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2009年2月18日 (水)

千駄木庵日乗二月十七日

午前は父に付き添って病院に赴く。定期的な診察と治療。

午後は皇居東御苑にある宮内庁三の丸尚蔵館で開催中の『三峰窯の思いでー宮様とやきもの』展参観。

「案内書」によると、「三峰窯(みつみねがま)は,御殿場御別邸で療養生活を送られていた秩父宮雍仁親王殿下の陶芸に親しみたいという思召しにより,昭和25年(1950)に陶芸家加藤土師萌(はじめ)によって築かれた窯です。三峰窯の名前は,御殿場御別邸から眺められる富士,箱根,愛鷹の三峰,そして宮号と縁の深い秩父三峰との関わりから,殿下によって名付けられました。」「雍仁親王殿下が薨去されてからしばらくの間,三峰窯は閉じられていましたが,その後再び皇族方や親しい方々がお訪ねになり,秩父宮妃勢津子殿下を囲んでやきもの作りを楽しまれました。高松宮宣仁親王殿下と同妃喜久子殿下もたびたび三峰窯を訪ねられ,ご制作のひとときを過ごされました。」「本展では,旧秩父宮家と旧高松宮家のご遺贈品の中から,三峰窯にまつわる陶芸作品や,その指導に当たった加藤土師萌など両宮家に縁の深い陶芸家の作品を紹介します。」との趣旨で開催された。

秩父宮雍仁親王殿下・同勢津子妃殿下、高松宮宣仁親王殿下・同妃喜久子殿下、そして、秩父宮殿下に作陶の指導をした加藤土師萌氏の作品などが展示されていた。どの作品も品格のある美しいものであった。秩父宮殿下の「面影」という名のつけられた天木釉茶碗の「箱書」には、勢津子妃殿下の

「ひたむきに ろくろひかししおもかけの 手にとるやかて目にうかひくる」

という勢津子妃殿下の御歌が妃殿下の直筆で書かれてあった。長く病気ご療養中であられた秩父宮殿下が、ひたむきに陶芸に励んでおられたお姿を偲ばれた御歌で、拝して涙を禁じ得なかった。

『古今和歌集』などの和歌を出典として「銘」が付けられた作品も多かった。日本文化・藝術の継承は、皇室・宮廷が大きな役割を果たされていることを改めて実感した。

この後、晴れ渡る大空のもと、東御苑を散策。

帰宅後は、明後日の「萬葉會」における講義の準備など。

            ○

中川昭一氏が大臣を辞任した。安倍氏の総理辞任と同じく、心身に異変が起きてその職を辞したということである。私に送られてきたメールによると、真正保守の政治家としてこれから日本を担うと思われた二人の政治家が、病気で不本意な辞任に追い込まれたのは、国際的な謀略ではないかという意見があるとのことである。私にはそれは分からない。

ただ言えることは、中川氏の場合は、やはり酒を飲んでいたのなら、あるいは体調がすぐれなかったのなら、本人自身が記者会見に出るべきではなかったし、側近者も出席を止めるべきであった。謀略であろうとなかろうと、この点は本人および側近の責任はやはり大きいと思う。

クリントン国務長官が、皇后陛下の謁を賜ったことと、明治神宮に参拝したことは、大変良かったと思う。クリントンさんを見直した。

小沢一郎氏が、クリントンさんとの会談後、何と「国務長官閣下」と言った。「日米対等の外交」とか「言うべきことは言う」などと言っていたのに、何んとも卑屈な態度である。よっぽど「国務長官閣下」に会うことが出来てうれしかったのだろう。今後、小沢氏は外国の高官に対しては、すべて「閣下」と言うべきである。そうしなければ、日米対等外交などと言っているのは嘘っぱちということになる。

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