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2009年10月24日 (土)

千駄木庵日乗十月二十三日

午前は父母のお世話。

午後からは在宅して資料の整理・書状執筆など。

         ○

岡田外相は二十三日朝の閣議後の閣僚懇談会で、国会の開会式で行われる 天皇陛下の「お言葉」について、「政治的な意味合いが入ってはいけないなど、難しい問題はあると思う」とした上で、「陛下の思いが少しは入ったお言葉をいただけるような工夫ができないものか」「大きな災害があった直後の一回をのぞいては、すべて同じ挨拶をいただいている。陛下にわざわざ国会まで来ていただきながら、同じ挨拶をいただいていることについて、よく考えてもらいたい」と述べた。

さらに岡田氏は同日夕の記者会見で、発言の真意について「(内閣が)無難に対応しようという官僚的発想で同じ表現が続いている。(国会の開会式で)いつも私は気になっていた」と説明し、「同じあいさつの繰り返しは陛下に申し訳ない」と強調した。

このことについて、数人の同志から次のようなメールが送られてきた。

「『臣下』である者が、天皇陛下(のお言葉)に、『注文をつける』。まさに、『石が流れて木の葉が沈む』逆事(さかさまごと)も、ここに至って極まれりの観。」「現下の日本の政体、そして『与党』の底流に流れるところの『おぞましき思想』(日本解体、天皇と皇室の形骸化、廃絶)が、その『暴挙』を、恬として恥じることもなく堂々と展開される姿を見るのである。」

「天皇陛下のお言葉は、国会開会式であろうとご訪問された行事に臨まれたものであろうと陛下の御心が必ずといって反映してものであり、岡田氏が国会開会式のお言葉はいつも同じだという物言いは大変、不遜な言い方で、非常に不快感を持った。陛下のお気持ちが入っていないとの発言は、過去の閣僚誰でもが触れることはなかったわけであり、少なくとも岡田氏はその一点だけでも踏み越えてはならないことを言葉にした点で、およそ皇室への気持ちがないことを披瀝することとなった。同氏は国会開会式のお言葉の内容が同じであるとしているが、政治そのものに直接、関わったご発言をすることができない中で、その時代状況によってそのお言葉の調子は自ずと違って来られることを容易に拝察できるであろう。そのことを考えると、陛下の大御心を拝察申し上げようとする努力を自らしないだけでなく、何か自分がどんなに偉い立場で物を言っているかすら、精神的に麻痺しているのではないかと感じられる。聖なるお立場を汚そうとしている言動であることを反省すべきではないか。」

            ○

岡田氏は、何故今日、このような発言をしたのか。閣僚になったことで舞い上がってしまったのであろう。そもそもこういう発言は記者団の前ですべきではない。「陛下に申し訳ない」と思った上での発言であったとしても、やはり、総理大臣・宮内庁長官などに対して自分の考えを申し述べるにとどめるべきであった。

『現行占領憲法』第四条には、「天皇は、この憲法の定める国事に関する行為のみを行ひ、国政に関する権能を有しない。」などと書かれている。これを金科玉条にして、左翼勢力・國體破壊勢力は、天皇陛下の「ご発言」や「ご行動」を掣肘し奉ってきた。こうしたこれまでの事実を考えれば、まず以て政治家・閣僚が行うべきことは、『現行憲法』の『天皇条項』の改正である。「天皇は日本国の統治者であらせられる」という國體の真姿を正しく謳った憲法に回帰するために最善の努力をすべきなのである。

畏れ多いことではあるが、天皇陛下に対し奉り多くの制約を加え奉っている状況をそのままにして、国会開会式の『お言葉』に「心が入っていない」などと申し述べるのは許されない。民主党政権の驕りがこういうところに表れたということである。厳しく批判しなければならない。

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