでいる。

そして宣長は


「ことしあればうれしたのしと時々に動くこころぞ人のまごころ」(『玉鉾百首』)

と詠んだ。

 『古今和歌集』の序は、「鬼神をもあはれと思はせるものが和歌である」と説いてゐる。「もののあはれを知る心」とは、外界の事物に対する自分の心の感動のことであり、それは自然の心である。それが日本文芸の原点であるといふことになる。

和歌をはじめとしたわが国の文芸は、理論・教条を説くものではない。「もののあはれ」を訴へるものである。人間が物事に感動した思ひといふものを和歌や物語の形式で美しく表現するのが文芸である。秋の季節は「もののあはれ」を表白した歌が多い。

その代表的な歌が、西行法師の

「心なき 身にもあはれは しられけり 鴫立つ沢の 秋の夕暮れ」

である。

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