« 2009年2月 | トップページ | 2009年4月 »

2009年3月31日 (火)

千駄木庵日乗三月三十日

午前は父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後からは在宅して資料整理・書状執筆など。

         ○

台湾の蔡焜燦先生より、「臺灣歌壇創立四十周年紀年歌集」及び「臺灣歌壇第十集」をお贈り頂いた。感謝に堪えない。「臺灣歌壇創立四十周年紀年歌集」には、呉建堂(故人)という方が、四十年前に、和歌の會を台湾に於いて創立されて以来、「臺灣歌壇」に参加した方々の作品が収録されている。小生が参加していた中河幹子先生(中河与一先生令夫人)主宰の「をだまき」に所属しておられた方々の歌も収録されていて、まことに懐かしい思いがした。

明治天皇は、「まごころを 歌ひあげたる 言の葉は ひとたびきけば わすれざりけり」「鬼神も 泣かするものは 世の中の 人のこころの まことなりけり」と歌われた。

また、『古今和歌集』の「仮名序」には、「力も入れずして天地(あめつち)を動かし、目に見えぬ鬼神(おにがみ)をもあはれと思はせ、男女(をとこをんな)の中をも和(やは)らげ、猛(たけ)き武士(もののふ)の心をも慰むるは歌なり。」(力を入れないで天地を動かし、目に見えない鬼神をも感動させ、男女の間をも和ませ、猛々しい武士の心をも慰めるのが歌である)と書かれている。

和歌には、詠んだ人の真心・真情すなわち「人のこころのまこと」が表白されている。まごころが「五・七・五・七・七」と形式で表白され、読んだ人・聞いた人の魂を動かすのが「やまとうた」の本質である。

明治天皇は、「新高の 山のふもとの 民草も 茂りまさると 聞くぞうれしき」と詠ませられた。その新高山(玉山)の麓の民草は今も、明治天皇をお慕い申し上げ、やまと歌を詠み続けているのである。有り難くも感動的な事実である。

今日いただいた二冊の歌集には、まさに台湾人のまごころがうたいあげられている。感銘した歌のいくつかを紹介させていただく。

「わが夢の 最たるものと こひねがふ 台湾独立 この眼で見るを」                呉建堂氏

「日本式 作法にこだはれば 『日本鬼(ヤップンクイ・広東語)』かと 訝られたる」        王進益氏

「置き去りに されて半世紀 台湾の 日本語族は 短歌(うた)も俳句(く)も詠む」         文錫堅氏

「緑島に 『今日も暮れゆく異国の丘』歌ひ 日暮の台湾 見詰む」(注・緑島は政治犯が収容された監獄のあった島)                    江槐邨氏

「犠牲者の 無念と 遺族の涙こめ 二二八の雨 一日を止まず」                  林聿修氏

「外省人(よそもの)も 共に戦慄(わなな)け ミサイルの 数一千は 友を選ばす」

「にっぽんは 謝罪をすれど 国籍の 変はれるわれは 聖戦と信ず」              陳皆竹氏                           

激情のほとばしる歌もある。かくほどまでに日本を慕い日本を愛する台湾の人々がおられることに涙を禁じ得ない。まだまだ数多くの感動的な歌が収録されている。貴重な歌集をお贈り頂いた蔡焜燦先生に感謝する。

| | トラックバック (0)

2009年3月30日 (月)

千駄木庵日乗三月二十九日

午前は父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後は、ある方から招待券をいただいたので、日本橋高島屋にて開催中の『東本願寺の至宝展』参観。「再来年の宗祖親鸞聖人七百五十回御遠忌を記念し、東本願寺の至宝を一堂に展覧いたします。江戸時代を通じ4度の大火にあい、焼失と再建の歴史を繰り返した御影堂は1895年(明治28年)に現在の姿となりました。そこには、岐阜の別院から移築された円山応挙筆の金地水墨の作品をはじめ、京都画壇を代表する岸竹堂、望月玉泉らの襖絵が伝えられています。加えて今回は特別に、園林堂内にある棟方志功作の襖絵『天に伸ぶ杉木』『河畔の呼吸』を公開いたします。」(案内書による)との趣旨で開催された。


狩野元信、円山応挙らの江戸絵画と、望月玉泉らの近代の京都画壇の巨匠たちの作品、棟方志功の肉筆襖絵、幕末史、伽藍の再建・修復に関する歴史資料などを見る。近代の羽田月洲という人の「花鳥図」は大変見事であったが、羽田月洲はその後忘れ去られ没年不明である。こういうあわれな画家もいたのである。望月玉泉の「夜桜図/松・藤花図」の衝立画も素晴らしかった。幕末期東本願寺を宿舎にした徳川慶喜の書や書状なども展示されていた。

夕刻、新宿にて、ある武道家の方と懇談。水戸学・吉田松陰・大東亜戦争・武道・維新運動などについて有意義なお話を伺うことが出来た。

帰宅後は、書状執筆など。

              ○

今日の「東本願寺の至宝展」参観で初めて知ったのは、幕末期、第十四代将軍・徳川家茂が上洛した時、「神祇不拝」を原則とする念仏宗の本山・東本願寺に「東照宮御靈殿」建立されたことである。その鳥瞰図が展示されていた。

東本願寺は慶長七年(一六〇二年)徳川家康から京都・烏丸七条の地を寄進され、伽藍を造営した関係からか、徳川将軍家との関係が深かった。

家茂の後見職に任ぜられた徳川慶喜は、文久三(一八六三)年一月五日、将軍の上洛の準備のため入京し、ここを宿舎として京都での活動を開始した。慶喜は自家の歩兵部隊を東本願寺に駐屯させた。そのため、「禁門の変」では長州藩による攻撃の対象となり砲撃を受けて損害を被ったと伝えられる。

一方、西本願寺は西国に信者が多く、古くは豊臣贔屓、幕末は熱心な勤王派であった。また、西本願寺二十世宗主・広如上人は、黒船来航後の混乱にあった安政年間、尊皇攘夷の機運が高まるなかで、勤皇僧として著名であった周防の月性を重役に登用させた。また、文久三年(一八六三)に、朝廷に一万両を献納し、宗派全体に尊皇攘夷の徹底を諭す文を出している。

「禁門の変」で敗走した長州藩士、山田顕義、品川弥二郎らが西本願寺に逃げ込んで切腹しようとしたところを、変装させて落ち延びさせた。

同じ親鸞の教えを奉じながら、東西本願寺は対立関係にあったのである。

維新後、神仏分離・廃仏毀釈運動の高まった時、長州出身の政府高官が、仏教教団擁護の姿勢をとった原因は、「禁門の変」の時、西本願寺が長州藩士を助けたことが影響したのであろう。

| | トラックバック (0)

2009年3月29日 (日)

千駄木庵日乗三月二十八日

朝は父母のお世話。

午前十一時半より、青山霊園にて、「先覚金玉均先生墓前祭」執行。祭主・頭山興助氏が挨拶。福永武氏が斎主となり、祭事が行われ、祝詞奏上・玉串奉奠・碑文奉読(朴泳孝撰文)

などが行われた。続いて、犬塚哲爾・阿形充規・蜷川正大・山浦嘉久・木村三浩の各氏そして小生が挨拶した。また、駐日韓国大使館の趙世暎公使参事官が挨拶した。

小生は、「大東合邦論、日韓合邦論・大アジア主義と、今日の東アジア共同体は似て非なるものがある。歴史・伝統・文化の全く異なる国々が安易に『共同体』などと声高に言うべきではない。アジア諸民族が、お互いの伝統・文化・独立を尊重しつつ、協力し合うというのが、大アジア主義である。それを前提としてアジアの真の平和のために、日韓は協力し合わなければならない。そのためには、わが国民が自国に対する誇りと自尊の精神を回復しなければならない。韓国併合時代に、朝鮮神宮に韓国の神々を祀らず、日本の神々のみを祀ったことはやはり間違っていた。」と述べさせて頂いた。

この後、北青山の蕎麦屋にて、直会が行われ、出席者の意見発表が行われた。

金玉均氏は、わが国の明治維新を模範とした清朝からの独立、朝鮮の近代化を目指した「開化独立運動」に挺身した志士である。明治十五二月から七月まで日本に遊学し、福澤諭吉の支援を受ける。

明治十七年、閔氏政権打倒のクーデター(甲申事変)を起こしたが、の介入により、わずか三日間で失敗した。日本に亡命。頭山満の支援を受ける。

明治二七年三月二十八日、上海で閔妃の刺客洪鐘宇にピストルで暗殺される。遺体は清国軍艦咸靖号で本国朝鮮に運ばれ凌遅刑に処された。その遺体はバラバラにされ、胴体は川に捨てられ、首は京畿道竹山、片手及片足は慶尚道、他の手足は咸鏡道で曝された。曝された首には『大逆不道玉均』と見える説明が添えられた。

遺髪と衣服の一部は金玉均を敬愛していた日本人和田延次郎が密かに日本に持ち帰り、犬養毅・頭山満氏などが中心となって葬儀が浅草寺で営まれた。

金玉均たちの韓国維新が成功していれば、その後の韓国の歴史そして日韓関係もは全く変わったものとなっていたであろう。未だに嫌韓感情と反日感情の対立が解消されていない今日、金玉均氏の偉業と悲劇を偲び、かつ、金玉均氏を支援した日本有志の志を回顧することは極めて大切である。

直会の席で、趙世暎公使は「日韓両国民がお互いに相手の心を理解し尊重することが大切。このような慰霊祭をしていただけることは、有り難い」と語った。

趙世暎氏は木村三浩一水会代表の誘いにより出席された。木村氏の努力に敬意を表する。

帰宅後は、書状執筆など。父の容態に変化があり、看病。

           ○

斎藤吉久氏は『ホームページ』で朝鮮神宮の御祭神について次のように論じている。少し長くなるが引用させていただく。「当時の神社関係者にとって、韓国での神社創建は、『搾取』『侵略』とはまるで逆の目的があったのです。ともかくも神社関係者の組織的活動がこうして始まります。伊藤博文・初代韓国統監に直接、働きかけもおこなわれましたが、主張された目的はやはり『日韓融和』でした。西高辻信稚・太宰府神社宮司、木庭保久・筥崎宮宮司とともに、関西神職連合会の代表として伊藤統監に面会した筥崎宮禰宜の葦津耕次郎氏は次のように語っているくらいです。」

「陛下の思召しである日韓両民族の融合親和のため、命がけで働いていただきたい。そのため朝鮮二千万民族のあらゆる祖神を合祀する神社を建立し、あなたが祭主となって敬神崇祖の大道を教えられねばならない。これが明治大帝の大御心である」(『葦津耕次郎追想録』)

「耕次郎氏は、戦後唯一の神道思想家といわれる葦津珍彦氏の実父です。(葦津珍彦氏は生涯、朝鮮・韓国に深い関心を抱いた人で、先の大戦末期には朝鮮独立運動家・呂運亨とも交わり、朝鮮独立を支援しました。)」

