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2009年9月20日 (日)

千駄木庵日乗九月十九日

午前は父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

この後、「政治文化情報」発送完了。購読者の皆様には二、三日中にはお届けできると思います。

午後は諸雑務。

午後四時より、展転社にて、「時局戦略懇話会幹事会」開催。懸案事項を討議。

午後六時より、春日の文京区民センターにて、「時局戦略懇話会総会」開催。小田村四郎会長が挨拶。全員で、当面する諸課題について意見発表と討論。

この後、懇親会。

酒豪の方々が終了後もなお懇親を続けておられたが、小生は、退席、帰宅。

帰宅後は原稿執筆。

           ○

民主党政権になったからとて、天地がひっくり返ったわけではない。そう危機感をつのらせることもない。考えてみれば自民党政権下でも、反日的政策、亡国的政策を推し進められてきたのだ。民主党政権になったら、それがひどくなるということなら、徹底的に戦うのみである。

大分以前、靖国神社のことで大規模な国民大会が開かれ、その大会決議文を保守派のある教団の最高幹部の方や倉林和男英霊にこたえる会実行委員長と共に、自民党本部に提出に行った。当時の森幹事長が応対に出てきた。森氏は、その教団の幹部の方を意識してか、「公明党と連立を組んでいる」ということを繰り返し述べた。暗に「公明党創価学会の協力を得ていくためには、靖国神社については消極的にならざるを得ない、それが駄目だというのならおたくの教団ももっと大きくなれ」と言っているように思えた。私は、これでは自民党は駄目だなと思った。

今回の自民党の敗北も、保守政党としての姿勢を正しく明確にしなかったことが原因であると思う。この場合の「保守」とは、現状維持という意味ではもちろんない。「國體護持」という意味である。

もちろん、民主党が自民党より良いなどと言っているわけではない。民主党政権の危険性は十分に承知している。だからこそ、絶望的にならず、果敢に戦いを推し進めていかなければならないのである。

文久三年(一八六三)八月に起こった「天誅組の変」に参加し、義挙失敗の後、捕へられ、翌年二月、京都で斬首処刑されたで処刑された國学者・伴林光平は、

君が代は いはほと共に 動かねば くだけてかへれ 沖つしら浪

といふ歌を遺した。この歌は光平が生駒山中で捕らへられ、夜中奈良奉行所に送られる途中での詠である。まさに絶望的状況の中で、絶対的なる國體への信を歌ったのである。今日において維新を目指す者も、如何なる國難の状況にならうとも、國體は盤石であるとの信念で戦ひ続けなければならない。

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