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2009年10月31日 (土)

千駄木庵日乗十月三十日

午前は父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後からは在宅して諸雑務・資料の整理。

         ○

 今日資料を整理していて、次の論文を見つけた。小林宏晨氏(日大教授)は、「確かに日本はサンフランシスコ対日平和条約で極東國際軍事裁判の執行が義務付けられた。しかしこの法的義務は、とりわけ当時未だ刑期の終結していない、いわゆる戦犯の刑期を条約当事諸國の承諾なしに勝手に縮小しないとか、賠償金を支払うことなどの個別的・具体的義務であって、極東國際軍事裁判の正当性の全てを受けいれることを意味しているものではない。戦犯の刑期は、通常では平和条約によって全て終了すべきものであったが、日本はあえてこの継続執行に同意した。…『東京裁判史観』の受け入れまでも法的に義務付けられてはいない。…そもそも極東軍事裁判は、全面的に國際法に基づく裁判ではなく、中立國をまじえない戦勝國の敗戦國に対する一方的裁判である。…いわゆるA級戦犯は、欧米の法治國家的重要法原理たる『罪刑法定主義』原則に真向から違反して断罪されたのである。」(正当でない「東京裁判史観」・『世界日報』平成十七年五月七日号所載)と論じておられる。

 「罪刑法定主義」とは、いかなる行為が犯罪とされ、それにいかなる刑罰が科せられるかということを、あらかじめ法律で定めておかなければ人を処罰することはできないとする主義で、近代自由主義刑法の基本原則である。極東國際軍事裁判はこの原則を全く無視し踏み躙って行われたものであり、裁判の名に値しないのである。文字通り戦争行為としての復讐である。極東國際軍事裁判は無効である。

 そもそもアメリカや旧ソ連にわが國を裁く資格などはなかったのである。アメリカや旧ソ連こそ正義と人道をもっとも踏み躙った國である。また、戦後において正義と人道を踏みにじり続けている國が共産支那である。

アメリカは、原爆投下や各都市への無差別爆撃によってわが國の非武装國民(民間人)を大量に殺戮した。ソ連は、まだ有効だった『日ソ中立不可侵条約』を一方的に踏み躙ってわが國及び満州國に武力侵攻し、多くの民間人を殺戮するのみならず、わが國軍民を不当不法に抑留し、多くの人々を死に至らしめた。このような國に「正義と人道」をお題目としてわが國を裁く資格は毛筋の横幅ほどもなかったのである。

 

『東京裁判』は勝った方が負けた方を裁いたのだから『裁判』ではない。勝者による敗者に対する報復でしかない。そこで処刑された人々は、報復戦で戦い斃れた方々であり、立派な戦死者であり、国のために命を捧げた護国の英霊である。靖国神社のご祭神として祀られるのは当然すぎるほど当然である。

昭和二十八年、わが国政府は当時の国会の決議を踏まえて戦勝国即ちかつての敵国の言う「戦争犯罪人」を戦死者と認定しその遺族に「戦没者遺族等援護法及び恩給法」の適用を通達した。いわゆる「戦犯者」は戦没者であるというのは国家意思と言っても良い。今になって外国からの干渉に怯えて「戦犯」は戦死者ではないから靖国神社に祭るのは間違っているなどと言うのはまさしく歴史への冒瀆である。

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2009年10月30日 (金)

千駄木庵日乗十月二十九日

朝、医師の往診があり、父母に付き添う。

その後、父のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後は、在宅して書状執筆・資料の整理など。

夕刻、地元の友人と懇談。そして、三十年近く営業していた地元のスナックが今月末で閉店するということなので、久しぶりにその店に行く。お酒は少ししか飲まなかったが、渡辺はま子さんや田端義夫さんの歌を十曲以上歌う。声量も声の艶も衰えていないとのことで、安心する。

このお店には、開店直後に忠孝塾の故木村秀二先生に連れて行っていただいた。本当に懐かしい思い出である。木村先生には実に良くしていただいた。その頃の木村先生はちょうど還暦を過ぎた頃、即ち今の私の同じくらいの年齢であったと思う。

開店当初二十歳代だったママさんは、もう五十歳になっていた。御主人も同じ。まことに月日のたつのは早いものである。夫婦で頑張ってきたのだが、カラオケボックスに押されて、お客が減ったのと、体力的に深夜までの営業は無理になってきたので、閉店することになったという。幸いご主人が料理人であるので、料理店を開くという。しかし長年やっていた店がなくなるのは本当にさみしい。

今の若者は歌を歌わなくなっているという。「グルメとパソコンと貯蓄が趣味」という若者が増えているという。果たして良いことなのか、困ったことなのか、私には分からない。昔は何処のスナックに行ってもマイクの奪い合いのような盛況であったが、今はそうではなくなっていることは確かである。お客は中年・老年が多い。今日もお客のほとんどは六十歳以上の人だった。三十年前には三十二、三歳だった私も今や還暦を過ぎたのであるから、そういうことなのだろう。

渡辺はま子さんの「支那の夜」「雨のオランダ坂」、田端義夫さんの「嘆きのピエロ」「ふるさとの灯台」、そして木村先生の好きだった美空ひばりさんの「みだれ髪」などをしみじみと歌った。

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2009年10月29日 (木)

千駄木庵日乗十月二十八日

午前は父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後からは在宅して原稿執筆。『大吼』連載中の「萬葉集講義」の原稿である。夜に脱稿・送付。

         ○

民主党の山岡国会対策委員長は、民主党の数多い新人議員に対して、「あなたたちはダイヤモンドである。しかし今は石だ。磨き上げてもらいたい」という意味のことを言っていた。そして、小沢氏は「新人議員のやる事は次の選挙に勝つこと。国会審議や政策について論じるよりも地元活動をしっかりやれ」と言い続けている。小沢氏の命令で、新人議員を政府の行政刷新会議で「事業仕分け」を担当するワーキンググループ(WG)に起用しないことにしたという。

新人議員は国会の中の「石」であり、単に拍手要員・野次要員・採決要員になっておれ、ということだ。これはあまりにもひどいのではないか。新人議員といえども、何万という有権者の信任を得て当選してきたのである。また、それなりの経験を積み、識見を持った人もいる。せめて「玉石混交」くらいのことを言ってあげるべきである。また、地元活動だけやって国会活動はやるなというのは、議会無視であり、一体何のために議員になったのかということになる。

小沢・山岡の二人は私の個人的感情から言って、そもそも顔つきが嫌いである。その上やることなすこと言うことに反発を覚える。困ったことだ。

『聖書』に「石は叫ぶ」という言葉があるそうだ。何も見えない、聞こえない、感じないはずの石、その石でさえも一つ残らず叫び声をあげなければならない時があるという意味だそうだ。民主党新人議員もそういう抵抗をする日が来るかもしれない。あるいは、独裁者小沢が怖くて、ずっと沈黙し続けるのだろうか。一年生議員だけではない。民主党所属議員全てがそんなことになったら議会政治は崩壊する。

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2009年10月28日 (水)

千駄木庵日乗月二十六日

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午前は、父に付き添って病院に赴く。定期的な治療と診察。

午後は、上野公園の東京都美術館にて開催中の「冷泉家 王朝の和歌守展」参観。これは「冷泉家は、三代つづけて勅撰撰者となった藤原俊成・定家・爲家を祖に持ち、歴代が宮廷や武家の歌道師範をつとめた家柄です。京都御所にほど近い、現存最古の公家住宅である同家の蔵には、八〇〇年の伝統のなかで集積されてきた勅撰集、私家集(個人の歌集)、歌学書、古記録などが収められ、いまなお『歌の家』として尊崇を集めています。それらの書物は『冷泉家時雨亭叢書』として刊行され、このほど全八十四巻の叢書が完結したのを機に、冷泉家が守り伝えてきた貴重な典籍や古文書類の精髄をお目にかけるのが本展です。」との趣旨(案内書)で開催された。

『古今和歌集』『後撰和歌集』『明月記』などの国宝五点、御歴代天皇の『御宸翰』、『勅撰集』、『私家集』、『歌書』などが展示されていた。そのほとんどが重要文化財であった。

これだけの貴重な品々が、一つの家に、応仁の乱や戦国時代そして大東亜戦争後の混乱期にも散逸せず、約一千年にわたって保存されてきたことはまさに奇跡である。やはり冷泉家のご努力を和歌の神様が護って下さったと言うほかはない。

天皇の御宸翰・御製・御懐紙などをこれほど数多く一度に拝観したのは初めてであった。天皇の国家統治の基本に「和歌」「御製」がある。天皇の御心を民に示し、民の心を天皇が知り給うのは実に和歌が重要な役割を果たした。天皇の国家統治は和歌とは切り離し難く一体である。天皇の国家統治は、西洋や支那の皇帝・國王のように権力・武力によって国民と国土を支配するのではない。日本天皇は、まつりと和歌といふ二つの信仰的精神的営為によって国民と国土を統治されるのである。上天皇から下民衆に至るまで創作し、神代より現代に至るまで創作し続けられてきた文藝が和歌である。即ちわが日本の時間と空間を無限に充たす文藝である。

帰途、東叡山寛永寺に参拝。本堂である根本中堂が夕日に照らされとても美しかった。「上野戦争碑」を仰ぐ。

帰宅後は、原稿執筆など。

           ○

写真は夕日に照らされる寛永寺根本中堂です。

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2009年10月27日 (火)

千駄木庵日乗十月二十六日

午前は父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

昼は知人と懇談。

午後からは在宅して資料整理・原稿執筆。

夕刻、地元の人々と懇談。鮟鱇鍋がうまかった。

帰宅後は原稿執筆。

          ○

「歴史は繰り返す」というほど大袈裟なことではないが、今日の鳩山総理の「所信表明」を見ていて、小泉元首相が郵政選挙に大勝した後の「所信表明」の時の状況を思い出した。自民党と民主党が入れ替わっただけのことだ。どちらの選挙も、いわゆる「風」が勝敗を決めた。あと半年から一年、鳩山新政権がどのような動きを示すかで、また風も変わるであろう。

民主党政権で枢要な地位を占めている鳩山・小沢・亀井・福島・藤井・横路・輿石の各氏らは、自民党・旧社会党にいた人である。鳩山氏の祖父は自民党結党時の総裁である。まさに五十五年体制の創始者と言って良い。小沢氏は、田中角栄の政官財癒着構造・土建屋政治の継承者である。小沢氏の父親は、第一次安保改定の時特別委員長として体を張った人である。亀井氏は警察官僚出身、藤井氏は大蔵官僚出身で、まさに官僚政治家の典型である。横路・輿石・福島の各氏は旧社会党。

かつて、自民党・社会党が政治を牛耳っていた時代即ち五十五年体制の申し子・継承者のような人々が新政権を担っているのである。そして、無血革命だ、明治維新の以来の変革だと息巻いているのだ。

日本国の将来にどういう結果を生み出すか、良い結果を生み出すのか、それとも日本を沈没への道を歩ましめるのか、半年、一年で分かるであろう。

ただし、自民党は、何となく戦う姿勢に欠けているように思える。それが細川内閣の時と違う。細川内閣打倒で奮戦した亀井氏は今や反自民だし、野中氏は政界を引退し自民党批判を行っている。民主党政権の独裁者の感がある小沢一郎氏と互角で戦える人物が自民党にいるのか。