「日本政府が天照大神と明治天皇の二柱を御祭神と決定していたのに対して、今泉定介、葦津耕次郎、賀茂百樹、肥田景之氏ら神社関係者が朝鮮民族の祖神を祀るべきだと強く主張し、両者間に激論が交わされました。神社関係者を強硬な反対行動に駆り立てたのは、日韓融和への熱い思いでした。けれども、神社関係者の要求は通りませんでした」。

| | トラックバック (0)

2009年3月28日 (土)

千駄木庵日乗一月二十七日

午前は父母のお世話。ケアマネージャー来宅。父母の介護計画について相談。

午後は書状執筆など。

午後七時より、阿佐ヶ谷神明宮にて、「鏡月(かがみづき)の会」開催。歌手のキリロラさんによる話と歌唱が行われた。大伴家持の

春の苑 紅にほふ桃の花 下照る道に 出で立つ娘子(をとめ)」(春の庭、そこに紅色に匂うように咲いている桃の花、その桃の木の下の輝いている道に、出て来て立っている娘よ、という意)

そして、昭憲皇太后の

「朝ごとに むかふ鏡の くもりなく あらまほしきは 心なりけり」(毎朝向かう鏡に曇りがないように、私たちの心も清く澄んでいたいものです、という意)

という御歌に、キリロラさんが曲を付けて歌われた。五・七・五・七・七の短歌はなかなか曲をつけるのは難しいと言われているが、心にしみる良き歌唱となっていたと思う。

阿佐ヶ谷の駅を降りたのは何年ぶりであろうか。本当に久しぶりである。中野・荻窪・高円寺はよく降りるのだが、阿佐ヶ谷は縁がなかった。夕暮れ時のケヤキ並木道の雰囲気が良かった。

神明宮には初めて参拝した。御祭神は天照大御神。「由緒書」きによると、「日本武尊が東征の帰途阿佐谷の地で休息し、後に尊の武功を慕った村人が旧社地(お伊勢の森と称される現在の阿佐谷北5丁目一帯)に一社を設けたのが当宮の始まり」という。

我が家近くの本駒込にも、天照大御神をお祭りした天祖神社が鎮座している。そしてその町を昔は駒込神明町と言った。

帰宅後は、諸雑務。

           ○

今月の「WiLL」はなかなか面白い。私が今までずっと主張して来た小沢一郎批判と同じ趣旨のことを、岩見隆夫・田久保忠衛・河上和雄・阿比留瑠比の各氏らが専門の立場で詳細に厳しく論じている。

それにしても、参院民主党議員が全く小沢批判を口にしなかったのは情けない限りである。選挙がまだ先だからあまり切迫感がないのであろうか。小沢氏のことを「居直り強盗」と誰かが言っていたが、言い得て妙である。私は「企業献金をなくせ」などと言った小沢氏は「盗人猛々しい」とも言えると思う。

| | トラックバック (0)

2009年3月27日 (金)

千駄木庵日乗三月二十六日

午前は父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後からは「レコンキスタ」用の原稿執筆、完成、送付。続いて書状執筆。

           ○

西松建設の小沢一郎氏側に対する偽装献金事件の流れを見ていて、一番危険に感じるのは、民主党が政権を取ったら検察・警察を使っていわゆる「国策捜査」を行い、反対党を弾圧するのではないかということである。独裁国家・社会主義国家ではそれは当たり前のことである。参院民主党が多数決で証人喚問しようとしたり、民主党の西岡武夫参院議院運営委員長が、検察トップの樋渡検事総長の証人喚問を主張した事実を見るとその危険を感じる。

昨日も書いたが、鳩山由紀夫氏の「捜査当局の摘発自体が、行政の横暴であり、政治家への攻撃・圧迫である」かのような物言いは間違っている。これでは、民主党が政権を取ったら検察・警察への不当不法な介入が公然と行われる危惧を抱かせる。

鳩山氏や菅氏が、小沢続投を支持するのは、決して小沢氏の潔白を信じているのではないし、小沢氏を信頼しているのでもない。小沢氏が辞任して、岡田氏や前原氏が代表になったら、世代交代が進んで自分たちの出る幕がなくなるからであろう。

今日は、二階国土交通相の疑惑も報道された。小沢氏と二階氏は政治行動を共にしていた同じ穴のムジナと言っていい。証人喚問が好きな民主党は、二階氏と小沢氏の証人喚問を要求すべきである。そうしてこそ、真に自浄能力が働いたということになる。

| | トラックバック (0)

2009年3月26日 (木)

千駄木庵日乗三月二十五日

午前は父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後は資料検索・整理など。

午後六時半より、豊島区立駒込地域文化創造館にて、「萬葉古代史研究會」開催。小生が大伴家持の歌などを講義。

帰宅後は「レコンキスタ」掲載予定の原稿執筆。

          ○

テレビニュースを見ていたら、鳩山由紀夫民主党幹事長が、西松建設と小沢一郎氏側との偽装献金事件で小沢氏の公設秘書が逮捕されても、小沢氏が民主党代表を辞任しないことに関して「政治家が行政に負けてはいけない」という意味のことを言っていた。

確かに検察は行政の一部である。また検察にも間違いはあるだろう。しかし、政治家が検察の摘発を受けたことを「政治家と行政の戦いである」という認識を持つのは誤りである。検察や警察による政治家の違法行為摘発は、政治家の政治活動に対する攻撃でもないし妨害でもない。法と証拠に基づいた正当な義務であり責任である。絶対にやり遂げなければならないことである。

政治家が検察や警察による違法行為の摘発に戦いを挑むというのは、まさに、政治の司法への介入である。鳩山氏はそんなことが分からないのであろうか。摘発が正しかったか間違っていたが、すなわち摘発された人が、無罪であるか否かは、飽く迄も、裁判で決着をつけるべきことである。それを摘発すること自体が、行政の横暴であり、政治家への攻撃・圧迫であるかのような物言いをするのは全く間違っている。これでは、民主党が政権を取ったら、検察・警察への不当不法な介入が公然と行われる危険を感じる。

民主党や民主党を擁護する勢力がやれ「国策捜査だ」の「形式犯だ」などと声高に主張する風潮がまかり通るようになった大きな原因は、漆間巌官房副長官の軽率な発言であったと思う。

| | トラックバック (0)

2009年3月25日 (水)

千駄木庵日乗三月二十四日

未明まで、「政界往来」誌の連載原稿執筆。

午前は父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後は、明日の「萬葉集」講義の準備。

午後七時より、赤坂にて開かれた「同氣相求の会」(呼び掛け人・高畑隆雄氏)に出席。この会合は、昭和四十五年の第二次安保闘争前後に、左翼と対峙して共に戦った人々との懇親会。公務員生活を送った人々は一昨年から今年にかけてその殆どが定年を迎え、故郷の帰る人などもいるので、久しぶりに開かれた。

会合を終え、地下鉄駅に向かっていたら、元防衛庁長官の衆院議員に偶然出会ったので、「文民統制」「ミサイル迎撃問題」について意見を申し上げた。

帰宅後は、「政界往来」の原稿執筆・完成・送付。そして明日の「萬葉集」講義の準備。

         ○

小沢一郎氏は続投表明の記者会見で、涙を浮かべながら「秘書の大久保が逮捕されて以来、私自身が犯罪を犯したような印象を与える状況の中で、本当に自分自身、悔しい思いと無念の思いを抱きながら必死に耐えて頑張ってきた。」と言った。これは「秘書は犯罪を犯したかもしれないが私は無関係」という意味に受け取れる。秘書に責任をなすりつける姿勢は許せない。

また、「私自身が、犯罪に手を染めていたと言うことであるならば、どのような処罰でも甘んじて受ける。しかし、自分にはそういう事実はない。本日は、その意味で、私の主張してきたことが事実であるということが明らかになった」と述べた。これでは、西松建設が小沢氏側に何故あのような多額の献金したのかの説明責任を果たしていない。企業は、企業の利益になることか、企業を防衛するためでなければ、ビタ一文金を出さないという体質を持っている。土建会社はなおさらである。

民主党議員に小沢を批判する人があまりにも少ないのは情けない。そうした中で、『読売新聞』の報道によると、民主党の小宮山洋子衆院議員は、「政権交代を実現して日本を良くするため、代表は辞任すべきだ。謝りながら、言い訳しながらの選挙では勝てない。小沢氏が検察と戦うのは、小沢氏自身の問題で、小沢氏の裁判闘争と政権を取るための民主党の戦略は別だ」と痛烈に批判した。正論である。私の知るかぎり、民主党内で前原氏と小宮山氏しか正論を言わないというのは、全く理解に苦しむ。

また自民党の渡部篤衆院議員は、ご自身の『ブログ』で「一部マスコミの次の総選挙は民主党政権だというトレンドに載せられて自分の立場を死守するための会見だったと思う。特捜・検察も小沢代表の厳しい検察批判に官僚の弱さを暴露してしまった。日本の司法にとって大きな誤算だと思う。」「自民党の中で最も金権政治を実行した金丸信・田中角栄さんに育てられたのが小沢代表ではないのか。私は政治・カネの問題で矮小化した議論はしたくはないけれども、政治は最高道徳・政治倫理の確立を訴えた政治家が選挙に弱いという実態も考えるべきである。小沢民主党は政権交代を目指し何でもありだとおもう。社民党の政策は丸呑みするだろう。連合の組織を選挙の実戦部隊として、日教組・自治労が主力組織となるだろう。私達は、今こそ真正保守の結束を呼びかけるべきだ。国難の今こそ、金権政治と左翼連合の政治を粉砕しなければならない。もちろん米国の市場原理主義・中共の影響力も排除・克服しなければならない。」と語っている。同感である。

検察もマスコミも国民も、小沢の恫喝に屈したり、泣き落としに騙されてはならない。何回も言うが、小沢一郎氏を政界から追放することか政治改革である。

| | トラックバック (0)

2009年3月24日 (火)

千駄木庵日乗三月二十三日

午前は父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後は資料の整理など。

午後六時半より、新宿花園神社にて、「神道時事問題研究會」開催。片山文彦宮司が司会。平野次郎学習院女子大学教授(元NHK解説委員)が講演し、「政治とは経世済民。アメリカの黒人運動の指導者たちが、アフリカから前途有望の青年をアメリカに呼んだ。オバマ大統領の父親はケニヤからアメリカに来た。オバマ氏は優秀なDNAの持ち主。オバマのやっていることは意識改革。アメリカは価値観をかなり変えなければならないと思っている。

