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2009年2月21日 (土)

千駄木庵日乗二月二十日

午前は父母のお世話。

午後は「政治文化情報」発送準備。

夕刻、湯島天満宮に参拝。梅園を散策。「新派碑」(昭和五五年水谷八重子・松竹㈱建立)、「講談高座発祥の地碑」(昭和五六年一龍齋貞水建立)、「都々逸之碑」(平成二十年二月吉日建立・世話人代表谷口安閑坊)などを仰ぐ。湯島天神境内ならではの江戸情緒あふれる石碑が多かった。

午後六時半より、「國體政治研究會」開催。小生が司会。幹事の高池勝彦弁護士が挨拶。

黒田秀高伏見稲荷大社禰宜が講演し、「神社も時代の波に翻弄される。戦後は『軍国主義の温床』との批判を受け、危機に瀕した。神道は神と個人との関係ではない。国家神道が何故悪いのか。国家仏教があった。東大寺は鎮護国家のために、聖武天皇が建立した。神社は、天皇の彌榮・国家の安泰・五穀の豊穣を祈る。仏教は最初、病気平癒などの個人信仰として日本に入って来た。

明治元年、氷川神社に下されたる勅書には『神祇を崇め祭祀を重んずるは、皇国の大典、政教の基本たり。』『新たに東京を置き、親しく政を臨み視る。將に先づ祀典を興し、綱紀を張り、以て祭政一致の道に復せんとす。』と示された。明治維新は祭政一致として進むことが理念。『禁秘御抄』に示された『凡禁中作法、先神事、後他事』が祭政一致の根本理念。

公家は必ずしも尊皇・勤皇ではなかった。高山彦九郎・竹内式部・山縣大弐が『日本は天皇の国』と言ったことを幕府に告げ口したのは公家。入江相政は祭祀軽視。

東大で宮沢憲法学を習った官僚たちは『宮中祭祀は国事行為ではないのだから軽減するのは当たり前』という考え。宮中祭祀こそが、天皇の国事行為と私は認識している。

神仏習合は初めは神主仏従だったが、仏教が強大になり、仏主神従になっていった。江戸時代は神主が死んでも仏式の葬儀が行われた。神仏習合ではなく神仏共存であるべし。坊さんが神前でお経をあげるのが神仏習合。

死者に鞭を打たないというのが日本の道義。『A級戦犯分祀論』は死者の鞭打つ行為。

法理上、天皇は統治大権と祭祀大権を総攬されるというのが私の解釈。宮内庁が総務省の外局というのは、皇室軽視。宮内省に昇格せしめるべし。」などと語った。

帰宅後も、発送準備。

          ○

戦前の宮内大臣は、伊藤博文・田中光顕・牧野伸顕など総理と同格あるいはそれ以上の人物が就任した。これらの人々は、政治家に顎で使はれるなどといふことはなかった。だからこそ、皇室の藩屏の役目を果たすことができた。

戦前は、天皇及び皇室を輔弼しお守りする体制が整へられてゐたので、政治権力者によって利用されるなどといふことはまづなかった。

戦前の宮内省は「大宝律令」以来の歴史と伝統を有し、宮中・府中の別が確立され、一般行政の枠外に立っていた。即ち、時の政府から独立した存在であった。

戦後、占領軍は、皇室制度の弱体化を進めた。その顕著な例が、宮内省の宮内庁への格下げである。「現行占領憲法」のもと、宮内庁は内閣総理大臣の管理下の機関となり、総理府の外局にすぎなくなった。(現在は内閣府に置かれている)。

戦後体制からの脱却は、憲法・教育・国防のみならず、皇室制度においてこそ実現されなければならない。宮内庁の省への昇格と、機能と権限の強化が望まれる。宮内大臣には、総理経験者以上の人が就任すべきである。また、元老、重臣、内大臣、宮内大臣、宮中顧問官、枢密院、近衛師団なども復活すべきである。皇室の権威を本来の姿にお戻しすることが何よりも大切である。

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