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2009年10月26日 (月)

千駄木庵日乗十月二十五日

午前は、父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後からは、在宅して原稿執筆。『大吼』及び『政界往来』の連載原稿執筆・脱稿・送付。

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鳩山総理は二十四日、日本・ASEAN首脳会議で、持論の「東アジア共同体」構想を説明し、「日本の外交政策として、日米同盟を基軸に位置づけている」と前置きした上で、「共同体構築という長期的ビジョンを掲げ、開かれた地域協力の原則に立って、協力を着実に進めたい」と述べた。また九月二十二日には、訪問先のアメリカで、東アジア共同体の構築について「友愛精神に基づいてEUのような東アジア共同体を作りたい」と述べた。

「友愛」という言葉は美しいが、厳しい東アジア情勢の中で、簡単にそれが実現することはない。共産支那の対外膨張政策が「友愛」などという言葉で変化するはずはない。

そもそも「東アジア共同体構想」は甘い。共同体をつくるには、理想の共感がなければならない。ヨーロッパにはキリスト教がある。しかるにアジアは政治・文化・宗教など多くの面でバラバラでありそう簡単に一つにはならない。日韓共同の歴史研究すら不可能になっている。日韓・日支にはものすごく深い価値観・文化観の違いがある。歴史・伝統・文化の全く異なる国々が安易に『共同体』などと声高に言うべきではない。さらに自由民主・人権の共通項がなければならない。そして利害の共有がなければならない。共産支那にはそのすべてが欠落している。

共産支那は一党独裁専制国家である。そしてアジアにおける軍事的覇権確立を狙っている侵略国家である。鳩山総理が本当に「東アジア共同体」実現を望むのなら、その大前提として、共産支那の民主化・核兵器廃絶を強く要求すべきである。日本に対して核兵器を向けている国と共同体など形成できるわけがない。さらに、共産支那によるチベット・東トルキスタン・内モンゴル・台湾への侵略支配を中止せしめるべきである。

日本の軍事的自立を前提としない「東アジア共同体」は、軍事大国・アジア最大の侵略国家共産支那のアジア支配に協力するだけである。

日本の国連への拠出金は全体の一九%なのに、常任理事国になれないのは何故か。日本からODA援助を貰いながら核兵器を持ち、常任理事国になっている共産支那が反対しているからである。こんな国と共同体を形成できるはずがない。

核兵器を保有する共産支那との『共同体』は、日本にとって軍事大國支那への屈服以外の何ものでもない。「東アジア共同体構想」なるものは「冊封体制」の再構築である。わが國をはじめとした東アジア諸国が軍事的・経済的・政治的に共産支那の属国になるということである。

今日言われている「東アジア共同体」は、きちんとした国家戦略を確立しないままに、無原則に支那大陸に深く進出して行った戦前のわが国の過ちを繰返すこととなる。

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2009年10月25日 (日)

千駄木庵日乗十月二十四日

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午前は父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

正午より、谷中の上聖寺にて、「憂国烈士之碑追善供養之儀」執行。本堂で読経焼香が行われた。そして、三沢浩一代表発起人が挨拶した。続いて、境内にある「憂国烈士之碑」拝礼が行われた。

「憂国烈士之碑」とは、愛国運動に挺身され、亡くなられた方々の慰霊碑である。故荻島峯五郎全愛会議議長の尽力で建立され、毎年供養の儀が執行されている。法要で、導師が亡くなられた方々の尊名を一人づつ読み上げるのを聞きつつ、亡くなられた方々お一人お一人を思い出し、感慨無量なるものがあった。

この後、一人で近くの龍興山臨江寺に参詣。このお寺には、蒲生君平のお墓がある。蒲生君平は、明和五年(一七六八年)宇都宮に生まれた國学者・儒学者。尊皇の人であると共に、大いに海防じた。同時代の仙台の林子平・上州の高山彦九郎と共に、「寛政の三奇人」の一人に数えられる。生涯を赤貧と波乱に満ちながら、忠誠義烈の精神を貫いた。姓は、祖先が会津藩蒲生氏郷であるという家伝による。藤田幽谷と交りを結び、水戸学の感化を受ける。

三十二歳の時、すべての天皇御陵を実際に調べる旅に出て、佐渡島の順徳天皇陵までの歴代天皇御陵を巡拝する。伊勢松阪の本居宣長を訪れ、大いに激励を受ける。江戸駒込に塾を構え、享和元年(一八〇一)『山陵志』を完成。文化十三年(一八一三年)没。

明治二年(一八六九年)十二月には、その功績を賞され、明治天皇の勅命の下で宇都宮藩知事戸田忠友により宇都宮と東京谷中臨江寺に勅旌碑が建てられた。それには『忠節 蒲生君平墓 宇都宮藩知事戸田忠友奉行』と刻まれている。

君平の作であろうと推定されている『幕罪略』(徳川幕府の罪を略述したという意であろう)という書物には、『狭小なる禁中に、天皇を禁錮し奉り、二百年行幸も之れ無き事』など二十箇条の幕罪を数えたてられているという。

また京の都において次の歌を詠んだ。

「比叡の山 見おろす方ぞ あはれなる 今日九重の 数し足らねば」

歌人・川田順はこの歌を評して、「勿体なくも宮闕は荒廃して天子の歴史的御座所たる旧観を備へない。九重の数は足らずして、手のひらほどの大宮所と拝せられる。山稜の荒廃を慨して志を立てた君平である。況んや、現に至尊まします所の宮殿が此の御有様なるを見て、涙滂沱足らざるを得んや」(幕末愛国歌)と書いている。

実はつい最近まで私の家の近くの谷中に、蒲生君平氏のお墓あるとは知らなかった。まことに申し訳ないことである。今日までに参拝しなかった自らを恥じた。

帰宅後は、書状執筆・資料整理など。

写真は臨江寺に建てられている蒲生君平「勅旌碑」です。

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2009年10月24日 (土)

千駄木庵日乗十月二十三日

午前は父母のお世話。

午後からは在宅して資料の整理・書状執筆など。

         ○

岡田外相は二十三日朝の閣議後の閣僚懇談会で、国会の開会式で行われる 天皇陛下の「お言葉」について、「政治的な意味合いが入ってはいけないなど、難しい問題はあると思う」とした上で、「陛下の思いが少しは入ったお言葉をいただけるような工夫ができないものか」「大きな災害があった直後の一回をのぞいては、すべて同じ挨拶をいただいている。陛下にわざわざ国会まで来ていただきながら、同じ挨拶をいただいていることについて、よく考えてもらいたい」と述べた。

さらに岡田氏は同日夕の記者会見で、発言の真意について「(内閣が)無難に対応しようという官僚的発想で同じ表現が続いている。(国会の開会式で)いつも私は気になっていた」と説明し、「同じあいさつの繰り返しは陛下に申し訳ない」と強調した。

このことについて、数人の同志から次のようなメールが送られてきた。

「『臣下』である者が、天皇陛下(のお言葉)に、『注文をつける』。まさに、『石が流れて木の葉が沈む』逆事(さかさまごと)も、ここに至って極まれりの観。」「現下の日本の政体、そして『与党』の底流に流れるところの『おぞましき思想』(日本解体、天皇と皇室の形骸化、廃絶)が、その『暴挙』を、恬として恥じることもなく堂々と展開される姿を見るのである。」

「天皇陛下のお言葉は、国会開会式であろうとご訪問された行事に臨まれたものであろうと陛下の御心が必ずといって反映してものであり、岡田氏が国会開会式のお言葉はいつも同じだという物言いは大変、不遜な言い方で、非常に不快感を持った。陛下のお気持ちが入っていないとの発言は、過去の閣僚誰でもが触れることはなかったわけであり、少なくとも岡田氏はその一点だけでも踏み越えてはならないことを言葉にした点で、およそ皇室への気持ちがないことを披瀝することとなった。同氏は国会開会式のお言葉の内容が同じであるとしているが、政治そのものに直接、関わったご発言をすることができない中で、その時代状況によってそのお言葉の調子は自ずと違って来られることを容易に拝察できるであろう。そのことを考えると、陛下の大御心を拝察申し上げようとする努力を自らしないだけでなく、何か自分がどんなに偉い立場で物を言っているかすら、精神的に麻痺しているのではないかと感じられる。聖なるお立場を汚そうとしている言動であることを反省すべきではないか。」

            ○

岡田氏は、何故今日、このような発言をしたのか。閣僚になったことで舞い上がってしまったのであろう。そもそもこういう発言は記者団の前ですべきではない。「陛下に申し訳ない」と思った上での発言であったとしても、やはり、総理大臣・宮内庁長官などに対して自分の考えを申し述べるにとどめるべきであった。

『現行占領憲法』第四条には、「天皇は、この憲法の定める国事に関する行為のみを行ひ、国政に関する権能を有しない。」などと書かれている。これを金科玉条にして、左翼勢力・國體破壊勢力は、天皇陛下の「ご発言」や「ご行動」を掣肘し奉ってきた。こうしたこれまでの事実を考えれば、まず以て政治家・閣僚が行うべきことは、『現行憲法』の『天皇条項』の改正である。「天皇は日本国の統治者であらせられる」という國體の真姿を正しく謳った憲法に回帰するために最善の努力をすべきなのである。

畏れ多いことではあるが、天皇陛下に対し奉り多くの制約を加え奉っている状況をそのままにして、国会開会式の『お言葉』に「心が入っていない」などと申し述べるのは許されない。民主党政権の驕りがこういうところに表れたということである。厳しく批判しなければならない。

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2009年10月23日 (金)

千駄木庵日乗十月二十二日

午前は父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後一時半より、豊島区立千早地域文化創造館にて、『萬葉会』開催。小生が『萬葉集』巻十九所収の大友家持・書持(ふみもち)の歌を講義。

帰途、出席された岩田昌征前千葉大学教授と懇談。岩田氏は、経済学者であるが、『萬葉集』の全ての歌を音読した経験があるという。また、明治天皇御製・昭憲皇太后御歌も拝読し、暗誦している御歌も多いという。そして、明治天皇の

「若きよに おもひさだめし まごころは 年をふれどもまよはざりけり」

という御製の通りの人生を歩みたいと語っておられた。

岩田昌征氏の父上である故岩田英一氏は、元日本共産党中央委員候補で、東京都議会議員をつとめた。またメーデー事件の被告にもなった。それより何より、戦後共産党が活動を再開した時、岩田英一氏が所有していた渋谷区千駄ヶ谷の電気溶接学校(現在の党本部所在地)の約五百坪、建物二百五十坪を徳球個人に寄贈した。

ところが後に岩田氏は宮本顕治と対立し、党を除名された時、共産党は岩田氏に何の補償も行わず、無一物で追放した。

全愛会議議長であられた荒原朴水先生と親交があった岩田英一氏は、今から二十年くらい前に、民族運動団体・新生日本協議会主催の勉強会で講演した。その時岩田英一氏は、『共産党宣言』の大部分はすでに日本において実現していると語っていた。

その岩田英一氏の息子さんが岩田昌征氏である。岩田昌征氏とは一水会の勉強会で知り合い、『萬葉会』にも参加されるようになった。岩田昌征氏が岩田英一氏のご子息であることは今日初めて知った。まことに不思議なご縁である。岩田氏も驚いておられた。

