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2009年6月 2日 (火)

千駄木庵日乗六月一日

午前は父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後は資料の整理など。

午後七時より、千駄木の養源寺にて、「おとなの寺子屋・論語の会」開催。東洋大学共生思想研究センターの野村英登氏(文学博士)が講義。次のように語った。

「宗教的儀礼に、その当時の人が世界をどのように見ていたかが表れる。五経とは『易経』『詩経』『書経』『礼記(らいき)』『春秋』。四書とは『大学』『中庸』『論語』『孟子』。朱子は、儒教に入門するには膨大な資料の中から、四書から入った方がいいとした。『大学』には『大学の道は明徳を明らかにするに在り』と書かれている。『明徳』『親民』『止至善』の三つを『三綱』という。『徳』とは上に立つ者としての能力。

『物に本末あり、事に終始あり、先後する所を知れば則ち道に近し』(物事には根本と末端とがあり、はじめと終わりとがある。そのことをわきまえて何を先にして何を後にすべきかが分かるなら、正しい道を得たことになる)と書かれている。目標に到達するには、始めが肝心。初めの一歩を間違えると後に困る。これは二千年前の言葉である。現代に於いてもなかなか実践されない。人間の心の扱いにくさは古代からの課題。

中国では男子が家を継ぐのが前提。養子が家を継ぐことは中国ではあり得ない。妻に男子が生まれなかったら、その家は絶える。故に支配者は一夫多妻であった。祖先を祭る人がいなくなる。中国は夫婦別姓。女性を尊重したのではなく、女性をその家の家族と認めなかったから。女性は物として扱われ、奴隷として送られてきたと考える。『孝経』に『身体髪膚之れを父母に受く。敢えて毀傷せざるは、孝の始めなり』とあるにもかかわらず、『纏足』という風習があったのは、女性を人間と思っていなかった証拠。」と語った。

帰宅後も資料の整理。

            ○

「纏足」とは、支那で、女性に対して子供のときからを巻かせ、足が大きくならないようにする風習。唐末ごろに始まり、宋代から流行した。こうした野蛮にして畸形な風習が生まれ近代まで続いた原因は、①小さい足の女性の方が美しいと考えられたこと。②纏足の女性はうまく歩けないことから、女性が逃げられないようにし、女性支配の手段にしたこと。③内股の筋肉が発達するため、女性の局部の筋肉も発達すると考えられた。の三つであるという。

「纏足」というのは、「宦官制度」と共に、何んとも気味が悪いというか、ぞっとするような風習である。私の幼い頃、わが街にも、纏足の支那人女性が住んでいたのを思い出す。

女性蔑視は、支那から渡来した精神であり、「からごころ」である。わが国には本来的に女性蔑視の精神は微塵もなかった。わが國は、支那から仏教や儒教を輸入したが、「纏足」「宦官」などという悪習は拒絶した。また、「易姓革命思想」も拒否した。まさに「良きを取り悪しきを捨てる」というのが、わが国の精神傳統である。

「儒教」というのは、説いている「徳目」は素晴らしいものがあるが、支配者のための思想であり、女性蔑視の思想である。また易姓革命肯定の思想である。そこはよくよく注意しなければならないと思う。

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