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2009年3月22日 (日)

千駄木庵日乗三月二十一日

午前は父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後は北区にある菩提寺に赴き、四宮家の墓を掃苔。献花。拝礼。御守護に感謝し御冥福を祈る。御住職夫人に御挨拶。多くの人々が墓参に来ておられた。敬神崇祖は日本の国民道徳の基本であると思う。この風習というか、道義観念は永遠に絶えることがあってはならないと信じる。

帰途、日暮里駅前の本行寺に参拝。本行寺は日蓮宗のお寺。開基は太田道灌の孫の太田大和守資高。今も太田氏の子孫のお墓がある。江戸時代から観月の地として有名だったので「月見寺」とも呼ばれる。江戸城内の平河口に創建されたが、神田・谷中を経て、宝永六年(一七〇九)年に現在の日暮里に移転したという。

太田道灌が斥候台を築いたところと言われ、道灌物見塚跡(道灌丘碑)がある。確かにこのお寺は見晴らしの良いところで、荒川区一帯を眺めることができる。道灌山という地名も残っている。昔は、お寺が城郭や斥侯台の役目を果たすことがあったらしい。京都の知恩院も京都防衛のための城郭の役割も果たしたと言われる。

小林一茶の「陽炎や道灌どのの物見塚」「刀禰(とね)の帆が寝ても見ゆるぞ青田原」や、種田山頭火の「ほっと月がある東京に来ている」などの句碑もある。これは、二十世の住職・日桓(にっかん)上人(俳号・一瓢)が多くの俳人と交流があったためという。一茶はしばしばこの寺を訪れと伝えられる。昔はこのお寺から利根川を航行する舟の帆までが見えたということである。また、今は住宅とビルがぎっしりと建ち並んでいる一帯も青い田んぼだったということである。

ちょうど満開のしだれ桜を見る。谷中の行きつけのお店で一杯。この辺は安くておいしい店が実に多いのでありがたい。

谷中は寺町であるが、何故か日蓮宗のお寺が多い。江戸幕府の政策であろう。本行寺の近くには、延命院というやはり日蓮宗のお寺がある。このお寺は歌舞伎にも登場する。破戒僧と大奥女中の物語である。

帰宅後は資料の整理など。

「暑さ寒さも彼岸まで」という言葉を実感する今日この頃である。むしろ暑さがもう始まったと言った方が良いかもしれない。

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