岩田昌征氏は、経済学者としてはマルクス経済学を今でも信奉しておられるようであるが、日本の伝統を尊重し、皇室を敬う精神はとても旺盛な方である。天皇を君主と仰ぐ日本國體と経済体制・政治体制とは次元が違うという意味のことを言っておられた。

帰宅後は、書状執筆・諸雑務。

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2009年10月22日 (木)

千駄木庵日乗十月二十一日

午前は父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後一時より、靖国神社境内の靖国会館にて、「木川智氏激励会」開催。国民儀礼の後、丸川仁氏が挨拶。木川智氏が決意表明。大島竜珉・吉田直紀・阿形充規・藤元正義の各氏が激励の辞を述べ、盛宴に移った。

帰途、四十年来の同志と懇談。父母の健康のこと、そして父母の世話をする小生のことをいろいろ心配して下さる。本当に有難い。

午後六時半より、春日の文京シビックセンターにて、「國體政治研究會 第六十二回例會」開催。小生が司会。高池勝彦氏が挨拶。

高森明勅日本文化総合研究所代表が、「天皇の『祭祀と統治』再考」と題して講演し、「天皇は祭祀王であるという発言が無批判になされている。天皇は祭り主であられるが日本の統治者である。統治と祭祀を切り離すことは國體を蔑する

日本は、主要国の中で殺人事件が少ない。暴力犯罪の被害率も少ない。長寿世界一。活力もある。社会の安定と秩序が確立されている。その基盤に皇室の存在がある。日本は世界の君主国で飛びぬけて人口が多い。皇室の持つ統合力・求心力の卓越性を見なければならない。長い歴史があるが故に卓越した統合力がある。

日本には王朝交代がないので、皇室ファミリーネームなし。武家がダイレクトに権力に握る時代が七百年続いた。これは解明すべき歴史テーマ。卓越した王室があることよって民主政治が機能する。

皇室祭祀の大祭は、元始祭・昭和天皇祭・神武天皇祭・春秋の皇霊祭・神嘗祭・新嘗祭。最も大切なのは新嘗祭。天皇は潔斎され、ご自身でお供えを行わせられる。大和朝廷発祥の地・纏向遺跡は新嘗祭が行われた形跡がある。

天皇は文化人類学で言う祭祀王ではない。祭祀王は収穫が多かったら尊敬され、少ないと尊敬されない。新嘗祭は収穫が終わった後の祭り。天皇は収穫が多い少ないという比較を超越したところにおられる。

天皇の祭祀は『現行憲法』の国事行為であってはならない。国事行為にすると内閣の助言と承認が必要になる。祭祀は天皇の公事である。天皇の祭祀は統治者としての祭りであり、統治と祭祀は一体。

天皇が不断にお祭りをされ国民の幸福を祈られるので、被災地にお出ましになると、国民に勇気と慰めを与えられる。天皇はお祭りだけをされていればいいというのは本末転倒。

天皇がおられるところが都。天皇が京都に移られたら、国事行為を京都でやっていただくことになる。日本をしらしめす主体が天皇。ただの祭祀王・文化的存在にしてしまうのは誤り。

天皇は国家権力の一段上におられる。行政権力をダイレクトに持たない。『現行憲法』の『国民主権』の『国民』は建国以来の国民、将来の国民を含むという意味ではない。現行憲法第十条では『国民の要件を法律で定める。』とある。国民の要件を定めると明記している法律は『国籍法』。つまり『現行憲法』における国民の要件は国籍のみ。故に国民主権の国民は建国以来の国民ではない。

天皇の祭祀と神話によって日本は高邁な建国の理想とビジョンとを保ち続けることが出来た。天照大御神は独裁ではなかったので、天皇も独裁ではなり得なかった。祭りはまず清らかさを求められた。天皇は『三種の神器』と共に出処進退される。祖先から伝統精神受け継いで来られた」と語った。

終了後、参加者と懇談。和気藹藹のうちに談論風発。

帰宅後は、原稿執筆。

             ○

高森氏の講演を久しぶりに聞いた。国民主権に関する考え方に共感した。また「天皇は祭祀主であらせられるとともに、統治者であらせられる。ゆえにただ祭祀をしておられればいいとか、京都に移られて政治に関与されないほうがいいという主張は誤りである」という説も全く同感である。

天皇は、日本の伝統精神の体現者として、日本の政治・文化・経済などすべてのことを聖化し安定化し統合される御存在である。

『大日本帝国憲法』において「しらす」の漢語表現として「統治」という言葉を用いた。そしてこの「統」という言葉は統べる(統一する)という意であり、「治」は治める(本来の位置に置く)という意である。明治天皇が明治元年三月十四日に発せられた『明治維新の宸翰』に「天下億兆一人も其處を得ざる時は、皆朕が罪なれば…」と仰せになっている。このお言葉こそまさしく「治める」の本質なのである。無私と慈愛というまさに神の如き御心で日本を統治されるお方が日本天皇であらせられるのである。

二十一世紀を迎えた今日においても、神話の世界のままに、天の神の祭り主の神聖なる御資格を受け継ぎ給う天皇を、現実の國家元首と仰ぎ、國家と民族の統一の中心として仰いでいる。これは日本の麗しい自然と稲作生活が完全に滅びない限り続くであろう。こうした事実が、西洋諸國やシナと日本國との決定的違いである。

わが國が、長い歴史を通して様々な変化や混乱などを経験しつつも國が滅びることなく統一を保ち続けたのは、天皇という神聖権威を中心とする共同體精神があったからである。日本という國は太古以来の伝統を保持する世界で最も保守的な國でありながら、激しい変革を繰り返して来た國なのである。その不動の核が天皇である。

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2009年10月21日 (水)

井上順理先生のご冥福をお祈り申し上げます。

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井上順理(いのうえ・まさみち=鳥取大名誉教授、兵庫教育大名誉教授、倫理思想史)先生は、八月二十日午後三時三九分、急性心筋心筋梗塞のため逝去された。九十四歳であられた。心よりご冥福をお祈り申し上げます。井上先生は、小誌を愛読して下さり、お會いする度に温かなご激励のお言葉をかけて下さった。私が學生時代の二松學舎大學學長加藤常賢先生は、井上先生の広島文理科大學時代の恩師であられた。この写真は二宮報徳会における御講演をされている時のものです。

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千駄木庵日乗十月二十日

午前は、父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

昼は、知人と懇談。最近の情勢について意見交換。

午後は、諸雑務。

午後四時より、ある出版社訪問。今後の言論活動について相談。終了後一献。

帰宅後は、原稿執筆。

         ○

どんどん日が短くなってきた。十二月末の冬至が次第に近づいている。天照大御神の「天の岩戸の隠れの神話」は、冬至における太陽再生のお祭りという説がある。農耕民族の日本人にとって日照時間がどんどん短くなっていくことも気持ちのいいものではなかったろう。そこで太陽の再生・新生を祈る祭りすなわち微弱化した太陽を更新する宗教儀礼が行われたと思われる。

日本人は太陽神たる天照大御神を主神と仰いでいる。ゆえにすべてにおいて明るく大らかな民族である。「見直し」「聞き直し」「詔り直し」の思想もここから発するのである。天照大御神は、八百万の神々が行われた明るく笑いに満たされた歓喜の祭りによって、天の岩戸からご出現になった。厳しい苦行や悔い改めをしなければ神に近づくことができないという他の宗教はとは全く異なる日本伝統信仰の特質である。

そしてその祭儀は太陽のもっとも衰える冬至に行われた。冬至は農耕民族たる日本人にとって「古い太陽が死ぬ日」であり「新しい太陽が誕生する日」であった。天照大御神の岩戸隠れは太陽の衰弱であり岩戸よりの出現は新しい太陽の再生なのである。

祭祀とは共同体における霊的・宗教的な営みの中でもっもとも大切なものであることは言うまでもない。それは生命の更新・再生であるからである。つまり新たな生命の始まりが祭事によって実現するのである。

祭祀は物事の全ての原始の状態を再現復活せしめるのである。生きとし生けるものは、一時的に生命が弱くなることがあっても、祭事によっていっそうの活力をもって再生する。それは稲穂という植物の生命は、秋の獲り入れ冬の表面的な消滅の後に春になると再生するという農耕生活の実体験より生まれた信仰である。

そしてこの稲穂の命の再生は、天照大御神の再生と共に行われるのである。さらに天照大御神の再生は人々の知力・呪力・体力・技術力・そしてたゆまぬ努力と明るさを失わぬ精神によって実現する。こうしたことを象徴的に語っているのが天の岩戸神話であると考える。

今日の日本の混迷状態にあるが、我々国民が一致して再生の祭り即ち一切の穢れを祓い清める維新を行うことにより、天照大御神の地上におけるご代理であらせられる日本天皇の真姿が顕現し、日本国が再生し新生すると確信する。

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2009年10月20日 (火)

千駄木庵日乗十月十九日

午前は父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後は諸雑務。

午後七時より、午後七時より、千駄木の養源寺にて、「おとなの寺子屋・論語の会」開催。東洋大学共生思想研究センターの野村英登氏(文学博士)が講義。次のように語った。

「天人相関が古代中国の基本的世界観。これは漢代にできた世界観。董仲舒(前漢の儒学者。河北省広川の人。『春秋公羊伝』を学び、武帝のとき文教政策を建言、儒学を正統な官学とさせ、その隆盛をもたらした)は、儒教を国教化した。自然・社会・個人を一つにつなげる考え方。そしてそれを倫理道徳にした。董仲舒は『国家將に失道の敗有れば、天乃ち先ず災害を出し以てこれに譴告す』と論じ、政治が悪いと自然災害が起こるとした。人間の行いが天地の運行に機械的に影響を及ぼし得るという理論を構築した。人格神が罰を与えるということを見立てると同時に、もっと機械的に考えた。人々の暮らしが平和でなくなると、自然も平和でなくなるという考え。

『徳』と『刑』とはセットになっている。人間の喜怒哀楽は、自然界の春夏秋冬と同じ。四季が移り変わるように、人間も移り変わることが必要。ただ自然の法則に従うだけでなく、人間側から積極的に働き掛けていくのが風水の基本的態度。『気』の良く集まる最高の自然環境を求める。そのために人工的に川の流れを変え、人間の手で自然を操作しようとした。

中国や日本では人間が快適に暮らせるように、自然と調和する努力をしてきた。そういう思想が『論語』の背景にある。しかし風水の思想には跡付けが多い。目の前の状況が基本。風水の思想で都を造営したが、都合に合わせる。古代は、今日よりも自然の力が強かったから、風水信仰が起こった。儒教思想は自然環境が同じ所で成立する。イスラム圏では成り立たない。」と語った。

「風水思想」とは、支那の伝統的な自然観の一つで、都市や住宅・墳墓などを造る際に、地勢や方位、地脈や陰陽の気などを考え、そこに生きる者とそこで死んだ者すべてによい自然環境を求めようとするものだという。

「風水」について、私は全く不勉強であるが、大学時代の同期生で、現在、ある大学教授になっている在日韓国人の友人が、「日本は日韓併合の後、ソウル(当時の京城)の『風水』構造の破壊した」と真面目に語っていたのを思い出した。景福宮内の朝鮮総督府建設・南山の朝鮮神宮造営・京城駅の建設など皆そうだという。

