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2009年10月25日 (日)

千駄木庵日乗十月二十四日

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午前は父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

正午より、谷中の上聖寺にて、「憂国烈士之碑追善供養之儀」執行。本堂で読経焼香が行われた。そして、三沢浩一代表発起人が挨拶した。続いて、境内にある「憂国烈士之碑」拝礼が行われた。

「憂国烈士之碑」とは、愛国運動に挺身され、亡くなられた方々の慰霊碑である。故荻島峯五郎全愛会議議長の尽力で建立され、毎年供養の儀が執行されている。法要で、導師が亡くなられた方々の尊名を一人づつ読み上げるのを聞きつつ、亡くなられた方々お一人お一人を思い出し、感慨無量なるものがあった。

この後、一人で近くの龍興山臨江寺に参詣。このお寺には、蒲生君平のお墓がある。蒲生君平は、明和五年(一七六八年)宇都宮に生まれた國学者・儒学者。尊皇の人であると共に、大いに海防じた。同時代の仙台の林子平・上州の高山彦九郎と共に、「寛政の三奇人」の一人に数えられる。生涯を赤貧と波乱に満ちながら、忠誠義烈の精神を貫いた。姓は、祖先が会津藩蒲生氏郷であるという家伝による。藤田幽谷と交りを結び、水戸学の感化を受ける。

三十二歳の時、すべての天皇御陵を実際に調べる旅に出て、佐渡島の順徳天皇陵までの歴代天皇御陵を巡拝する。伊勢松阪の本居宣長を訪れ、大いに激励を受ける。江戸駒込に塾を構え、享和元年(一八〇一)『山陵志』を完成。文化十三年(一八一三年)没。

明治二年(一八六九年)十二月には、その功績を賞され、明治天皇の勅命の下で宇都宮藩知事戸田忠友により宇都宮と東京谷中臨江寺に勅旌碑が建てられた。それには『忠節 蒲生君平墓 宇都宮藩知事戸田忠友奉行』と刻まれている。

君平の作であろうと推定されている『幕罪略』(徳川幕府の罪を略述したという意であろう)という書物には、『狭小なる禁中に、天皇を禁錮し奉り、二百年行幸も之れ無き事』など二十箇条の幕罪を数えたてられているという。

また京の都において次の歌を詠んだ。

「比叡の山 見おろす方ぞ あはれなる 今日九重の 数し足らねば」

歌人・川田順はこの歌を評して、「勿体なくも宮闕は荒廃して天子の歴史的御座所たる旧観を備へない。九重の数は足らずして、手のひらほどの大宮所と拝せられる。山稜の荒廃を慨して志を立てた君平である。況んや、現に至尊まします所の宮殿が此の御有様なるを見て、涙滂沱足らざるを得んや」(幕末愛国歌)と書いている。

実はつい最近まで私の家の近くの谷中に、蒲生君平氏のお墓あるとは知らなかった。まことに申し訳ないことである。今日までに参拝しなかった自らを恥じた。

帰宅後は、書状執筆・資料整理など。

写真は臨江寺に建てられている蒲生君平「勅旌碑」です。

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