アメリカ大陸発見のきっかけをつくったコロンブスはユダヤ系の船乗り。彼はマルコポーロの『東方見聞録』を読んでいた。『東方見聞録』はコロンブスが獄中て吹いたホラが書かれている。マルコポーロもコロンブスも山師だった。アメリカでは山師は尊敬すべき職業。ブッシュ前大統領の父はテキサスに行って石油を掘って何回も失敗し、最後に掘りあてて政治家になった。

オバマ氏は山師が尊敬される国で、『山師的なことはいけません』と言い出した。そして『ウォール街の貪欲な人々』と言った。AIGはカルフォルニアの山師が上海で生命保険会社を起こしたのが始まり。世界最大の保険会社で、アメリカで八番目の大企業。

アメリカには成功した人がそれなりの報酬を得るのは当然という考え方がある。一攫千金・濡れ手で粟でもそれは同じ。そういう国で『貪欲は駄目』と言ったら、人々はどう理解するであろうか。アメリカの人々がオバマに本当について行くかどうか。

アフリカへの中国の進出はすごい。ついこの間、カメルーンに行ったが、大学生は胡錦濤の名前は知っていたが日本の首相の名前は知らなかった。

今、アメリカ政府がやろうとしていることは社会主義ではないかと言われている。『社会主義は間違っている』『市場のことは市場に任せよ』とアメリカの人は思っている。政府が経済運営に口を出すことは、短期的にはともかく長期的には間違っている。

アメリカの黒人たちは奴隷の子孫ではないオバマを自分たちの仲間とは思っていない。オバマのしゃべる英語は黒人の英語ではない。それが奇妙にオバマの身の安全につながっている。

経世済民の思想はフランスの思想。アメリカの思想ではない。アメリカは『してはいけないといわれたこと以外はしていい』という社会。日本は『していいと言われたこと以外はするな』という社会。日本は許容範囲が狭い。アメリカは住民の自治の意識が強い。

アメリカ人は『アメリカ人とこれからアメリカ人になる人と二種類の人しかいない』と思っている。アメリカ人と同じレベルに世界の人を引き上げてあげたいという使命感を持っている。アメリカは常に追われる者の立場でものを考えている。それが新しい産業を作る原動力になり得る。」と語った。

帰途、知人と懇談。

帰宅後は諸雑務。

            ○

平野氏の話は、アメリカ及びアメリカ人について色々勉強になった。今日の話を聞いても、日本とアメリカとでは全く価値観が異なる。こういう国の政治経済のあり方を日本にそのまま持ち込むことは危険であるし、うまくいくはずがない。

アメリカは開拓者の国である。そしてその開拓は先住民の犠牲を伴った。また、銃によって身を守ることが重要であった。日本は、豊臣秀吉の時代に一般庶民から武器が取り上げられた。アメリカは、今も庶民が武器を持っている。

ただアメリカの良いところはジメジメしていないところだろう。明るい社会である。二大政党の対立といっても、あっけらかんとしている。ところが日本はそうではない。憎悪・怨念が深くなる。私はアメリカやイギリスのような二大政党制というのは日本には合わないように思う。陰湿な戦いになってしまう。現実に今の日本はそうなっている。

小沢一郎氏には、自民党への怨念が強くあるように思える。小沢民主党は、以前の社会党以上に「何でも反対党」になった。

| | トラックバック (0)

2009年3月23日 (月)

千駄木庵日乗三月二十二日

午前は父母のお世話。

午後からは在宅して資料の整理。

         ○

神奈川県大磯町の旧吉田茂邸が全焼した。まことに残念なことである。

先帝・昭和天皇さまは、昭和三十年に次のような御歌を詠ませられた。

 小田原に往復の折、吉田茂元首相の家の前を通りて詠める

往きかへり 枝折戸を見て 思ひけり しばし相見ぬ あるじいかにと

                          」

昭和天皇が大磯の吉田邸の前をお通りになった時の御製である。政権の座を追われて失意の状態にあった吉田氏をお励ましになった御製と拝する。昭和天皇におかせられては、吉田元総理を本当にご信頼になっていたと拝察する。占領下にあって、苦労を共にされたからであろう。昭和天皇と吉田茂元総理との関係はまさに、「君臣水魚の交わり」に近い麗しい関係だったのではないかと、小生は考える。

 吉田茂氏は、昭和二十六年のサンフランシスコ講和条約調印式出席前後の心境について、「唯奉敕使萬里外 五洲視聴聚一身」と揮毫した。天皇の勅命を奉じて外交にあたるという自覚を吐露した漢詩である。

昭和二十七年十一月十日、今上天皇が立太子の礼の時、吉田茂総理大臣は寿詞(お祝いの言葉)で、自らを「臣 茂」と読み上げた。

 

「占領憲法」には「主権在民」と規定され、曲學阿世の憲法學者にの中には「日本の元首は内閣総理大臣だ」などと論ずる輩もいるのに、吉田氏は天皇の臣下としての自覚と矜持を持っていた偉大なる政治家であり、まさに昭和の忠臣と言って良いであろう。

 最近の政治家と官僚の質の低下は目を覆いたくなる。その根本原因は、彼らの道義心・正義感・使命感の欠如にあると指摘されている。わが國の道義心・倫理観の根本は天皇への忠節の心と國を愛する心である。現下日本の政治・行政の腐敗の根本原因は、政治家や官僚に「尊皇愛國の心」が希薄になっているからである。

 

政治家や官僚は、日本國の神聖なる君主であらせられ日本國民の道義心の鏡であらせられる日本天皇へのかしこみの心が基本になければならない。歴史を回顧すれば明らかなように「天皇の臣下」という自覚があれば、極悪非道なことはできない。今日の政治家・官僚のみならず一般國民にも、天皇の臣下・天皇の民としての自覚の回復が大切である。

 

 天皇陛下に対し奉り、吉田茂元総理と正反対の考えを持っていたのが、後藤田正晴氏であった。後藤田氏は、平成十二年十二月五日号の『日本経済新聞』で、中央省庁再編に関するインタビューに答えて、「まず大臣という名前を変えたらどうか。だれの臣下ですか?行政の長なんだから『長官』でいい」などと述べた。

 これは天皇を君主と仰ぐ神代以来の日本國體を否定し、さらに現行憲法体制においても日本は立憲君主國であるという事実を否定する許しがたい発言である。社民党や共産党や極左分子がこのような発言をするならともかく、警察庁長官・内閣官房長官・自治大臣・内閣副総理を歴任し体制側の頂点に立ったと言ってもいい政治家が、國體否定の思想を持っていたのである。政治家・官僚の道義感・尊皇精神の低下を体現した人物が後藤田氏であった。

| | トラックバック (0)

2009年3月22日 (日)

千駄木庵日乗三月二十一日

午前は父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後は北区にある菩提寺に赴き、四宮家の墓を掃苔。献花。拝礼。御守護に感謝し御冥福を祈る。御住職夫人に御挨拶。多くの人々が墓参に来ておられた。敬神崇祖は日本の国民道徳の基本であると思う。この風習というか、道義観念は永遠に絶えることがあってはならないと信じる。

帰途、日暮里駅前の本行寺に参拝。本行寺は日蓮宗のお寺。開基は太田道灌の孫の太田大和守資高。今も太田氏の子孫のお墓がある。江戸時代から観月の地として有名だったので「月見寺」とも呼ばれる。江戸城内の平河口に創建されたが、神田・谷中を経て、宝永六年(一七〇九)年に現在の日暮里に移転したという。

太田道灌が斥候台を築いたところと言われ、道灌物見塚跡(道灌丘碑)がある。確かにこのお寺は見晴らしの良いところで、荒川区一帯を眺めることができる。道灌山という地名も残っている。昔は、お寺が城郭や斥侯台の役目を果たすことがあったらしい。京都の知恩院も京都防衛のための城郭の役割も果たしたと言われる。

小林一茶の「陽炎や道灌どのの物見塚」「刀禰(とね)の帆が寝ても見ゆるぞ青田原」や、種田山頭火の「ほっと月がある東京に来ている」などの句碑もある。これは、二十世の住職・日桓(にっかん)上人(俳号・一瓢)が多くの俳人と交流があったためという。一茶はしばしばこの寺を訪れと伝えられる。昔はこのお寺から利根川を航行する舟の帆までが見えたということである。また、今は住宅とビルがぎっしりと建ち並んでいる一帯も青い田んぼだったということである。

ちょうど満開のしだれ桜を見る。谷中の行きつけのお店で一杯。この辺は安くておいしい店が実に多いのでありがたい。

谷中は寺町であるが、何故か日蓮宗のお寺が多い。江戸幕府の政策であろう。本行寺の近くには、延命院というやはり日蓮宗のお寺がある。このお寺は歌舞伎にも登場する。破戒僧と大奥女中の物語である。

帰宅後は資料の整理など。

「暑さ寒さも彼岸まで」という言葉を実感する今日この頃である。むしろ暑さがもう始まったと言った方が良いかもしれない。

| | トラックバック (0)

2009年3月21日 (土)

千駄木庵日乗三月二十日

午前は、父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後は、在宅して『政治文化情報』発送作業。完了。購読者の皆様には週明けにお届けできると存じます。

その後は、資料の整理など。

           ○

小沢一郎氏は、「企業・団体献金を全面的に禁止すべきだ」と言った。また、「検察と全面的に戦う」と表明しているという。「盗人猛々しい」という言葉を思い出した。小沢氏は、これまで散々企業から金を巻き上げ、ため込んでいるから、あと一回か二回の選挙は企業献金を受けなくても戦えるので、こういうことを言うのだ。

 

小沢氏は、自分が「コンチクショー」といわれるほど田中角栄・竹下登・金丸信の金権政治の継承者とされ、自民党幹事長として権力を謳歌していたにもかかわらず、平成五年に、旧田中派内の権力闘争に敗れて窮地に立たされると、「政治改革」を標榜して自民党を脱党した。そして正義の味方面して自民党攻撃を行った。 

今回の発言も、現在窮地に立たされていることを逆手にとって、自ら『企業・団体献金の全面禁止』などと言って、国民世論を味方に付け、窮地を脱しようとしているのではないか。小沢氏のこういうやり方が何としても許せない。私は先輩政治家を呼びつけて口頭試問したり、鈴木俊一氏を都知事の座から引きずり降ろそうとした小沢氏のやり方を見て、自民党脱党する前から小沢氏が大嫌いであった。

「企業団体献金禁止」については、民主党党首経験者の岡田・前原両氏は反対の意向のようである。小沢氏は速やかに党首を辞任し、鳩山由紀夫・菅直人両氏も身を引き、岡田・前原両氏などの世代に党首の座を譲るべきである。それが民主党のためである。

| | トラックバック (0)

2009年3月20日 (金)

