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2009年2月 7日 (土)

千駄木庵日乗二月六日

午前は父母のお世話。

午後からは在宅して資料の整理など。

夕刻、小中学校の後輩と懇談。

帰宅後も資料の整理。

          ○

久しぶりに会った後輩と話したのですが、私たちの子供の頃は、校舎が木造モルタル造りで、しかも戦争直後のいわゆる安建築でしたから、隙間風がビュービュー入って来ました。ほとんどの子供たちは指や耳たぶが霜焼けになりました。今は、霜焼になっている子供はほとんどいないと思います。洟を垂らしている子もいません。

冬場は、小学校高学年になると、授業開始前に、コークスを取りに行き教室のストーブにくべるのが日直の仕事でした。用務員さんが教室を回って来た火をつけてくれるのです。給食の脱脂粉乳のまずさは今も覚えています。

還暦を過ぎるこんなことを思い出します。それでも、学級崩壊とか陰湿ないじめはなかったと思います。体育の先生のビンタなどの体罰は当たり前でした。それに文句を言う親もいなかったと思います。

最近の学校教育は、校舎などの設備施設は立派になっていますが、その内容は私たちが子供の頃よりひどくなっているようです。

団塊の世代の私たちは、中学校一年の時は一学級五十数人のすし詰め教室で、一学年十一クラスでした。二年になって新しく開校した学校に転校させられました。今は統合や廃校になるくらい生徒数が減っています。

日教組の偏向教育はひどいものでした。私の父が自衛官だと分っていたかどうかは知りませんが、社会科の先生が「伊勢湾台風で被害が大きかったのは、防災がなっていなかったからだ。自衛隊などに税金を使うからいけない。自衛隊は憲法違反だから無い方が良い」と言ったので、先生と大論争したこともあります。

国会見学では担任の先生が参議院の本会議場にある天皇陛下の玉座を指差して、「今にああいうものは無くなります」と言いました。こういう教育への反発が私をして愛国思想に眼覚めさせたということは言えるかもしれません。

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