しか、当時の日本政府も日本総督府も。意識して風水破壊をしたとはとても思われない。京城には日本人も多く住むのである。風水破壊による害を日本人も受けるのだから、そんなことをするはずはない。韓国・朝鮮の人は、悪いことはすべて日本のせいにする。もっと言えば、日本は朝鮮統治時代悪いことしかしなかった、と考えている人が多い。困ったことだ。

朝鮮総督府の建物は、大変な価値のある建築物であったが、金泳三大統領時代に取り壊してしまった。一方、台湾総督府の建物は、今日「中華民国総統府」として使われている。台湾人はまことにおおらかである。とは言っても小生は韓国人・朝鮮人を馬鹿にするわけではない。その愛国心には敬意を表する。ただ、もう少し大らかであってほしい。

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2009年10月19日 (月)

千駄木庵日乗十月十八日

午前は、父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後は、『政治文化情報』の発送も終わり、良いお天気だったので、気晴らしを兼ねて、上野公園の東京藝術大學美術館で開催中の「異界の風景-東京藝大油画科の現在と美術資料」展参観。

東京藝術大学絵画科油画の企画する『異界の風景』展は、油画現職教員14名の作品約70点と東京藝術大学大学美術館収蔵の作品約100点によって構成される展覧会です。『異界』を創造行為が発生する場をさす概念と定義し、表現が生まれる媒介となる『風景』を提起する試みです。東京藝術大学大学美術館の収蔵作品に対して、油画現教員作家が油画において推し進める創作、研究、教育からの新たな視点によるアプローチを提示し、相互作用に基づく制作・展示を行います。…明治期から現代に至る絵画作品を西洋の技法、思想を消化しながらも、いかに眼前の風景-日本の風土-と対峙し、模索して『風景』を組み立てていったのかという表現の方法論を検証します。」(案内書)との趣旨で開催された。

佐藤一郎の『那智滝』、東山魁夷の『溪音』、浅井忠の『収穫』、藤島武二の『池畔納涼』、納谷幸二の『蒼天富嶽龍宝図』、中根寛の『島[瀬戸内]』、和田英作の『渡頭の夕暮』、小山穂太郎の『逃げ水』などが印象に残った。というよりも感動した。絵画・美術の世界とりわけ風景画は、鑑賞する者の立っている所とは別の世界即ち異界なのである。そう思って、美しい風景画を鑑賞するといつもとは別の感慨が湧いてきた。何となく不思議な世界をのぞいているような気がしたのである。

現代作品も多く展示されていたが、小生には理解不可能な作品も多くみられた。ともかく何を訴えたいのか分からない。見ても感動を覚えない。美しくもない。ただのガラクタとしか思えないのもあった。私の鑑識眼が不足しているのであろうか。

帰途、上野桜木町・谷中の街を散策。休日のためリュックサックを背負った人々が数多く散策していた。団子坂下のある飲食店に立ち寄る。わが町は、自慢ではないが、うまくて安い店が多い。有難きことである。

偶然、小生の通っていた高校の隣の高校出身の方が隣の席におられた。同年代なので、思い出話に花が咲く。私の出身校とその方の出身校とは友好関係ではなく、パスの停留所などでよくケンカがあった。それもまた楽しい思い出である。ただし小生は、「僕は真面目な高校生、胸に五つの金ボタン」という歌の文句の通りの高校生だったので、揉め事には一切参加しなかった。疾風の如くその場を去ることを常としていた。その方はイタリア料理店を経営しておられるとのことなので、今度お邪魔することにした。小生はカルボナーラとぺペロンチーノが大好きなのである。

帰宅後は、資料の整理。

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2009年10月18日 (日)

千駄木庵日乗十月十七日

午前は父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

この後、『政治文化情報』発送完了。購読者の皆様には週明けにお届けできると思います。

午後三時より、明治神宮外苑の日本青年館にて、『青年思想研究会物故者を偲ぶ会』開催。鹿島政晴氏が司会。緒方孝名議長が挨拶。丸川仁氏の発声で聖寿萬歳を行った。山口申・藤元正義・犬塚哲爾・杉山清一・鈴木邦男・木村三浩の各氏そして小生などが祝辞を述べた。最後に近藤勢一氏が謝辞を述べた。

小生は、「青年思想研究会の同志はもう三十年以上も前から共に運動をしてきた方々ばかりである。物故者としてまつられている先生方には大変お世話になった方が多い。今日、いわゆる愛国運動・維新運動・民族運動は、今日、ますます重要な使命を担っている。混迷する祖国を再生せしめるために獅子奮迅の戦いをしなければならない時期である。」という意味のことを述べさせていただいた。

午後六時より、神田学士会館にて、『憲法懇話会』開催。松蔭大学講師の高乗智之氏が「筧克彦先生の教学刷新構想」と題して研究発表。この後、全員で討論。

            ○

今日は、ご案内をいただいた会合・行事が五か所も重なってしまった。午前中は外出できないので、午後からの行事に参加させていただいた。

『憲法懇話会』は、筧克彦・三潴信吾両先生の憲法学の学統を継承・発展させる唯一の研究会であり、高崎経済大学名誉教授の竹内雄一郎先生を中心として学術的研究活動および一般啓蒙活動を行っている。小生はもう二十年くらい前から参加させていただいている。日本の國體精神に立脚した憲法学を学んでいる。

憲法とは、国家の基本的あり方を成文で書き記した法律である。成文憲法の根底には、不文憲法がある。我が国の不文憲法は、天皇を君主と仰ぐ信仰共同体即ち日本國體である。日本國體に反する成文憲法は、本来的に日本の憲法ではない。『現行占領憲法』は、基本的にその国家観が日本國體と相容れないものがある。日本國體・日本天皇の国家統治の精神が正しく示されていない。故に一日も早く、正統憲法に回帰しなければならない。

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2009年10月17日 (土)

千駄木庵日乗十月十六日

午前は、父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後からは、在宅して資料の整理など。数年前に購入した雑誌の整理。必要な記事を切り取り分類保存した。「皇室典範」「外務省問題」「歴史教科書問題」などで参考になる資料が整理できた。

夕刻は、地元の友人と懇談。今の季節は食べ物もうまいし、酒もおいしい。愛する女性と一緒ならなおいいのだが、そうではないのが残念。

          ○

鳩山政権が初めて編成する予算で各省庁の概算要求が16日まとまり、一般会計の要求総額は95兆380億円と過去最大に膨らんだ。民主党の総選挙における公約を断念するか、それとも赤字国債の発行かが迫られているという。

しかし、これはおかしい。民主党のバラマキと言われる公約実現の財政的裏付けを問われた時、鳩山代表も小沢幹事長も、無駄の節減と予算の組み替えをすれば簡単に財源を確保できると言っていたではないか。今更、公約断念とか赤字国債発行だとか言うのは、選挙の時にウソをついていたことになる。

自民党の石破茂政調会長の「赤字国債を見直すんだ、マニフェストの修正もありえるんだということであるとすれば、いったい選挙で訴えたことは何だったんでしょう」という批判は正しい。

ただし、「無宗教の新たな国立追悼施設の建設」に向けた調査費の計上を見送ったことは良かった。

鳩山民主党内閣に関しては、つい先日、鳩山総理に対して十三項目にわたる質問及び要望書を提出した。『政治文化情報』に掲載したので、関心のある方はご覧下さい。

鳩山総理の御自宅は田園調布にあるので、鳩山氏宛に質問書を出した時、漫才のセント・ルイスという漫才師の「田園調布に家が建つ」「西日暮里のワン」というギャグを思い出した。西日暮里の隣町の千駄木から、田園調布の鳩山さんに質問書を提出したのであります。ただし私の家はお陰様で「ワン」ではありません。一応、2DKです。

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2009年10月16日 (金)

千駄木庵日乗十月十五日

午前は医師の往診があり、父母に付き添う。医師が色々相談に乗ってくれるので助かる。その後も訪問看護師と共に父母のお世話。

午後からは『政治文化情報』の発送準備。印刷機(英語ではプリンターと言う)の具合が悪いので手間がかかる。便利なものほど故障するとまことに不便になる。何時もより三倍くらいの時間がかかってしまった。

           ○

秋も深まった。秋は「もののあはれ」を感じる季節といはれる。たしかに日も短くなり、街路樹の緑も色あせてきて、何となく、心さみしい思いがする。

「あはれ」は、感動を表し、「あゝ」と「はれ」が結合した言葉である。「あゝ」も「はれ」も感嘆した時に自然に発する言葉である。「もののあはれ」は、わが國の傳統的な美感覚である。「もの」は、外界の事物のことで、「あはれ」は、外界の事物への感動である。日本の文學精神の主流になった感性であり、自然・芸術・人生などに触発されて生ずるしみじみとした趣き・情感のことと定義される。

すぐれて見事なこと、めざましいことを見たりしたときに発する感動の言葉である「あっぱれ」は、「あはれ」に通じる言葉である。故に本来は、「あはれ」は悲しみの情感を表白するのみではない。悲哀に限らず嬉しいこと・楽しいことなど物事に感動した時に発する言葉である。     

   

藤原俊成(『新古今和歌集』の代表的歌人)は、

「恋せずば 人は心も なかるべし もののあはれも これよりぞ知る」(恋をしないのは人の心がないのと同じだ。もののあはれも恋をすることによって知る、といふ意)

と詠んだ。

 近世の國學者・本居宣長は「もののあはれ」は日本文芸の一番大事な基本精神であると説いた。宣長は、「よきことにまれ、あしきことにまれ、心の動きて「ああ、はれ」と思はるることがもののあはれ」と論じでいる。

そして宣長は


「ことしあればうれしたのしと時々に動くこころぞ人のまごころ」(『玉鉾百首』)

と詠んだ。

 『古今和歌集』の序は、「鬼神をもあはれと思はせるものが和歌である」と説いてゐる。「もののあはれを知る心」とは、外界の事物に対する自分の心の感動のことであり、それは自然の心である。それが日本文芸の原点であるといふことになる。

和歌をはじめとしたわが国の文芸は、理論・教条を説くものではない。「もののあはれ」を訴へるものである。人間が物事に感動した思ひといふものを和歌や物語の形式で美しく表現するのが文芸である。秋の季節は「もののあはれ」を表白した歌が多い。

その代表的な歌が、西行法師の

「心なき 身にもあはれは しられけり 鴫立つ沢の 秋の夕暮れ」

である。

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2009年10月15日 (木)

千駄木庵日乗十月十四日

午前は父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後二時より、神道家の方を囲んで同志数人と勉強会。

終了後、懇親会。

帰宅後は、『政治文化情報』の発送準備。

         ○

今日の勉強会で神道家の方から伺った話などを踏まえて、次のようなことを考えた。世界の国々には、『民族主義者』『愛国者』と言われる人々がいる。そういう人々及び集団が政党を結成し、国政に大きな影響を与えている国もある。ロシアのジリノフスキー氏及びロシア自由民主党はその典型であろう。フランスには『フランス国民戦線』という組織がある。ドイツ・イタリアなどにもそういう勢力があり、一定の影響力を持っている。