千駄木庵日乗三月十九日

午前は、父母の所に医師が往診。その後父母のお世話。訪問看護師と共なり。

午後一時半より、豊島区立千早地域文化創造館にて、「萬葉會」開催。小生が『萬葉集』巻十五に収められた遣新羅使の歌及び狭野茅上娘子の歌を講義。

この後、鶯谷駅にて知人と待ち合わせ。東叡山寛永寺に参拝。
厳有院霊廟(げんゆういんれいびょう・徳川幕府四代将軍徳川家綱の霊廟)常憲院霊廟(じょうけんいんれいびょう・徳川幕府五代将軍綱吉の霊廟。松竹梅、鳳凰等の彫刻が見事な門は国指定重要文化財)・根本中堂(本堂・本尊は薬師如来)、上野戦争碑記(明治四五年建立・阿倍弘蔵撰文。実際は明治七年に碑文は出来ていたのだが、新政府の意向により石碑建立は明治四五年になったという)などを案内する。

帰途、谷中にて懇談。

帰宅後は、「政治文化情報」発送準備など。

         ○

上野戦争は、新政府軍と彰義隊との戦いである。「上野戦争碑記」によると、彰義隊は、天朝に反逆するという意思はなく、朝廷を利用して徳川幕府を打倒せんとしている薩長二藩と断固として戦うという姿勢であったという。ところが、実際に上野山を攻めて来た新政府軍には、薩長などのいわゆる西南雄藩だけではなく、尾張徳川・水戸徳川・津・彦根という徳川御三家・親藩の軍も加わっていた。むしろこれらの藩が先頭をきって上野山に攻めて来た。その結果、徳川将軍家の菩提寺・東の比叡山としての権威を誇っていた東叡山寛永寺の堂塔伽藍の殆どは戦火で焼失してしまった。幕府存続を願った彰義隊の行動はかえって逆の結果を招いたと言えようか。悲劇の戦いであった。

この後、彰義隊の生き残りの一部は東北に逃れ、奥羽列藩同盟加わったという。奥羽列藩同盟はその盟主に輪王寺宮公現法親王(のちの北白川宮能久親王。東叡山寛永寺貫主)を推戴した。これについては色々な説がある。

徳川幕府は、朝廷との間で何か事が起こった場合の「人質」として、親王を寛永寺の貫主に戴いたとか、いざという時は、京都の朝廷に対抗して、輪王寺宮を天皇に推戴するつもりだったなどという説があるが、どこまで真実だかわからない。

しかし、徳川幕府が自己の権威づけに、朝廷を利用したたけでなく、将軍の墓を、上御一人の御陵よりも規模が大きいものにしたことは事実である。それは、京都泉涌寺に鎮まりまします徳川時代の御歴代天皇の御陵と、寛永寺・増上寺の歴代将軍の墓を比べれば明白である。親王様に徳川将軍家菩提寺の住職になっていただくなどというのは不孫・不敬の極みと考える。徳川時代は天皇中心の國體が隠蔽された時代であったことは事実である。

| | トラックバック (0)

2009年3月19日 (木)

千駄木庵日乗一月十八日

午前は父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後一時半より、三田にて開かれたある会合にてスピーチ。

帰宅後は、書状執筆・『政治文化情報』発送準備。

       ○

台湾のある大学教授の方からのお手紙への返信に次のようなことを書かしていただきました。

『ご高説大変勉強になりました。わたくし、ここ数年近く貴国を訪問致しておりませんので、今日唯今の貴国の様子を実際に肌で感じることができません。東京で接する台湾の方々は、殆ど親日にして台湾独立派の方々ばかりです。しかも、日本在住の方が殆どです。一体、今の台湾国民、特に若者たちが何を考え、いかなる生活をしておられるのか、実際に知ることはできません。大変残念に思っております。

台湾人であろうと何処の国の人であろうと、戦争や混乱を望む人はいません。共産支那はそこが狙い目なのだと思います。「言うことをきかないと、最終的には武力に訴えるぞ」という姿勢を示すことによって、台湾を恫喝しているのです。それに対して、日米は、台湾を支援する効果的な策をとっていません。アメリカは台湾海峡が揉めてほしくないという姿勢です。日本も共産支那には言いたいことも言えない状況です。

わたくしも二・二八は、大和魂を持った台湾人が、支那人と戦った戦争であったと思っております。そういう世代の方々が次第に少なくなっていくことは本当にさみしいかぎりです。さみしいというよりも台湾の将来にとって大きな痛手です。それは日本も同じで、大東亜戦争を経験した先輩方が本当に少なくなってきております。終戦の時、陸軍中尉だった父も今年九十歳です。

貴国も日本も不景気ですが一応繁栄しています。戦後世代はその「繁栄」と「平和」(本当は平和ではないのですが…)に慣らされてしまい、国家意識がなくなっているのです。自由民主体制は大変結構なのですが、精神的に堕落するという欠陥があります。日本にも台湾にも「平和で豊な生活を壊したくない。戦争は真っ平だ」という観念が横溢しているのだと思います。そして侵略者の平和破壊を恐れて、祖国の独立と真の意味の平和を失おうとしているのです。

台湾で問題なのは、憲法が「中国製」であり国歌も「中国製」であることです。(日本の憲法もアメリカ製ですが…)一日も早く「中華民国体制」を打倒しなければならないと思います。

私は、台湾が民主化したら、すぐ独立を宣言すると思っていました。しかしそうはならなかった。民進党・陳水扁政権がだらしなかったと批判することは簡単ですが、あの共産支那を相手に、それを断行するのは大変なことです。日本もアメリカも台湾独立を支援しなかった。むしろ反対したのですから、民進党政権だけを責めるのは酷かと思います。

とにかく、何とか、日台が強固に結んで、「中華帝国主義」を打倒しなければなりません。

この度は本当に有難うございました。』

          ○

最近受贈した書籍を紹介させていただきます。

「いのち燃ゆ・乃木大将の生涯」近代出版社 高山亨乃木神社宮司より

鈴木邦男著「『蟹工船』を読み解く」データハウス発行 著者より

宮内瑞生氏著「誰も書かなかった神武天皇と卑弥呼の関係」髙木書房発行 著者より

鎌田茂雄氏著「新・中国仏教史」大東出版社 佐抜邦一氏より

寄贈賜りました皆様に衷心より感謝申し上げます。勉強させていただきます。

| | トラックバック (0)

2009年3月18日 (水)

千駄木庵日乗一月十七日

朝、父に付き添って病院に赴く。今日は定期的な診察と治療。

昼、知人と懇談。

午後は、ある歌手の方と懇談。近く開かれる発表会で、昭憲皇太后の御歌と『萬葉集』の大伴家持の歌に曲をつけて歌唱するとのことで、相談。また小生の六十二歳のお祝いをいただく。

午後七時より、高田馬場のホテルサンルートにて、『一水会フォーラム』開催。伊波新之助氏(ジャーナリスト・元朝日新聞編集委員)が講演し、「金融危機は、実体経済にまでマイナスの影響が出ている。小学校四年の時に終戦を迎えたが、日本国全体が狼狽するということはなかったと思う。一九七三年の石油危機の時に、日本国民は狼狽した。日本は石油がアキレス腱。石油と鉄を止められたことで日米戦争に突入した。戦後復興は方々の国が垣根を作らないで日本製品を買ってくれたから実現した。日本くらい自由貿易の恩恵を受けた國はない。保護主義は駄目。

明治天皇は、明治三七年「よもの海みなはらからと思ふ世になど波風のたちさわぐらむ」というお歌を詠まれた。昭和天皇は昭和十七年に「西ひがしむつみかはして榮ゆかむ世をこそいのれとしのはじめに」というお歌を詠まれた。どこの国とも仲良くやりたいというのが皇室のお考え。

信長がキリスト教の布教を認めたので、大名をはじめ多くの人が教会に土地や金を寄進した。キリスト教会は、教会の土地建物はポルトガルのものだとして、年貢を納めようとしなかった。そこで秀吉はキリスト教を禁止した。家康は鎖国した。

中国は『東アジア共同体』をやろうとしている。日本はアメリカに遠慮し、中国に馬鹿にされている。中曽根はアジア共通の通貨を作ろうと言った。共同市場は難しい。アジアは欧州のように均一ではない。しかし協力体制は作っても良いのではないか。

欧米によるアジア植民地支配に反発して、大アジア主義が興った。大アジア主義は右翼の道統。日本がアジアの盟主になるというのではなく、共にやっていくということ。

中国は軍備を強化して、空母二隻を作ろうとしている。日本は空母によって真珠湾攻撃を行い、英国の不沈戦艦二隻を沈めた。今日、世界に二十一隻ある空母のうち十一隻がアメリカ。中国が空母を作ったら、日本も空母を作ると宣言すれば良い。中国が石油を掘削したら、日本も掘削すれば良い。

日本は何時までもアメリカの子分であってはいけない。雄々しい気持ちを持てと言いたい。許世楷台湾前駐日代表は早稲田大学の同期で親友。独立運動で日本の警察に目をつけられていた。いざとなったら私の家にかくまおうと思ったこともあった。」などと語った。

終了後懇親会。

          ○

伊波氏は、朝日新聞の中の民族派と言われた人物である。伊波氏は、講演会においてもその後の懇親会においても、対支那問題のみならず、西松建設による違法献金事件などで実に興味深いことを語られたのだが、オフレコであると念を押されたので、まことに残念ながらここに書くことができない。

大アジア主義の理想は大変素晴らしかったし、今日においても、わが国はアジアの真の平和のために貢献しなければならない。しかし、わが国が支那大陸に深入りすることは危険である。歴史を顧みても、大陸に深入りすることによって日本は大変な苦労を背負いこむこととなった。

日本は海洋国家として、同じ海洋国家と提携して行くべきだという意見に私は賛成である。支那とは政治経済の面であまり深い関わりを持つべきではないと思う。対米自立とは支那大陸への深入りと同義語であってはならない。アメリカ覇権主義とともに中華帝国主義も撥ね退けなければならない。

|

2009年3月17日 (火)

千駄木庵日乗三月十六日

午前は父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後からは在宅して書状執筆・資料整理など。

         ○

漆間巌官房副長官が、西松建設による違法献金事件について「自民党の方にまで波及する可能性はないと思う。あの金額で違法性の認識を出すのは難しい」と発言したと報道された。この「発言」は「検察の捜査が公正中立・不偏不党であることに疑念を抱かせる」「本来検察の捜査に関与する立場にない政府高官が検察の捜査情報や証拠を知っていたのではないかという疑念を抱かせる」「政府高官がマスメディアの前で『自民党への捜査はない』と断言することは検察への間接的な圧力になる」という批判が巻き起こった。民主党および民主党を擁護する勢力はここを先途とこの発言を取り上げて、政府及び検察攻撃を行っている。

