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2009年5月12日 (火)

千駄木庵日乗五月十一日

午前は父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後は「政治文化情報」の原稿執筆。

午後六時より、「九段下沙龍」開催。同志の方々と、「週刊新潮」の問題、NHKの偏向姿勢、日米同盟と日本の核武装など当面する諸課題について討議。

帰宅後も、原稿執筆。

         ○

小沢一郎氏が民主党代表を辞任する意向を表明した。昨日、このブログで、なぜ小沢氏は代表を辞めないのか、ということを書いたばかりなので、少し驚いた。

小沢氏は記者会見で、「政権交代」という言葉を繰り返した。政権交代は目的ではない。政権交代さえすればいいというのは間違いである。政治家の目的は国家と国民のためによい政治を行うことである。小沢氏はまた「自民党の腐りきった政治を変える必要がある」と言っていたが、ゼネコンから多額の政治献金を貰っている政治家即ち田中角栄以来の腐りきった土建屋政治の継承者が言うセリフではない。

また小沢氏は「政治献金問題で一点の曇りもない」などと言っていた。では何故辞めるのか、何故戦わないのか。一点の曇りもないのなら、そのことを国民によく説明して、疑惑を晴らすのが政治家としてのつとめであろう。それをしないで「一点の曇りもない」などと言っても通らない。もっとも「曇りがある」などと言ったら、検察に追及される恐れがあるからも口が腐っても言えないだろう。

鳩山由紀夫幹事長は、小沢氏を評して「百年に一度出るかでないかの政治家。大きな器の人」などと言った。言いも言ったりである。小沢氏が百年に一度出るか出ないかの鉄面皮というのならわかる。小沢氏の側近だった人、小沢氏を支えた人が、一体何人小沢氏から離れて行ったか。大きな器の人が、気に入らなくなった人物と突然連絡を絶ったり、口をきかなくなったりするはずがない。近代日本の政治家で百年に一度出るか出ないかと評される政治家は一体誰であろうか。大久保利通の事をそう評した歴史家がいたと思うが、定まった評価ではない。鳩山由紀夫氏はポスト小沢を狙ってこういう馬鹿な事を言ったのであろうか。

私は、小沢一郎氏が政界を引退することが政治改革であると思っている。

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