ジリノフスキー氏は、「日本は太平洋戦争の敗戦で、当時の政治体制を連合国側から『ファシズム』だと糾弾され、戦後は民主主義の信奉者のごとく振る舞っているが、日本の開戦が本当にファシズムによるものだったのか?とんでもない。あれは追いつめられた日本の”国を救う”ための最後の策だったに過ぎない。国益の擁護、と言い替えることもできる。」「日本の敗戦直後、ソ連軍が満州の関東軍を襲った。私自身はあの攻撃は間違いだったと考えているが、あれもソ連にとっては国益の擁護だった。」「対中国で利害の一致する日本は、今こそロシアと組むべきなのだ。」と語ったという。ただし、「北方領土返還できない」と主張しているという。これは絶対に受け入れることはできない。

こういう世界各国の愛国者が提携することが出来るかどうか。『愛国主義』『民族主義』とはいかなる定義であるのかが重要な問題となる。

わが国の『民族主義』『愛国主義』は、尊皇精神と不離一体である。そして、天皇はわが国の伝統精神の体現者であらせられる。我が国の伝統精神は排他的では全くない。むしろ、包容力に富み、真の意味で平和精神である。

私は各民族・各国の愛国主義・民族主義のとりわけ、アジアと欧米の間の矛盾と闘争を統合し、昇華せしめる精神がわが日本の文化・文明にあると思う。そういう可能性を求めていきたいと思う。現実の国家的危機に対処し、我が国の領土・安全・独立を守り抜きつつ、こういう精神を求めるのは非常に困難ではあるが、大和の心、四海同胞の精神が世界を救うと信じている。

今日お会いした神道家の方は、『萬葉集』に収められた志貴皇子の御歌

石激(いはばし)る垂水(たるみ)の上のさ蕨(わらび)の萌え出(いづ)る春になりにけるかも」

に、日本の伝統精神が表白されていると言われた。全く同感である。春となり新しき命が燃え出でることを喜んだ御歌であり、日本人の清らかさを好み、命を尊ぶ心が見事に歌われている。純日本精神とはこういう心であると思う。

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2009年10月14日 (水)

千駄木庵日乗十月十三日

午前は、父に付き添って病院に赴く。今日は定期的な診察と治療。

午後は、諸雑務。

午後七時より、ホテルサンルート高田馬場にて、『一水会フォーラム』開催。竹田恒泰氏(作家・慶応大学大学院講師)が講演し、「國體という言葉が死語になっている。保守政党が無い。どういうバラマキをやるかだけで政権が出来た。国民に媚びた。

『悪いことが起これば天皇の不徳、良いことは国民の努力のおかげ』と考えるのが、天皇の理想像。

天皇陛下が外国に行幸されている時は、衆議院解散は行われない。衆議院の解散を行うのは総理ではない。天皇陛下である。衆議院の解散は天皇の大権。『詔書』の国璽には、『大日本国』と刻まれている。日本国の正式名称は『大日本国』。

天皇不親政は大和朝廷成立からの伝統。皇太子も豪族が集まって決めた。大和朝廷が出来て以来、日本は合議制。高天原も合議制。天皇は政治的決定をしない御存在。政治権力が決めたことは、天皇の玉体を通して実行される。外圧の時、日本がまとまらない時には、天皇親政があった。

國體とは、万世一系の天皇が日本国を統治し給うということ。『大日本帝国憲法』第一条につきる。これが崩れたら日本は無い。日の御子が治める国を日本と言う。國體さえ継承されれば九条なんてどうでもいい。

二千年以上続いている国は世界で日本のみ。中国の四千年はウソ。王朝が変わるたびに根絶やしにされた。

憲法をどう見るか。保守に足りないのは理論。その核は憲法第一条。今上天皇は第二代天皇であるというのが憲法学界の定説。『現行憲法』は新しい憲法が立てられたのではない。『大日本帝国憲法』を改正したもの。『現行憲法』には、天皇の『上諭』があり、『朕は、日本國民の総意に基いて、新日本建設の礎が、定まるに至ったことを、深くよろこび、枢密顧問の諮詢及び帝國憲法第七十三条による帝國議會の議決を経た帝國憲法の改正を裁可し、ここにこれを公布せしめる。』と示されている。

無効論・破棄論は天皇の御意志に反する。仮に当時の国会に自由意志が無かった、連合国の思い通りにつくられたとしても、天皇が公布されたという事実は重い。『勅命を以て審議が始められ、法的連続性を立てろ』とマッカーサーは指示した。『現行憲法無効論』は『八月革命説』を補強する。

『国民主権』の主権と、『天皇主権』主権とは異なる。国策の中身を決定するのは日本国民。それを体現するのが、天皇。『現行憲法無効論』は先帝陛下と今上陛下のお考えを否定することとなる」と語った。

終了後、懇親会。

           ○

『現行憲法』が諸悪の根源であることは間違いない。その認識に立った上で、『現行憲法改正論』『現行憲法無効論』「自主憲法制定論』『大日本帝国憲法復原論』などがある。法律論、憲法論は、理論が色々立てられ、甲論乙駁が繰り返されてきた。

竹田氏の論議は尊皇の至情に基づいている。しかし私は『大日本帝國憲法』に回帰しそれを復元することが正道であると思う。『現行占領憲法』は形式的には『大日本帝國憲法』を「改正」したものだから、次の改正では、いったん『大日本帝國憲法』に回帰し復元して、それを改正するというのが正しいと思う。原点に回帰するということである。

『現行占領憲法』は、その「制定過程」そのものが全く違法にして理不尽なものである。戦勝國アメリカが國際法を踏みにじって押し付けた憲法をその改正条項に従って改正するというのは、「押し付け」という行為を肯定し、『占領憲法』に正統性を持たせることとなる。戦勝國の押し付けという根本的欠陥を引きずったままの「改憲」では憲法に正統性がなくなる。

『大日本帝國憲法』に回帰した上での改正となれば、先帝陛下の「上諭」に背くことにもならないと思う。『大日本帝國憲法』を復元し、それを改正するというのが正しい道であると思う。

國の基本法についてはあくまでも正義を貫かねばならない。ともかく、『現行占領憲法』は、その制定過程ばかりでなく内容もアメリカ製である。この憲法がなくならない限り日本は真の独立國とは言えないし、日本の真の再生はあり得ない。それどころか『現行憲法』がある限り國體破壊がどんどん進行していくと思う。

大変畏れ多いことであるが、「天皇及日本国政府ノ国家統治ノ権限ハ本降伏条項ヲ実施スル為適当ト認ムル措置ヲ執ル聯合国最高司令官ノ制限ノ下ニ置カルルモノトス」(バーンズ回答・正しくは「隷属ノ下」と訳されるべきというのが定説である。)とされている時期の『天皇の御意志』は、『自由に表明された御意志』即ち「大御心」とは異なると私は思う。これは、先帝陛下の大御心をないがしろにするということではなく、むしろ、「天皇の大御心」に回帰するということである。

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2009年10月13日 (火)

千駄木庵日乗十月十二日

午前は父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

母が家の中で転んで額に瘤が出来た。幸い肩や腕や足腰に別条はなく、看護師さんに診ていただいたが、病院に行くこともなく寝込むこともなかった。打ちどころが良かったとしか言いようがない。

私は、毎朝毎晩、父母の健康と幸福を神に祈っている。また母も信仰深い人である。神仏の御加護をいつも感じている。そもそも九十歳になっても、車椅子生活にもならず、老人特有の心の病にもならないことに、神仏に感謝している。

ただし、この二三日、父が精神的に落ち着かない。私がそばに寄り添い、慰めたり、元気づけたりすると落ち着く。ともかく、父母のより一層の長寿と苦しみの少ない生活を祈るばかりである。

午後からは在宅して、資料の整理と原稿執筆。

          ○

民主党政権は、このままうまくいくとは決して思えない。岡田外相がアフガンに行って、いわゆる民生支援を行うと言っているが、あのテロが頻発し治安の悪いところに、いったいどういう人々を派遣するのか。その人々の安全をどうやって守るのか。

小沢と鳩山の政治資金問題もこれからどう進展するかわからない。東アジア共同体などという危険極まりない夢物語と、日米同盟をどう辻褄を合わせるのか。沖縄の基地問題はどうするのか。党内すら説得できないで、野党・国民そして米国をどう説得するのか。

それより何より、最も重大なのは國體に対する民主党の姿勢である。「天皇を祭祀主・君主と仰ぐ祭祀國家・信仰共同体である」という麗しい事実が、わが國肇國以来の永遠に変らざるわが國體である。しかるに、小沢一郎民主党幹事長は、『朝日新聞』平成二十年六月二十二日号において、「僕の主張はある意味で革命である。明治維新をもう一度やろうということ」と語った。菅直人氏は、『中央公論』本年十一月号で、「はじめて『国民主権』の国をつくる・これは明治以来の革命だ」と語った。「国民主権の国をつくる革命」だの「世の中を根っこから変える」とは、天皇を君主と仰ぐ日本國體を破壊するということを意味すると解することができる。民主党鳩山政権は、國體破壊を目指すのか。

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2009年10月12日 (月)

千駄木庵日乗十月十一日

午前は父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後は上野公園の東京国立博物館平成館にて開催中の「御即位二十年記念 特別展『皇室の名宝日本美の華』」参観。

この展覧会は、「天皇陛下御即位二十年を記念して開かれるこの展覧会は、皇室に伝わる御物をはじめ、宮内庁所蔵の諸作品のなかから特に名高い名品を選び、ご紹介するものです。展示は一期と二期とに分けて行われ、すべての作品が展示替えされます。一期は江戸時代から明治時代までの絵画と工芸品を中心とし、二期は古代から江戸時代までの考古、絵画、書跡、工芸品で構成します。一期では、狩野永徳の唐獅子図屏風、海北友松の浜松図屏風などの近世美術の名品、さらには伊藤若冲の動植綵絵三十幅が一堂に会します。また、横山大観の朝陽霊峰はじめ鈴木長吉の銀製百寿花瓶、川之邊一朝の菊蒔絵螺鈿棚など帝室技芸員による近代の美術の力作をご覧いただきます。」(案内書)との趣旨で開かれた。

伊藤若冲の「動植綵絵」、狩野永徳・狩野常の「唐獅子図屏風」、酒井抱一の「花鳥十二ヶ月図」、横山大観の「朝陽霊峰」、高村光雲・山崎朝雲の「萬歳楽置物」、河井寬次郎の「紫紅壺」、鏑木清方の「讚春」、海野勝珉の「蘭陵王置物」、など、近世・近代の絵画・彫刻などの文字通り名品を拝観した。

伊藤若冲の「動植綵絵」と酒井抱一の「花鳥十二ヶ月図」は、息をのむ美しさであった。こういう見事な作品は、よその国にはないのではないだろうか。ともかく、日本の美術は見事である。

神代以来の歴史と伝統を持つ日本皇室は、日本文化の中心であることをあらためて認識した。美術のみならず、文藝、宗教・学問・建築なども、すべて皇室を中心に継承されてきた。皇室の御存在なくして日本文化の継承も発展はあり得なかった。日本の国柄の素晴らしさを実感した。まさに日本國體は万邦無比である。

天皇・皇室への献上品、あるいは天皇の勅命によって創作せられた芸術品は、それこそ全身全霊を傾けて創作される。そのことが芸術の水準を高めることとなるのである。

また、皇室に伝えられる文化文物の継承と保存・修理は大変な事業である。十分に予算措置が講じられることを願う。戦前までは、皇室が美術・工芸作家を育成・顕彰訴される帝室技芸員制度というのがあっが、戦後廃止された。皇室制度の弱体化政策によるものと思われる。こういう意義のある制度は復活されるべきである。皇室制度の弱体化政策は、わが国の文化・美術は継承発展にも重大な影響を与えているのである。

