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2009年9月26日 (土)

千駄木庵日乗九月二十五日

午前は父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

昼は、知人と懇談。最近の情勢について意見交換。

午後からは在宅して資料の整理。

         ○

思ふにし 死(しに)するものに あらませば 千度(ちたび)ぞ吾は われは死にかへらまし  

「萬葉集」に収められた笠女郎が大伴家持に贈った戀歌である。 

通釈は、「私が家持様を戀ひ焦がれることによって、死ぬものであったとしたら、私は千回も繰り返し死んだでありませう」といふ意。

戀ひ焦がれるあまり焦れ死にすることがあるのでしたら、私は千回死んでもなほ生き返ってあなたを愛し続けることでせうといふ歌。

命を懸けた戀愛の強さを表白した歌である。捨身の激しさが一首を貫いてゐる。何ものをも顧みない激しい戀歌。肉體はたとへ滅びても魂は永遠に生きて相手を戀ひ慕ふといふ歌。捨身無我の戀の歌である。愛の極致は捨身無我であらねばならない。大君そして國に対する愛も同じで、この歌に歌はれてゐるやうに捨身無我の境地に達する。それが「戀闕の心」であり「七生報国」の心である。

この歌は、巻十一に収められてゐる「柿本人麻呂歌集」の「戀するに死するものにあらませばわが身は千たび死にかへらまし」(二三九〇)といふ歌とよく似てゐる。こちらの歌は人麻呂自身の作といはれてゐる。笠女郎の歌と「人麻呂歌集」の歌のどちらが本歌であるかは分からない。

私の文藝上の師・中河與一先生は『人麻呂歌集』の歌の方を高く評価した。新感覚派の作家であった中河與一先生は、『萬葉集』を通して浪漫主義そしてさらに日本傳統精神に回帰するやうになった。その中河與一先生は、この人麻呂歌集の「戀するに」の歌に巡り合ひ、彼の代表作の一つである『愛戀無限』といふ戀愛小説にこの歌を引用した。

私が『萬葉集』に強く惹かれるやうになったのは、中河與一の『愛戀無限』を読んだことが一つのきっかけであった。還暦を過ぎた私は、もうこのやうな激しい戀をすることはないと思ふが、独身である以上、絶対にないとは言へない。

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