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2009年6月13日 (土)

千駄木庵日乗六月十二日

午前は父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

昼は、知人と懇談。富山県出身の方なので、北陸地方で収穫される食材のおいしさ、酒のうまさなどについて語り合う。私は、福井県と石川県にはご縁があり、度々訪れたのだが、富山県には、宇奈月温泉に一回行っただけなのが残念である。

午後からは、諸雑務・原稿執筆。

      ○

鳩山邦夫氏は、麻生太郎総理へ辞表を提出後、自らを西郷隆盛になぞらえ、「西郷隆盛翁が征韓論の際、岩倉具視に『岩倉公、あやまてり』と言って潔く政府を去った。西郷公も信念の人だから。私も潔さが大事だから」「自民党政権には見切りをつけていないが、『政府に尋問の筋これあり』という(西南戦争での)西郷隆盛の有名な言葉があり、そういう心境だ。」と語ったという。

私は、西郷隆盛についてはある程度勉強しているが、岩倉具視に「岩倉公あやまてリ」と言ったというのは初耳である。西郷氏が桐野利秋(人斬り半次郎)を帯同して岩倉邸に行き、朝鮮派遣使についての西郷の希望を容れるように強く迫ったところ、岩倉に「わしの目の黒いうちは勝手な真似はさせんぞ」と言われ拒否された。帰途、西郷は桐野に「岩倉右大臣、よう踏ん張りなすった」と誉めたということは何かの本で読んだことがある。

『政府に尋問の筋これあり』という言葉は、大久保利通内務卿の腹心・川路利良警視総監が、「西郷隆盛暗殺」を部下に命じ、刺客(鹿児島出身の警視庁密偵)を鹿児島に送り込んだとされる事件について、西郷隆盛たちが、大久保・川路らの犯罪行為糾弾のために上京しようとした時の、各県庁への届書きに書かれている言葉である。その届書きには、

「拙者共こと、先般御暇の上、非役にて帰県致し居り候処、今般政府へ尋問の筋之あり、当地発定致し候間、御含みの為この段届け出候、もっとも旧兵隊のもの随行し、多数出立致し候間、人民動揺致さざるよう、一層の御保護依頼に及び候なり。明治十年二月 陸軍大将西郷隆盛 陸軍少将桐野利秋 陸軍少将篠原國幹」

と記されていた。

葦津珍彦先生は、「天下の法を守るべき内務卿大久保、大警視川路などが、暗殺を企てるような刑法犯罪を敢えてするというのでは、これは天下の大法は立たず國は亡ぶる。…さらにその犯罪があるから問責すると言って上京しようとする人民に対して釈明もしないで、武力でこれを阻止しようとする…こうした政府の無法に対する抵抗としての武力行使は正当防衛であり、名分が立つ。」(『永遠の維新者』)と論じておられる。

西郷隆盛は、「政府の違法行為」に対して立ち上がった時の言葉を、今回、鳩山氏が口にしたことをどう評価するかは、今は論じない。鳩山兄弟に望むことは、「友愛」という事と共に、鳩山一郎氏の「自主憲法制定」の志を継承してもらいたいということである。それをしないのでは、真に「正義」が立つとは言えない。

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