ともかく今日は久しぶり見ごたえのある美術展を拝観させていただいた。

               ○

帰宅後は、資料の整理。

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2009年10月11日 (日)

千駄木庵日乗十月十日

午前は父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後は資料の整理など。

午後六時より、『憲法懇話会』が開催されると思って神田学士会館に赴いたのだが、何と来週の土曜日であった。メールで来た開催通知を読み間違えたようである。これは老化現象であろうかと、少し嫌な気分になる。最近は、鍵やメガネや財布を部屋の中の何処かに置き忘れて、探し回ることもある。出かける直前にこういうことがあるので、余計焦ってしまう。

そこで一首。

「部屋の中に 眼鏡置き忘れ 探し回る かかることをぞ 老いといふのか」

千駄木に帰ると、何やら賑やかである。隣町の谷中で『谷中まつり』というのが行われていた。祖父の代からのお付き合いの魚屋さんがやっている和食店で他のお客さんと共に見物。

帰宅後も資料の整理。

         ○

神田の書店で雑誌をたくさん買い込んできた。『中央公論』『WiLL』『新潮45』『文藝春秋』の四冊だが、どれも、民主党政権及び小沢一郎・鳩山由紀夫について特集している。石原慎太郎氏・森田実氏・野中広務氏・立花隆氏の「小沢批判」、矢野絢也氏の「創価学会への国税調査についての考察」などなかなか面白そうな記事ばかりである。ゆっくり読んでみたい。

共産支那訪問中の鳩山総理は、東シナ海のガス田問題で、温家宝首相に「共同開発し東シナ海を『友愛の海』にしていこう」と呼びかけると、温首相は「基本的には賛成だが、国民感情の問題がある」と応じたという。

「友愛」という言葉は美しいが、厳しい東アジア情勢の中で、簡単にそれが実現することはない。温家宝の言う「国民感情」とは、日本の領土や資源を自分のものにしたいという「国民感情」であろう。共産支那の対外膨張政策が「友愛」などという言葉で変化するはずはない。

主権・領土・安全そして国家の尊厳性を守るためには、強固な防衛意識、愛国心が絶対に必要である。国家的危機に際して燃え上がる強固な愛国心、国家防衛意識を英語で『ナショナリズム』と言うのである。

ところが。石破茂氏は、『中央公論』の論文と、『文藝春秋』の座談会で、「偏狭なナショナリズムに陥ってはならない」とか、「保守政党とはナジョナリズムの政党ではない」とか「愛国心とは声高に訴えるものではない」とか言っている。我が国の歴史を回顧すれば、強固な愛国心、ナジョナリズムの興起によって、外国からの侵略を防ぎ、独立を維持してきたことは厳然たる事実である。

北朝鮮や共産支那が核兵器をわが国に向け、軍事的恫喝を加え、我が国の主権を侵害し続けている今日、やはり愛国心・ナショナリズムを興起せしめねばならない。それが健全な国家の姿である。相手国がわが国を恫喝し主権を侵害するということがなくなった後に、「友愛」というものが成立するのである。

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2009年10月10日 (土)

千駄木庵日乗十月九日

未明、父の容態が落ち着かず、枕元に付き添う。体調はいつもと変わらないのだが、精神的に不安定になり、母を困らせる。

午前は、父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後からは、『政治文化情報』の原稿執筆。夜に脱稿・送付。

          ○

明日十日に北京で開かれる日中韓首脳会議で採択される共同声明の原案が明らかになった。鳩山政権が目指す「東アジア共同体」をめぐって、三カ国が発展に向けて協力を進めてきたとの共通認識を示し、今後は「相互尊重、平等、共益、開放性、透明性、多様な文化に対する尊重」を協力の基礎と原則にするという。

 近隣諸国との友好・友愛は一応結構である。しかし、鳩山総理の目指す「東アジア共同体」なるものには甚だ大きな危惧を抱く。中國は、一党独裁の専制國家であり、アジア最大の軍事大國であり、侵略国家である。そのような国と、同じ通貨を使い、集団安全保障体制を構築する「共同体」を形成するなどというのは、わが國を中國の支配下に組み入れてしまう危険があるばかりでなく、中國のアジアにおける軍事的政治的覇権確立に協力することとなる。まさに、日本・韓国をはじめとしたアジア各国が、中華帝国の「冊封体制」に組み込まれる危険がある。

鳩山総理が真剣に「東アジア共同体」実現を望むのなら、その大前提として、共産支那・北朝鮮に核兵器廃絶を強く要求すべきである。日本に対して核兵器を向けている国と共同体を形成できるわけがない。

「相互尊重、平等、共益、開放性、透明性、多様な文化に対する尊重」を本当に望むのなら、『中華帝国主義』のチベット侵略支配を中止せしめ、共産支那軍のチベットからの撤退を実行させるべきである。さらに、共産支那の台湾への軍事的恫喝と侵略策謀を中止せしめるべきである。チベットと台湾の中華帝国主義からの完全独立なくして、『東アジア共同体』の構築などあり得ない。

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2009年10月 9日 (金)

千駄木庵日乗十月八日

午前は父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後からは在宅して原稿執筆。

        ○

今朝は台風が去り、清々しい青空が広がりました。田谷力三さんが歌った『オーソレミオ』というカンツォーネの「晴々と日は輝き、嵐去りし清き空に、なお風はそよと吹きて、晴々と日は輝く、我が身には汝のみぞ、日と輝る」という歌詞のとおりでした。

「本是神州清潔之民」という日本漢詩があるように、わが民族はすがすがしさ、清らかさ、清潔さを好みます。我が国伝統信仰には、『禊』という行事があります。また「大祓詞」という祝詞もあります。台風が多く、水が清らかな日本の風土に生きる日本民族なればこそ清潔を好むのであります。

「天の下 清くはらひて 上古(いにしへ)の 御まつりごとに 復(かへ)るよろこべ」

橘曙覧(江戸末期の歌人・國学者。越前の人)が維新の精神を詠んだ歌です。清明心(きよらけくあきらけき心)が日本民族の傳統的道義精神です。現状の穢れを祓ひ清め、神代のままの清く麗しい日本を回復することを喜び希求した歌です。維新すなはち復古即革新の精神をうたひあげてゐます。この歌の心が維新=日本的変革の根本精神であると思ひます。

我が国の維新の道統もまさに清らかさを好む民族精神と一体なのであります。そこで今朝詠んだ拙歌を記します。

「天地を 清く祓へる うれしさに 台風一過の 青空仰ぐ」

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2009年10月 8日 (木)

千駄木庵日乗十月七日

午前は、父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

昼は、知人と懇談。

午後は、「政治文化情報」の原稿執筆。

午後六時半より、駒込地域文化創造館にて、『萬葉古代史研究会』開催。小生が、『萬葉集』巻十九の収められた大伴家持の歌を講義。終了後、今日初めてこの会に参加した方と懇談。大変お世話になった方の御子息である。

帰宅後も原稿執筆。

           ○

この『日乗』に記したように、小生は、十月四日、南千住回向院の安政の大獄で刑死した福井藩士・橋本左内の墓所に参拝してきた。新聞報道によると、今日、福井市主催で行われた墓前祭に、井伊家十八代当主の井伊直岳・彦根城博物館長と獅山向洋市長が参列したという。その新聞報道には福井市と彦根市との「和解が果たされた」と書いている。

幕末の大老で旧彦根藩十三代藩主井伊直弼は、幕末維新史では、反動的人物、多くの志士を死に至らしめた人物と記されている。私もその評価は間違ってはいないと思う。しかし、井伊直弼には井伊直弼なりの正義があったとは思う。歴史上の人物の評価はなかなか難しい。幕府を守ろうとして実行した井伊直弼の政策が、幕府崩壊を早めてしまったことは事実である。吉田松陰・橋本左内という先見の明のあった立派に人物を殺してしまったという批判が井伊直弼に集中している。

会津と長州も仇敵のような関係になっていたが、やはり同じように、近年お互いの市長か誰かが訪問し合って「和解」が成立したと言われる。私は別に無理して今の自治体同士が「和解」とやらを推進しなくてもいいとは思うが、歴史を学び、歴史を教訓にするという意味では、無意義なことではないだろう。

長州藩の幕府に対する反感は関ヶ原以来といわれる。また明治維新の歴史においても、第一次長州征伐が行われた時、幕府は今の世田谷にある長州藩の墓所(そこには松陰先生の墓もある)を破壊した。これも相当の恨みを買ったと思われる。

彦根藩は、戊辰戦争でいち早く新政府軍につく。そして上野戦争では、彰義隊攻撃の先鋒をつとめた。新政府軍の命令には逆らえなかったに違いない。ところが会津藩は、奥羽列藩同盟の中心的存在となる。そして新政府軍に会津を攻められ、鶴ヶ城は落城し、明治維新後は様々な辛い目に遭った。そのことはついて、今日唯今も、会津の人々は特別の感情を持っている人が多い。

歴史の評価というのは本当に難しいし、悲劇が起こる。一方を絶対的正義とし、一方を絶対的悪として裁くことはできない。国内の歴史においても然りなのだから、大東亜戦争そして近代以後の日本の対外関係史を、日本が一方的に悪かった。日本は侵略国家であった、などと思い込み、謝罪を繰り返し、贖罪意識を抱き続けるなどということはあってはならない。

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2009年10月 7日 (水)

千駄木庵日乗十月六日

午前は父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。父が精神的に落ち着かないので、しばらく付き添う。

午後四時より、西荻窪にて、出版関係の方と今後の言論活動について討議。

帰宅後は、「政治文化情報」の原稿執筆など。

          ○

今日の日本は大きな転換点に立っている。激動の時代であり混迷の時代であることは確かである。かかる時においてこそ、目先の事象を見て右往左往することを慎み、物事を長い目で見る必要がある。わが國は悠遠の歴史を有している。三千年に及ぶ歴史を貫いて来たわが日本の傳統精神、民族の精神的核に立ち返って、現状を正しく観察し、変革の方途を見出すべきである。

我が國は過去において何回か國家的危機に際會し、見事に乗り越えて来た。外圧によって國家の独立が危殆に瀕した時、強烈な民族精神・尊皇精神が勃興し、変革を断行し、危機を打開して来た。

大化改新は唐新羅連合軍侵攻の危機があった時に行われた。元寇=蒙古襲来の時、日本國民は愛國心を燃え立たせ神國意識を強固なものとした。それは建武中興へとつながった。明治維新は欧米列強による侵略の危機があった時に行われた。

今日においてもわが國の本来の姿に回帰することによって、危機を乗り越えていかねばならない。必ず乗り越えることができると確信する。

民族の歴史と傳統の精神を基本原理とする日本の革新即ち維新は、それを志す者が、自らの精神と行動に、憧憬すべき時代の先人たちと同じ決意と歓喜と行動の源泉を甦らしめることによって實現する。

わが日本國民が護るべき最高のものは傳統精神であり、変えるべきものは国家民族の真姿を隠蔽する全ての事象である。

民主党政権が、日本民族が守るべきで傳統を破壊する動きを見せた場合、「小鳩」の罪は大きい。

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2009年10月 6日 (火)

