« 千駄木庵日乗六月二十七日 | トップページ | 千駄木庵日乗六月二十九日 »

2009年6月29日 (月)

千駄木庵日乗六月二十八日

午前は父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後からは在宅して、書状執筆・資料の整理など。

何時も食べ物のことばかりで恐縮ですが、今日はサクランボをおいしくいただきました。父母にはなるべく果物を食べてもらいたいと思っています。また隣町の動坂下の鳥料理屋さんで買って来た焼鳥と焼きめしがとても美味しく、父母も喜んでくれました。何かの本に「最も簡単に味わえる幸福感とはおいしいものを食することである」と書いてありましたが、同感です。恋い慕う女性と結ばれるという幸福感はそう簡単に味わえるものではありません。

         ○

昨日の「憲法懇話会」における小生の発表について、大変有難いお褒めのメールを出席された若手憲法学者の方から頂いた。憲法問題は大切であるが、とても難しい。わが國は近代になって西洋の成文憲法を制定する必要に迫られた。これは致し方のないことであろう。私たちは、国粋精神・日本傳統精神への回帰を望んでいても、日常生活において「洋服」を着用するなど、生活の万般において欧米から輸入した科学技術など文化・文明を大いに利用している。それと同様に、日本の傳統・國體精神と西洋から輸入された成文法・成文憲法とをいかにして融合させるかが大切なのだと思う。そのことに努力した人が、明治期においては伊藤博文であり井上毅であった。

私もこれまで、憲法に関する色々な本を読んだが、三潴信吾先生の『日本憲法要論』などの憲法論は非常に勉強になった。しっかりとした國體観の上に立った憲法論である。

三潴信吾先生は、「國體は、我国にあっては、如何なるものであるかといふと、約言すれば、(一)、祭政一致 (二)、萬世一系の天皇の統治 (三)、君民一体 といふことができる。」(『祭祀大権の本質及び統治大権との関係について』)

「國體とは、自主的普遍我たる国家の本質が、各国家の成立事実に立脚して各国家毎に、如何様に体現されて居るかといふことであって、各国家の國體の軽重は、その、国家の本質の体現の程度によって判定される。その要点は、国家の自主性、普遍性の確立保障にある。しかして、これを観察し得る最も重要なる中核点は、実に、国家人格の自主表現人たる元首の地位の本質にあり、具象的には、元首定立の態様に於て之を見ることができる。」(『祭祀大権の本質及び統治大権との関係について』)

「國體とは、各国家の国柄、品格のことをいふのであって、その国の成立事情によって定まる」「我が国にあっては、皇祖を日の神(天照大神)と仰ぎ、その和魂を継承されつつ、一切の天神地祇、八百万神々を祭り、これといよいよ一心同体たらせ給ふ天皇が、御代々を通じて御一人(一系)として天下を治ろしめすといふ國體を保有してきた」(『國體と政体について』)

と論じておられる。

こうした國體観をいかにして今の若者たちに分りやすく説くか、そして納得してもらうかが、今後の課題である。

|

« 千駄木庵日乗六月二十七日 | トップページ | 千駄木庵日乗六月二十九日 »

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/121949/45484714

この記事へのトラックバック一覧です: 千駄木庵日乗六月二十八日:

« 千駄木庵日乗六月二十七日 | トップページ | 千駄木庵日乗六月二十九日 »