今回の検察の摘発があたかも自民党の意向によって行われたいわゆる「国策捜査」であるという論議がまことしやかにまかり通っているのは、オフレコとは言え、まことに不用意な漆間福長官の発言が原因である。この発言によって、小沢一郎氏側への検察の捜査・追及がやりにくくなっているのではないかという危惧を抱く。巨悪の摘発が出来なくなるとしたら、漆間氏の責任は重大である。「特定の政党の名を挙げた記憶はない」と釈明したようだが、この「記憶にない」という表現がくせもので、自分に不利なことはこの台詞でごまかすということはこれまでよく行われてきた。

メディアへのリップサービスだったのだろうが、今のメディアとくに「朝日新聞」などが、自民党政権打倒・民主党を中心とした野党勢力の政権奪取キャンペーンを張っていることを考えれば、このような発言は厳に慎むべきであった。漆間氏は警察官僚である。「おしゃべり伝六」であってはならない。「むっつり右門」であらねばならない。

内閣官房副長官(事務担当)とは、官僚のトップで、これまで警察官僚からこのポストに就いたのは、私の知っている範囲では、岡崎英城・石岡実・後藤田正晴・川島広守の各氏である。皆それぞれそれなりの人物であったようだ。ただし後藤田は評価できない。漆間氏はせっかくの地位に就いたのに、大きな失敗をしてしまったということである。政治家への道は無理になったと思う。

| | トラックバック (0)

2009年3月16日 (月)

千駄木庵日乗三月十五日

午前は、父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後は、日本橋高島屋にて開催中の「上村松園・松篁・淳之三代展」参観。

「日本橋高島屋美術部創設百年を記念して、日本画の正統ともいうべき上村家三代の画業を一堂に展観致します。格調高い美人画を描き続けた上村松園、写実性を追及し花鳥画を極めた松篁、花鳥画の世界を追究する淳之に受け継がれる真・善・美の極致を極めた松園の精神は、混迷する現代に日本人としての凛とした誇りを呼び覚ましてくれるかのようです」(案内書)との趣旨で開かれたもの。

松園の「花がたみ」「虫の音」「春の野図」、松篁の「芥子」「月夜」「閑庭迎秋」、淳之の「晨」「舞う」「雁金」などを見た。親・子・孫の三代が、画家として大成しそれぞれ後世にのこる見事な絵を描いているというのは稀有なことである。三人とも丁寧な写実が基本にあるが、それぞれ個性的な美の世界が構築されている。美人と花鳥風月を描いたこれだけ数多くの大作を一度の見たのは初めてであった。

会場で流されていたビデオで、上村敦之氏も同じようなことを言っておられたが、ヨーロッパの美術とくに絵画・彫刻は人物を描いているが、花鳥風月を描いたものはない。西洋人は自然というものは人間が支配するものであるとして蔑視していたからであろう。日本人は自然と共に生き、自然を大切にして来たから花鳥風月の絵が多く描かれたと思う。松園の美人画はヨーロッパの人物画とは異なり、自然と共に生きる美人の姿が描かれている。

午後六時より、市ヶ谷の私学会館にて、「蔡英文・台湾民進党主席東京講演会」開催。何康夫在日台湾同郷会会長・許世楷前台湾駐日代表が挨拶。

蔡英文主席が講演し、「民進党政権八年間の成果は台湾人意識が成長したこと。二千三百万台湾人が主権を有しているということが、台湾最大のコンセンサス。馬英九政権になってこの当たり前に事がおろそかになった。民進党政権は多元的かつ開かれた社会をつくった。政治的立場で弾圧を受けることはなくなった。馬政権になったらこれが後退した。司法によるハラスメントが起っている。馬政権は台湾を封鎖する中国に抵抗する意思はない。二〇一二年に民進党は必ず政権を取る。

民主・人権・安保の関係で、日本との健全な関係を持つべきと考えている。民進党は日本に親近感を持っている。台湾と日本は民主主義の同盟国として、アジアの繁栄に貢献して来た。

自信を持つ台湾人がいて、自身のある台湾になる。二千三百万の台湾人が台湾の将来を決定する。政権が中国に傾斜すると中国から脱することができなくなる。民進党が早く政権に戻ることが重要。国民投票を確固たるものにすることが台湾の主権を守る。

司法制度は遅れている。司法に関わる人々への人権保教育、民主主義教育が遅れている。」と語った。

帰途知人と懇談。

帰宅後は、諸雑務。

            ○

台湾は一日も早く「中華民国」体制を打倒し、「中華民国憲法」を廃し、台湾国を建国しなければならない。台湾独立を目指す集会で、団結を誇示する「建国のための歌」が全員で合唱されないのはさみしいことである。政治運動には「歌」が必要不可欠である。

| | トラックバック (0)

2009年3月15日 (日)

千駄木庵日乗三月十四日

午前は父母のお世話。訪問看護師方と共なり。

午後二時より、日本プレスセンターにて、「平成国際大学社会・情報科学研究所講演会-憲法と安全保障―田母神論文とシビリアン・コントロール」開催。慶野義雄平成国際大学教授が挨拶。高乗正臣同大学教授が座長。印象に残った登壇者の発言は次の通り。

百地章日本大学教授「田母神氏は統幕議長に就任予定であった。防衛庁汚職再発防止のために制作されたビデオで、制服の自衛官が賄賂を貰う筋書きになっていたことに、田母神氏が憤懣やるかたなく、反発した。そのことを根に持った防衛庁高官が、田母神氏更迭に動いた。

参考人招致に於ける田母神氏の態度は立派だった。招致した参院の委員長は田母神氏の発言を封じた。

政府見解と異なる見解を発表したら更迭というのは行き過ぎ。自衛隊では、防衛監察という名の思想調査が行われている。民主党の要求により、アパグループとの関係について全自衛隊員を対象に調査している。これは思想信条の自由を侵しかねない。

国民の六割は田母神発言を支持。昭和二六年、自衛隊設置の時に『文民統制』という言葉が登場。旧内務官僚は背広組が制服を統制するようにした。軍は信頼できないという思いが背景にある。しかしスターリンもヒトラーも文民だった。政軍関係をきちんと確立しなければならない。プロフェッショナルに色々意見を出させた上で、政治が判断するのが正しい。

軍人を一方的に抑えつけるのは問題。小沢一郎は「そういう主張(歴史観)の持ち主であることを知りながら、航空幕僚長に任命した政府に非常に大きな責任がある」と言った。憲法十九条に『思想及び良心の自由は、これを侵してはならない。』とある。『村山談話』が踏み絵のようになっている。

政府は、『国策の誤りを具体的に特定できない』とし、『侵略は確立した定義はない』としている。『村山談話』はいかがわしい文書。田母神論文は『村山談話』よりまとも。思想・信条の自由について深刻な問題を惹起したのが田母神論文問題。特定の歴史観を閣議決定して政府公式見解としてしまうのは、憲法違反の問題が出て来る。」

吉原恒雄拓殖大学教授「私は三十年間時事通信の記者をしていた。村山富市は信用できない人。田母神論文問題で、表向きは保守の顔をしていた人の本性が現れた。防衛大学校長がその典型。彼は『「ポツダム宣言」で日本は無条件降伏した』と平気で言った。『ポツダム宣言』を読んでいない。

スターリンやヒトラーは軍を支配の道具として利用した。政治が軍に過剰に介入すると必ず失敗する。軍人も政治任命されるとシビリアンになる。軍事も広い意味の政治の一部。軍を弱体化することによって、軍の危険性に対応するのがシビリアンコントロールに非ず。

議会制民主主義国家は三権が分立している。四権分立・五権分立でもいい。統帥権独立自体が悪いとは言えない。左翼は教育権独立と言っている。法務行政は法務省がやり、裁判は裁判所がやる。

戦前は、軍政は陸海軍省がやり、実行は相対的に独立した軍がやった。イギリスは軍の最高指揮権は君主にあり、実行するのは首相。米仏は大統領。

社共の本音は護憲ではない。革命が成就したらプロレタリア独裁をする。

国家安全会議設置に後藤田は反対した。食の安全、交通安全は良くて、何故国家安全は良くないのか。政治家は視野が広く、軍人は視野が狭いというが、金丸信元防衛庁長官、浜田防衛庁長官を見るとそうは思えない。シビリアンが賢いからコントロールするのではない。

内局の官僚も、自衛隊法では自衛官。政治には党派性があり、それが軍に入って来てはいけないと言われる。軍が政治に利用されないために中立性が求められる。どんな問題でも政治家の言いなりになるというのではない。

軍は、国家の存立、祖先が大切にしてきたもの、建国の理想を守る。建国の理想に反する政府が出来ようとすれば、軍がこれに抵抗するのは当たり前。」

帰途、知人と懇談。

帰宅後は、「政治文化情報」の原稿執筆。完成。送付。

         ○

自衛隊は国軍にしなければならない。国軍は何を守るのか、忠誠の対象は何か。それを明確にしない文民統制は特定党派による軍の支配になる。また、「村山談話」などという誤れる歴史観を自衛隊員に強制することは許されない。

| | トラックバック (2)

2009年3月14日 (土)

千駄木庵日乗三月十三日

午前は父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後からは在宅して「政治文化情報」の原稿執筆。

         ○

九日の「論語」の勉強会で、「中国」という言葉は固有名詞ではないということを教わった。支那だけが「中国」ではないのだ。わが国も「中国」なのだ。

支那人自身が自分の国を「中国」と呼称するのは自由である。しかし、支那がわが国に対して「支那と呼ばずに中国と呼べ」と強要するのはおかしいし、それに唯々諾々と従う日本人もおかしい。「中国」という言葉が普通名詞なのだからそれは当然である。

「中国という言葉はすでに定着しているのだから、中国を刺激してまで無理に支那と呼称することはない」という意見があるが大間違いである。これはわが国の尊厳性・文化の独自性の保持、突き詰めればわが国の独立に関わる問題なのである。

世界の先進国で支那を「中国」と呼んでいる国は日本以外にない。どこの国も「支那(英語ではChina)」と呼んでいる。支那の強要によってわが国が支那のことを「中国」などと呼称する自体、わが国にとってこれほどの屈辱はないし、「日本は中国の属国であり冊封国だ」と認めることになり、わが国がとてつもない差別思想である「中華思想」を容認することとなり、「中華帝国主義」に侵略され併呑される原因となる。

わが國もまた「葦原中國(あしはらなかつくに)」即ち「中國」なのである。山鹿素行の『中朝事實』という著書がある。これは徳川時代初期に著されたもので、「日本は神國なり、天皇は神聖なり」という思想が根幹にあり、後世のいわゆる日本主義思想に大きな影響を与えた。

平泉澄氏は次のように論じている。「山鹿素行先生は…日本こそ他國にすぐれたる國であり、正しく中華といひ、中國といひ、中朝といふべき國であるとして、ここに日本の歴史を述べて、これに題して中朝事實といはれたのであります。…中朝事實こそは、長く外國の學問に耽り、外國の思想に惑ひたる後に、一朝目覺めて日本を發見し、日本の偉大に驚歎し、ここに眞の學問として日本學を樹立組織せんとしたる先哲の偉大なる足跡といふべきであります」(『日本學叢書 中朝事實』解説)と。