千駄木庵日乗十月五日

午前は父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後二時より、内幸町の日本プレスセンターにて、「マスコミ総合研究所定例研究会」開催。乾正人産経新聞政治部長が講演し、「中川昭一氏の死去は、新保守主義の衰退を意味する。新保守主義とは、伝統文化を大事にする、日米協調路線、タカ派、新自由主義に近いということ。自民党を再生する人材の一人を失った。平沼グループ糾合が頓挫した。歴史の厳しさを感じる。

麻生氏は解散の好機を悉く逃した。麻生氏は総理就任直前がピークで、後は下降の一途だった。小沢の秘書逮捕の時が最後のチャンスだったが、麻生はカソリックなので相手のスキャンダルに乗じることはできないと思った。安倍晋三が解散を勧めても、正々堂々とやると言って聞き入れなかった。そして正々堂々と負けた。

民主党に対するネガティブキャンペーンがかえって自民党の票を減らした。麻生のテレビCMもインパクト無し。自民とマニフェストは民主の亜流。自民党は負けるべくして負けた。靖国神社に参拝しなかったことマイナス材料。

小泉は靖国を利用した。小泉は総理になる前は、靖国神社に参拝した事は滅多になかった。総裁選で靖国神社のことを言ったのは、対抗馬の橋本龍太郎を日本遺族会から切り離す戦略。治乱の特攻基地に行って遺書を読み、感涙に咽んだのがその伏線。そして毎年参拝し、ナショナリズムを昂揚させる道具に使った。中国との関係はギクシャクしたが、日本の保守層をくすぐったので、高い支持率を維持した。

小沢に気に入られればいいポストに就ける。仙谷は選挙直前から小沢を誉め出した。枝野は大臣になる力量はあるが、なれなかった。小沢と鳩山は腹を割って話したことなし。連立三党の幹事長会談をやっていない。重野が小沢に電話しても、秘書が出て会談はできないという。小沢はメディアに説明しないので、虚像の部分も含めて力を得ている。誰も小沢に注意も意見もできない。イギリス訪問で同行記者をシャットアウト。病気治療とカジノ遊びをしたという噂がある。

通常国会で自民党はどこまでやれるか。民主党がこれほど勝と政界再編の動きなし。参院選で民主党が敗れた時に再編の動きが起こる可能性はある。『夫婦別姓』で民主党内に軋轢が起こる。しかし政権与党の一員の地位を蹴ってでもその動きが強まるとは思えない。

菅と小沢の仲は悪くない。小沢の健康状態も悪くない。東アジア共同体は、共通通貨と安保をどうするかが問題。実現は困難。靖国神社に代わる追悼施設は、社民への飴玉として有識者懇談会は作るだろう。そして参院選の結果を見た後に結論を出す。」と語った。

帰途、湯島で知人と懇談。

帰宅後は、『月刊日本』に連載中の「萬葉集講義」の原稿執筆・脱稿・送付。

         ○

中川昭一氏の急逝は本当に気の毒であった。心よりご冥福をお祈り申し上げます。鳩山由紀夫総理と鈴木宗男氏が弔問に訪れていたのを見て心がやすまった。安倍内閣が成立した時、これで愈々戦後体制解体が断行できると喜んだが、その後、全く逆の流れになってしまった。乾氏が言う通り、歴史は厳しい。しかし、何回も言うようだが、決して絶望してはならない。陰極は必ず陽転する。朝の来ない夜はない。民主党政権の反日姿勢・亡国姿勢を徹頭徹尾批判し糾弾しなければならない。

直近の課題として、「天皇陛下御在位二十年を記念する日を休日とする法律」(略して『臨時祝日法』)にどう対処するかが、皇室に対し奉り民主党鳩山政権が如何なる姿勢を持っているかを示す試金石となる。萬一、消極的であったり、法案成立に反対するようであれば、鳩山民主党政権には皇室尊崇の念がないということになる。厳しく注視したい。

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2009年10月 5日 (月)

千駄木庵日乗十月四日

午前は父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後十二時半、南千住の荒川総合スポーツセンターに赴き、「橋本佐内一五〇年祭」に参列しようと思ったが、何と新型インフルエンザが流行っているので、十一月四日に延期になったとのこと。

そこで折角来たので、南千住駅近くの回向院に赴く。寛文七年(一六六七)に両国回向院の住職弟誉義観によって、行路病死者、刑死者の供養のため別院として創建された。「贈十四位 佐久良東雄遺墳」「磯部浅一・妻登美子之墓」「雲井龍雄遺墳」「相馬大作供養塔」「橋本景岳先生墓所」「松陰二十一回猛士墓」「桜田烈士十六氏の墓」を巡拝。

明治維新の先駆けとして散って行った方々の御霊を偲ぶ。吉田松陰先生と橋本左内先生のお墓が並んでいることにも深い感慨を覚えた。このお二方は、明治維新にはかり知れない思想的・精神的影響を与えた大偉人である。

参拝に来ておられた橋本左内の出身地である福井出身の方と知り合い、お話をうかがう。そして共に、近くの「荒川ふるさと文化館」に赴き、企画展「橋本左内と小塚原の仕置場」を参観。

「回向院にある橋本左内の墓や吉田松陰の墓は、荒川区の代表的な文化財・史跡として大切にされてきました。また回向院は、杉田玄白らに医学書『ターヘルアナトミア』の翻刻及び『解体新書』の出版を決意させるきっかけとなった解剖見学の場所としても知られています。…当時の小塚原の仕置場及び回向院が果たしていた機能や役割を、橋本左内を主軸に置きながら紹介します。また、史跡になっていく道行を、古文書や古写真、そして近年、埋蔵文化財発掘調査によって明らかとなった出土資料などの情報からたどり、先の問いについて考えます。本展の開催が、身近な史跡から地域を見つめ直す機会となれば幸いです。」(案内書)との趣旨で開催された。

「仕置場平面図」「解体新書」「安政禄己歳回向誌」「橋本左内肖像幷小伝」「勤皇祭趣意書」「刀・銘藤枝英義」(刑死者の遺体を使って試し斬りをした刀という)などを見る。小塚原は、江戸時代の刑場であるから、現代の感覚ではとても考えられないことが行われていたことが分かる。とてもここでは書くことができない残酷なこと、理不尽なこと、そして恐ろしきことが行われていた。江戸時代にこの刑場で処刑された人は約二十万人に上るという。しかもお墓も建てられず、土に深く埋葬されなかったので、遺体はカラスや野犬の食べるのにまかせたという。なんとも恐ろしいことである。

素盞雄神社に参拝。「由緒書」に「当社の開祖となる黒珍(こくちん:修験道の開祖役小角の高弟)の住居の東方小高い塚上に奇岩がありました。黒珍はそれを霊場と崇め日夜斎戒礼拝すると、平安時代延暦一四年(七九五)四月八日の夜、小塚の中の奇岩が突如光を放ち二柱の神様が翁に姿を変えて現れ、『吾はスサノオ大神・アスカ大神なり。吾れを祀らば疫病を祓い福を増し、永く此の郷土を栄えしめん。』と御神託を授け、黒珍は一祠を建て鄭重にお祀りし、当社が御創建されました。」と記されている。しばらく境内で休憩。

この後、福井出身の方と懇談。「継体天皇・結城秀康・松平春嶽・由利公正・橋本左内・岡田啓介」などについて貴重なお話をうかがう。偶然に出会った方であったが、大変勉強になった。詳しいことは後日改めて書きたいと思う。印象に残った言葉は、「福井には日本の国家的危機を救った人が三人いる。継体天皇・由利公正・岡田啓介である。」「戦争は文化の発達には貢献しないが、文明の発達には貢献する」であった。この方は十八歳の時に福井から上京されたとのことであるが、愛郷心のまことに強い方である。日暮里までご一緒し、再会を約してお別れした。

谷中にて、二十代の時からの友人のある大学の教授と懇談。大学生の質の低下は末期的であると嘆いておられた。精神的安穏を得るため谷中の全生庵に禅を組みに来ているという。

帰宅後は、原稿執筆。

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2009年10月 4日 (日)

千駄木庵日乗十月三日

午前は父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後二時より、日本プレスセンターにて、『アジア問題懇話会』開催。呉善花拓殖大学教授が「外から見る日本文化」と題して講演し、「二十六年前に来日した。理屈では日本を分かっていても、体がついていけないところもある。濁音の発音は意識すればできるが、話に夢中になると出来ない。耳に聞くこともできない。

韓国語と日本語には敬語が多い。しかし使い方が逆。儒教社会は自分の身内を立てる。『私の父のおかれましては今、家におられません』と言わねばならない。そう言わないと父親を蔑視していることになる。

四季の変化があり、山も多く、海に囲まれているので、日本と韓国は九十%似ていると錯覚する。それがトラブルの原因になる。日本の儒教受容は表面的。韓国は漢字文化圏だが、七0年台に漢字を廃止した。これは大変な弊害なっている。古典が読めなくなっている。

日本と韓国は情緒的に同じと考えている人が多い。東アジア共同体は甘い。アジアはバラバラ。そう簡単に一つにはならない。入り口で失敗する。日韓共同の歴史研究すら不可能になっている。日韓・日中にはものすごく深い価値観・文化観の違いがある。

人口比で一番殺人事件の多い国は、ロシア、その次が韓国、3番目はアメリカ。日本は十五位。韓国ではこの十年にものすごい社会変化が起きている。企業は成果主義になり、国民は個人主義になっている。精神的に不安定になっている。殺人大国に囲まれた日本は天国。

綺麗事では日韓友好はできないのに、綺麗事ばかり言っているから、真の日韓友好が成立しない。日本人はいたるところで反省と自己責任を表明する。中国人・韓国人は責任転嫁して『ごめんなさい』とは言わない。毒入り餃子事件を見ればわかる。

『恨』の思想は恨みつらみのみではなく、成し遂げられなかったことへの嘆きもある。冷静に物事を見る力が弱い。情緒で動く。

韓国は儒教がイデオロギーになっている。『万物の頂点に人間がいる。自然は人間が支配する。万物は人間のためにつくられた。人間のみが神がつくった。』という考え。キリスト教と似ている。韓国のキリスト教はプロテスタント。韓国は男系社会なので、カソリックのマリア信仰は受け入れない。母系社会の日本とは違う。

欧米化された日本は、その副作用として治安が悪化している。経済・政治のあり方がかなりアメリカ的になっている。日本はあらゆるものに神が宿るという信仰をもっている。近代的ビルの屋上に神社が祀られている。人間と自然と一体になる世界にしなければ未来はない。」と語った。

          ○

司会者が冗談で、「日本に対する誉め殺しのようなお話でした」と言ったので、参会者が爆笑した。韓国人にもこのような考え方をしている人がいることに驚く。「アジアは一つ」「東アジア共同体」に対する疑問は同感である。鳩山総理が本当に「東アジア共同体」実現を望むのなら、その大前提として、共産支那の核兵器廃絶を強く要求すべきである。日本に対して核兵器を向けている国と共同体など形成できるわけがない。

天照大御神は女性の太陽神である。日本は、観世音信仰が盛んである。日本で拝まれている仏像は、観音像が一番多い。日本はまさに女性を尊ぶ国である。男尊女卑は「からごころ」である。女性蔑視の思想は、仏教・儒教が入ってきてから発生した。男尊女卑の儒教社会では、夫婦別姓なのである。

