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2009年7月 7日 (火)

千駄木庵日乗七月六日

午前は父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後は諸雑務。原稿執筆。

午後七時より、千駄木の養源寺にて、「おとなの寺子屋・論語の会」開催。東洋大学共生思想研究センターの野村英登氏(文学博士)が講義。次のように語った。

「『中庸』は、孔子の孫の子思子がまとめたといわれる。孟子は子思子の弟子。喜怒哀楽の感情を適当な状態に置くことを理想とする『中庸の徳』は、人間の身につけるべきものだが、なかなかできないと孔子は認識していた。賢過ぎる人も出来ないが、愚かな人にも出来ない。『中庸の徳』とはバランス。感情のコントロールは難しい。まことの心・真心・嘘偽りのない心を以て他人に接するのが大事。天命が人間の本性として宿っている。それが『仁』がそれである。『仁』を発揮することができれば人間としての本来の姿が現れる。『誠』は人間の本性の中にある。良い人間になろうというよりも、もともと良いものが与えられていると思う方がいい。『仁』とは、思いやり・優しさ。自分が困っている時、大変な時でも、他人ことを思いやる人が仁者。日頃の行いの中に『善』があるのだということに気づくのがよい。精神と行動のバランスをとる。心の中に『善』の要素がない人はいない。」と語った。

要するに孔子の教えは「性善説」なのであろう。「中庸」の心を保持するのはなかなか難しいことは、私には痛いほど分かる。感情の制御は、常に他人に対する思いやりの心を持つことによって可能となるということであろう。私は、他人に対する思いやりの心は持っている方だと自分では思う。しかし、感情が激しいことは自分でも十分に自覚している。今の世の中、外出すると、腹が立つことは一度や二度は必ずある。地下鉄に乗っても、道を歩いても、マナーを知らない人が多すぎる。それは年齢に関係ない。困ったことだ。私もその一人なのかもしれない。

そういう意味でも、「古典」と言われる道徳書・宗教書をよく読み、出来るだけ実行しなければならない。『中庸』には「喜怒哀樂の未だ發せざる、之を中と謂う。發して皆節に中る、之を和と謂う。中は、天下の大本なり。和は、天下の達道なり。」と説かれている。この言葉は生長の家の谷口雅春先生がよく引用された。

性善説を説く宗教は、生長の家がその典型である。ところが、その生長の家で、争いごと・裁判沙汰が起っている。何んとも悲しいことである。宗教団体内部の争いほど醜いものはない。また、その憎悪の激しさは尋常ではない。それは創価学会に限らない。

また、宗教団体が政治活動を行うことが、世の中を平和にするかというと決してそうではないことは、これまでの歴史が証明しているし、今日唯今そういう現象が起っている。「オウム」や「幸福の科学」の政治活動がそれである。

帰宅後も、原稿執筆。

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