山鹿素行は我が日本こそ文化概念としての「中國」であって、支那は「中國」にあらずとの前提に立っている。『中朝事實』には「皇祖高皇産霊尊、遂に皇孫天津彦彦火瓊瓊杵命を立てて、葦原中國の主(きみ)と爲さんと欲(おぼ)す。…是れ、本朝を以て、中國と爲すの謂(いひ)なり」「本朝の 神代、既に 天御中主尊有り、二神(ふたはしらのおほんかみ)國の中の柱(みはしら)を建つれば、則ち、本朝の中國たるや、天地自然の勢なり」と記されている。 

再び言う。支那だけが「中国」であるのではない。わが日本も「中国」なのである。

| | トラックバック (0)

2009年3月13日 (金)

千駄木庵日乗三月十二日

午前は父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後からは在宅して「政治文化情報」の原稿執筆。

          ○

小沢一郎氏は、11日夜に都内で行われた民主党衆院議員の会合で、韓国資本による対馬の不動産買い占めに対抗して「今、円高だから済州島を買ってしまえ」と述べたという。そして小沢氏は、今日、「対馬を韓国資本が一生懸命買っているとの話があったので、日本だって韓国の土地を買えると言った。それはお互いさまだから。特定の話じゃない」と釈明した。こうした発言によって小沢という人が何でも金で解決するという体質の持ち主であることが分かった。

小沢一郎氏は昨年7月15日の記者会見で、「日韓両国で考え方の違いがあり、しっかり話をすべきだ。それを避けておいて教科書に載せるとか載せないというたぐいは筋道が違う」と政府を批判した。つまり小沢氏は、韓国が「竹島は日本領だ」と了解しない限り、わが国の教科書に「竹島は日本固有の領土である」と書いてはいけないと主張したのだ。これを売国発言と言わずして何というのか。

今回の検察の捜査が「国策捜査」だと批判する前に、小沢一郎氏が、国家基本問題についてこのような誤れる見解を持っている人物なのだということを我々は正しく認識する必要があると思うがどうであろうか。

| | トラックバック (0)

2009年3月12日 (木)

千駄木庵日乗三月十一日

午前は父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後は、「政治文化情報」の原稿執筆。

午後六時より、「九段下沙龍」開催。同志多数と、政治資金規正法・週刊新潮・タイにおける戦没者慰霊など当面する諸課題について討議。

帰宅後も原稿執筆。

           ○

小沢一郎氏と羽田孜氏が今回のことで、「安政の大獄だ」と語り合ったという。「大獄」とは、吉田松陰先生など百人以上の多数の人々が罪なくして、獄に入れられ、処刑されたことを言う。「小沢一郎氏の公設秘書たった一人が逮捕されたくらいで『大獄』はないだろう」というのが私の感想である。

小沢氏が自らを吉田松陰、梅田雲濱、橋本左内頼三樹三郎になぞらえているとしたら大変な思い違いである。小沢氏は、真に命懸けで国の変革のため戦っているとは思えない。ゼネコンと癒着したと指弾され、秘書が逮捕されただけのことである。あまり自分を買いかぶらない方が良い。

昨日も書いたが、最近の民主党を見ていると、民主党が政権を握ったら、反対勢力に対する政治弾圧を強行してくる可能性が高い。

旧田中派金権政治残存勢力、旧社会党・日教組・自治労というという社会主義・税金泥棒残存勢力を徹底的に排除した民主党にならない限り、民主党の政権掌握には賛成できない。民主党の反小沢勢力は何をしているのか。早く立ち上がれ、と言いたい。

| | トラックバック (0)

2009年3月11日 (水)

千駄木庵日乗三月十日

午前は父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後からは在宅して原稿執筆。

       ○

「朝日ニュースター」という番組で、亀井静香氏は「今回の小沢氏秘書の逮捕は、小沢一郎氏を総理にしてはならないという司法当局の意志が働いているのではないか。であるなら検察はその根拠を示せ」と言っていた。大変興味深い発言である。

私も亀井氏と同じく、日本の司法当局には、小沢氏総理就任阻止という強く大きな意志があると思う。警察官僚だった亀井氏は何かを知っているのかもしれない。検察・警察は小沢一郎氏を総理にさせたくない大きな事実を把握している可能性が高い。

小沢民主党は「民主党が政権を取ったらいったん各省庁の局長以上に辞表を書かせて、民主党に従わせる」という方針を明らかにした。法務省・検察庁・警察庁・防衛省に対してもそのようなことを行うとなれば、検察・警察・軍事の政治的中立が破壊される。

民主党や偏向マスコミは、今度の事件を「国策捜査」だとか言って騒いでいるが、民主党が政権を取ったら、まさに検察・警察を使って反対党を弾圧する危険があるのだ。参院で多数決で証人喚問しようとしたり、参院民主党が、検察トップの樋渡検事総長への事情聴取を検討しているという事実を見ると、ますますその危険を感じる。特捜の捜査を受けているから、検事総長を証人喚問しろなどというのは正気の沙汰ではない。血迷っている。

今日の記者会見で小沢氏は、「日本に議会制民主主義を定着させるために政権交代が至上命題。そのためには民主党が選挙に勝つことが大切。そのことを軸にして考える。」と言った。企業から違法な政治献金を受けること自体、議会制民主主義を冒瀆することである。小沢氏がこんなことを言うとはあきれた話である。

さらに小沢氏は「進退は最終的な結論が出るまで考えない」と語った。「最終的な結論」とは一体何か。まさか最高裁判所の判決が出るまでは辞めないという意味ではなかろう。ともかく、小沢一郎という人は、何を考えているか分からないし、何をするか分からない、ある意味で日本人離れした人物であり、危険である。

| | トラックバック (0)

2009年3月10日 (火)

千駄木庵日乗三月九日

午前は父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後は「政治文化情報」の原稿執筆など。

午後七時より、千駄木の養源寺にて、「おとなの寺子屋・論語の会」開催。東洋大学共生思想研究センターの野村英登氏(文学博士)が講義。次のように語った。

「天子・聖王が地上をどうやって統治して来たかを記すのが中国の史家の仕事。自然災害は神が人間に与えた罰・天譴という思想がある。四川大地震でもそういう考えが起った。元号が改まると世の中が一新する。

孔子以前の歴史を孔子が書いたのが『春秋』。司馬遷は孔子以後の歴史を書こうと決意した。歴史書は空言ではなく、事実を記して、何をしてはならないか、何をするのが正しいかを示すとした。『礼』は合意のルール。何が『礼』で、何が『義』であるかを学ぶのが歴史。

『中国』とは固有名詞ではない。世界の中心にある国という意。国境はあまり関係ない。日本も自分の国を『中国』と言う。

司馬遷は宮刑に処せられ宦官になった。『父母から貰った体を傷つけられた、子孫を残せない体にさせられた』というルサンチマンがあって『史記』を書いた。

『巨人の肩に乗って遠くを見る』というのが学問の姿勢。先行研究を大切にする。先行研究をおさえたうえで、物事を考えないと危険ということ。中国における正統とは、時の政権のこと。それに反対するのが異端。」と語った。

帰途、出席者と懇談。

帰宅後は、原稿執筆。

           ○

私は、出来る限り、支那のことを中国とは書かず、支那と書くことにしている。わが国も、「葦原中津国」であるからであり、「中朝」であるからである。中国という観念即ち中華思想に国境の観念がないというのが困りものである。どんどん支配地域を広げても構わないというのが支那の考え方となる。事実、モンゴル・満州・チベット・東トルキスタンを侵略支配している。そして近年は海洋に進出している。台湾も沖縄も支配下に置こうとしている。

ところで、偏向メディアは何としても自民党政権を潰したいと思っているようである。西松建設問題の報道を見ているとそう思う。それは漆間内閣副官房長官のオフレコ発言を公けにし、実名まで報道したことに端的に表れている。漆間氏もそういうメディアの姿勢を見抜けず、リップサービスを行ったのはまことに軽率であった。後藤田正晴の二代目になろうとしていたのかもしれないが、ちょっと無理だろう。

民主党の議員が国会で、麻生氏の先祖が経営していた企業の戦時中のことについて取り上げた。そしてそのことの報道で用意周到にも、オーストラリアに取材に行って、炭鉱で労働していたという老人の話を流した。これは民主党と連携して麻生氏攻撃を行ったと見るべきである。

戦前・戦時中の企業や個人の行動を今頃になって責め立てるのはおかしい。まさに反日行為である。朝日新聞も、NHKも、毎日新聞も、戦前・戦中はそれこそ「国策」に協力していたではないか。そのことも責め立てるべきである。

| | トラックバック (0)

2009年3月 9日 (月)

千駄木庵日乗三月八日

午半より、靖国神社境内の靖国会館にて、「二宮報徳会定例講演会」開催。清水政彦弁護士が「皇居への汚水流入問題と今後の対策について」と題して講演した。

皇居への汚水流入問題とは、一定量の雨が降った時、汚水が流れ込むことによって皇居内濠の水質が悪化している問題である。内濠には千鳥ヶ淵、桜田濠、清水濠にある四カ所の排出口から、下水が流れ込んでいるという。千鳥ヶ淵は日本で最も汚い濠になっているという。外濠は十カ所から流入しているという。

東京都は、千鳥ヶ淵、桜田濠の排出口について、新たに下水管を整備して下水の放流先を隅田川に切り替える方針である。しかし、外濠については周囲を地下鉄が走っているので困難としている。早期改善計画に対して下水道局は抵抗、環境省は事実を隠蔽、マスコミは無視しているのが現状だという。

皇居のお濠が汚染されているなどということはあってはならないことである。今後、この問題解決に行動を起こしていこうということで出席者が合意した。

帰宅後は、書状執筆・資料の整理など。

        ○

次号の「政治文化情報」では、日本傳統信仰が世界の危機に対してどのような役割を果たすことができるということを論じたいと思っている。皇室の祖先神であられ太陽神であられる天照大御神はじめとした天神地祇への日本民族の信仰が、世界的・時代的にどのような意義を持つかということを書かせていただくつもりである。

一神教と多神教・民族宗教と世界宗教という区分けは、西洋の宗教学によるものと思われる。そういう枠を超えるものが、日本傳統信仰にはあるのではないかというのが私の考えである。

| | トラックバック (0)

2009年3月 8日 (日)

千駄木庵日乗三月七日

午前は父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後二時半より、大手町の経団連会館にて、「日韓文化協会・昭和経済研究所共催セミナー」開催。長谷川慶太郎氏が講演し、「アメリカの二月の失業率は八・一%、六百万人。毎月六五万人づつ失業者が増えている。