帰途、知人と懇談。

帰宅後は、『国民新聞』掲載用の原稿執筆、脱稿、送付。

鳩山総理の資金管理団体を巡る偽装献金問題で東京地検特捜部が捜査に着手した。「国策捜査」ならぬ「国策不捜査」にならなかったことは本当に良かった。地検の面目にかけても徹底的に捜査すべきである。どのような権力者であろうと、違法行為は見逃さないというのが、真の法治国家である。

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2009年10月 3日 (土)

千駄木庵日乗十月二日

午前は父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後は水曜日に行う「萬葉集」講義の準備。

午後四時、大手町の産経新聞社にて、あるノンフィクション作家の方と会う。この方は、私が参加していた中河與一先生主宰の文芸同人誌『ラマンチャ』での先輩である。長い間お会いしていなかったが、今日久しぶりに会った。中河與一先生を論じる著書を出すということで、取材を受けた。中河氏が、戦時中「戦争協力」をしたということで、戦後文壇から半ば追放された形になっていたことについて色々話した。このことは、平野謙や中島健三が、自己の立場を守るために、中河與一氏などをスケープゴートにしたことが原因であることはすでに定説になっている。ただ、中河與一氏は若い頃、潔癖症という心の病に罹ったことがあり、人付き合いの面で、大分損をしていたということも言える。実に気の毒なことであった。私が「中河與一氏に指導していただいている」と言うと、「あんな人のところにいると君が損をするよ」とか「中河與一ははまだ生きていたのか」などと言われこともあった。

その後、居酒屋で一献。

帰宅後も「萬葉集」講義の準備。

           ○

一水会から、『週刊現代』糾弾の文章が送られてきたので、その要旨を紹介する。

『 「週刊現代」の不敬記事を糾弾し、記事の訂正と疑問への回答を要求する

「週刊現代」(十月十日号)の「泣くな皇太子」と題する記事は、不遜にも皇太子殿下に叱咤を呼びかける不敬極まりないタイトルとなっている。しかも全体を通して真実相当性を欠く悪意に満ちた内容であり、我々は当該記事に対して強く不快の念を抱くとともに、ご皇族の方々の権威を失墜させ、また尊崇の念を抱く我々の精神を傷つけるもので、到底看過できるものではない。」

「公平な立場を期すべきマスメディアの一角である雑誌・週刊誌が、ご皇室に対しての生半可な認識しかもたず、皇太子をはじめ、ご皇族の方々がいちいち週刊誌の記事に対して反駁しないことを承知の上で、あまりに一方的な記事を書き連ねることは卑劣ではないのか。」

「当該記事は、一見、皇太子殿下を擁護し、そのご胸中をお察しするような体裁をとりながら、実は皇太子殿下の私生活をのぞき見趣味的に扱い、単なる噂話で囁かれているに過ぎない秋篠宮ご夫妻との不仲説を世間一般に流布、宣伝して、それを助長させる効果を惹起させている。」

「当該記事のタイトルや見出しは不敬である。…大上段にかまえ、「泣くな」と叱咤するとは、皇太子殿下に対して侮辱であり、公の場で泣かれてもいない皇太子殿下の名誉を傷つける極めて非礼な書き方である。また、一方で『「要領がいい」弟夫婦』とは、まるで秋篠宮ご夫妻が狡猾に振舞っておられるかの様な印象を与える。その他、「思い通りにならない妻」、「不信感を抱く両親」、「周囲の冷たい視線」などと、あまりにも矮小化した表現を駆使し、周辺取材の言説のみで記事を作成していることは、貴社がご皇室の権威を失墜させる目的を持っているものと確認できるものである。」

 

「『評論家・西部邁氏が「皇太子さまへの御忠言」と題する記事を月刊誌に発表』とあるが、この記事は、評論家の西尾幹二氏がワック株式会社発行の月刊「WILL」誌上で発表した記事であり、あきらかな誤りである。…もし、この誤記により西部氏への抗議が殺到したならば、貴社は責任を取れるのか。かかる所業は全体を通して見られる。西部氏への謝罪を誌面上で掲載することは勿論、全体の真実相当性を欠く不敬記事に対し、訂正を求めるものである。記事掲載における明確な根拠と真実性があるならば、回答して頂きたい」。

以上について、本日(十月一日)より一週間以内に、明確な回答を要求する。

平成二十一年十月一日      

「週刊現代」編集部 鈴木章一編集長殿

日本民族派団体一水会 本部長代行 清水 聡

政治局長  山口 剛

情宣局長  岩上直樹     」

『週刊現代』に限らず、最近の週刊誌・月刊誌のいわゆる『皇室記事』なるものは、読むに堪えないひどいものが非常に多い。いかに『言論の自由』が保障されているとはいえ、誹謗中傷・悪口雑言・揣摩臆測の羅列ばかりの記事に対しては厳しくこれを糾弾しなければならない。保守派といわれる学者・評論家でさえ、皇室尊崇の心があるのか疑いたくなる文章を書く人がいる。困ったことである。

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2009年10月 2日 (金)

千駄木庵日乗十月一日

午前は医師の往診があり、父母に付き添う。その後も、父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後からは在宅して、書状執筆、来週水曜日の「萬葉集」講義の準備など。

          ○

憂国の弁護士南出喜久治氏より、メールが送られてきた。長文なので、要約して紹介させていただく。

「鳩山内閣に、辛光洙を含む『在日韓国人政治犯の釈放に関する要望書』を平成元年に韓国の当時の大統領盧泰愚に提出したことのある千葉景子と菅直人とが入閣した。」「辛光洙とは、云はずと知れた、北朝鮮による日本人拉致事件に関与した容疑で警察庁が国際手配してゐる拉致の主犯である。その者の釈放を要望するといふことは、拉致を容認することであり、それを要望した者二名が入閣するといふことは、『拉致容認内閣』と云つても過言ではない。」

「千葉景子法務大臣は、署名したことについて『うかつだつた。誤解を招く結果となり、申し訳ない気持ちだ』と陳謝したとのことである。しかし、謝つて済むなら警察は要らない。こんなうかつな人物には法務大臣としての資質はない。菅直人に至つては、これについて沈黙してゐる。沈黙は拉致の完全容認である。ましてや、それが国家戦略局担当大臣といふのは呆れる。」

「拉致容疑者を容認してきた人物が法務大臣や国家戦略局担当大臣に就任することは、仮に形式的には認められるとしても、その政治責任は絶対に拭へない。…これらの者を解任しなければ鳩山内閣は拉致容認内閣となるので、速やかに両名を解任しなければならないはずである。」

「臨時国会において、なんらかの政府声明がなされ、それまでに解任がなされないのであれば、国会議員の全員は、衆参両議院でなんらかの決議をせねばならない。」

「私が仮に野党議員であれば、逆に、諧謔的に両閣僚の『信任決議案』を提出したい。…この二人の『無法大臣』の過去の行為について、事後にこの二人が陳謝することだけでその政治責任が免責できるのか、もし、これができるのであれば、これと同様の考へにより、金正日が過去に陳謝したことを以て金正日の政治責任を免責し、一切の拉致問題を解決したことを宣言しなければならなくなるので、その是非を問ふために、あへて自己の真意とは異なるが、両閣僚の信任案を提出するといふ趣旨の提案理由によつて、両閣僚の『信任決議案』を提出するのである。そして、もし、衆参両議院において、この信任案を可決し、あるいは不信任案を否決すれば、我が国の法務大臣の名称を『法無大臣』と、国家戦略局担当大臣を『北朝鮮待命局担当大臣』とそれぞれ改称して、これら『無法大臣』の閣僚に支配された『無法国家』へと転落することになるのである。この意見に賛同する多くの人々が、我々とともに、それぞれ地元選出の各議員に対し、来る臨時国会でのこの決議案提出に向けて懸命に運動されることを願ふ。」

さらに、日本会議からもメールが送られてきた。要約して紹介する。

「民主党政権はさっそく選択的夫婦別姓法案を来年の通常国会に提出する方針を固めたようです。夫婦別姓とは、実は、親子別姓です。しかも、子供がどちらの親の姓を名乗るのかは、随意で決定することになります。」

「当然、子供をどちらの姓にするのかで、夫婦と実家を巻き込んだ論争が起こる虞があるでしょうし、そうなれば最終的に家庭裁判所の調停に頼ることになるでしょう。」

「しかも、夫婦間が悪かったり、それが原因で離婚した場合、子供に与える悪影響は深刻です。家族の問題について調査しているアメリカ価値研究所の調査によれば、片親で育った若者は、実の両親の家庭で育った若者に比べて、実刑となる率は、二倍にのぼります。」

            ○

いよいよ鳩山内閣の閣僚たちが国家破壊活動を開始したと言ってよい。法務大臣と少子化担当大臣に、日本に革命を起こそうとしている人物が就任したことは深刻である。菅直人と千葉景子は閣僚のなる資格はない。

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2009年10月 1日 (木)

千駄木庵日乗九月三十日

午前は父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後は在宅して、資料の整理、諸雑務。

夕刻、根津にて落語好きの友人と懇談。肌寒く小雨降る夜はやはり「ぬる燗」がおいしい。

帰宅後も、諸雑務。

         ○

政府は今日、「男女が別姓のまま婚姻関係を持てる」という「選択的夫婦別姓制度」導入に向けた民法改正案を、来年一月召集予定の次期通常国会へ提出する方向で最終調整に入った。千葉景子法相と福島瑞穂消費者・少子化担当相が同日、それぞれ民法改正に強い意欲を表明した。

「夫婦別姓」は、日本國という共同体の基礎単位であり、人間生活の精神的道義的基盤である「家庭」を崩壊させ、日本国という麗しい「共同体」を破壊する制度である。「夫婦別姓」の導入は、日本の「家」を解体し、さらに国家の否定する「革命戦略」の一環である。「夫婦別姓」導入を即刻中止させるべきである。

「家」を構成する上で「姓」は重要な意義がある。夫婦が姓を同じくすることによって、夫婦・子供・孫達に一体感が生まれ、苦楽を共にする意識が確固としたものになるのである。そしてそういう「家庭」「家族」「家」によって構成されるのが、地域・社会・国家という共同体である。夫婦別姓の導入はまさに日本という麗しい共同体破壊に直結する。


支那や朝鮮が「夫婦別姓」なのは、決して進歩的であり男女平等社会だからではない。儒教の教えに従い、妻は「簡単には家族の構成員にはなれない」という意味で夫婦別姓だったのだ。つまり女性に対する蔑視、男尊女卑の思想が、夫婦別姓という制度を生んだのである。

夫と妻は共同して家庭をつくり、子を育て、さらに共同体を形成していくという日本の麗しい伝統を破壊してはならない。

良き家庭から良き子が育つという大原則がある。両親が別々の姓を名乗っていて、和楽の家庭が形成され、良い子が育つはずがないではないか。こんな簡単なことが分からないのか。否、分かっていても導入しようという法務大臣は、国家破壊を目論んでいるとしか考えようがない。つまり、日本という麗しい共同体国家を破壊する革命を行おうとしている女性二人が国務大臣なのである。まさに国家の危機である。

青少年の道義の頽廃・凶悪犯罪の増加が大問題になっている今日、家庭を破壊する夫婦別姓導入は、何としても防がねばならない。

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