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2009年7月23日 (木)

千駄木庵日乗七月二十二日

午前は父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後一時半より、永田町の衆議院第一議員会館にて、「新しい憲法をつくる研究會」開催。慶野義雄平成国際大学教授が「明治立憲体制と憲法改正」と題して講演し、

「明治憲法の方が今の憲法よりも自由主義的なところがあった。これは今後の改憲に生かせる。明治憲法はプロシア憲法の模倣ではなく、イギリスの不文法に似ている。井上毅は、憲法に『天皇主権』と書くことを頑なに拒んだ。明治憲法にも義務規定は『納税』と『兵役』しかない。近代憲法はもともと国民の権利を保障するために作られた。統帥権の独立とは、政権政党が軍を私兵化することがあってはならないということ。軍の忠誠の対象は、國の象徴である天皇。ただ統帥権という言葉を使って一部の人が軍を私物化した。

『皇室典範』は皇室の家法ではない。公中の公である。法律は元首による認定があって法律としての効力を持つ。法律は議会を通過しただけでは効力を持たない。元首が認定し公布すれば法は効力を持つ。『日本国憲法は無効』ということになると、戦後裁判所が下した法律はすべて無効となる。しかし『日本国憲法』がGHQの押し付けであることは事実。元首が認定して憲法を無効にしたら、天皇を傷つける。今になって憲法無効決議が出来るわけがない。『現行憲法』は手続的には無効であることは否定できない。

西洋先進国の憲法の長所を生かし日本の國柄を研究し尽くし外国人法律顧問の意見を十分聴取したうえ、日本人の叡智を結集した『明治憲法』の長所は、憲法改正に生かされるべきである。

わが国の憲法は君主と人民の対立を前提としていない。国家を人為的に作られたもの、権力支配機関とは考えない。日本国は自ずからなる共同体である。第一章は政治を超越した國體に関する規定であり、権力作用を規定した第二章以下とは性格が異なる。天皇を国家の表現人、象徴ととらえるから日本の憲法は天皇条項から始まる。

『帝國憲法』第一条は、『大日本帝国は萬世一系の天皇之を統治す』とある。天皇の章であるにもかかわらず、主語が大日本帝国になっている。第一条の『統治』と第四条の『統治』とは意味が異なる。第一条の『統治』とは、シラスの意で、人々の心服が集まって来るという意。天皇の本質を述べることがそのまま国家の定義になっている。わが國は天皇と共に自然にある国であり、憲法に規定して初めて国家になったわけではない。天皇について述べることがそのまま日本国の定義になっている。

『帝國憲法』は、天皇が権力者ということを想定していない。『統治権の総攬』の総攬とは、馬の手綱を束ねて握る意。分掌された権力が自然に天皇に収斂されるという意。権力を一手に握りしめるという意味ではない。しかも、『此の憲法の条規に依り之を行ふ』とある。独裁君主とは全然異なる。

『主権』の定義はあいまい。国王主権・国民主権は共の擬制にすぎない。井上毅が憲法に『主権』という言葉を使わなかったのは極めて正しい。天皇に日本国の全体像が表現される。

『皇室典範』は近代国家の法典である。皇位継承が君主の恣意(大御心)ではなく、客観的な法に基づいて形式合理的、没主観的(ウェーバーの所謂合法的支配、近代官僚制の意味、法の執行者及び対象が誰であっても全く同様に…)に行われることが大前提であり、その条件の中で、先例、傳統、(皇祖皇宗の遺訓)を最大限に織り込むのである。

近代的、立憲的皇位継承法の第一条件は、特定の方に継承させるために立法しない(そうでなければ、専制または内乱になる。わが国でも皇位継承争いを巡る国家分裂の危機は何度もあった)事であり、最近の女帝論はすべて、立憲政治そのものを否定する類のものである。

保守派を含め、今上陛下の大御心を詮索するなどというのも立憲主義、法治主義そのものを否定する議論である。近代合理主義、法治主義と皇祖皇宗の遺訓、皇祖皇宗の統治の洪範(注・手本となるような大法。模範)とをつなぐ鎖の輪が古来の天皇統治を表すシラスの観念であった」と述べた。

この後、質疑応答、意見発表。

午後六時半より、豊島区立駒込地域文化創造館にて、「萬葉古代史研究會」開催。小生が、大伴家持の吉野讃歌などを講義。

帰宅後は、諸雑務。

          ○

慶野先生の憲法論は大変勉強になった。天皇統治の御本質、『大日本帝国憲法』についてのご主張は正しい。しかし、「法律は元首による認定があって法律としての効力を持つから、『現行占領憲法』は有効である」とのご主張については、疑問がある。『現行憲法』制定当時、天皇の国家統治の大権は、マッカーサーの「隷属下」にあったからである。

また、「皇位継承が君主の恣意(大御心)ではなく、客観的な法に基づいて形式合理的、没主観的(ウェーバーの所謂合法的支配、近代官僚制の意味、法の執行者及び対象が誰であっても全く同様に…)に行われることが大前提」というご主張にも疑問がある。

天皇の大御心とは、決して「恣意」即ち「勝手気ままな考え」ではない。祭り主としての神聖なるご意志である。「みことのり」である。日本国の最高の「法」である。臣民は天皇の大御心即ち「みことのり」には絶対服さなければならない。それは日本國體の根幹であり、日本国の法治精神である。「天皇の大御心」を、「近代合理主義、法治主義、ウェーバーの所謂合法的支配」なるものよりも下位に置いたり、その条件下に置くことはできない。このことは機会を改めて詳しく論じてみたい。

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