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2009年3月 1日 (日)

千駄木庵日乗二月二十八日

午前は父母のお世話。

午後からは在宅して、「月刊日本」に連載している「萬葉集に歌はれた日本の心」の原稿執筆・完成・送付。

           ○

今日書いた原稿は、持統天皇さまが、吉野の宮に行幸された時、柿本朝臣人麿が詠んだ歌の解釈と講義である。持統天皇は御在位中非常に多く吉野へ行幸された。持統三年(六八九)正月から持統十一年(六九七)四月にかけての八年間に三十三回ほど行幸された。即位されて間もない時期は一年に五回吉野に行かれた。そして、御滞在日数は長い時は三ヵ月、短い時は二日。一回平均して一週間くらい吉野に滞在された。真冬にも赴かれた。物見遊山ではない。

 吉野は今日も自然の美しいところであり、日本民族そして皇室の歴史と伝統を伝へてゐる地である。神武天皇は大和橿原の地に都を開かれる際、熊野に御上陸になった。そして吉野をお通りになった時、神のお告げにより無事に大和の國にお入りなり都を開かれるための祭事を行はれた。その時、神武天皇は、吉野にもともと住んでゐた人に道案内されて、大和に入られた。大和朝廷成立の上で、非常に由緒のある地が熊野と吉野である。

その吉野に離宮を造営されたのは、皇室の歴史と伝統を思ひ起こすためである。天皇が離宮に行かれるのは、歴史的由緒のある神聖な吉野の地で、川水で御祓をされ祭祀をされるためであった。持統天皇のみならず、御歴代の天皇は、度々吉野や熊野に行幸され、神祭りを行はれた。

 特に、持統天皇にとって吉野の地は、夫君・天武天皇が壬申の乱の前に隠棲された地であるので思ひ出深いところであった。また、壬申の乱以後の不安定な時期に、持統天皇は、神武天皇が橿原奠都の前に神の御加護を祈る祭事を行はれた吉野で、祭事を行はれたのである。そして、天皇としての神威・霊力を高められた。また、伊勢の神宮の式年遷宮祭の制度も、天武天皇の御代に定められ、持統天皇の御代から行はれるやうになった。 

 持統天皇は、天智・天武両天皇のご意志を継承され、天皇国日本の正しき姿を顕現するために努力された天皇であらせられる。吉野は、伊勢・熊野・出雲・高千穂と共に、天皇国日本生成の歴史を刻む聖地である。

 混迷する今日においてこそ、日本国民は、天神地祇を祭り、深き祈りを捧げて、日本国の再生を実現しなければならない。

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