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2009年4月 5日 (日)

千駄木庵日乗四月四日

午前は父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後は諸雑務。

午後六時より、神田学士会館にて、「憲法懇話会」開催。

高乗正臣氏が座長。高乗智之氏が「筧・三潴憲法学から見た教育権の法理」と題して研究発表し「学校教育の内容決定権は、国家にあるのか、国民にあるのか、現場の教師にあるのかは、学問上の論争というより政治的争いになっている。教育・学問・文化・芸術に関する分野は、政務法としての憲法の分野ではない。

不文法はデモクラシーの基礎。国民教育の土台は自主的普遍我。自主的普遍我とは『誰にも支配されない過去・現在・未来にわたる永続性』という意。

権力作用を美化する役割を憲法は持っている。戦後憲法学は人権保障に重きを置き、國體護持は軽視されている。国の統治権力作用の組織や権限を定めた憲法にはおのずから限界があり、その憲法によって創設された権力機構にも限界がある。成文憲法は立国の理想目的に抵触することはできない。国会における『教育勅語』の失効決議は間違い。

立国法に基づく統治行為が教育。『国家に教育権がある』という場合は国家とは権力機構ではなく、立国法にあるととらえるべし。権力の行使も権利の行使も共通の国民道徳の自覚に基づいたものではなければならない。現実の国家機関たる立法・行政機関にはその国家が歴史的に培ってきた精神的または道徳的伝統を否定したり変更したりする権限はない。」と語った。この後、質疑応答・討論が行われた。

帰宅後は、原稿執筆の準備。

          ○

筧・三潴憲法学で言われる「自主的普遍我」「立国法」とは、「天皇を祭祀主と仰ぐ共同体」即ち日本國體のことである。日本國體精神に基づいて教育が行われなければならない。しかしそれは、権力行為ではない。自ずからなる国民精神を培うことであり、傳統を継承することである。

国歌君が代の斉唱・国旗日の丸の掲揚は、強制によって行われるべきではないということは正しいが、公教育の場においては国民道徳の涵養・伝統の継承・知能の啓発のために強制が行われることは当然である。強制なくして教育は成り立たない。九九を覚えるのも、漢字を覚えるのも、そして学校に登校するのも、強制である。国歌斉唱・国旗掲揚のみが強制されてはならないなどということはあり得ない。

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