現在の危機・不況は、二一世紀になって政治経済の流れが変わったことが原因。二〇世紀は戦争と革命の世紀だったが、二一世紀は平和と安定の時代。その結果デフレになった。戦争がないから人が死なないで、物が溜まっていく。値段が上がらないからデフレになる。簡単明瞭な理屈。デフレは長期にわたって続く。アメリカの消費が縮小した。コンビニ・スーパーのコストに関係ない値引き合戦がデフレ時代の特質。

定額給付金が進むと低所得層の自民党支持が増える。党首が犯罪を犯した政党と、定額給付金を通した政党とどちらを支持するか。来週早々の世論調査が楽しみ。

不況対策は公共事業投資と減税しかない。これが即効性がある。一九世紀後半の二十四年間(197396)デフレが続いた。このデフレの時期に、鉄鋼・石炭の生産が増えた。デフレは決して不況ではない。デフレは産業を衰退させない。

世界的規模の大型プロジェクトを展開するのが良い。プーチンは一昨年、ペトログラードにトヨタの工場を建設させた、十五万台生産している。現在、第二工場建設中。ナホトカからペトログラードまでの新幹線建設計画もある。これから世界全体でデフレが進行。寿命が延びると、老人が精神文化の担い手になる。デフレは買い手にとって極楽の世の中。九五%が買い手。

研究開発に取り組んだ企業が残る。トヨタは間もなく世界一の生産台数になる。GMはもうすぐ破産し、トヨタがGMを再建する。韓国の企業全体の研究開発投資は一兆円。トヨタ一社に及ばない。

政治家がしっかりしなければならない。次の選挙が大事。政治家は、①七〇から八〇歳ではない人、②親の看板を引きずっていない人、③勉強する人、でなければならない。日本国民は決して愚かではない。

すべての物価は右肩下がり。その変化に対応できる企業が存続できる。デフレは始まったばかり。デフレは人類に貢献する。麻雀・カラオケ・ゴルフをやめて勉強せよ。周りの人に歩調を合わせては駄目。そういう人はデフレ時代では負ける。デフレ時代は個性が重視される。」と語った。

経済のことはよく分からないが、長谷川氏の話は勉強になった。幸いにして、私は、麻雀・ゴルフは一切しない。カラオケも最近はやらなくなった。家で一人で歌っている。個性は強い方である。強すぎると言われるくらいである。長谷川氏の説が正しいとすると、私は、デフレ時代に強い人間ということになる。ああ嬉しいかな。

帰途、知人と懇談。

帰宅後は、書状執筆、次の原稿のための資料検索など。

         ○

民主党が政権をとると、各省の局長以上に民主党への忠誠を誓わせるとか、各省庁に政治家を送り込んで責任のある部署に就かせるなどと言われている。これが官僚に危機感を持たせたと思う。

たしかに、法務省・防衛省・国家公安委員会警察庁に、民主左派・社民そして共産の政治家が入り込むこと、そして局長以上に民主左派・社民そして共産に対する忠誠を誓わせるというのは危険である。そんなことになったら日本は破滅である。民主左派・社民・共産連立政権だけは決して実現させてはならない。

| | トラックバック (0)

2009年3月 7日 (土)

千駄木庵日乗三月六日

午前は父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後からは在宅して、原稿校正・資料の整理など。

          ○

東京駅前の東京中央郵便局の建て替え計画に対し、鳩山邦夫総務相が局舎の歴史的価値を理由に反対している。年配の日本郵政社長を英雄気取りで面罵するようなことはあまり感心しない。やはり長幼の序は国務大臣といえどもわきまえるべきである。

しかし、皇居と東京駅との間に三十八階建ての高層ビルを建設するのはやはり反対である。こうして一つづつ超高層ビルが建設されてゆき、丸の内マンハッタン計画が進行していくことは、皇居の尊厳性を侵すことになる。

東京中央郵便局は昭和六年に建てられ、モダニズム建築の代表例として評価が高いそうだが、内部はよく知らないが、外観はそう大して美しい建物ではない。老朽化が進んだら建て直すのはやむを得ないだろう。しかし超高層ビルは困る。

三菱地所の所有である丸ビル、新丸ビル建て替えの時はこんな問題は起こらなかった。日本郵政も三菱地所と同じく民間企業である。しかし建て替えられた丸ビル・新丸ビルも高過ぎると思う。

建て替えられる前の丸ビル、新丸ビルにはよく行った。「恋の丸ビルあの窓あたり泣いて文書く人もある」と『東京行進曲』に歌われた。なかなか重厚なビルでも今のビルと違って天井も高く、トイレも広く、ゆったりとした感じであった。今でも懐かしい。新丸ビル地下のポールスターというレストランには、昼食をとりに週に一回は言った。今は昔の思い出である。商店もいわゆる老舗というのが多かった。

話は変わるが、「政府高官」とは一体どういう人のことを言うのか。また、「国策捜査」とは一体どういうことを言うのが。これが分からない。

辞書によると「国策」とは「国の政策。特に、一般の政策に対して、国家の基本的方針の意で用いられる」と書かれている。司法機関が違法行為を捜査するのは当然のことであって、すべての捜査は「法治国家」の「国策」であろう。ただし、政権党の意向によって罪の無い人を罪に陥れるということは絶対にあってはならない。しかし、戦前ならともかく、現代日本の司法制度に於いてそんなことを実際に行うことは不可能だと私は思う。メディアや民主党がまず行うべきことは、真相の解明である。

収益を追求する企業が何の見返りもないのに、あの手この手を使って多額の献金を特定の政治家にするはずがない。企業というのは、自分の利益に結びつくか、企業宣伝・企業防衛のためにならない限り、お金を出すということはまずあり得ない。これが常識である。

| | トラックバック (0)

2009年3月 6日 (金)

千駄木庵日乗三月五日

午前は、父母の所に医師が往診。その後訪問看護師と共に父のお世話。ケアマネージャーが来宅し、父母の今後の介護について相談。

午後は、丸の内の出光美術館にて開催中の「近代日本画のロマン 小杉放菴と大観 ―響きあう技とこころ―」展参観。「洋画家としての名声をほしいままにしながら日本画に転じた小杉放菴と、日本画家・横山大観の作品展。「自らの画業模索の時期にあって、洋画に新境地をたのんだ大観。東洋の精神を愛した洋画家・放菴。運命的な出会いを果たした二人は、日本美術史に一大事件を起こしました。…歴史上では切り離せない二人ですが、二人の交流を描いた展覧会は何故かほとんどありませんでした。放菴と初代館長、出光佐三の交友によって築かれた出光コレクションの放菴作品は、国内屈指の質・量であるだけでなく、放菴と大観が生きた激動の時代に集められたものでもあります。本展では、画技を磨きあった大正時代の二人に焦点をあて、二人の画風が近づき、また離れて、それぞれの個性が輝いて昇華してゆく美の過程を約80件の作品で紹介します。洋画と日本画の心地よいハーモニー。共に『東洋』に憧れ、日本の自然を愛した二人の心のふれあいでたどる展覧会です。」(案内書)との趣旨で開催された。

小杉放菴の「天のうづめの命」「太宰府大伴家持卿讃酒像」 横山大観の「月下逍遙」など素晴らしい作品を見た。放菴も大観も日本と支那の古典に関する理解が深く、愛国者であったと感じられた。面白かったのは、「天のうづめの命」のモデルは、笠置シズコだった事である。「天のうづめの命」は、昭和二十六年の制作で、日本の復興を祈って、「天の岩戸開き」の神話を描いたものと思われる。色彩豊かな美しい作品である。

出光美術館からの眺めも素晴らしい。九重の緑が眺められ、桜田門と楠公像を見ることができる。そう高い建物ではないので、皇居の尊厳性を侵してはいないと思う。

夕方は知人と懇談。

帰宅後は資料の整理、書状執筆など。

          ○

何回も書くようだが、野党第一党の党首、次期総理と目される政治家の政策秘書を逮捕するからには、余程の確証があるからだと考えるべきである。小沢一郎氏だけが主張するならともかく、民主党全体の公式の見解として、「国策捜査だ」として検察を批判するのはどうかしている。

今、言われている「国策捜査」とは、政権与党の意向に従って検察が特定の政治家などを逮捕するという意味である。私は、今の検察が自民・公明両党の意向にそって権力を行使することはないと思う。はっきり言って、検察はそんなに甘くはないし、そんなに腐ってはいないと思う。

菅直人・鳩山由紀夫・輿石某の責任は大きい。その点、前原誠司はまともな見解を示していた。次の民主党党首は、国防・安保でもしっかりとして見解を持っている前原氏の再登板が良いと思う。一国の総理を詐欺師呼ばわりしたのはどうかと思うが…。

| | トラックバック (0)

2009年3月 5日 (木)

千駄木庵日乗三月四日

午前は、父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後は、ある歌手の方と懇談。近く開かれる歌の発表会で「萬葉集」の春の歌を歌うとのことなので、大伴家持の次の歌が良いのではないかと申し上げた。

春の苑 紅にほふ 桃の花 下照る道に 出で立つをとめ

「紅に色づいた春の苑に咲き誇る桃の花の下の春の陽に輝いている道に出て立つ乙女よ」という意である。天平勝宝二年、家持が三十歳頃の歌。桃の花と乙女の美しさが絵画的に歌われている雅やかにして唯美的な歌である。

その後は資料の整理。

           ○

小沢一郎氏の記者会見をニュースで見た。検察批判を大声で展開していたが、「悪い奴ほどよく吠える」(丁度今テレビで黒澤明の『悪い奴ほどよく眠る』という映画を放送している)という思いがした。これからどんどん新事実が明らかになり、もしも小沢氏自身にまで司直の手が及ぶようになったら、「引かれ者の小唄」を歌うことになりはしないか心配である。

民主党の議員も情けない。誰一人小沢を批判する人はいない。「検察より党首を信じる」と公言する議員までいた。自民党議員は、麻生総理に対してどんどん批判したり、反旗を翻している。民主党議員は小沢に頼って選挙を戦わなければ議席が守れないと思っているからなのか。特に日教組出身の輿石とかいう男はどうかしている。

私が小沢のことを嫌いな理由は、自分は田中角栄・金丸信という二人の金権政治屋の悪しき体質をそのまま受け継いでいるくせに、改革者を気取っているところにある。まさに偽善者である。小沢に自民党を批判する資格は毛筋の横幅ほどもない。まして、検察批判などおこがましい限りである。

| | トラックバック (0)

2009年3月 4日 (水)

千駄木庵日乗三月三日

朝、父に付き添って病院に赴く。定期的な診察と治療。

昼は、高校生時代からの長年の同志友人と懇談。

帰宅後は資料の整理など。

         ○

昨日、田中土建屋政治の亜流が跳梁跋扈していると書いたら、今日、小沢一郎氏の公設秘書が逮捕された。このニュースを聞いて、

「つひにゆく 道とはかねて 聞きしかど 昨日今日とは思はざりしを」

という在原業平の歌を思い出した。小沢氏本人が何の釈明もせず、鳩山由紀夫氏が記者団に色々話しているのを見て、小沢という人は無責任だと思った。大きなマスクをしている姿にも嫌悪感を覚えた。

鳩山氏や山岡賢次氏は「陰謀だ」「国策捜査だ」とか言っていた。何とも聞き苦しく見苦しいコメントである。野党第一党党首・次期総理と目される人の公設秘書を、検察が何の証拠もなく、法律違反の事実なくして逮捕するはずがない。また、今この時期に逮捕したのは、時効が迫っていることと、証拠隠滅の恐れがあったからである。否認されても起訴できる動かぬ証拠があるから逮捕したと見るべきである。(ただし起訴されたからと言ってその人が有罪になるとは限らない、ということは書いておかねばならない)小沢民主党は、検察批判をする前に、疑惑解明をするべきだ。馬鹿でかいマスクをすればいいというものではない。

土建屋政治の残りカスが、「改革」だとか「生活第一」などと言って、政権を取ろうとしていること自体許されざることだ。

以前ある民主党所属の国会議員がニセメール事件についてだったと思うが、「民主党はチャンスをピンチに変える」と言っていた。今回もまさしくそうなった。

小沢一郎という人の仮面が剥がれることは良いことである。自民党政権打倒を目指す偏向メディアやそれに踊らされている国民は、小沢一郎が田中角栄の愛弟子であり、秘蔵っ子であったことを忘却してきた。

しかし、これで自民党が万々歳と思ってもらっては困る。自民党議員に波及する恐れはあるし、資金集めの手法ということでは、小沢と同類と思われる人が自民党にもいると思うからである。ともかく、現代日本は根底から廓清しなければならない。

| | トラックバック (0)

2009年3月 3日 (火)

千駄木庵日乗三月二日

午前は父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後からは在宅して書状執筆・資料整理など。

         ○

ある衆院議員の方から電話をいただき「昔は、総理大臣などの政界の實力者には、安岡正篤とか四元義隆とか指南番といわれる人がいた。最近そういう人がいなくなったことが政治の混迷の原因の一つではないだろうか」と言われた。たしかにそういうことは言えるかもしれない。

安岡・四元両氏の評価は色々あるだろうが、安岡正篤氏の本は何冊か読んだが教えられるところが多かった。政治家は権力闘争・金集め・選挙などに明け暮れして、人としてのあるべき姿、行うべき道、正しき国家観・歴史観などを忘却したり軽視したりすることが多いのではないだろうか。そういう時、政治家を指導できる人の存在は大切である。

現代政治は混迷している。政治家の質の低下はひどい。私は、他人様の人格や生き方をあれこれ批判する資格はない。しかし、田中角栄という人が総理大臣になってから、日本の政治はおかしくなったと思っている。性急な「日中国交・台湾切り捨て」「金権腐敗政治」が、どれだけその後の日本をおかしくしたか計り知れないものがある。田中角栄に、思想性のある指南役がいたという話は聞いたことがない。田中の「日本列島改造」などという神を畏れぬ発想が日本を悪くした。自分の愛人に政治資金の管理を任せるなどというのは言語道断である。土建屋などの小企業の社長が自分の愛人に会社の経理を任せるのと同じである。こういう政治家はどんなに人間的に面倒見が良いだの魅力があるなどと言われても、やはり総理の器ではなかったのである。田中政治は理念も国家経綸もない薄汚れた政治である。今日は詳しくは論じないが、その後の三木武夫もおかしかった。

私は日本のおかしくしたのは、田中と三木であると思っている。そしてその亜流が今の政界を跳梁跋扈している。

| | トラックバック (0)

2009年3月 2日 (月)

千駄木庵日乗三月一日

午前は父母のお世話。

午後は資料の整理など。

午後六時より、市ヶ谷の私学会館にて、「二・二八記念講演会」開催。登壇者の印象に残った発言は次の通り。

金美齢さん「台湾も日本もポピュリズムにすっかり侵されている。自由民主は大切なシステム。これ以外にない。しかし頭数が選挙を決する。有権者の意識が衆愚に陥ることがある。昨年の台湾総統選挙と今の日本の状況は似ている。この前の参院選で『姫のトラ退治』という状況で風が吹いた。今の日本の政治家には、日本はどういう国を目指すのか、外交戦略はどうあるべきかということは頭の中にない。次の選挙で勝ち残ることだけ。日本が駄目になったら、この地域は全滅。」

許世楷前台湾駐日代表「今日の集会が大集会にならないのが残念。台湾人がどれだけ団結できるかが問題。『中華民国体制打倒』『中国の台湾侵略反対』のために総統になるのだとはっきり表明してもらいたい。生まれが台湾人でも中国と一緒になろうとすれば中国人。次の選挙は中国人と台湾人との闘い。」

黄文雄氏「台湾の民主政治が危機に直面している。馬英九政権になって台湾の経済成長率は急落。対中投資が一番大きな原因。資本・技術・人材が中国に流れて行った。百年間蓄積された台湾の技術が中国にコピーされた。中国の改革開放以来、累計で三百万人の台湾人の人材が中国に行ってしまった。イケメンの総統には経済危機を打開する能力はない。台湾の司法は、国民党の用心棒・殺し屋になりつつある。ファッショの危機は深刻。警察が凶暴化している。毛沢東は『農村が都市を包囲する』という戦略を立てた。今の中国は台湾に対して『商を以て政治を囲む』『経済を以て台湾独立を抑える』戦略。それはかなり成功している。国民党はイデオロギー政党ではなく、利権政党になっている。中共幹部も国民党幹部も、いかにして国民から富を巻き上げるかしか考えていない。」

宮崎正弘氏「アメリカは尖閣問題で日本を助けるとは明言しない。日米安保は変質している。オバマ政権は米中でG2を形成して世界を領導しようとしている。オバマ政権は日本と台湾にとって危険。しかるに日本と台湾はのんびりとしている。ヒラリーは中国に行って『お金を下さい。そのかわり人権問題を持ち出さない』と言った。馬英九の頭の中にはアメリカしかない。アメリカが現状維持と言っているからそうするということ。台湾の空港の両替所に『人民元歓迎』と書かれてあった。台湾は中国の植民地になりつつある。しかし台湾は香港・マカオと違って水と食料を中国に依存していない。台湾には中国にはない倫理がある。自由を尊重するシステムがある。これがある限り中国と統一することはない。ただし、中国が暴力で統一を目指す危険がある。」

城仲模元台湾法務部長「台湾にもう一度李登輝先生のような人が出て来るか。『中華民国憲法』は五権分立だが、その他に総統府・中国国民党・国民大会の三権がある。台湾軍四十万の内、八五%が台湾人。それは我々にとってチャンス。米中国交成立以来、『中華民国』は世界の世論の中に存在しない。後藤新平は二十世紀初頭に台湾の基礎をつくった。李登輝は二十一世紀初頭に台湾に民主・人権・法治体制を作った。私の幼少の頃の印象では、日本の公務員・警察官は素晴らしかった。戦後来た支那人の公務員・警察官は無茶苦茶だった。私は日本を尊敬し、日本に留学した。田母神氏を尊敬する。自分の国を愛するこんな立派な人が何故辞めなければならなかったのか。日本が何故こんな状況にまで落ちたのか理解できない。中国人のメンタリティーは普通の人間ではない。馬英九を見るとそれが分かる」。

         ○

台湾人の「反中国意識」は強い。半世紀以上にわたって、大陸から侵入して来た支那外来政権の強圧政治によって虐げられてきたのだから当然である。台湾人は半世紀の体験によって支那の体質を分かっているのだ。

日本人は、支那のことをよく理解しているようで実はそうではない。儒教や唐詩、そして大陸の景色などを見て、「支那は文字の国だ、雄大な国だ、日本と同文同種だ」と思い込んでいるのである。これは危険である。支那人は儒教道徳など全く実行していない。支那の体質が改まらない限り、支那に対しては友好よりも警戒が必要である。このことを日本人はよくよく認識すべきである。

今日は久しぶりに許世楷氏、黄文雄氏などの台独運動家の方々にお会いできた。日本と台湾は固く連帯して、中華帝国主義の侵略策謀と戦うべきである。

| | トラックバック (0)

2009年3月 1日 (日)

千駄木庵日乗二月二十八日

午前は父母のお世話。

午後からは在宅して、「月刊日本」に連載している「萬葉集に歌はれた日本の心」の原稿執筆・完成・送付。

           ○

今日書いた原稿は、持統天皇さまが、吉野の宮に行幸された時、柿本朝臣人麿が詠んだ歌の解釈と講義である。持統天皇は御在位中非常に多く吉野へ行幸された。持統三年(六八九)正月から持統十一年(六九七)四月にかけての八年間に三十三回ほど行幸された。即位されて間もない時期は一年に五回吉野に行かれた。そして、御滞在日数は長い時は三ヵ月、短い時は二日。一回平均して一週間くらい吉野に滞在された。真冬にも赴かれた。物見遊山ではない。

 吉野は今日も自然の美しいところであり、日本民族そして皇室の歴史と伝統を伝へてゐる地である。神武天皇は大和橿原の地に都を開かれる際、熊野に御上陸になった。そして吉野をお通りになった時、神のお告げにより無事に大和の國にお入りなり都を開かれるための祭事を行はれた。その時、神武天皇は、吉野にもともと住んでゐた人に道案内されて、大和に入られた。大和朝廷成立の上で、非常に由緒のある地が熊野と吉野である。

その吉野に離宮を造営されたのは、皇室の歴史と伝統を思ひ起こすためである。天皇が離宮に行かれるのは、歴史的由緒のある神聖な吉野の地で、川水で御祓をされ祭祀をされるためであった。持統天皇のみならず、御歴代の天皇は、度々吉野や熊野に行幸され、神祭りを行はれた。

 特に、持統天皇にとって吉野の地は、夫君・天武天皇が壬申の乱の前に隠棲された地であるので思ひ出深いところであった。また、壬申の乱以後の不安定な時期に、持統天皇は、神武天皇が橿原奠都の前に神の御加護を祈る祭事を行はれた吉野で、祭事を行はれたのである。そして、天皇としての神威・霊力を高められた。また、伊勢の神宮の式年遷宮祭の制度も、天武天皇の御代に定められ、持統天皇の御代から行はれるやうになった。 

 持統天皇は、天智・天武両天皇のご意志を継承され、天皇国日本の正しき姿を顕現するために努力された天皇であらせられる。吉野は、伊勢・熊野・出雲・高千穂と共に、天皇国日本生成の歴史を刻む聖地である。

 混迷する今日においてこそ、日本国民は、天神地祇を祭り、深き祈りを捧げて、日本国の再生を実現しなければならない。

| | トラックバック (0)

« 2009年2月 | トップページ | 2009年4月 »